総 論
我が国経済は90年代に入って以降,4年間にわたる「驚くべき例外的な低成長」(OECD)にあえいでいる。なぜだろうか。バブルの後遺症があるかもしれない。マクロ政策の有効性が低下しているのかもしれない。また,世界の経済フロンティアに躍り出ることを可能にしたこれまでの経済構造が一つの限界に達しているのかもしれない。それは「内には弱く外には強い円」を生む経済構造と関係しているのかもしれない。さらにはこれまでの日本の市場経済を規定してきた経済システムが今日的時代状況の中で疲労をきたしているのかもしない。
1947年の「経済実相報告書」から数えて50回目に当たる本年度の年次経済報告は,このような問題意識の下に,時代の大きな転換期にある日本経済の現況を「景気」,「産業調整」,「経済システム」という三つの軸から分析し,日本経済局面転換の課題とこれからの経済運営の視点を考えることにした。
1. 今回の景気局面の評価と今後の展望
まず第1章では,今次景気局面のマクロ面からの評価を行った。 第一の分析テーマは,日本経済はなぜこのように長期にわたって低成長にあえぎ,かつ景気の回復力が緩やかであったのかという論点を,消費と設備投資から評価することである。すなわち,景気けん引力の二大主役へのバトンタッチがなぜこのように遅れているのか,また今後の展望はどうかという論点である。
(緩やかな伸びにとどまった個人消費)
日本経済のこれまでの景気回復局面を振り返ると,景気の谷以降の立ち上がり局面で個人消費が回復を先導したという経験は,若干の例外を除いてはなかった。そして,今次の緩やかな回復局面においても,消費は景気けん引力とはならなかった。第2節ではその背景を探った。
最近の消費の弱さに関しては様々な見方がある。第一は,ディスインフレ(物価上昇率の低下)によって実質消費が抑制されているという見方である。この点に関しては,物価の低下があった直後はともかく,その後は物価の低下による消費抑制効果は観察されない。
第二は,消費の伸び悩みの犯人を資産デフレに求める見方,すなわち資産価格の低迷の消費へのマイナス効果を重要視する見方である。しかしながら,資産デフレが消費に与えるマイナス効果はそれほど大きいものではなく,実質所得のプラス効果を下回っている。同じようにバブル崩壊を経験したスウェーデンやイギリスのように消費性向の大きな変動はみられていない。バブル崩壊による消費性向の変化は,我が国では比較的小さかったのである。
第三は,低金利犯人説であるが,これについてはマクロ的には利子所得が家計所得全体に占める割合が小さいことから,低金利の消費抑制効果を過大視すべきではない。
第四は,中立命題仮説,すなわち減税はすべて貯蓄にまわるので消費を喚起しないという見方である。しかし,現在までのところこの命題が成立しているとはいえず,この仮説でもって最近の消費の弱さを説明するにはやや説得力に欠けるといわざるを得ない。94年以降の減税は,消費性向を高めるという形での消費の増大はもたらさなかったが,可処分所得の下支えを通じて消費の増大に寄与したのである。
最後は,恒常所得仮説,すなわち今後の低成長を予測した消費者が将来の弱い所得を現在の消費に反映させているのではないかという見方である。しかしながら我が国の場合,消費を決定する要因として,「現在」の実質所得の重要性を無視し得ないことが実証された。消費は実質所得の従属変数である。そして,このように実質所得の伸びが緩やかなものにとどまったのは,労働市場での改善の遅れがあったからである。
以上のような分析を踏まえて今後の消費を展望すると,ディスインフレや低金利によって消費が景気の足を引っ張ることはない上に,資産価格の低迷が消費にマイナスの効果を与えるとしてもそれほど大きいものではないと考えられることから,今後雇用情勢の改善によって実質所得の回復が視野に入ってくると消費の回復もある程度期待できるであろう。
(緩やかな増加を続ける設備投資)
今次局面で景気の足を引っ張ったのは設備投資であり,その回復力も力強さに欠けている。このような今次局面における設備投資の動きをどう分析し,さらには今後の設備投資をどう展望すればいいのであろうか。第3節では設備投資を規定する様々な要因を取り上げた(円高等による過剰資本ストック,バランスシート要因,金融機関の貸出行動変化等)。
まず,今次局面では,資本ストックの過剰な状態が長期にわたって続き,大幅な設備投資の調整が行われた。これに関連して80年代後半の資本ストックの増加については,このかなりの部分は単なるバブル的投機によるものではなく,期待成長率の高まりや企業収益の高まり(その背景には良好な経済パフォーマンスへの自信),低金利を背景にした資本と労働の相対価格の低下という「経済的基礎条件」といえる要因に沿ったものであるといえる。しかし,ここで留意すべき点は,こうした基礎的要因自体がバブルの熱狂によって過大評価されていたことである。こうした過大評価された基礎的要因がバブルの崩壊によって剥落した結果,その後の設備投資の調整は大きいものとなったと考えられる。さらには,こうした過大評価された基礎的要因は効率の悪い設備投資をもたらし,収益の悪化を通じてその後の投資調整を長期化させたと考えることができる。
そこで,このような過剰資本ストックの調整が長期化したのはなぜか,さらには過剰資本ストック調整が進展しつつあるものの,今次の回復局面では投資の回復力が弱いのはなぜかというのが次のポイントである。幾つかの要因が考えられる。まずは円高要因であるが,91年以降の過剰資本ストックの調整を長期化させた背景の一つとして,円高による輸出の減少や輸入の増加等により生産に必要な資本ストックに影響を与えたことが実証される。しかしながら最近は,95年夏以降の円高是正によって投資環境は次第に明るくなっているものと考えられる。
次はバランスシート調整であるが,ここでは資産価格(土地・株価)や負債比率が今次局面の設備投資にどの程度の影響を与えたかを分析した。それによると,製造業においてはバブル期も90年代においてもその影響はほとんど認められない。一方,非製造業においては,地価の下落は,景気後退の初期においてはかなりの抑制要因となっていたものの最近では次第に薄らいでいるとの結果を得た。なお,今後の設備投資に関してディスインフレによる実質負債残高の高まりのマイナス効果を強調する見方がある。高い負債とその面からのバランスシート調整がまだ完了していないことはいうまでもないが,負債比率が低下しない限り投資は出てこないという見方は一面的過ぎるのではないか。この点は,投資の決定要因の一つと考えられる株主資本収益率(ROE)が投資採算率(投資収益率-金利)と負債対株主資本比率によって規定されることを念頭に置くと,金融緩和によって投資採算率の改善が見込まれれば,負債比率の引上げによって当該新規投資を実行することが合理的になり,金融緩和の下では負債残高の調整と新規投資の増加が並行的に行われるのである。
次にバブル崩壊以降の金融機関の貸出行動には企業の信用力の差を反映したリスクプレミアムを考慮した動きがみられる(第9節)。この結果,今次局面においては,中小企業の設備投資に対して限界的ながらも影響を与えた可能性がある。ただし,このこと自体は,いわゆる「貸し渋り」というよりはむしろバブル期の「貸し過ぎ」からの正常化過程とみるべきものである。
以上の点を総合してみると,今後の設備投資については,まず,これまでの設備投資を弱いものにとどめていたバブルの後遺症や地価の低迷が,今後の投資の下振れリスクとなる可能性は次第に小さくなりつつある。現時点では設備投資が加速する手応えは依然確認できないが,最近における稼働率の持ち直し,低金利の持続,円高是正や企業のリストラの進行を背景とした企業収益の高まりを背景に,投資環境も次第に改善していることなどを考慮すると,今後の設備投資は更に明るさが増してくるものと考えられる。
(厳しい雇用情勢と構造変化の芽)
4年間の低成長の下,雇用情勢は厳しい。失業率は依然高い。雇用過剰感も依然残っている。また,新卒者の雇用は抑制されている。このことは憂慮すべき点であることはいうまでもないが,このような低成長にもかかわらず欧米と比べて日本の失業率はなぜ低いのかという疑問が残る。さらには最近の労働市場にみられる新しい構造変化は何かという論点がある。これが第1章における第二の分析テーマである(第4節)。まず前者について考えてみると,その理由は,マクロ面では最近の労働力率の低下,さらには所定外労働時間や賃金が景気に伸縮的に変動していることにあるといえよう。また今回の局面では,景気低迷以前から進められてきた労働時間の短縮の進展が,失業の増加を緩和する効果が少なからずあったことが注目される。一方,企業の雇用過剰感は高いが,今回局面の雇用過剰感が,循環要因以上に高まっているという証左は見当たらない。
一方,雇用過剰感が高いということは,雇用保蔵が存在していることを示しており,これらが現時点において,賃金に何らかの影響を与えている可能性もあろう。
次に,今回の局面における雇用市場の新しい構造変化は何かという後者の論点であるが,次の4点を指摘できるであろう。第一は,最近の流通革命や国際競争環境の変化を背景に,卸売・小売業を中心に自営業主・家族従業者から雇用者への大幅なシフトが起こっていることである。第二は,産業別には製造業から非製造業へのシフトである。中でも,サービス業等,これからの雇用機会が期待できる分野での雇用者数が増加傾向にある。第三は,職種別の動向である。専門的知識や高度な技能を備えた雇用者の需要は,景気の本格回復が遅れているなかでも相対的に強くなっている。また,これに関連して,後にみるように,このような職種別の労働力需要の変化に対応して,企業が高い技術を有した企業外の労働者を,積極的に活用するケースが増えている。第四は,労働者の就業意識の多様化や技能のミスマッチ等もあって,若年層や高年齢層の失業率が高まっていることである(なお,このような労働市場の新しい動きが,これまでの雇用システムにとって持つ意味合いについては,第3章第2節で考察する)。
雇用市場をめぐるもう一つの注目すべき点は,賃金格差の動向である。アメリカでは,近年賃金格差問題が深刻な経済問題となっている。日本でも80年代は各種の賃金格差は拡大した。しかしながら,90年代に入って賃金格差の拡大傾向がやや頭打ち,ないしは縮小しているものもある(特に産業別賃金格差)。円高下の産業・雇用調整,国際競争の激化,途上国からの追い上げ,規制緩和等の近年の内外の環境変化の中で日本経済は一層の効率を追求するなかで,生産性の上昇を図っていくことが求められているが,その際,効率の追求が分配の公正と矛盾するという主張がある。しかしながら現実には,効率の追求が所得格差の拡大に必ずしもつながらない面があると考えることもできる。
(円高下の非製造業の動向)
今回の回復を遅らせたもう一つの側面としては,非製造業の低迷があった。通常円高局面では,交易条件(仕入価格に対する販売価格の比率)の改善を通じて非製造業に好影響をもたらす。事実,前回の円高不況後をみると,非製造業が製造業の落ち込みを下支えした。しかしながら,今回の局面では非製造業の景気下支えがなかった。第1章における第三の分析テーマは,これはなぜかという点である(第5節)。この点については,第一には交易条件の改善幅自体が前回円高局面時より今回の方が小さかったこと,第二は,何といっても今回局面ではバブルの崩壊によって非製造業の方が製造業よりも大きく打撃を受けたこと,そして第三には,円高,価格破壊,世界の「大競争」等を背景としたリストラを反映して,企業のサービス需要が低迷したこと等を挙げることができるであろう。
(縮小傾向で推移している経常収支黒字と輸入の増大)
日本の経常収支の黒字構造に変化がみられる。すなわち,低成長にもかかわらず最近の経常収支黒字は着実に縮小している。その背景には,輸出が横ばう中での輸入の増加基調がある。第1章における第四の分析テーマは,このような輸入の増大をめぐる幾つかの論点をどう整理するかという点である(第6節)。
まず第一は,最近の低成長にもかかわらず輸入はなぜ増大するのかという論点である。これについては円高による価格効果のほか,構造変化要因が大きく,80年代後半以降の円高による日本企業の海外への生産拠点の移転による集積の効果がここにきて出てきたことがあるといえる(なお,このような輸入浸透度の増大によって国内の雇用が大きく圧迫されているのではないかという点は第2章第6節で述べる)。
第二の論点は,輸入の増大によって財政政策の有効性が低下しているのではないかという点である。この点に関しては,有効需要(所得)の増大による輸入への漏れ(輸入の所得弾力性)の大きさは最近では大きくなっておらず,財政政策の有効性は他の条件が等しければ小さくはなっていないといえる。最近における輸入の増大という現象と所得増大による輸入への漏れの大きさ(輸入の所得弾力性)を混同してはならない。
第三の論点は,輸入の増大を背景とした経常収支黒字の縮小の中で,国内の民間部門の貯蓄超過(ISバランス)はいかなるメカニズムによって縮小するのかという点である(第2章第2節)。この点に関しては,低コスト(低価格)経済への移行という日本経済の構造変化が,経常収支の縮小と貯蓄超過の縮小という現象を同時に説明するキーワードではないかと考えられる。すなわち,相対的に高い国内価格が相対的に低い国際価格に接近しているのが現在の状況であるとすると,輸入は価格効果と構造変化効果によって増大することはいうまでもない。また,低インフレになるほど消費性向(貯蓄性向)が高まる(低くなる)。さらに,これまでの高コスト構造や規制によって新規の投資が抑制されていた面があったとすれば,このような投資制約要因の除去によって新規投資が喚起されることになろう。こうして,低コスト経済への移行の過程では,貯蓄超過と経常収支黒字の縮小が同時に期待できるのである。
(財政政策の有効性は低下したか)
第1章における第五の分析テーマは,最近におけるマクロ政策の展開をどう評価するかである。まずは財政政策についてである(第7節)。今次局面の低成長の原因として財政政策の責任が,また財政政策の有効性の低下問題が議論されている。ここでは財政政策に係る幾つかの論点を取り上げてみよう。第一は,91年以降の財政出動の規模が小さ過ぎたとする意見をどう考えるかであるが,91年から95年にかけてGDPの伸びは年率わずか0.6%であったが,この間の公的固定資本形成は年率8.4%も増えていることからも分かるように,このような意見は正しい理解ではない。これと関連して94年度財政の「手控え論」がある。これは,94年度中には財政支出の追加的出動はなく,公的固定資本形成は約1%減少したことを根拠にした議論である。しかしながら,財政出動を支出のみで評価することは一面的過ぎる。94年度には5.5兆円(GDP比1.2%)に上る所得減税が実施されたのである。94年度の財政政策は景気刺激型ではなかったというのは正しい理解ではない。当時のシナリオは,このような減税を通じた景気刺激策によって景気のけん引力はそれなりに消費と投資に渡るという考えであった。しかしながら,消費と投資の回復力は弱く,そういう状況の中で,95年の春先に阪神・淡路大震災,円高,社会的事件という予測し得なかったトリプルショックが生じ,それを引き金に景気は足踏みを始めたのである。
第二に,それではこのような財政出動があったにもかかわらず,民間需要がなぜこれまでに比べて大きく反応しなかったかという論点である。これは,上記のような公共投資の増大にもかかわらず,民間設備投資がこの間18%も減少したことから考えてももっともな議論である。この論点は,財政政策の乗数効果がなぜ顕在化しなかったかという論点に答えることである。最近の財政政策乗数は小さくなってしまったとみる向きがある。そしてその根拠として,(a)金利上昇による設備投資の抑制(クラウドアウト効果),(b)為替増価による外需の低下(マンデル効果),(c)総供給曲線の傾きの急傾斜化(財政が拡大した場合に物価がより上昇して需要が抑制される)が挙げられる。しかしながら,このいずれのルートを検証してみても,その証左は観察されない。なお,輸入の漏れの増大により財政政策乗数が小さくなっている可能性は考えられるが,大幅に減殺するほどのインパクトはないとしている。
このように考えると,我が国における最近の財政政策の景気浮揚効果が顕在化しなかったのは,バブル崩壊により設備投資等が低迷していたこと,さらには円高やこれに伴う企業者マインドの改善の遅れなどが財政出動の効果を相殺するように働いたものと考えられる(第9節)。公共投資は,それ自体の成長率押上げ効果から景気を下支えしたものの,バブル崩壊の影響等により公共投資の民間需要誘発効果は最近は相殺されて顕在化しなかったとみられる(なお,先進各国のクロスセクション分析によっても,有効需要政策としての財政政策の効果は喪失していない)。
このように,今次局面で景気が本格回復をしなかった原因を財政に求めることは正しくなく,財政出動の景気下支え効果はあったといえるものの,財政赤字が累増してきており,このことからも,今後の財政構造改革の必要性は何ら否定されるものではない。まず,高齢化の一層の進展に伴って,政府支出の拡大が予想される。現在のような財政赤字を続けていくと,高齢化の進行により貯蓄率が低下することが想定される将来においては資本蓄積を抑制し,経済全体の潜在成長力の低下をもたらす。また公共投資の生産力効果が最近では下がってきているとみられることも考慮する必要がある。さらには現在はみられないが,大きな財政赤字を抱えたままで更なる財政発動を行った場合,将来の増税を見越して消費は増大しないという「非ケインズ効果」が働くことも考えられる。また政府債務が異常に大きくなると債務の返済可能性に対する市場の信認を損なう可能性がある。事実,現在のような財政赤字が持続すると,政府債務残高がGDPの規模を上回る確率はかなり高まる。それゆえ,財政支出の拡大は有効需要の創出という面では役立つが,その結果財政赤字が累積すると長期的には経済にマイナスの影響を及ぼす可能性もあり,今後は財政構造改革と経済構造改革を推進しないと,将来様々な憂慮すべき事態に陥らないとも限らないことを銘記すべきである。
(金融政策の評価)
次は金融政策をめぐる論点であるが,最近は「金融政策の実体経済に与える効果が不確実になっているのではないか」という議論がなされることがある(第8節)。この点は以下のような現象から判断される。第一は,名目経済成長率はマネーサプライの伸びによって影響を受けるが,今回の局面での経済の伸び悩みは金融要因のみによっては説明できず,実物要因が影響していたことが確認される。例えば,設備投資に関していえば今回の低迷期における企業収益の大幅な減少が設備投資を押し下げた可能性がある。第二は,マネーサプライが名目GDPに与える影響は,わずかな構造変化(マネーサプライが名目GDPに影響する波及経路の変化)によって異なり得るという点である。第三は,実体経済からの資金需要が本格化しない状況においては,ハイパワードマネーの増大がマネーサプライの増大に直結するわけではないことである。この点は,最近の超金融緩和政策の下でハイパワードマネーはかなりの増加をしているもののマネーサプライ自体(M2+CD)は依然として緩やかな伸びにとどまっていることからも確認される。
以上三点を踏まえると,景気の本格化を図る上で,金融緩和基調の持続は重要であるが,金融緩和さえすればすぐにでも景気は本格化すると即断することは,必ずしも説得的な主張とはいえない。
(デフレスパイラルはなぜ避けられたか)
バブル崩壊以降の日本経済は,戦後初めてともいえる厳しい経済調整を強いられているが,こうしたなかにおいて,それがデフレスパイラルに陥ることはなく,それなりに安定力と均衡回復力を発揮し得た。なぜか。以上の分析を踏まえて改めて整理してみよう。これが第1章の第六のテーマである(第10節)。
第一は,マクロ政策の景気下支えがあったことである。すなわち,円高等による外需のマイナスや設備投資等の内需の低迷によって総需要曲線は大きく左方にシフトしたが,政策需要である公共投資と住宅投資が総需要曲線をある程度元に戻しているのである。第二は,ディスインフレのマイナス効果も,懸念されたほど大きくなかったことである。例えば,ディスインフレや資産デフレの消費へのマイナス効果,また,ディスインフレ下の負債の増大が投資に与えた効果は,既に述べたとおりそれほど大きくなかった。第三は,今次局面では輸入物価の低下や単位労働コストの低下による費用の低下(総供給曲線の右シフト)があったことである。
第四は,価格破壊等を背景にした今回の景気局面での微増収・増益という戦後初めてのパターンは,非製造業を中心に厳しい調整を強いたものの,企業のリストラによる収益体質の改善が大企業を中心にした収益の確保を可能にし,これが低成長期においてそれなりの安定化要因となって働いたことである(なお,大企業の収益確保のためのリストラのあおりでマイナスの影響(総需要曲線の左シフト)を被っていた中小企業の収益も,最近では円高是正もあり次第に明るい兆しがみられる。これは,大企業から始まった明るさが次第に中小企業にも浸透し始めていることの証左といえるであろう)。
第五は,90年代における低成長・ディスインフレは,経済構造がこれまでのものとは全く異なったものとなったために生じたのではないかという懸念が当たらなかったことである。この点については,物価と総需要(総需要曲線),物価と総供給(総供給曲線),物価と失業率(フィリップス曲線),GDPギャップと失業率(オークン曲線)等のマクロの関係からみる限り,90年代に入っても大きな構造変化はみられていない。さらには,オークン曲線から観察できる潜在成長率もそれほど大きく低下していない。これは90年代に入ってからの低成長が,潜在成長率の大幅な低下によるものだとする見解と相いれない結果である。
このように考えると,90年代前半の低成長は,これまでの経済構造が激変したためというよりも,様々な内と外からのショック(バブルの崩壊,円高,世界の「大競争」など)の中で,これまでの日本経済の構造やシステムが柔軟に対応できていないために生じたものといえるであろう(この観点から第2章と第3章では,これまでの産業構造の変化や経済システムの見直しの視点について考察する)。
(今後の展望)
今年度の下期を展望すると,消費や設備投資についてはやや明るさが展望できるものの,それらが更にしっかりしたものとならない場合には,住宅投資や輸出に不確実性があり,また,公的固定資本形成が本年度は過去最高水準となると見込まれるものの先行指標の動きをみると伸びが更に高まるとは考えにくいことから,一時的にせよ景気の回復テンポが鈍化する可能性もあろう。しかし,短期的な視点で政策的なてこ入れにばかりに頼っていては,かえって経済のぜい弱性を残すことになりかねないことから,今後は中長期的な視点に立った構造改革を果敢に実行していくことにより,日本経済の体質を足腰の強いものにつくり変え,持続的成長を図っていくことが期待される(第11節)。
2. 産業調整をみる視点
今回の低成長は,これまでの経済構造と密接に関係しているようにみえる。その構造は何か。また,これからの構造改編の方向をみる視点は何か。これが,第2章の基本的分析テーマである。ここでは,これまでの日本の産業構造を「重層型」の構造としてとらえ,これからの変革の視点は比較優位産業の弱体化ではなく,輸入の増大や規制の緩和等をてことした比較劣位産業と非貿易財産業の再編であり,それが「外に強く・内に弱い円」を生む構造の変革,すなわち,経常黒字の縮小と低コスト経済への移行のかぎになるとみる。このような構図を念頭に置きつつ,第2章では,①キャッチアップ型の産業構造の特徴と限界,②円高と雇用変動,③生産性の向上と雇用問題をめぐる日・米・独の比較分析,④構造変化を始めた中小企業の動向,⑤途上国の追い上げと日・米・アジア間の国際分業の変化,⑥技術フロンティアとR&D,等について分析を進めた。
(戦後経済の歩みとキャッチアップの終了)
戦後の高い生産性の上昇は資本や労働という生産要素の投入量の増大に加えて,高い全要素生産性(技術進歩)によって達成された。ただし,このような高い生産性の伸びは主に「後発国の利益」によるところが大きく,キャッチアップ余地の狭まりとともに小さくなっている。
(キャッチアップ型経済構造の特徴)
そこで第一の分析テーマは,こうした戦後の日本経済の成功物語がどのような産業構造によって達成されたのか,またその構造の限界は何なのであろうかという論点である(第2節)。産業別の生産性の上昇率(及び産業別均衡レートの差)からみると,日本の製造業の際立った特徴としては,相対的に実力のある産業(比較優位産業)と相対的に実力のない産業(比較劣位産業)の生産性の格差(産業別均衡レートの差)が拡大していったことが挙げられる。すなわち,一方においてその時代その時代の比較優位産業が高い生産性の上昇を武器に輸出競争力を高めつつ日本経済をけん引するなかで,生産性の上昇率の低い比較劣位産業が同時に共存し,しかもこの両者の実力の格差,すなわち生産性の上昇率の格差がますます広がっていったのである。さらには,日本の非貿易財の生産性の上昇率は総じていえば低く,これを反映して非貿易財の均衡レートは更に低くなっている。このことは,非貿易財部門での内外価格差が大きいことを意味している。このように,三者の実力が大きく異なる構造,言わば「重層型」の構造というのが我が国のこれまでの産業構造の特徴であった。
(「重層型」産業構造の問題点)
そこで登場するのが,このような「重層型」の産業構造でこれからもやっていけるのであろうかとの論点である。この問題を考えるために,「重層型」の産業構造が何をもたらすかを考えてみよう。
第一は,円高圧力が続くことである。すなわち,生産性の極めて高い特定の製造業の均衡レートが高くなると,それに引きずられる形で製造業平均の均衡レートも増価していくのである。
第二は,そうすると比較劣位産業は,厳しい産業調整圧力にさらされることである。そして,これらの比較劣位産業の産業調整に時間がかかるとすれば,これら比較劣位産業の輸入の伸びは比較優位産業の輸出の伸びより小さくなり,貿易収支の黒字が拡大する一因となる。そのことは,現実の為替レートを更に増価させる可能性がある。
第三は,このような均衡レートの増価,黒字の拡大,現実の為替レートの増価という悪循環が加速するならば,一国の製造業には少数の超比較優位産業しか生き残れないという「オランダ病」が発生する可能性が生じる。極端な場合には,現実の為替レートが超比較優位産業の均衡レートより増価するというオーバーシュートが発生することもあり得る。このような状況の下では,新規産業の台頭は極めて難しいことが容易に想像できるであろう。これが正に産業の空洞化である。
第四は,内々価格差の拡大,あるいは国内経済の高コスト化である。現実の為替レートが仮に製造業平均の均衡レートに等しく,その限りで内外価格差がない場合でも,このような「重層型」の産業構造の下においては,製造業の比較劣位産業と非貿易財における内外価格差は拡大するのである。
このようにみると,これまで比較優位産業が,比較劣位産業や非貿易財との生産性上昇率の格差を広げつつ日本経済を力強くけん引することでキャッチアップを実現してきたという光の裏側で,正にその「重層型」の産業構造が,円高,経常収支黒字,さらには内外価格差問題を生み出してきたとの見方もできよう。それゆえ,この構造を変えない限り,今後も同じ苦しみに悩まされるおそれがある。
(「重層型」産業構造の貿易面からみた特徴)
なお,このような我が国の「重層型」の産業構造の特徴は,貿易構造にどのように反映しているのであろうか。この関連でこれまでしばしばみられる日本の貿易構造に対する批判として,これは政府によって「管理」されたものであって市場経済のルールに反するという日本「異質論」がある。すなわち,日本のこれまでの産業構造は,政府の強い産業政策によって作られているものであるという主張である。このような主張が現実妥当性を有しているかを判断するためには日本の貿易構造が国際貿易の基本的考え方である比較優位理論で説明できるか否かを実証すればよい。第2節の実証結果によると,まず第一に,日本の貿易構造は比較優位理論によって説明できることが分かる。すなわち,日本の場合,他の先進国に比べて単位労働コストや生産性の差がそのまま産業別の輸出競争力の差となって現れており,「管理貿易」等で輸出競争力を維持しているわけではない。さらに,日本の産業別の輸出競争力には,為替レートの変化が大きな影響を与えたといえよう。第二は,逆にドイツやフランス等においては,産業別のコストパフォーマンスの差が輸出競争力の差となって反映する程度は小さくなっている。すなわち,これらの国の輸出競争力の決定においては,コストパフォーマンス以外の要素,例えば品質,性能やブランド等の非価格競争力(製品の差別化)が重要な要素となっていると考えられる。高品質や独自技術に支えられるような非価格競争力の重要性は,今後,日本の製造業が円高に強い体質へと変身していく上での一つの道であることを示唆している。
(円高と雇用変動:日米比較)
このような重層構造の下での比較優位産業は,これまで高い生産性の伸びと雇用の確保を両立させてきた。しかし,円高を背景に,比較優位産業での生産性の伸びと雇用の維持は両立しにくくなってきた。通常の常識では,為替レートの増価により効率的な比較優位産業の方がよりコスト削減が可能であるため雇用の維持が可能であり,非効率的な比較劣位産業の雇用は,効率的な比較優位産業の雇用より減少すると考えられている。
この点を日米において比較してみると次のような違いがみられる。まず,円高局面における日本では,比較優位産業の方は比較劣位産業よりも雇用者数の減少が大きくなっている。この点は,93年以降において特に顕著である。一方,同じように自国通貨高を経験した80年から85年におけるアメリカでの雇用者数の変化を産業別にみると,貿易財部門については,日本と異なって比較劣位産業において比較優位産業よりも雇用者数が大きく減少している。このように,日本では比較優位産業でより大規模に雇用者数が減少したことでますます比較劣位産業との間で生産性上昇率の差が広がっていったが,アメリカでは比較劣位産業でより大規模に雇用者数が減少したことにより,比較優位産業とほぼ同程度の生産性の上昇を達成している。なお,非貿易財産業は日米とも雇用者数が増加しており,その結果,生産性上昇率は比較優位産業より小さくなっている。このように,我が国においては重層型産業構造の中で円高→雇用変動格差→生産性の上昇格差→産業調整速度の相違→貿易収支黒字の拡大→円高というメカニズムが働いてきたとの見方もできる。すなわち,円高下での雇用変動の産業別の違いにより,重層型産業構造のもたらす問題点が解決されてこなかったと考えられる。
(「重層型」の産業構造を抜け出す道)
それでは,「重層型」の産業構造を抜け出す道は何だろうか。第一は,比較優位産業の輸出に規制を課すことによって黒字を減らすことである。しかし,このような方法は更なる雇用減少を招いたり,ましてや,この産業の生産性を低下させる可能性が高く,それは結果的には国民の生活水準を低めることになる。それゆえ,産業構造改編の視点として比較優位産業の弱体化は問題外であり,比較劣位産業や非貿易財部門で一層の生産性の向上がなされることが不可欠である。すなわち,重層構造の下の部分の底上げである。その際に重要なのは,新しい技術を体化した効率的な投資の増大を通じた資本装備率の上昇や生産効率の向上を通じた前向きな生産性の向上である。
さらにいうならば,日本国内の比較劣位産業は,途上国にとっては比較優位産業であることを考慮すると,これら諸国との国際分業を更に進め,輸入を拡大することがこれら諸国の経済発展に寄与する。また,我が国にとっても輸入の増大をてこに国内の生産性を上昇させる機会となる。そうすると,輸入が増大するなかで経常収支が減少し,円高圧力を和らげる。さらには,生産性の上昇によって国民の生活水準は更に上昇することとなる。また,規制緩和等の競争メカニズムの強化によって非貿易財部門の生産性を上昇させることは,内外価格差の縮小にも通じる。また,非貿易財部門の多くも今や世界との競争にさらされている。既に始まっているこのような輸入の増大と規制緩和,さらには世界の「大競争」をてことした重層構造脱却への手掛かりをいかに確実なものとしていくかが今後の産業構造の改編をみる一つの視点である。
なお,これからの産業構造の再編に関連して,より重要な産業部門は輸出競争力のある比較優位産業をますます育てることであって,比較劣位産業や非貿易財産業は二の次であるとの考え方があるが,これは必ずしも正確な理解とはいえない。すなわち,国民生活の向上に重要なことは経済全体の生産性の向上であって,貿易財であれ非貿易財であれどちらでもいいのであるが,これまでの重層構造を変革するという意味では,国民経済の中で大きな割合を占める非貿易財部門の生産性向上のメリットは大きいといえるであろう。
(高いドイツの非製造業生産性)
以上のようなシナリオに対して,次のような論点が提示されよう。第一は,非製造業の生産性上昇率は製造業のそれより低くなることは宿命であり,経済全体の生産性を低めるのではないか,第二は,このような構造変革の中で厳しい調整を強いられる中小企業の最近の変化をどうとらえるか,第三は,輸入の増大やその背景にある途上国の追い上げは日本経済への圧迫となるのではないか。第四は,産業構造改革に当たってこれからのR&Dの方向性は何かという点である。以下順次,これらの論点を取り上げてみよう。まず第一の論点に関していえば,このような見方は必ずしも正しくはない(第4節)。ドイツの例がある。ドイツにおいては,70年代後半までは非製造業の生産性上昇率は製造業のそれよりも低く,その結果,非製造業の製造業に対する相対価格は上昇していたが,80年代以降この関係はみられなくなり,生産性格差は大きく縮小,ないしは逆転している。そしてその要因の一つとして資本装備率の高さを挙げることができる。もちろん,ドイツの製造業の生産性(資本装備率)自体が低いという点には留意すべきであるが,日本やアメリカと異なり,ドイツの非製造業は高い資本装備率によって製造業よりも相対的に高い生産性を達成している。例えば,サービス業の資本装備率は製造業を上回っている。また,日本やアメリカよりも自由化が遅れてはいるものの,通信や交通部門での資本装備率も比較的高い。卸小売業の資本装備率は製造業よりは低いが,それでも日本の卸小売業の資本装備率の低さに比べると相対的には高くなっている。このように,ドイツでは幾つかの産業で急速に変化する技術革新を体化した資本を取り込んで生産性を高めており,その結果,非製造業部門は従来の伝統的な低生産性部門から高い生産性上昇の機会を有する新しい産業にシフトしているともとらえることができる。
(ドイツにおけるサービス化と雇用問題)
ただし,コインの裏側からみるとドイツにおける非製造業の生産性の高さには同時に影の部分があることに留意する必要がある。最大のジレンマは,生産性上昇と雇用の確保のトレードオフである。ここに最大の難しさがある。ドイツの失業率が高いことはよく知られた事実である。しかもこれは,景気が良くなっても依然として残るいわゆる構造的失業の存在がその背景にあることはほぼコンセンサスになっている。構造的失業の原因としては,労働需要側と労働供給側の間の需給のミスマッチが挙げられる。ミスマッチは様々な理由で生じるが,その代表的な現象の一つが職能(qualification)ミスマッチであり,もう一つが労働の産業間移動に伴う職業上(occupational)のミスマッチである。ドイツにおいては,ミスマッチが80年代以降高まっているのである。すなわち,ドイツの失業率がすう勢的に高まってきた背景には,このように製造業から離職した雇用者が非製造業で雇用されるために必要な職能を有しておらず,結果的に失業者として累積していったものと考えられる。
(アメリカ型モデルとヨーロッパ型モデル)
そしてドイツにおいては,このような製造業から非製造業へのスムーズな労働移動を妨げた制度的要因として,高い賃金と手厚い失業給付を始めとする高い公的所得保障等があることが指摘できる。一般的にいって非製造業は製造業での技能とは異なった個々の非製造業固有の技能を要する。そのような状況において,もし労働者の職業訓練のレベルが低い場合,あるいは製造業固有の技能しか有していない場合には,そのような労働者の非製造業での雇用機会は低生産性・低賃金部門に限られることとなる。しかし,失業給付等の水準が比較的高く,また賃金も硬直的である場合にはそのような労働者の非製造業における低生産性・低賃金分野での雇用創出は実現しにくい。この例がドイツを含む多くのヨーロッパ諸国の例である。ドイツでは最低賃金制度は制度的には存在しないものの,社会扶助等による収入が実質的に最低賃金の役割を果たしていると考えられる。すなわち,ドイツの非製造業の生産性の高さは,技能ミスマッチと手厚い失業給付を始めとする公的所得保障を背景とした高い構造失業という影の部分を伴っているのである。
一方,賃金が伸縮的でありまた失業給付等のレベルが低い場合には,多くの雇用が低生産性・低賃金部門において吸収されることとなる。その実例がアメリカである。アメリカでは,製造業から非製造業への雇用のシフトは比較的スムーズに行われてきたが,同時に賃金格差・所得分配格差の拡大が生じたのである。こうしてアメリカでは,いわゆるワーキング・プアーを生むこととなった。このような製造業部門から非製造業部門への産業構造変化の中での雇用調整の違いをアメリカとドイツの比較に即して類型化していえば,アメリカモデルでは非製造業の低い生産性-活発な労働移動-賃金の伸縮性-失業給付を始めとする低い公的所得保障-低い構造失業-大きい賃金格差という構図があり,ドイツモデルでは非製造業の高い生産性-硬直的な労働移動-賃金の硬直性-失業給付を始めとする高い公的所得保障-高い構造失業-小さい賃金格差という構図がある。
ところで,80年代以降における製造業から非製造業への産業構造の変化の中で構造失業と所得分配の格差の拡大というジレンマを避けることのできた国があった。それはスウェーデンである。スウェーデンにおいては失業給付等の水準は高かったものの,政府による雇用プログラム(失業対策プログラムや職業訓練プログラム)によって高い構造失業を回避することができた。しかしながら失業給付を始めとする社会保障費の増大が財政への圧迫となり,また国際競争力の低下要因となるなかで,90年以降雇用プログラムの大幅増加は難しく,おりからのソ連・東欧の激変による輸出市場の混乱やバブルの崩壊とも重なって,このところ失業率は大幅に上昇している。スウェーデンモデルは岐路に立たされている(このような他の先進国の経験に比べて,我が国の雇用システムがいかなる挑戦を受けているかについては第3章第2節)。
(中小企業をみる視点)
次いでさきに提示した第二の論点である最近の中小企業の変化をみてみよう。日本経済のこれまでの高い成長と雇用の創出に大きな役割を果たしてきた中小企業は,最近の円高やそれを背景とした海外生産の進展,さらには規制緩和という様々な状況変化の中で大きな構造変化を強いられている。どのような変化が起こっているのであろうか(第5節)。まず第一は,円高の影響を生産についてみると中小企業の方が大企業よりもより大きなマイナスの影響を受けている。第二に,このような中小企業をめぐる厳しい状況の中で,円高期以降中小企業の雇用吸収力は大きく低下していることである。すなわち,85年以前においては中小企業の雇用の伸びは大企業のそれを上回っていたが,85年以降は状況が変わり,大企業においては大半の業種で生産性の上昇が雇用の伸びを上回っているのに対して,中小企業においては生産性の上昇がみられる場合でもそれは雇用の減少を伴うものであった。
しかし,こうした厳しさの中で新しい変化もある。第一は,特に厳しい調整を強られている下請型の中小企業において親企業とのこれまでの継続的な取引にとらわれない新たな取引関係を見い出そうとする動きもある。第二は,最近における規制緩和や消費者ニーズの変化等を背景にこれまで生産性の極めて低かった小売業において,販売効率の低い零細・個人企業の大幅減少と,より効率の高い中堅企業の台頭といった分化の動きが顕著となってきている。このように,中小企業をめぐる状況は極めて厳しい中でも構造変化の兆しもある。今後は,このような変化の兆しを中小企業の活力に結実させていくという中小企業の新たな企業戦略が望まれるが,その視点としては,(a)技術集約性・知識集約性の向上,(b)積極的な海外展開,(c)ニッチ市場の確立とともに,(d)専門的中小企業のネットワーク型システムの構築という点が重要となるであろう。そして中小企業の個性と活力を最大限引き出すためにも,規制緩和・競争促進等を通じ,中小企業が自らの力を発揮できるような市場環境の整備に努めつつ,中小企業が自前の情報力,技術力,リスク管理能力の向上を図るに当たって,側面から支援することが政策面で重要となってこよう。
(途上国の追い上げは脅威か)
次に上で提起した途上国の追い上げは我が国にとって脅威であるのかという点を考えてみよう(第6節)。この点については幾つかの誤解に基づく懸念がある。まず第一は,途上国の賃金水準は低いためにこれをてこに自由貿易によって日本を含む先進国の繁栄を脅かすのではないかというものである。事実,賃金格差が存在することは正しいが,賃金格差は生産性格差の反映であることを忘れてはならない。第二は,途上国の生産性の上昇は日本の実質所得を低下させるのではないかという懸念である。この点については昨年度の年次経済報告で詳述したので結論のみを述べると,日本の交易条件の変化からみる限り,現在までのところマイナスの影響は観察されていない。一般的にいって二国間の生活水準の格差を規定するのは両国間の生産性の格差(絶対優位)であるが,両国間の貿易パターンを規定するのは(賃金は各国の中でどの産業部門でも大体同じであるとすると),両国における産業部門間の生産性の格差である(比較優位)。それゆえ,途上国の生産性の上昇によって日本は途上国との生活水準を縮められることにはなるが,先進国の貿易は短期的にはともかく,長期的には脅威にさらされることはない。第三は,さきに提示した論点である途上国からの輸入圧力の高まりによって,国内の雇用が大きく圧迫されているのではないかという点である。この点については,一定の試算からみる限り,これまでのペースの輸入浸透度の進展によって個別の業種ではかなりの影響が出る可能性はあるが,マクロ全体でみれば必ずしも吸収できないショックではないと思われる。
以上の点を踏まえると,日本が今後途上国との貿易を広げていくことは途上国側に日本へのキャッチアップの機会を与えることを意味するが,これは日本の貿易を脅威にさらしたり,日本の生活水準を宿命的に低下させたりすることを意味しているのではない。日本の生活水準を決めるのは日本の生産性であり,それはあくまで日本自身の努力で決定されるものである。その意味でも短期的な調整のコストは生じるものの,今後,途上国との貿易の輪を広げ,日本の産業構造の再編を通じた生産性の上昇を図っていかなければならない。
(技術フロンティアと研究開発)
最後に,産業構造の改編を通じた生産性の上昇のかぎは技術フロンティアの拡大である(第7節)。さきに述べたように,戦後の日本経済のキャッチアップは高い全要素生産性(技術進歩)によるところが大きいが,最近では技術のフロンティアに近づいてきたとみられることから,キャッチアップ的な生産性の上昇の余地は小さくなってきているものと考えられ,自前の研究開発が従来にも増して重要なものとなってきている。
研究開発投資の生産性は,それがどの程度確実に成果である技術に結び付き,その技術がどの程度収益をもたらすか,さらに,その技術がどの程度有効に波及するのか等に依存する。これを踏まえて,製造業における研究開発投資の効果に関する実証分析を行ったところ,以下のような結果を得た。第一に,生産に対する技術ストックの寄与は資本の寄与に比して小さいことから,研究開発の成果のかなりの部分は資本等への体化を通じて波及し生産に寄与していると考えられる。第二に,1970年代半ばと90年代とを対比させると,生産関数における技術ストックの係数の有意性が低下しているなど技術ストックが生産性に与える影響も変化してきており,技術フロンティアに近づくとともに研究開発投資に質的変化が生じている可能性がある。
こうしたことから,今後,日本が技術優位への道を歩んでいくためには,まず第一に,研究開発投資の量的拡大を図るに当たっては,成果の不確実性も勘案しつつ,効率的な投資を進める必要があること,第二に,国際間,あるいは産学官の共同プロジェクトを推進し,研究開発の効果を高めていくこと,第三に,研究開発の一翼を担う新規企業や中小企業の役割に眼を向けること,が重要である(新規企業の育成については第3章第1節及び第3節参照)。また,政府の実施する研究開発投資の重要性が高まってくるものと考えられ,基礎的研究など民間においては十分な取組みが期待できない研究開発を積極的に推進するとともに,研究開発基盤の整備を図ることにより,我が国の研究開発能力を引き上げることが必要となる。
3. 転換期にある日本的経済システム
第1章ではこの4年間の低成長の背景をマクロ面からみた。第2章では日本の産業構造がどんな壁に直面しているのか,またこれからの産業構造変革の視点は何かを探った。そして,第3章では戦後の成功物語を支えてきた経済システムがいかなる挑戦を受けているのか,またこれを転換させる視点は何かを探ることにする。具体的には,これまでのキャッチアップ時代の経済システムは一つの「均衡」したシステムとしてとらえることができるが,その経済システムを構成するサブシステムは,互いに「制度的補完性」を有しているので,様々な環境の変化の中で,従来のシステムが部分的にせよ維持困難となる場合にはシステム全体が有効に機能しなくなることも考えられる。したがって,今後とも日本経済が中長期的にダイナミズムを維持し,こうした所与の条件の変化に対応できるシステムかどうかをもう一度検討してみる必要がある。
本章で取り上げたテーマは,第一に,バブル崩壊と不良債権問題の中でその在り方が問われている金融仲介システムの機能と問題点を整理し,今後の金融仲介システムを考えることである(決済システムの安定性と効率を踏まえた規制制度の在り方については第4節1を参照)。第二は,日本的雇用システムをめぐる環境に変化がみられるなかで,その現実を整理し,今後の課題について検討する。第三は,「日本的」企業間システムの実態を整理するとともに,今後の企業ダイナミズムをいかに引き出していくかという問題意識の下に,新規開業の動向等について分析する。第四は,公的部門の改編の問題である。
(メインバンク・システムの役割,限界,可能性)
我が国の金融仲介システムは「間接金融優位」であるが,これはメインバンク・システムとも特徴づけられる(第1節1,2,3,4)。ここではまず,メインバンク・システムの一定の経済合理性を確認した。すなわち,メインバンクは長期的・固定的取引関係を維持することで金融取引に特有の情報の非対称性を補完するとともに,安定株主として企業経営の安定に寄与した。また,借手企業の一時的な経営危機の救済を行ったり,金利変動を長期的に少なくするなどリスクに対する保険機能も担ってきたといえる。ただ,それを可能にしたのが持続的な経済成長と銀行にモニタリング・レントを保証する各種規制であったという点には留意する必要がある。逆にいうと,メインバンクはこうした規制が緩和されるまではこのレントによって,モニタリングのコストをカバーすることができたのである。
そこで次に,こうしたメインバンク・システムをめぐる80年代に入ってからの環境の変化を整理した。一つは金融自由化によって銀行のモニタリング・レントが縮小したこと,二つ目は金融の自由化によって企業の借入調達手段が多様化したことである(直接金融の機能が十分でなかった点は後述)。そして三つ目が大企業が設備投資資金を内部調達できるようになったことである。このような環境変化は,大企業の銀行借入への依存度を低下させ,一方でモニタリングレントも縮小した銀行は,これまで相対的に取引のウェイトの小さかった分野(中小企業やハイリスク・ハイリターンの不動産や商業ビル)への貸出割合を増大させていった。同時に銀行は,これら分野への貸出しの安全を保つために,担保としての土地に多くを依存するようになった。その背景には「土地神話」があったことはいうまでもない。
これらの事実から,論点は,メインバンク・システムが80年代以降の環境変化の中でどのような役割を担い,またいかなる限界があったのかということになる。そこで本稿では,サンプルデータから幾つかの実証を行った。これによると,(a)バブル期においてメインバンク側は,長期的な取引関係から得たモニタリング情報に基づいて融資の増加に歯止めをかけていた可能性があることも示唆される。つまり,バブル期の貸出増加はメインバンク以外の融資によって増幅された面が大きいといえる。これをさきに述べた点と併せて理解すると,(b)バブル期の過剰融資の要因の一つとして,金融自由化という環境変化の中で,リスク管理体制が不十分なまま安易に営業基盤を拡大しようとした金融機関が,メインバンクのシグナル効果を過信した可能性が考えられる。その意味で,メインバンク・システムの役割は限定的であった。
それでは,こうしたなかで,バブル崩壊後銀行のモニタリング機能にどのような変化があるのだろうか。銀行はモニタリング機能を喪失したのであろうか。これが第二の論点である。この点に関しては次の二点を指摘できる。一つは,バブル崩壊後,メインバンクはモニタリングの過程で取引先を選別しているといえる。この点は,銀行部門が,経営不振の続く取引先に対し,関係維持に消極的になっていることからもうかがえる。二つ目は,メインバンクの融資決定要因を統計的に検証してみると,これまでのリスク要因に加えて,最近になるほどメインバンクは優良企業(将来性)に対して従来以上にその取引関係を強固にしようとしていることがうかがえる。すなわち,近年においてはメインバンクは長期的な取引関係によって蓄積された情報をもとに貸出先企業のリスクと将来性をモニタリングして貸出先の選別を強化しているのである。このように,バブル崩壊後,銀行はモニタリング機能を弱めたわけではなく,逆にバブル時の失敗を教訓としてそれを強化していることがうかがえる。
このようにみると,金融の自由化の進展や企業側の資金調達能力の強化といった環境変化によってメインバンク・システムが崩壊したとする見方は必ずしも適当ではない。日本のメインバンク・システムは現在変化しつつあり,変革期にあることは間違いないが,その機能が崩壊したとはいえない。メインバンクと企業の様々なチャネルを通じた関係は,企業と銀行の間の情報の非対称性に伴うエージェンシー・コスト(agency cost)の削減を始め,リスク・シェアリングや分散,新しい情報や商品の提供等効率的な金融仲介に一定の役割を有しているのである。
(固定的な主幹事証券の下での直接金融をどうみるか)
金融仲介に関して間接金融や銀行をめぐる議論は多いが,直接金融をめぐる論点は経済学的に必ずしも十分に理解されていない面が見受けられる(第1節1,5,6,7)。我が国の直接金融市場では,企業と証券会社との間に固定的な取引関係が存在していたが,これは,情報の非対称性に伴うエージェンシー・コストの節約をもたらすなど一定の経済合理性を有している。
従来の株式市場や社債市場における資金仲介をみると,必ずしも効率的に行われてこなかったことが指摘されている。まず,株式市場においては,80年代に行われたエクイティ・ファイナンスが株主資本利益率(ROE)を大幅に低下させた。これは第一義的には発行体と投資家の問題であるが,証券会社による企業審査などの情報生産機能が十分に発揮されなかったため,本来有効に使用されるべき資金が投資効率の低い実物投資に向かったり,株式等の証券投資に向かった。また,社債市場においては,かつては規制によって発行体が優良企業に限定されており,また社債発行の際に受託会社の設置などの事務手続きが必要であったため,結果的にコストが高くなっていた。
しかしながら,さきにみたように最近になると,規制緩和等を背景に社債発行市場における主幹事証券・メインバンクと企業との間の固定的な関係にも変化がみられる。実際,社債市場における価格形成や手数料決定にも市場原理が浸透してきている。
(新規事業の育成に金融はどうこたえるか)
それでは,我が国の経済ダイナミズムを支えるための金融仲介システムとは何であろうか。最近,新規事業(ベンチャービジネス)に対する金融システムとして間接金融方式は機能せず,直接金融への切り換えが必要であるとの主張がある(第1節8)。このような主張の根拠としては,直接金融の方がハイリスク・ハイリターンの事業に適していること,あるいは不良債権問題で銀行の貸出態度が変化していること,さらには直接金融の方が新規技術を多面的に評価できること等が挙げられている。しかしながら,これらの根拠では,銀行が有している高いリスクのプロジェクトを低いリスクに転換する機能を否定することにはならない。新規事業に対する金融においても,預金取引関係を通じたモニタリングが可能である間接金融の有効性は依然として認められるであろう。もちろん,そのためには,メインバンク,さらには間接金融全体に高度なモニタリング機能が期待されることになるのはいうまでもない。
一方,直接金融については,新規事業育成の観点から様々な措置が採られてきたが,今後とも,店頭市場を始めとする直接金融に一層のリスクマネーが流入するような改革を続けることが望まれる。
(金融仲介システムの展望)
以上の点より,今後の金融仲介システムを展望する場合に重要な視点は,間接金融か直接金融かといった二者択一的に金融仲介システムを考えるのではなく,むしろ資金の供給者と需要者の双方が金融仲介機能を柔軟に活用できるようにすることである。そしてそのためには,自己責任原則の徹底,企業のディスクロージャーの推進,金融当局の各種規制や関係業界の諸慣行の一層の見直しと透明性が求められている。
(日本の雇用システムの経済合理性)
第2章第4節で述べたように,他の先進国にみられる高い失業率(ヨーロッパ)と拡大する賃金格差(アメリカ)という問題の根底には,製造業から非製造業へのシフトという構造変化の中で,未熟練労働の雇用機会の減少にいかに対応するかという共通の問題があることをみた。しかし日本においては,低成長が続いていたにもかかわらず,失業率は欧米に比べて依然として低い。また,賃金格差の拡大というアメリカにおける問題にも直面していない。
そこで,こうした雇用パフォーマンスについては,日本の雇用システムとの関連でみることが重要である(第2節)。すなわち,日本の雇用システム(長期雇用や年功序列的賃金)は,(a)企業内特殊熟練技術の蓄積効果(内部労働市場において労働者の技能習得を環境の変化に対応してスムーズに調整し,労働者の企業特殊技能を絶えず高めるように機能したこと),(b)離転職コストの削減,(c)監督費用の削減等の一定の経済合理性を有しており,この結果,変動の小さい雇用を実現し,社会的な安定をもたらしたと考えられるからである。
また,年功賃金については,労働者からみれば,「見えざる出資」というとらえ方も可能である。すなわち,若年時に生産性よりも低い賃金に甘んじることも,企業に相当程度の成長が見込まれる状況では,将来的にリターンとして高い賃金を獲得することができることから,極めて有利な資金運用手段となる。さらに,企業にとっても若年労働者が相対的に多いという人口構成の下では,安価な資金調達方法として,年功賃金システムが機能した。
(日本的雇用システムをめぐる環境とは何だったのか)
そこで第一の論点は,日本的雇用システムをめぐる環境は何であったかという点である。
一つ目は,企業内労働市場における柔軟な配置転換が可能なことである。特に欧米と比べた場合,日本の内部労働市場では広範囲なOJTを通じた多技能労働者がブルーカラーにおいてもホワイトカラーにおいても養成されており,こうしたことが,景気の局面に応じて,一企業内での職務の再配置や関連企業への出向をスムーズにしたものと想定される。さらに日本の場合は,ヨーロッパの職能別組合と違って企業別の組合が中心であり,これが労働者の職務の再配置に伴う摩擦的失業を小さくすることに貢献したものといえるであろう。
二つ目は,以上のような内部労働市場をめぐる議論として重要な点は,パートタイム,臨時,日雇労働者といった非正規労働者の存在が景気循環のバッファーとして存在しており,これによって正規労働者の雇用の安定が図られている面もある。すなわち,日本的雇用システムは,その外に位置する労働者層に対しては,相対的に不利になるという側面もある。
三つ目は,日本的雇用システムに経済合理性を与える様々な制度があるということである(例えば,大企業と中小企業の間では離職率に違いがあり,大企業ほど離職率が小さいが,これは,企業規模というよりは,退職金,企業年金の額の差による面があるという指摘もある)。このように,日本のこれまでの労働市場の良好なパフォーマンスに日本的雇用システムが大きな役割を果たしてきたが,同時に企業特殊技能要因,外部労働市場要因(非正規労働者の存在),制度要因が存在しているということも忘れてはならない。
(日本的雇用システムにとっての新たな課題は何か)
第二の論点は,このような日本的雇用システムが今日どの程度変化しているかという点の検証である。最近,我が国の雇用システムの変化がしばしば指摘されるが,年功賃金カーブ,勤続年数,中途採用の動きなどからみると変化の兆しがないわけではないが,これまでのところ,マクロ的にはさほど大きな変化ではない。全体としてなお「日本的」雇用システムが維持されていると観察される。しかしながら,同時に強調しなければならない点は,上で述べた日本的雇用システムをめぐる社会経済環境に様々な変化がみられることである。
それゆえ,第三の論点は,その条件変化をどう理解するかという点である。このような条件変化は,現在における日本の雇用システムへの新たな課題でもある。この点に関しては次の六点が指摘できる。すなわち,(a)円高や国際環境の変化の中で,我が国の労働コストが高くなっており,また今後の経済成長にも不確実性が増していること,(b)日本の産業構造に大きな変化(製造業から非製造業へのシフト,知識集約型産業構造への変化)がみられるなかで,企業内特殊熟練技術が持つ意味合いが変化しつつあるということ,(c)長期・固定的な関係を重要視してきた金融仲介システム(第1節),企業間関係の変化(第3節)が,長期雇用との間の制度的補完性も変化させる可能性があること,(d)人口の年齢構成の変化に伴い,その過程で若年層と中高年齢層の労働力需給の変化が生じていること,(e)足元低下しているものの,女子の労働力率に長期的な高まりがみられること,(f)若年層を中心に,労働市場のミスマッチが高まる兆しをみせ,また,高年齢層においてもその動きがみられることである。
このうち,(b)の企業特殊技能が果たす意義の変化についていえば,今後イノベーションのリスクと不確実性が高まっていくという環境変化の中で,企業固有の特殊熟練技能の役割が相対的に低下し,外部労働市場から直接的に専門的な技能を有した人材を取り入れる方が望ましい場合も存在する。この意味で,内部労働市場には新たな課題が生じているといえよう。事実,最近は,企業が高い技術を有した企業外の労働者を積極的に活用するケースが増えている。なお,(d)に関連して,今後の人口の年齢構成の変化によって労働コストへの圧力が懸念されているが,現在の年功賃金を前提にした場合には,高齢化による労働コストへの圧力は現在が最も厳しいことが分かる。このことは,中期的には中高年齢層の賃金負担よりも若年労働者の不足の方が問題になることを示している。
(日本的雇用システムの今後の展望)
これまでの日本の雇用システムは,高い生産性の上昇と低い失業率を同時達成するなかで経済のダイナミズムを維持してきた。しかしながら,以上みたように日本の雇用システムをめぐる環境は変化してきている。一方で,経営環境が厳しいなかで,企業は新規採用の抑制といった緊急避難的な措置で対応している。先行きは依然不透明であるが,その道はアメリカ型でもヨーロッパ型(ドイツ,スウェーデン)でもない,これまでの長期雇用のメリットをいかしつつ,個々の条件に柔軟に対応できるシステムを構築するという第三の道の模索ということになろう。具体的には先進国の教訓をも踏まえると,まず,個々の企業が賃金システムを柔軟なものとすること,次いで,企業が要請する技能に対応し,ミスマッチをできる限り小さくするという観点での人的資本の充実,また,内部労働市場と外部労働市場の垣根をなくす,すなわち,参入しやすく転出しやすい労働市場を確立し,労働力供給の誘因を抑制しないような雇用制度・社会保障制度の設計,さらには,女性労働力の活用等によって,企業,労働者双方にとっての選択肢を増加させるという道である。
(「系列」の実態と変化)
今後の企業ダイナミズムを育む枠組みという観点から,日本的経済システムのサブシステムである企業間システムを点検する必要がある。第3章第3節では,こうした問題意識の下に,閉鎖的という批判もある日本的企業間関係(系列,株式持合い)の最近の動きをみた後,新規開業の厳しい現実をチェックするとともに,既存企業のスピンアウトの可能性を探った。
まず,いわゆる「系列」(生産系列,流通系列など)については,一部にこれを排他的な特殊「日本的」システムとしてとらえる見方もあるが,実態は多様性と一定の経済合理性が確認される。論点は,環境の変化への適応力の評価である。いかなるシステムでも時代を超越したシステムはあり得ない。日本的企業間関係も同様である。この観点から,生産系列の変化をみると,内外の環境の変化の中で,80年代後半以降,親会社,下請双方から固定的な取引関係の見直しが行われていることが確認される。例えば,これまでの日本的系列においては,水平的なネットワークや国際的な横のつながりの欠如を指摘する向きがあったが,最近では技術開発段階での異業種交流や国境を越えた提携・共同開発の動きが急速に進みつつある。また,これまでの流通系列も徐々に変化をしているという証左も多い。
(株式持合いの評価)
次に「系列」と並んで我が国の企業間関係を特徴づける株式持合いについてみてみると,ここにきて持合い関係が急速に変化しているとは必ずしもいえない。しかし,株式持合い関係にも,株式持合いのコストが高まっていることや株式持合いのメリットが従来よりは低下していることを背景に変化の兆しがあることを指摘できる。以上の点を踏まえると,現時点でみる限り,企業間における株式の持合い関係が大きく変化し,それに伴って金融,雇用における「日本的」なシステムとの間の制度的補完関係が急速に崩れることは展望できないが,その変化の可能性を否定することはできない。
(新規企業台頭の遅れの原因)
上で見たように,これまでの日本経済の成功を支えた企業間システムが,時代の変化の中でここにきて変化している。ただし,新しい企業の台頭を背景としたものではない。事実,新規開業率は低下している。我が国においてはベンチャーが育ちにくいのはなぜか,新規事業の台頭の条件をどうみるかという論点がある(第3節3)。これに対し,ここでは新規事業の台頭の遅れを,第一にコストの高さ,第二に資金調達面における環境整備の不十分さ,第三にフリンジ・ベネフィット等人的な面に係る制度・慣行にあるとみた。
(期待される既存企業のスピンアウト)
こうしたなか,新規事業の台頭という観点からみると,全くの新規企業の台頭だけではなく,資金・人材・技術等をより活用できる既存企業の社内ベンチャーはもとよりスピンアウトの役割も重要である(第3節)。事実,最近のデータからも,産業構造の変化の中でビジネスチャンスが多いと思われる業種に対しては,既存企業のスピンアウトが顕著にみられる。今後は,既存企業のスピンアウトの重要性を踏まえ,望ましい制度の在り方について検討する必要があろう。
(ダイナミズムの復活に向けた企業間システムの展望)
以上の点をまとめると,確かに企業間の関係は柔軟になってきたが,地価の高さに典型的にみられる高コスト経済が新規開業を阻害しているほか,制度的にも各種規制が柔軟性を阻害している。さらに,さきに述べた金融,雇用といったものを含めた総体としてのシステムを考えた場合,必ずしも十分に多様な選択肢があるとは言い難い。金融,雇用,企業間の「日本的システム」は,いずれのシステムにおいても固定的な関係が重視され,それゆえに制度的な補完関係が有効に作用していたが,様々な環境の変化の中で,従来のシステムが互いの変化を阻害し,システム全体が有効に機能しなくなった場合には,経済全体のダイナミズムが失われかねない。むろん,急激なシステム転換のコストは小さくないが,重要なのは,経済主体の自己責任の確立とその下での多様な選択肢を用意することである。
(公共部門の役割)
いわゆる戦後のシステム疲労の問題を語るとき避けて通れないテーマとして,公共部門の課題がある。公共部門の役割を改めて確認すると,それは,(a)市場が存在していても不完全である場合(例えば,独占によって資源配分の効率性が阻害されたり,情報の非対称性によって市場が不安定化したり,さらには保険のように民間市場に任せておいたのではリスク・シェアリングができなかったりする)に市場経済を補完し,全体としての経済の円滑な機能を確保するとか,(b)所得分配の公正を図ることにある。
しかし,具体的な政府介入の様態は時代とともに変化をしており,現在は政府の介在する領域をできる限り絞りこみ,その方法も民間経済主体の自発性をいかすような形での,言わば市場重視型の誘因を中心としたものを重要視しつつある。要は,公共部門においても効率性重視に軸足を置いた政策展開ということである。この視点を念頭に置きつつ,第4節では公共部門の今日的役割と課題を,公的規制,社会保障について考察した。
(電気通信業の規制緩和の評価)
規制制度の設計についてであるが,ここでは規模の経済性がある場合と情報の非対称性がある場合について取り上げた(第4節1)。まず,前者の規模の経済性がある場合には政府規制が正当化されるが,その場合でも市場メカニズムの誘因を最大限に取り入れた規制制度の設計が望ましい。
この点を踏まえて,ここでは規制緩和の歩みが始まって約10年を経た電気通信業を取り上げ,そのパフォーマンスを規制緩和との関連からみた。幾つかの分析結果が指摘できる。第一は,民営化と競争の活発化によって料金の低下やサービスの多様化等の規制緩和の利益が観察されることである(特に移動体通信や県間通話)。第二に,民営化以降の競争の進展を背景に生産効率は上昇している。このように,規制緩和のプラス効果が観察される反面,現時点では十分な効果がいまだ観察されない面もある。第一に,料金の低下により消費者の利益が拡大しているとみられるが,競争がいまだ不十分なことから需要喚起効果は十分に発揮されていないとみられる。特に,地域通話サービスについては,事実上の独占状態が継続しており,料金低下はみられていないばかりか上昇しているものが多い。
以上のように,電気通信分野の規制緩和の成果についてはある程度現れているものの,依然として満足すべきものではない。公正かつ有効な競争が最大限に実現されるような改革が望まれる。
(金融業の規制緩和の考え方)
金融部門の規制制度の設計をめぐる難しさは,一方において情報の非対称性の問題が存在するこの部門のシステムの安定性を維持していくという課題と,他方において民間部門の自発性をいかし,効率的なサービスを供給していくという課題をいかに両立させるかである。
戦後の金融規制は,金融システムの安定性の維持を最優先課題としてきたといってもよい。そのために,金融機関の破たんを極力回避するとともに,業務規制や金利規制など金融機関の行動を強く制約した。しかしこのような規制も,金融情勢の変化や技術革新等により,金融機関の誘因をより重視したものとする必要が生じてきた。また,金融システムの安定性維持のために金融機関の行動のすべてを規制しようとするのではなく,必要最小限の範囲に規制を限定することにより,基本的には市場規律に立脚した金融システムを構築していくことが望ましい。
この場合,銀行破たんのリスクはゼロではない。要は,かつての規制制度に帰るのではなく,いかにリスクを管理し,リスクが顕在化した場合にはどのような対応をとっていくのかということである。
(社会保障制度の今後の課題)
公的年金,医療保険等の社会保障制度は,国民生活の基本的な部分を保障する役割を果たしており,国民生活の安定を維持するために不可欠なものである。しかし,急速に人口の高齢化が進展している我が国の現状を踏まえると,社会保障制度全般の効率性を図る観点から,その制度を不断に合理化・効率化する努力が要請されている(第4節2)。
まず,公的年金制度についてみると,これまで各時代の要請にこたえつつ,今日では,国民の老後の生活の基盤として大きな役割を果たしている。人口の高齢化の進展が見込まれるなかで,年金受給世代の給付と現役世代の負担のバランスを確保し,将来の負担を過重なものとしないことは重要な課題であり,今後とも給付と負担のバランスの確保に努め,長期的に安定した年金制度とすることが必要である。
次に,医療については,医師(供給側)と患者(需要側)の間の情報の非対称性が大きいため,供給側の情報優位によって医療費が増加する傾向にあるが,日本の医療費は他の先進諸国に比べて相対的に低い水準にとどまっている。これは,診療報酬の公定や医師・病床等の管理によるものであると指摘されている。他方で,医療サービスの質の面では問題点も指摘されており,老人医療を始めとした医療全般にわたる合理化・効率化が求められている。そのためには,価格メカニズムを一層活用しつつ,一般医と専門医,また医療と老人介護を十分に分離すること,さらには医療関連機関の経営の効率化を進めていくことが重要である。
最後に,老人介護については,急速な高齢者社会を迎えて,どのように対応していくかが国民的な課題になっている。公的介護保険を考えるに当たって重要なことは,国民負担の規模がどの程度になるのか,さらにそれをどのように負担するのかといった点を明確にすることであろう。高齢化の進展により必要となる費用を適正に見積もり,できるだけ各世代の負担と給付のバランスにも留意することが適当である。
(おわりに)
戦後50年を終えた日本経済は,現在歴史的な構造調整期にある。バブル崩壊に伴う調整,円高や「大競争」時代の中での調整,キャッチアップ型経済からポストキャッチアップ型経済への調整,情報・通信革命時代への調整,人口高齢化への調整等の過去・現在・将来からの挑戦がある。こうしたなかで,日本経済はどこに向かおうとしているのか,将来がみえない閉塞感にとらわれている。その結果が「驚くべき例外的低成長」である。こうしたなかではっきりしていることは,これまでの経済構造,経済システム,経済政策の体系にギアー・チェンジをしなければならないということである。これまでの経済社会の構造やシステムにしがみついていては,日本経済に前途はない。ポストキャッチアップの時代にふさわしい構造と制度を築くことが,閉塞感を払拭し日本経済のダイナミズムを復活させる必要条件である。
本稿の三つの章を通じた分析を踏まえて改めて強調すべき点は次の六点である。第一は,90年代前半の低成長は,様々な内外からの調整のショックに対してこれまでの経済構造やシステムが柔軟に対応できていないために生じたものである。第二は,それゆえ,当面の景気の本格回復はこれまでの経済構造やシステムを改編し,日本経済の足腰を強化することによって達成しなければならない。第三は,日本経済のこれまでの産業構造は「重層型」であり,その改編が経常収支黒字の縮小と内外価格差縮小へつながると考えられ,ポストキャッチアップ時代にふさわしい産業構造であるといえよう。そしてそのかぎは,規制緩和等による競争環境の整備,比較優位構造を反映した輸入の増大,不確実下の技術フロンティアの拡大にある。第四は,経済政策の体系に関していえば,今後は効率重視に経済政策の軸足を置き,効率の追求が分配の公正につながるのであるというように発想の転換を行うことである。第五は,そのような産業構造の再編と政策体系の見直しが,生産性の上昇を通じた持続的成長と,日本経済にとっての最後の課題である国民生活の質を先進国にキャッチアップさせる道につながることである。生産性の上昇はキャッチアップを終えた日本経済には不必要との見方もあるが,生産性の上昇なくして国民生活の上昇はあり得ない。生産性上昇率が毎年2%違うと,次の50年後の生活水準は2.5倍も違うのである。また,生産性の上昇とそれによる持続的成長が達成されない場合は,社会保障制度の維持可能性が損われる。第六は,これまでのキャッチアップ型の経済構造をポストキャッチアップ型に改革するためには,これまでの日本の市場経済を規定してきたシステムにも変容を図らなければならない。「日本型経済システム」に一定の合理性を認めつつ,今後は更なる柔軟性と多様な選択肢の道を模索しなければならない。そのためには,自己責任原則を徹底し,市場経済を律する透明なルールとインセンティブ・メカニズムをつくり上げなければならない。リスクを恐れていては日本経済の前途に道はない。リスクとともに生きる覚悟が日本経済のダイナミズム復活の道である。