昭和61年
年次経済報告
国際的調和をめざす日本経済
昭和61年8月15日
経済企画庁
第3章 ストック充実の課題
国民の有する資産として前節までは実物資産,人的資産を考えてきたが,国民経済のストックとしてはこれら以外に金融資産がある。我が国においては,金融資産の伸びは実物資産の伸びに比べて相対的に高くなっている。今日の経済社会においては,金融が関係しない経済取引は例外的であり,金融資産の蓄積は,そのまま一国の経済活動の集積であるといってよい。そこで,本節ではまず我が国の金融資産保有の状況を国民経済計算によって概観する。ただ,国民経済全体としてのストックを考えるため,国内の各部門を統合していくと,国内金融資産と金融負債は相殺され,結局ネットの金融資産は対外金融資産だけが残ることになる。そこで,とくに対外金融資産に焦点を当てて,将来世代へのストック蓄積という観点からその動向と課題を考察することとしたい。
(種類別にみた金融資産蓄積の動向)
金融資産は債権債務という経済主体間の相対的関係を貨幣という共通単位で表現したものなので,実物資産と異なり,マクロ的観点から考察するため各主体あるいは部門を統合していくと相殺されてしまう性質を持っている。国民経済計算においても,企業,家計などの各制度部門の金融資産・負債残高を計上するにあたって,部門内の取引は,原則として相殺されている。ただし,債券,株式,生命保険,売上債権などについては,資産負債両面に両建てで計上している(これを「結合」という)。このようにして算出した各制度部門毎の金融資産・負債残高を合計したものが,国民全体の金融資産・負債残高として記録されている。
第3-36図により,国民経済計算による実物資産と金融資産の残高の推移をみると金融資産のウェイトが徐々に高まっており,金融資産の伸びは実物資産の伸びに比べて相対的に高いことが分かる。この両者の中には土地や株式の値上がりによる評価益も含まれているので,近似的にこれを取り除いてみると,金融資産の伸びは実物資産に比べより高くなる。
金融資産増加の内容をやや詳しくみるため,国民経済計算上の金融資産をここでは次の四種に分類することとしよう。
(1)現金・預金
(2)有価証券(株式,債券)
(3)貸出金
(4)その他(生命保険,売上債権等)
「現金・預金」には,現金通貨,通貨性預金,定期性預金のほか,譲渡性預金(CD),貸付信託等が含まれ,マネーサプライ統計上のM3+CDに近い概念である。「有価証券」には,国債,金融債等の公社債,投資信託及び株式が含まれている。「貸出金」には,金融機関の企業・個人への貸出金のほか金融機関相互の短期貸借であるコール,手形等が含まれている。「その他」には,生命保険,売上債権等のほか,対外資産が含まれている。
金融の量的指標としては普通マネーサプライが用いられているが,ここでいう「現金・預金」は上に述べたように概念上M3+CDに近く,伸び率でみても,その動きはおおむね一致している(第3-37図①)。そこで,ここでは「現金・預金」をマネーサプライの代理指標として,他の金融資産残高の「現金・預金」に対する比率をみると(第3-37図②),「貸出金」の比率は安定しているがやや減少気味である一方,「有価証券」は50年代に入って国債の大量発行等により漸増している。「その他」のカテゴリーは全体としては比率は余り変わっていないが,その内容をみると生命保険や対外資産が増加する一方,売上債権のウェイトが低下するなど変化がみられる。全体としてみるとマネーサプライの急増した46年前後の時期にはやや変動がみられるが,マネー以外の金融資産残高とマネーサプライとの関係はかなり安定しており,近年は「有価証券」の増加を主因に緩やかに増加している。
(保有主体別にみた金融資産の動向)
次にこれらの金融資産が各制度部門にどのように保有されているかを検討してみることとしよう。まず家計部門については,従来から定期性預金の占める割合が高いが,近年生命保険のウェイトが上昇しているのが特徴的である。また,金融機関については,市中貸出金が伸び悩む一方,50年以降の国債の大量発行に伴い長期国債の金融機関の資産に対する割合は一時期上昇したが,第1章で述べたように,近年その新規発行額は抑制されていることや銀行等の国債の窓口販売の開始などの措置がとられたこともあって,最近は低下している。
一方,株式,対外証券投資がこのところ著増している。
非金融法人企業については資金不足幅の縮小を反映して,余資運用が増加しており,また,対外直接投資が55年の外為法の改正などもあり,大きく増加している。ここで法人企業の金融資産の蓄積を実物資産の蓄積と比較するため,金融資産と実物資産の利回りの比較を試みる。
ここでは,実物資産利回りとして「経営資本利回り」を用いるが,これには,分母として有形固定資産に加え,経営上必要とされる流動資産も含めた,経営資本を採り,分子としては営業余剰を用いる(注)。このように定義した経営資本利回りと,金融資産利回りを比較すると,56年以降の金利低下局面で,金融資産利回りも低下しているが,相対的に経営資本利回りを上回って推移してきた(第3-38図)。また,図中の金融資産利回りには,いわゆるインカム・ゲインのみ含まれるが,金融資産保有には,キャピタル・ゲイン(値上がり益)を伴う。したがって,近年の金利低下局面では,こうしたキャピタル・ゲインの増加を期待した投資も活発化する傾向にあったと思われる。以上のような要因により,金融資産への投資が実物資産(経営資本)への投資に比べ相対的に有利であったため,金融資産の蓄積を促したと思われる。金融資産の中でもとりわけ,近年の対外金融資産の伸びは著しい。また,将来世代へのストックとしても対外金融資産は重要である。そこで,次項以降で対外金融資産の蓄積について考えることとしよう。
(対外金融資産蓄積の意味)
上述のように,金融資産については,国民経済全体としてのストックを考えるため,国内の各部門を統合していくと,債権債務関係から相殺されて結局対外金融資産のみが残ることになる。つまり,国民経済全体を一体としてみた場合,金融資産としては,対外金融資産だけが将来世代のための蓄積として意味を有することになる。
一国の対外資産は,国際収支(経常収支)の黒字の累積として考えることができるが,事後的にみると国内の貯蓄=国内の投資+対外資産純増,という恒等関係があり,これは,国民経済の,国内投資と対外資産に関する選択行動の結果を表わしている。
昭和60年度の年次経済報告では,国際収支の発展段階説は家計の消費貯蓄行動に関するライフサイクル仮説と多くの類似点を持っており,我が国が現在おかれている「未成熟の債権国」という発展段階は,我が国の人口構成がなおかなり若いことに対応していると解釈することが可能であることを指摘した。現在の我が国の経常収支の大幅な黒字は,この段階に発生する過渡的性格を持った現象とみることもできよう。マクロ経済的観点からみると,現在の我が国にとって対外資産の蓄積は不測の事態の発生による必要に加え,将来の人口構成の高齢化に伴って貯蓄率が低下する可能性があり,そのような場合に備えるという意味がある。国際収支の発展段階説に即していえば,将来の「成熟した債権国」の段階では対外資産から生ずる投資収益が財・サービス収支の赤字をファイナンスし,後者が前者を上回るようになれば,現在のアメリカのように「債権取崩し国」の段階に至り,対外純資産は減少することになる。このように,対外資産は最終的には取崩される可能性を考えておく必要がある。すでに第2章で,我が国の高貯蓄率を対外資産として保有し将来世代への貯蓄とし,また世界経済の発展に資するために対外直接投資が重要であることを述べたが,以上のような観点から対外金融資産という,より流動的な形態での貯蓄も重要であることは言うまでもない。
ストック面からフロー面に目を移すと,我が国の生産する財に対し世界から強い需要があり我が国が大幅な経常黒字を続けている状況の下で,対外資産の取得,つまり資本収支の赤字は経常収支黒字を世界経済の循環に還流させる役割を持っている。
第3-39図は,銀行部門を中心にした国際貸借関係を概観したものである。「銀行間信用」については,従来よりユーロ市場(英国,ルクセンブルグ等),米国及びオフショアセンターの占める割合が高いが,我が国のシェアも近年とみに上昇している。「銀行間信用」に限ってみると,我が国はネットで資金の取り手となっている。一方,「銀行部門から非金融部門への信用供与」について,貸し手としての我が国のシェアが上昇している。「非金融部門から銀行部門への預金」については,我が国のシェアは小さい。図からまた,非産油途上国は大幅な資金の取り手になっており,国際金融システムを通じて貯蓄の不足を補っていることがうかがえる。
(対外資産の資産選択と国際収支)
国際収支上,長期資本取引等の合計(注)の赤字は,定義上経常収支の黒字と同額である。長短資本取引等の合計を資本取引と呼べば,このことは,経常黒字は必ずそれに見合った資本取引赤字を伴うことを意味するが,このような赤字がどのような形で還流するか,言い換えれば対外資産がどのような形で蓄積されるかが重要である。
我が国の対外資産・負債の全般的な状況は毎年発表されている対外資産負債残高表によって知ることができる。近年の対外資産負債残高の推移を長期・短期に分けてみると(第3-40図),まず長期の資産負債は,民間部門については,証券投資の増加が著しく,大幅な資産超過になっている。一方,政府部門については,円借款,国際機関に対する出資が資産の主体であり,負債は政府関係機関の外債発行が中心であるが,最近は民間部門の拡大により相対的に政府部門のウエイトは小さくなってきている。
短期の資産負債は,金融勘定に含まれる項目,つまり為銀と通貨当局の資産負債が主体になっている。全体としてみると近年の我が国の対外資産・負債は長期では資産超過,短期では負債超過という構成になっている。
資本取引の赤字は,原則として国内外の民間主体の行う様々な資本取引の結果として出現するものである。もし,日本の大幅な経常黒字がこのような資本取引赤字の原因であり,日本の民間主体が海外への投資を必ずしも選好しないにもかかわらず結果的に資本取引が赤字となっているとすればそれは恐らく金融勘定に含まれる公的外貨準備の増加ないし,為銀の収支尻(ネットポジション)の改善という形をとり,民間の資産の増加は少ないであろう。しかし,実際は日本の国際収支をみると,主として民間の意思決定により変化すると考えられる長期資本収支は経常収支を上回る大幅な赤字であり,これに対し,比較的受動的な性格が強いとみられる短期資本収支などは流入が続いている。また外貨準備は増加しているが,これは主として運用益などの要因で増加している,のであって,経常黒字の規模と比べればその増加は非常に緩やかである。
このように,現在の我が国の対外資産の蓄積状況は経済主体の資産選択行動の結果を表していると考えられ,その見地からみれば,一般の金融資産と同様に①流動性,②収益性,③安全性(リスク)などの観点から評価することができる。この点について次に考察しよう。
(対外資産の流動性)
流動性とは,金融資産が有する支払能力の実現のしやすさを意味している。
たとえば,公的外貨準備は金,SDR(特別引出権),外貨建の預金,信用性の高い外貨建証券などからなり,予期しない国際収支上の困難等に際して,一国としての最終的な支払準備を形成するために,その流動性は高いと言える。
国際収支統計上,資産・負債の長期・短期の区別は,取引に用いられる信用手段の当初の満期が一年超であるか,以下であるかの区別によるものであり,流動性の程度に必ずしも対応するものではない。例えば,近年著増している証券投資は長期資産に分類されているが,後にみるように売買の短期化が著しく,その流動性は高いと考えられる。
上述のように我が国の対外取引のファイナンスは,かなりの程度為銀のネットポジションが悪化する(すなわち,民間金融部門が海外から短期資金をとりいれる)ことに依存している。公的外貨準備を保有することは,一時的に短期資金流入のチャンネルが閉ざされたり,対外取引のファイナンスに必要な資金の額が急増したような場合に備える意味があるが,現在の対外取引の規模からいって外貨準備がこの機能を一定期間以上継続することには限界がある。このため,安定的な世界経済と円滑な国際金融システムを維持することは我が国にとって重要な意味を有すると言わなければならない。また,将来時点においても,資産の減少によるにせよ,負債の増加によるにせよ,純資産の取崩しが順調に行われるためには,経常黒字国から赤字国へ円滑に資金のファイナンスが行われるように国際金融システムが効率的に機能することが必要である。
(対外資産の収益性)
対外資産はその果実としての収益を生み出すが,国際収支上は貿易外収支のうち投資収益の受取がこれに対応する。対外資産の蓄積に伴って,投資収益も増加しており,このことは国際収支上,貿易外収支の赤字幅の縮小となって現れてきている。近年の投資収益の受取を分子とし,対外資産残高を分母として,対外資産の平均収益率の推移をみたのが第3-41図である。
直接投資,輸出延払の収益率は6~8%で比較的安定しているのに対し,借款の収益率は3~4%でこれらをかなり下回っているが,これは低利かつ長期の政府円借款がかなりの比率を占めているためである。また,「その他」には,証券投資及び民間・政府の金融勘定が含まれ,55~57年にかけては海外の高金利を反映して収益率は9~10%と高水準にあったが,最近の金利水準の低下に伴い低下している。
以上,事後的にみた対外資産の平均収益率の推移をみたが,この平均収益率は,過去に行われた投資の蓄積の各時点での収益の加重平均であり,経済主体が投資決定を行う際の期待収益率と等しくはない。また,クーポン収入に対応する概念であり,キャピタルゲイン・ロスにあたるものは含まれていないので注意する必要がある。
(対外資産の安全(リスク))
一般に,金融資産に伴うリスクには,①価格変動リスク,②インフレーションによる減価リスク,及び③債務不履行(貸倒)リスクがある。①は金融資産の名目価値の変動(あるいは,金融資産相互間の相対価格の変動)であるのに対し,②は金融資産の実質購買力の変動(例えば,期待インフレの上昇に伴って名目利子率が上昇する場合)として区別される。また,例えば債券の格付けによる利回りの相違は③を反映したものと考えられる。ただし,実際の金融資産の価格の決定に当たっては,これらの要素が同時に配慮されるので区別は困難である。
対外資産についてもこれらのリスクが存在することは基本的に同じであるが,特に対外資産の場合には,まず,債券,株式などの相場変動に代表される通常の価格変動リスクに加えて,資産が外貨建てである場合,為替変動リスクという特有の価格変動リスクがある。また②についても外貨建ての資産を保有する場合,表示通貨国のインフレーションによる減価リスクを負うことになる。③についても,いわゆるカントリーリスク(またはソブリンリスク)とよばれる,一国の政治経済制度の安定そのものに係わる国内経済にはないリスクがある。
このように,対外資産については独特のリスクの要因が加わるのでリスクの評価と負担は国内の場合よりも多くのコストを要すると考えられる。
これらのリスクは,基本的には,民間の経済主体が投資決定の際に自主的に評価すべき事柄であるが,カントリーリスクに関する情報は一種の公共財としての性質を有するので公的機関がリスクに係わる情報を提供したり,リスクを回避するための保険制度が存在することは望ましいと言える。また,円の国際化が進められることは,資産を円建てで持つことができることにより,為替変動リスクや外国のインフレによる減価のリスクを低減する効果があり,対外資産の安全性を高める観点から望ましいと言えよう。
以上,対外資産の流動性,収益性,安全性について簡単にみたが,政府部門の借款などの資産は,民間部門が持つとすれば,これらの基準による評価は低い可能性があるが,これらの資産は相手先の国の経済発展,開発に寄与するものであり,我が国も含めた世界経済システムの安定という観点から評価されるべきであろう。
対外資産の収益性とリスクの問題は,最近増加している証券投資をとって,次項で具体的に論ずることとしたい。
対外証券投資は,近年著しい伸びを示している。特に,61年に入ってからは伸び率も一層顕著なものになっている。また,急速な円高に対応するため,先物為替予約によるカバー付きの投資等が増えているとみられ,為替リスク回避への配慮も高まっていると思われる。以下では,このような対外証券投資急増の背景について述べるとともに,対外証券投資に伴うリスクの問題を考えることにしよう。
(対外証券投資拡大の背景)
我が国の居住者による対外証券投資は,55年12月に施行された改正外為法により原則自由となり,その後も,一連の金融・資本市場の自由化・国際化を促進する措置が講じられた。
加えて,国内金融市場の量的緩和,金利低下という環境が,国内の機関投資家,金融機関,及び一般事業法人・個人等,幅広い投資家層による余裕資金の運用市場への参入を促した。こうした,制度要因,金融環境を背景として,対外証券投資が急増したものと思われる。特に,生命保険会社,損害保険会社等の機関投資家,金融機関などでは,対外証券投資が既にポートフォリオ多様化を目指したものとして,資産運用の対象としての明確な位置付けをなされており,国際分散投資の考え方に基づく積極的な投資活動が行われ,外国証券保有残高は高い伸びを続けてきた(第3-42図)。中でも,信託勘定の外債投資の伸びが著しい。
(対外証券投資のリスクと国際分散投資)
国際分散投資の基本的考え方は,リターンに連動性の少ない複数の有価証券を組み合わせることによって投資家にとって最適なリスク,リターンの構成を得ることができるというものである。
第3-43表は,56年1~3月期から61年1~3月期までの米国債,国内債(以下,双方とも国債を指す)の投資収益率の変化を試算したものである。実際の投資家が,現実にどれほどの投資成果を収めたかを計測するのは困難であるので,いくつかの前提を置いた仮定計算を行った。すなわち,計測期間中の比較的短期間の損益を把握するため,四半期ごとの投資収益率をベースにして,期首月に当該債券を取得し,期末月に売却すると仮定する。この仮定は,米国債の取得・処分双方の増加が著しいと思われる状況から推察し,多くの投資家は,比較的短期間の売買を行っていると考えられることによる。また,投資による収益には,確定的なクーポン収入と価格変動に伴う売買差損益があるが,加えて,円建て(為替レート調整後)でみるため,為替相場変動に伴う為替差損益が含まれる。表中の為替差損益は,アンカバー取引(円投型外債投資)を行った場合,すなわち,先物為替予約によるカバーを行わない場合に,為替差損益がフルに発生すると,その大きさがどのようなものであるかを示している。
同表によると,近年,米国債の投資収益率は,概して高い水準で推移してきている。近年の投資が米国債を中心とするものと思われるところから,対外証券投資は良好なパフォーマンスをあげ得るものであったと言えよう。そして,これは,米国債のクーポン・レートが相対的に高く,高水準のクーポン収入を確保し得たことが大きな要因であり,為替相場が比較的安定しており,大きな為替差損を被ることがなかったためでもある。また,現実に米国市場への投資が増加したのは,アメリカの資本市場が極めて発達しており,流通市場が整備されていることや,アメリカのカントリー・リスクが極めて低いという投資環境が背景にあったこともあろう。ただ,アンカバー取引を前提とした場合,一般には,為替の変動により為替収益率は大きく変化ずることが予想される。仮定計算によれば,60年第4四半期(10~12月)と61年第1四半期(1~3月)には,円高が急速に進展したため,アンカバー取引では,為替収益率は大きくマイナスとなり,円建てベースでみた総合収益率を大きく低下させる結果となったと考えられる。また,各期間は便宜上,1~3月,4~6月,7~9月,10~12月を採っているため,各期末月から翌期の期首月への為替変動に伴う差損益を反映しないことに注意する必要があろう。特に,60年9月から10月にかけて,対米ドル円相場(インターバンク中心相場)は,前月比9.4%上昇した(欧州方式)。米国市場経由の取得・処分は,同10月以降急増しているが,期越えで処分した実際の投資家の投資収益率は,アンカバー取引では,9月から10月にかけての円レートの上昇の影響を仮定計算よりも強く受ける可能性があったと考えられる。
(対外証券投資のリスク変動)
対外証券投資にかかる投資収益率の変動リスクは,さらに元本の価格変動リスク,金利変動リスク(クーポン・レートの変動リスク),為替変動リスクに分けられるが,この点について,米国債と国内債を比較してみよう。
第3-44図にみるように,円建てベースの総合収益率の変動リスク(標準偏差)は,近年,米国債の方が高くなっているが,これは,売買収益にかかる変動リスクが極めて大きいためである。クーポン収入,売買収益にかかるリスクに分けてみると,クーポン収入にかかるリスクは,クーポン収入という限界的な収入にかかるものであるため,金利変動リスク,為替リスクとも小さく,クーポン収入全体のリスクも小さくなっている。一方,売買収益にかかるリスクについては,価格変動リスクは大きく,為替リスクも,評価ベースが売買金額全体にかかるものであるため,大きくなっている。また,売買収益全体のリスクも大きなものとなっている。したがって,投資家にとって,米国債投資の収益性を左右する最大のポイントは,売買収益にかかるリスクであったと言えよう。そして,売買収益にかかる為替リスクは,米国債投資をする場合,為替動向についても充分な配慮を要求させるものとなってきた。そして,61年に入ってからは,ドル資金調達に対応付けた形で米国債の取得を行う,いわゆる,ドル・ドル取引や,先物為替取引を利用したヘッジなど,為替面での慎重な対応を図りつつ,一層積極的な投資活動がなされているとみられる。
以上のように,対外証券投資には,内国債への投資と比較して,為替リスクというもう一つのリスクが加わってくるが,投資家サイドにも,急激な円高の展開に際して為替リスクを回避する行動が目立ってきたように思われる。
前項で述べたように,金融資産の保有に際しては,以上でみた価格変動のリスクに加えて,インフレに伴う減価(資産価値の変動)というリスクも考慮しなければならない。
この場合には,金融資産の利子は,一定期間にわたって流動性を手放すことに対する対価であると同時に,インフレ率の上昇に伴う資産価値減価に対するプレミアムを含むと考えられるため,かなりの程度,投資元本の減価を相殺し得るものと考えられる。実際に,物価上昇時には,将来にわたっての期待インフレ率をある程度折り込む形で金利が形成される度合が強く,また,金融市場が引き締め気味に推移するため,名目金利も上昇基調を示すなど,資産価値減価の相殺要因として働く傾向がある。ただ,過去のインフレ高進期には,名目金利上昇を折り込んでも,なお,明らかに金融資産の減価が生じていたと考えられる時期があったことも事実であり,個別の経済主体にとっては,インフレ率の変動が資産選択行動にも少なからず影響を与えると考えられよう。
(対外証券投資の主体別の動向)
対外証券投資の主体別の動向については,前出第3-42図にみられるように,55年の改正外為法の施行と,その後の一連の自由化措置もあり,蚤主体とも投資が活発化し,対外証券投資残高も急増している。これによると,近年,民間法人企業の増加も著しいが,それにも増して,民間金融機関(保険会社も含む)の増加が急である。特に,全国銀行,生・損保等の保険会社の増加が目立っており,60年に入ってからは,信託勘定の利用が活発化している。
対外証券投資を活発に行っている主体として生命保険会社を例にとると,業態の性格上,金融資産の国際分散投資によるリスク回避の必要性が指摘される。
生命保険会社の資産運用については,契約者の信頼に応え,将来の保険金支払を十分に充足しなければならない。そのためには,通常の価格変動,金利変動,為替変動に伴う収益面でのリスクに限らず,大地震等の大規模災害の発生にも備え得るようなリスク回避の方法が要請されることになる。
60年5月,「新しい時代に対応するための生命保険事業のあり方」と題し,保険審議会答申が報告された。この答申では,「金融の自由化・国際化の進展,高齢化社会への移行,高度情報社会の到来への対応」などについて述べられている。ここでは,金融の国際化の進展に伴って増加しつつある対外証券投資等の海外投融資について,為替リスク等への対応の方法について検討すべきものとされた。また,同時に,金融の自由化・国際化に即応するとともに,契約者への還元の充実を図るためには,資産運用の効率化が極めて重要な課題であるという趣旨の指摘がなされている。そして,61年3月からは,従来,総資産の10%と定められていた外国証券の保有割合が25%へと拡大され,一層弾力的な運用が可能となった。
以上のような論点を踏まえるならば,生命保険会社の資産運用は,為替リスク等への対応を図りつつも,金融の自由化・国際化に即応し,また,より大きなリスク(大規模災害等)を回避して,契約者への還元の充実を図るためには,対外証券投資等の海外投融資による国際分散投資は重要な意義を有すると言えよう。
(生命保険会社の対外証券投資の動向)
生命保険会社の外債運用姿勢は,最近では,米国債等を中心とする短期売買により,良好なパフォーマンスを収めようとする動きも見受けられるが,本来は,資金の性格上,長期投資が多く,為替相場予測の困難さなどから,通貨別にも分散されており,クーポン収入の高さを目指す傾向が強いと言える。
このハイ・クーポン指向は,実際に,統計上も裏付けられている。生命保険会社について,その増加資産額の内訳と,資産別の収益率の推移をみると(第3-45図),主力である貸出金の収益率は下落傾向にあり,また,不動産投資では収益率は上昇傾向にある。資産別の「その他」が,ここ数年増加しているが,これには外貨預金がかなり寄与しているものとみられ,外国証券投資と合わせて,外貨建の資産の割合はかなり上昇してきていると考えられる。この中で,有価証券の運用資産平均利回り(クーポン,配当収入)が,55年度の5.93%から,59年度の7.57%まで,一貫して上昇してきているが,これは,ハイ・クーポンの外国証券の保有残高が,55年度末6,689億円(全運用資産に占める比率2.6%)から,59年度末4兆286億円(同8.9%)にまで増加しているのが大きく貢献している。ちなみに,この外国証券の運用資産平均利回りは,55年度11.05%であり,59年度は,12.96%と相対的に高くなっている。以上のように,生命保険会社の運用姿勢は,長期投資によるハイ・クーポン指向を基本としつつも,一方で,企業年金等の高い配当支払いを要求される運用資金の急増に対応し,より短期の売買によるキャピタル・ゲインの取得を目指した積極的な運用姿勢を交えて,より高い収益率を指向するようになっている。
60年度年次経済報告でも分析したように,今後,我が国の人口の高齢化は急速に進行し,年金,保険等の支給額も増加する。生命保険会社等,こうした資金を運用する主体は,近年,対外証券投資を増加させている主体とかなり重複したものとなっていることには注目すべきである。
このような近年の対外証券投資の急増は,国民の選択の結果であり,それが米国市場中心になされた背景には,前述のように,個別企業における国際分散投資の考え方に基づいた高いパフォーマンスとリスク回避への配慮があった。
また,生・損保,信託銀行等の機関投資家層にとっては,長・短資本輸出の中でも,将来の取崩しの可能性を考慮すれば,投資の選択は,おのずと流動性の高い対外証券投資に向かうことになったと言えよう。一方,一般の事業法人等については,直接投資も含め,幾つかの選択肢があったと考えられる。
こうした選択は,国民にゆだねられるべきものであろうし,各経済主体は,自らの特性に応じて投資決定を行うべきであるが,自らの選択である以上,あらゆるリスクも含め,その成果については,自己責任の原則が貫徹されるべきものであることは言うまでもない。特に,対外投資には,国内投資の場合にもまして,リスクの評価には慎重な態度が望まれる。
最近の対外証券投資の急増には,アメリカを中心に海外金利がやや異常といってよいほど高かったことによる面がかなりあることは否定できない。したがって,金利差が縮小した局面では,このような主として金利差を原因とする資本の流出は減少する可能性がある。今後,アメリカの高金利が是正される中で,我が国は新たにどのような選択を行うかの決断が迫られるであろう。
以上みてきたように,経常収支の大幅黒字を背景に,我が国の対外資産は急速に蓄積され,我が国は世界最大の債権国になろうとしている。対外資産の蓄積される過程自体を考えると,国民全体としては,貯蓄を国内投資に向けるか,対外資産蓄積に向けるかという選択の問題であり,近年の対外資産の急増も現在の内外環境の下でのミクロの経済主体の合理的行動の集積と言わざるをえない。第2章及び第3章の第1~3節で述べたような国内における投資機会拡大の可能性は,こうした選択の前提となる経済主体の選好を部分的に国内にシフトさせるものではあるが,こうした余地を考慮しても,我が国の国内部門は当面貯蓄超過傾向を示すとみられる。
対外資産は現役世代に投資収益をもたらすと同時に,将来世代のための貯蓄としての意義を有する。他方,経常黒字が資本供給の形で円滑に還流することは,世界経済システムが十全に機能する上で重要である。我が国は,今や世界最大の資本供給国として,経常収支黒字を対外面においてより効率的に活用し,資本供給国として世界経済の発展に積極的に貢献していく段階にあるからである。
発展途上国には,貯蓄が恒常的に不足しており,資本の供給を必要としている国が多く存在する。第2章で詳述したように対外直接投資は,政府部門による円借款や,国際機関に対する出資とともに,発展途上国等の経済発展に直接間接に寄与するものであり,我が国の国際的責務を果たす上でもその意義は大きい。円借款等については,流動性,収益性,安全性の評価基準から民間部門では行いえないものであるが,このような国際公共財的側面から政府部門で行うことが正当化されよう。このように民間,政府部門を通じて多様な形で対外資産を蓄積していくことはリスク分散の観点からも評価でき,その中で各種の対外金融資産の蓄積も重要である。もちろん,経常収支の大幅な黒字がもたらす国際的摩擦,あるいは対外投資に伴って発生しうる国際的摩擦を最小にすべく,最大限の努力を払う必要がある。
現在の我が国の国際収支状況からは,不測の事態の発生や国際金融システムの一時的な機能低下といった場合を除いて対外資産の取崩しが早急に必要となることは考えにくい。しかし将来,我が国の人口構成が高齢化し,貯蓄率が低下する可能性があり,そのような場合に,対外資産の取崩しが行われることが考えられる。また,対外資産は未実現の対外購買力の蓄積であり,それが取り崩されて財貨の形で輸入されて初めて国民経済としてその便益を享受することができる。これらの観点から,対外資産について公的外貨準備だけでなく適切な流動性を保つことが必要とされよう。金融の自由化,国際化が進展して国際資本交流が活発化し,安定的な国際金融市場が常時存在することは,対外資産の流動性を確保する上でも有意義なことと言えよう。