昭和60年
年次経済報告
新しい成長とその課題
昭和60年8月15日
経済企画庁
第3章 人口高齢化と経済活力
我が国の健康水準は,新生児死亡率の大幅な低下,世界で最も高い水準の平均余命の実現等,戦後,著しい向上を示してきた。この背景には,経済発展に伴う生活水準や栄養状態の著しい改善,医学医術の進歩や保健医療制度の充実,生活環境の整備等が挙げられる。
なかでも,36年4月に医療保険についての国民皆保険制が発足し,その後も制度の拡充が行われてきたことは,国民の全てが比較的容易に医療サービスを受けられるという点で,我が国の健康水準の向上に貢献してきた。また,医療供給体制についても,国全体としては欧米各国とほぼ同水準あるいはそれ以上となっている。
しかし,このことは同時に,国民医療費の急増に伴う保険料・納税者負担の上昇をもたらしてきた。また,医療サービスの内容についても,医療施設の混雑現象や,薬づけ,検査づけ等の過剰診療といった問題が指摘されている。
以下,本節では,こうした医療制度の抱える問題点のうち,今後我が国の人口高齢化に伴ってより深刻化すると考えられる医療需要の増大と医療保険制度等との関連を中心に分析を進めることとしたい。
(国民医療費増大の要因)
我が国の国民医療費の推移をみると,35年度には4,095億円,国民所得比3.09%であったが,その後毎年20%程度の増加を示し,近年伸び率が低下してきたものの,なお増加を続けている。この結果,57年度の国民医療費は13兆8,659億円,国民所得比6.55%に達している( 第3-13図① )。これを財源別にみると,患者負担の割合が35年度の30.0%から57年度の10.5%へと,著しい低下を示している一方で,納税者に負担が帰着する公費負担が19.6%から35.6%へと増大してきている( 第3-13図② )。また,年齢階級別の支出割合をみると,高齢者の割合が高く,かつ上昇してきている( 第3-13図③ )。
このような国民医療費増大の最大の要因としては,人口の高齢化と疾病構造の変化が挙げられる。我が国においては,結核をはじめとする感染症が克服される一方,循環系の疾患(高血圧性の疾患,脳血管の疾患等)を中心とする成人病のウェイトが増大している( 第3-14図① )。有病率の年齢階級別年次推移をみると,45歳以上の中高年齢層で有病率の上昇が顕著であり,75歳以上では30年の6倍を越える水準に上昇している( 第3-14図② )。このような高年齢層の高い有病率については,循環系の疾患がその大きな部分を占めている(第 3-14図③ )。これらの成人病は,他の傷病に比し,治療に多くの手間と時間を要するため,57年度の国民医療費においては,悪性新生物と循環系の疾患とをあわせて,29.1%のシェアを示すに至っている。
国民医療費増大の第2の要因としては,医療技術の進歩による診療行為の高度化が挙げられる。例えば,CTスキャナーの設置により,従来の検査方法では把握が困難であった病変の部位や大きさが正確に分かるようになるなど,医学医術の進歩に伴う高額医療機器の保険診療の導入は,種々の検査や投薬が容易かつ比較的安全に行えるようになるという医療水準の向上をもたらし,患者にとっても福音となっている一方で,医療費を押し上げることにもなっている。
また,我が国の一医療保険制度の下では,患者に最善の医療を受けさせようという動機や,後述のような現物給付・出来高払い制度の下でより多くの医療サービスを投入して収益を拡大しようとする動機が,医師の診療行為の高度化に寄与するところも大きいと考えられる。
さらにまた,これに加えて,57年度までの国民医療費の推移をみると,その増大の要因としては,家族給付率の引上げ,高額療養費制度の創設,老人医療費支給制度の創設等による実質給付率の上昇とその裏返しとしての患者負担割合の低下があったのではなかったかと考えられる。医療保険制度においては,各被保険者から所得に応じた保険料が徴収される一方,受療の際には保険者からかかった医療費の相当部分が直接医療機関に支払われるため,患者は一定割合の自己負担のみで医療を受けられる仕組みになっている(現物給付方式)。このため保険給付の割合が引き上げられれば,個々の患者にとっては,直接的にはより低い窓口負担で医療サービスを受けることが可能となるわけであり,自己負担率が低下した場合,医療費が新しい自己負担率に応じた水準にまで上昇することは,統計的にも知られているところである( 付注3-4 参照)。
(医療保険制度の沿革)
我が国の医療保険制度は,昭和初年,一部の被用者を対象として発足したが,戦時下において,農民等を対象とする国民健康保険の発足等,医療保険体制が次第に整備された。戦後の混乱期においては,医療保険制度も,財政の困難等,危機的状況に陥ったが,その後,経済情勢の好転等を背景として国民健康保険の普及が強力に推進され,36年4月に国民皆保険制が実現に至ったのである。
このように我が国の医療保険制度は,被用者保険の対象外の国民をカバーする形で国民健康保険が発足・普及するという歴史をたどってきた。また被用者保険についても,政府管掌・組合管掌等それぞれの沿革を有するいくつかの制度が分立してきた。この結果,制度間に給付水準や負担,制度の財政基盤等について格差がみられた。従って皆保険制実現以後は,給付水準を引き上げる方向で格差を縮小するとともに,納税者の負担増加による国庫負担の拡大,保険料率の引上げ等により,財政問題に対処してきた。なかでも,「福祉元年」と呼ばれた48年度の改正では,給付面で,被用者保険の家族の自己負担率を引き下げるとともに,高額療養費支給制度を新設する等,画期的な拡充を行った。一方で,政府管掌健康保険についての定率国庫補助新設,政府管掌健康保険の保険料引上げ等,納税者・被保険者の負担をも大きく加重している。また,医療保険関連制度では,47年の老人福祉法の一部改正により,医療保険の自己負担分を公費で肩代わりすることにより老人の医療費を無料にする老人医療費支給制度が発足するに至った。
しかし,このような患者負担の引下げは医療費の急増を招いた面があり,政府管掌健康保険を中心として,保険財政の著しい悪化をもたらした。また,老人医療の無料化は,医療保険制度間の老人医療費負担の不均衡という問題を顕在化させ,それ自体としても医療費の保障に偏重しているという批判を生じさせてきた。
国民医療費の急増に加え,上記の問題もあり,最近医療制度につき,老人保健法の制定,退職者医療制度の創設,被用者本人の定率自己負担の導入といった制度改正が行われたところである。これらの制度改革は国民生活に重要な関係を有し,また将来の医療費負担にも大きな影響を及ぼす。そして,これらの改革の意義と医療保険の将来を考えるためにも,医療保険制度の現状についての知識が不可欠であるため,まず,この点をやや詳しくみることにしたい。
(医療保険制度の現状)
我が国の医療保険制度の現況をみると,まず,70歳以上の者及び65歳以上70歳未満のねたきり等の状況にある者については,医療保険制度の所属の如何に関わらず老人保健制度の対象とされ,自己負担については,入院外1月400円,入院1日300円(2か月を限度)の定額の負担が導入されている。その費用負担については,国・地方自治体・各医療保険保険者が2:1:7の割合で負担する。
70歳未満の者については,各医療保険制度がカバーすることとなっており,これが,国民健康保険と被用者の医療保険に分かれている( 第3-15表 )。被用者保険の中では,政府管掌健康保険と組合管掌健康保険のウェイトが大きく,国民健康保険と合わせると全人口の9割弱を占める。
政府管掌健康保険は,主に中小企業の被用者を対象とする健康保険であり,給付面では被保険者本人に9割(但し,61年4月以降,国会で承認を受け,厚生大臣の告示する日の翌日から8割),家族に入院8割・外来7割の保険給付を行う。財源面では,現在標準報酬の8.4%が保険料とされ,事業主・被用者が折半でこれを負担しているほか,給付費の16.4%が国庫負担を通して一般納税者の負担となっている。
組合管掌健康保険は,主に大企業の事業主が単独又は共同で設立し,事業主・被用者により組織される組合が管掌する健康保険である。給付面では政管健保と概ね同じであるが,家族に対する付加給付等がこれに付け加わる。財源面では,保険料の決定に当たっては,その事業内容,財政状況などの実態に応じて,一定の範囲内で組合が自主的に定めることができるが,57年度末の平均保険料率は標準報酬の8.057%であり,うち事業主が4.61%,被用者が3.447%を負担している。また,給付費の国庫負担がわずかながら一般納税者負担で行われている。
政管組合等の被用者保険でカバーされない全ての国民を対象とし,市町村が主たる実施主体となって運営する医療保険が国民健康保険である。市町村国保の被保険者には,大きく分けて自営業者等と,59年の制度改正で創設された退職者医療制度の対象となるサラリーマンOB(被用者年金制度の老齢・退職年金受給権者)とその家族とがあり,制度上異なる取扱いとなっている。即ち,給付面では,自営業者等は,本人・家族を問わず原則として7割の給付が行われるのに対し,退職者については,本人が8割,家族が入院時8割・外来時7割の給付となっている。財源面では,自営業者等については,老人保健事業分以外の保険給付の5割について市町村等が実情に応じて被保険者から保険料を徴収し,残りの5割について国庫負担が行われている。また,退職者については,自営業者等と同じ保険料負担となっており,保険給付からこの保険料を差し引いた部分について従来所属していた被用者保険からの拠出が行われる。保険料の徴収に当たっては,保険料所要額総額の所得割(標準的なケースで40%),資産割(同10%),被保険者均等割(同35%),世帯別平等割(同15%)といった基準に従って市町村が料率を算定し,徴収することとされている。
以上の各医療保険制度による患者の自己負担に関し,患者の自己負担額(一定の条件に合致する場合には世帯単位)が1か月5万1千円(低所得者3万円)を超えた場合に,その超過額を支給する高額療養費制度がある。
(医療保険制度の改革)
近年,医療制度に関し,いくつかの重要な改革が行われた。これは第1に,国民医療費の増嵩に対処し,その大きなシェアを占める医療保険給付の内容に無駄がないかどうかを見直し,制度自体も効率的なものに改めていこうというものである。また,第2に,全ての国民に公平な制度であることを目指して,各医療保険制度間における給付率の統一・負担の公平を図り,生涯を通じて公平な給付と負担を確保しようとするものである。
このような観点から,老人保健制度(58年2月実施),退職者医療制度(59年10月実施)が創設され,人生80年の時代に対応した,ライフ・サイクルを通ずる医療保障システムの構築に向けての改革が行われた。
この点に関し,政管・組合・国保をあわせて考え,各世代の国民がどれだけの負担をし,どれだけの給付を受けているかをみたものが 第3-16図① である。これをみると,20歳~55歳の間では給付額に比して負担額が相当程度上回っているが,20歳未満,55歳以上においては給付額に比して負担額が下回っていることが分かる。特に高年齢層では65歳~70歳が1人当たり17万円程度,70歳以上が1人当たり42万円程度と,著しい給付超過となっている。
このような給付・負担の構造から,医療保険の財政は被保険者の年齢構成によって影響を受けやすい性格のものとなっている。そこで,政管・組合・国保の年齢構成を 第3-16図② でみると,国保は負担超過となる年齢層のウェイトが小さく,給付超過となる高年齢層のウェイトが大きいことが分かる。これに対し組合健保では全く逆の傾向となっており,政管健保でも概ね組合健保に近い年齢構成となっている。
以上のような人口構成の相違による制度間の財政基盤の格差は,48年に実施された老人医療無料化によって,より拡大したものと考えられる。即ち,高齢者に多い成人病は,老化の現れともいう面が強く,完全な治癒は期待しがたい。
従って,常に疾病を持った状態にありがちであり,老人医療費支給制度の創設とともに受診率の急伸がみられ,一部では病院のサロン化やはしご受診といった現象が指摘されるようになった。その結果,高齢者の受療に伴う自己負担額は公費という形で一般納税者が負担したものの,他方で受療の急増によって保険給付所要額も急増し,高齢者を多く抱える保険制度の財政が悪化することとなった。
老人保健制度においては,以上のような点にかんがみ,高齢者についても一部負担金を導入するとともに,診療報酬の一部に老人特掲診療料として,他の医療保険の診療報酬と異なる扱いがなされている。すなわち,自己負担金については,外来の場合1月400円,入院の場合1日300円,2ヵ月間という少額のものを設定することによって,高齢者に健康についての自覚を求め,適切な受診を願うこととされている。また,老人保健制度の診療報酬については,高齢者の疾病特性に配慮し,投薬や注射等の治療行為だけでなく,高齢者の心身の特性等を踏まえ,日常生活についての指導の重視,入院医療から在宅医療への転換等の観点から生活指導管理料や退院患者継続看護・指導料の設定など,適切な老人医療を確保するための内容となっている。財源面においても,老人医療費を国民が公平に負担することを目的として各保険者の拠出金については,加入者按分により老人加入率の格差に起因する負担の不均衡を是正し,国民健康保険等老人加入率の高い保険者の負担の軽減を図ることとしている。各々の按分率は2分の1ずつが原則であるが,当面,激変緩和策とし,9加入者按分率を2分の1以下のものとしている。
次に,退職者医療制度については,負担超過の時期に被用者保険に属していた者が,退職して負担能力が低下するとともに国保に移るという現象に対処するために導入された制度である。すなわち,この制度の創設前は,保険財政の面では,所得が高く,年齢構成も若い組合健保等で財政に余裕が生じ,一方,国保では,医療費のかかる退職者が多く加入することにより財政状況を悪化させ,この負担は主として一般納税者と他の国保被保険者(自営業者等)に依存することとなっていた。また退職者の立場からみても,負担能力が高い時期に10割給付であったものが,負担能力が低下し,医療の必要性が高まる時期に7割給付に低下するという状況となっていた。
退職者医療制度においては,給付内容を他の国保被保険者よりも高水準のものとする一方で,財源面では退職者が一般被保険者と同様に支払う保険料のほかに,退職者の属していた被用者保険からの拠出を加えることにより,これを賄うこととされている。これは,上記の点にかんがみ,退職者とその家族が今後更に増加していくことを踏まえ,従来の制度の枠を超えた,世代間の連帯に基づく退職者の医療保障システムを構築していくという見地から創設されたものである。
以上に対し,被用者保険本人の1割負担導入は,制度の効率化とともに,医療保険制度における被保険者間の公平確保を目指したものと考えることができる。即ち,我が国の医療保険制度は,それぞれ沿革を異にしているため,給付面を中心に,なお格差が存在している。例えば,前述のような療養にかかる給付率の格差に加えて,現金給付についても,国保における助産費等と被用者保健における分娩費等の水準にはなお格差がある。また,被用者保険における本人と家族の給付水準にも大きな格差がある。
このうち,自己負担率の格差が保険給付に与える影響を考えると,まず,自己負担率が低水準であれば,患者の窓口負担も結果として低いものとなり,その結果受診を促進する効果を持つ( 付注3-4 参照)。
次に,受診した際の診療行為の内容についても,自己負担率がある程度影響するものと考えられる。特に,被用者本人の10割給付は,医療費についてのコスト意識を欠如させがちであり,これが一部で患者の薬ねだりや医師による薬づけといった事態を招いていたとの指摘がある。ちなみに,57年6月現在で,10割給付であった被用者本人の1日当たり医療費を家族のそれと比べると,投薬・注射,検査で費用が2~3割高くなっている。この点に関しては,自己負担率と1件当たり診療費(消費者物価指数で実質化)とが負の相関関係にあることが知られている( 付注3-4 参照)。
以上の点からみると,自己負担率の格差が一方で国保被保険者の受診を抑制し,他方で特に被用者本人の過剰受診・診療をもたらすという効果があったと言えよう。このような点を是正し,各保険制度を通じた給付の公平化に向けての第1段階とする見地から,被用者保険本人の1割の定率負担が導入された。
また,これにより,医療費についてコスト意識が明確になり,被用者本人の健康増進への意欲が高まるものと期待される。なお,この1割負担については,61年4月以降国会の承認を得て厚生大臣の告示する日の翌日から2割に引き上げることとされている。
(診療報酬と薬価基準)
我が国の医療においては,保険制度を通じた医療費支払いが国民医療費の81.2%を占めるなど,医療の供給面においても,医療保険制度が大きな影響を及ぼしている。保険診療に関する医療費の支出の流れを市町村国保を例として説明すると,被保険者が病院で医療サービスを受けた場合,病院は,患者に行った診療行為を診療報酬表に基いて点数で評価し,これに1点当たり単価(10円)を乗ずるとともに,使用した薬材については,薬価基準に従ってその購入価格を計算し,全体としての医療費を算出する。被保険者は,このうち3割の自己負担額を病院の窓口で支払う。残りの7割については,国保を運営する市町村が,被保険者にではなく,病院に直接現金を支給するという形式になっており,病院は保険制度による現物給付(診療そのものの給付)を任されていることになる。従って,病院等の療養取扱機関は,市町村の委託を受けた国民健保連合会に,患者1人につき1ヵ月分の診療出来高をまとめた診療報酬明細表(レセプト)を提出し,保険医療に係る費用(診療報酬)を請求する。請求を受けた連合会は,このレセプトを審査し,市町村に代って対価を支払う。
このように,我が国における保険診療は,現物給付・出来高払い方式を採用している。この方式は,医師の治療へのインセンティブを引き出し,良質る医療を確保できるという大きな利点があるが,反面収益性重視からの薬づけ,検査づけ等の過剰診療を招きやすいという問題点を持っている。
第3-17図 において我が国における社会保険診療の内訳をみると,かつては投薬・注射が高い伸びを示してきたが,近年薬価基準の適正化もあって落ち込んでおり,一貫して高い伸びを示してきた検査が58年には注射を超える水準に達している。また全体としての1件当たり点数は上昇を続けてきており,特に49年度,53年度の伸びが著しい。
検査については,その中でも血液検査,レントゲン診断といった自動化可能な検査が増加しているという指摘がある。また,診断機器の設置状況をみると,血液化学自動分析器が広範に用いられているほか,CTスキャナーの設置台数が人口100万人に対し17.7台,2位の米国の10.5台の1.7倍と世界最高水準に達しているなど,進歩した医療技術が急速に普及してきている。このような技術進歩は,医療水準の向上をもたらす一方で,高額の医療機器への過剰投資を生み出し,今やむしろ適正配置が問題となってきている。
一方,総点数に占める薬剤の比率をみると,40年代後半には,40%を越える極めて高い水準を続けていたが,その後やや低下し,58年では35.1%となっているが,なお我が国の薬剤比率は,諸外国と比べて高いと言われている。また,医薬品の流通においても,購入価格と薬価基準との差額(薬価差益)の存在など,いくつかの問題が従来から指摘されている。
以上のような問題に対処するため,近年では,技術料の重視や,老人保健の診療報酬設定等,診療報酬体系の合理化が行われてきた。また,薬価についても,毎年薬価調査を行い,その結果を迅速に薬価基準に反映させるとともに,薬価基準全体の見直しを少なくとも3年に1回行うこととする等の措置を講じていくこととされている。さらに,医療機関に関しても,指導監査,レセプトの審査を徹底し,不正請求に対しては厳しく対処することとなっている。
しかし,過剰診療については,このような医療の供給側だけでなく,需要側にもその要因があるものと考えられる。第1に,医療保険における自己負担率の引下げに起因する需要拡大圧力がある。この点につき,1件当たり診療費(消費者物価指数で実質化)と受診件数の関係をみると,全般に受診が増大すると1件当たり診療費が上昇するという関係がみられる( 付注3-4 参照)。第2に,定額負担等の低自己負担が患者の薬ねだりや医師による薬づけといった事態につながりやすいことは,前述のとおりである。このため,コスト意識を喚起することを通じて,このような過剰診療を抑制するという見地から,昨年の医療保険制度改正において,被用者保険本人について1割の定率自己負担が導入されたところである。改革後の本人に関する医療費の動向をみると,59年度下期では対上期10.9%減となっており,改革の効果が表れていると言えよう。
なお,上記の点に加え,室料差額,付添看護婦等の保険外医療費が存在しており,高額療養費支給制度等の効果を減殺している。このうち差額ベッドについては,その抑制指導の効果もあり,全ベッドに占めるシェアは58年7月現在で10.9%にまで低下しているが,禁止対象となっている3人室以上の差額病床がいまだかなり存在している等の問題点がある。
(医師数等の動向)
我が国の医療供給体制は,医師及び病床数等に地域的な偏在傾向はあるものの,マクロ的にみれば欧米各国とほぼ同水準となっている。また,現在の医師の養成数(現在の医科大学・医学部入学定員は年間8,340人)を勘案すれば,近い将来に医師数の水準が,既に医師過剰の問題が生じている欧米諸国の現状を相当上回ることが見込まれるという状況にある。
この中で,医師数の動向についてみると,36年においては約10万4千人,人口10万対110.6人弱であったが,その後徐々に増大し,45年では人口10万対115人の水準となった。同年増大する医療需要に対応し,国民の医療水準を上昇させるため,「昭和60年までに最小限度人口10万対150人の医師を確保する」という目標が策定され,これに沿った養成が進められてきた結果,58年には総数約18万人と推定され,人口10万対152人の水準に達している。さらに医師数の推移を中長期的に展望すると,現状のままで推移すれば,75年には28万2千人,人口10万対220人,100年には38万2千人,同約300人にも達し,その後も増加すると見込まれている(国立公衆衛生院研究班推計)。
このような医師数の変化が国民の医療に対してどのような影響を与えるかについては様々な指摘があるが,医師数の過剰がもたらす国民経済上の問題点としては,医療費の増大が挙げられる。医師数と医療費の関係については,医師数の増大に伴う受診数の増大をどのように考えるか,医師数と1件当たり医療費の関係等,確立した議論があるわけではないが,概していえば,医師が手厚い医療を行うことにより医療費が増加するという面や,医師の増加が医療需要を生み出すという傾向も否めない。また,医師養成にかかる高額な費用への配慮も必要である。
このような観点に加え,問題の性格上早期の検討を要することもあり,医師数の水準について,厚生省では「将来の医師需給に関する検討委員会」を設け,地域医療の実態等を考慮しながら検討を進めてきたが,59年11月には「差し当たり昭和70年を目途に医師の新規参入を最小限10%程度削減すべきである」とする中間意見を提出し,現在も検討が続けられているところである。
(人口高齢化と医療保険財政)
医療保険は,前述のように,ライフ・サイクルにおける疾病と所得の構造を反映し,その給付と負担の関係が,青壮年期で負担超過となる一方で,高齢化してから大幅な給付超過となるという性格を持っている。
このような医療保険制度は,短期社会保険としての性格から政府や健保組合等の機関が各年度の給付所要額を見込んだ上で,保険料や納税者の負担によりこれを賄い,単年度の収支と均等化させるという方式で財政運営されているものであり,これは,将来の世代までを含めて制度を通じて相互に扶養し合う年金制度と全く異なる点である。また,年金制度では,将来における給付総額がほぼ確定的に見通すことが可能であるのに対し,医療保険制度では,将来の医療技術水準や国民の予防努力の動向等医療費を決定する極めて多数の要因のうち多くが不確実なものであるため,統計的信頼度をもって国民医療費の将来推計を行うことは極めて困難であるという点について,両制度の間には大きな相異がある。すなわち,ライフ・サイクルにおける給付と負担の関係は,年金制度では制度そのものに組み込まれたものであるのに対し,医療保険制度では,年齢による所得・疾病の構造が,結果として青壮年期における負担超過と高齢期における給付超過をもたらすという点にとどまる。
しかし,そのような制約の下で,人口高齢化ピーク時の医療保険に係る保険料負担を考えてみるならば,老齢人口の増大という人口構成の変化により,若年層を中心とする保険料負担は現行水準に比べ高いものとなることは避けえないと予想される。
人口構成の変化が医療保険財政に与える影響の大きいことにかんがみ,医療保険についても将来における負担水準に十分な配慮を加えた上で,制度運営が行われなければならない。
(国民医療費の将来推計)
このように,人口構成の高齢化は,将来の医療需要を大きく増大させる要因として働く。そこで,この点にかんがみ,高齢化に伴う将来の医療費増大について簡単な推計を行ってみることとしよう。医療費を決定する要因としては,需要側として人口や所得,医療機関の利用の容易さが挙げられるであろうし,一方供給面をみると医療サービスの性格から医師の専門的判断で決定されると考えられるが,他に診療報酬体系や医師数等も大きな影響を与えるものとなろう。また,需給両面にわたり保険制度における自己負担率も重要な決定要因である。これら多数の要因(変数)すべてにわたってその動向を推計することは不可能であり,また要因間相互の連動がみられるため,既に述べたように医療費の将来推計は統計的に極めて困難と言える。
そこで以下では,人口の高齢化のみに着目し,他の諸条件を57年時と同じとして,2000年と人口高齢化がピークとなる2020年における医療費について推計を行う。
まず前提として,①老齢化率については老齢人口推計値に基づき,2000年=15.6%,2020年=21.8%,②65歳以上の者に係る1人当たり診療費は,昭和57年水準=「65歳未満の者に係るものの4.8倍」,③総人口は現在と同じ(年齢構成のみ変化)という3点を仮定する。
このような仮定に基づいて推計を行うならば,57年度で13兆8,659億円である国民医療費が,2000年において約17兆円(57年度価格),2020年には約19兆4,000億円(57年度価格)に達することが予想される(付注3-3参照)。このように,国民医療費が増大すれば,その負担は,自己負担・保険料・税金いずれの形であろうと,国民の負担に帰着する以外はありえない。また,現在の医療費の中に相当程度の無駄が含まれていることは,前述のとおりである。したがって,59年の健康保険法改正の際に示された「国民所得に占める医療費の水準は現在と同程度とする」という政策目標は是非守られる必要があろう。推計結果からも明らかなように,今後ともより一層医療費を適正・効率的なものにする諸施策が講じられる必要がある。
医療費適正化対策については,これまで被用者本人の定率負担の導入に加え,診療報酬の合理化,薬価基準の適正化,医師の不正請求及び過剰・濃厚診療に対する厳正な対処が盛りこまれ,実施されてきているが,今後は,供給側における施策についても強力に推進されるべきものと考えられる。また,前述のように中長期的にみた医師数の動向について検討作業が行われているところである。医療費適正化の観点ばかりでなく,我が国の医療の質を更に向上させるためにも,医師免許制度の運営の厳格化を行い,既存の医師についても十分な再教育と能力の厳しいチェックを行うことが必要である。
(医療制度の効率的運営と高齢化への対応)
今後,我が国が急速な高齢化を迎えることは確実であり,医療制度が長期的に芯の通った,あらゆる世代・階層に対して公平な制度であることが強く求められているところである。そのために,制度の運営をより適正・効率的なものとし,現在の医療費に含まれる無駄を徹底的に排除し,真に医療を必要とする人々への保障を重視していく必要がある。また,仮に国民医療費が将来増嵩していくとするならば,現在の高齢層にかかる負担のつけを後代の保険料負担として顕在化させるとともに,後代の厚生水準の低下を招くものとなるため,医療費の適正化を強力に推進せねばならない。
近年行われた老人保健法の制定・健康保険法の改正といった立法措置や,診療報酬の合理化,薬価基準の適正化及び保険医療機関への指導監査・レセプト審査の徹底といった措置は,将来へ向けての医療制度改革として極めて高い評価に値するものである。
なかでも被用者本人の定率負担導入等の自己負担率の引上げは,大きな意義を持つものといえよう。このような措置は,一見すると費用負担の増大であるかのように錯覚されがちであるが,結局において患者個々にとって福音となるものであることに注意する必要がある。すなわち第1に,過剰受診が抑制されることにより,混雑現象が緩和され,真に医療を必要とする人の受診が容易になり,診療行為もより余裕のある人間的なものとなる。また第2に,外来等のケースでは,いずれにせよ負担額は軽微なものであり,かつ,需要圧力の減少から,ある程度の期間をとってみれば自己負担額の上昇は負担率の上昇をかなり下回るものとなろう。さらに第3に,検査を中心とした過剰・濃厚診療は,むしろ人体に悪影響を与える可能性があるが,これを抑制することができる。
さらに,国民経済的観点からみれば,自己負担率は上昇しても保険料・税金と自己負担額を合わせた負担総額ば大きく減少することのほか,高齢化を迎える後代の負担を緩和するとともに,現在・将来にわたっての国民の厚生水準を上昇させることができる。
以上のような観点から,被用者本人の負担率にかかる本則実施(2割負担)が早急に行われる等,全体として,適切な水準の自己負担率の実現を図っていく必要がある。また,医療保険制度の効率的な運営を実施しつつ,公的な社会保障・所得再分配機構としての公平性を高めるため,保険制度間の負担の調整についても,老人医療費の拠出金の在り方について,国民が老人医療費を公平に負担するという制度の基本的理念に沿って見直しを進め,その負担の公平の確保を推進していくべきものと考える。