昭和58年
年次経済報告
持続的成長への足固め
昭和58年8月19日
経済企画庁
第1章 57年度経済の動向と景気の現況
一国の経済状態がどの程度安定的であるかは,その経済の各部門に大きな不均衡がないかどうか,かつ不均衡からの回復力をどれだけ備えているかによって判断される。日本経済について,主要なバランスはどういう状態にあるのかを考えてみよう。主要なバランス項目としては次のようなものが考えられる。
まず供給能力と需要の関係を示す需給ギャップについてみよう。57年度の経済白書でも述べたように我が国経済には今後とも当分の間,欧米諸国に比して相対的に高い経済成長率を維持しているだけの基礎的条件がある。これは,貯蓄率および投資比率が高く技術進歩率も高いとみられるためであるとはいえ,56年度,57年度については,製造業の稼働率は低下し,労働力需給の悪化がみられた。こうした点からみると現在もなおある程度の需給ギャップが存在するものと推定される。また,こうした需給ギャップの存在はデフレ圧力を生じ,もしかなりの需給ギャップが長く残るようであれば,結局は設備投資行動が弱まり,中長期的な供給能力自体が低下することにより需給ギャップは解消するという望ましくない可能性があるととには留意しておく必要があろう。
財の市場に需給ギャップがあることは他面,労働力市場にも不均衡が存在することを意味する。その程度は後に示すように実際の完全失業率と均衡失業率(需給が均衡している場合の失業率)との差として示される。今回の調整局面の中で労働力市場の需給バランスはかなり悪化した。ただし後で述べるように現実の失業率の上昇はこうした財市場の需給ギャップの拡大に加えて,労働力供給の構造的変化による部分があることは否定できない。
しかし,こうしたデフレ的不均衡の存在にもかかわらず,57年度の日本経済は比較的安定した経済バランスと経済パフォーマンスを保ち得た。このことは第1次石油危機後の時期や他の先進諸国に比較しても明らかであろう。これには以下の諸要因が寄与していると考えられる。
(1)民間設備投資が高水準で推移したこと。これは民間部門の貯蓄投資バランスが一層不均衡になり,政府部門,海外部門の不均衡化が一層拡大することを防ぐ要因となった。
(2)価格の硬直性が小さかったこと。これは在庫調整をはじめ種々の不均衡の解消に大きく寄与したと考えられる。
(3)労働市場の柔軟性が高いこと。日本の労働市場の柔軟性が高いことは,需給の不均衡を緩和するための有利な条件となっていると考えられる。職場における内部労働力市場の柔軟性は企業が失業を出さないで過剰労働力を内部的に調整しうる条件となっている。また賃金決定の弾力性は,労働市場全体の調整力を高め雇用の維持確保を容易にしている。
(4)企業経営の減量合理化が進んでいること。これは企業の財務内容を改善し,損益分岐点を低めて,デフレ的不均衡に対応する力を高めた。このことはまた在庫調整を相対的に容易にし,また企業収益は減少はしたものの,一定水準を維持するのに役立った。
以上のような諸要因が作用して,57年度経済は不均衡要因をはらみながらも何とか安定した動きを維持しえたのである。
一方,対外的な均衡については,円安下でも世界市場の不況で輸出が減少したため,経常収支の黒字は一定範囲に止まった。しかし,58年度に入ってからは,世界景気の回復で輸出が増加する一方,輸入はなお減少気味であり,また石油価格の低下に加えアメリカの高金利で円安が解消しないため,経常収支の黒字幅が拡大している。対外均衡をいかに維持していくかが今後の課題となろう。
次に,以上のような需給バランスの中で,企業がどのような対応をとったかを企業収益の面から分析し,さらに循環的要因に加えて構造的要因の影響もかなり受けているとみられる労働力市場について検討してみることとする。
企業行動の最終的結果は企業収益に表われる。まず,法人企業部門全体の収益動向からみていこう。企業収益の代表的指標である総資本経常利益率をみると,設備投資の描く中期循環と在庫投資を反映した短期循環が入りまじった型で変動している。48年度上期にピークを示した総資本経常利益率は,第1次石油危機後の49年度下期には大幅に低下した。この時点を底に54年度上期までかなりのテンポで上昇した。その後再び低下傾向を続けたが,現段階での総資本経常利益率は,高度成長期の景気調整局面である46年度当時の水準とほぼ等しい(第1-37図 )。総資本経常利益率は売上高経常利益率と総資本回転率の積である。売上高経常利益率の推移をみると,総資本経常利益率の動きと方向は同じであるが,その水準は全般的に低く,とくに50年代に入ってからの両者の乖離が目立つ。売上高経常利益率が相対的に低い水準にあるなかで,総資本経常利益率の改善が大きかったのは,総資本回転率が上昇したからである。総資本回転率も循環変動しているが,50年代以降すう勢的な上昇を描いている。これは,それまで膨張していた企業間信用の圧縮,借入依存度の引き下げ,人件費の圧縮などによる企業の減量経営努力が成果を発揮したからである。また,高度成長期にみられたような大型役資が少なくなったことも影響している。
次に規模別,業種別動向について売上高経常利益率を規定する経常利益水準の推移でみると,全産業では大企業は55年度上期までほぼ一貫して増益を続けたあと,増減益をくり返しているが,その水準はそれほど低くない。これに対し中小企業は54年度上期から減益に転じ,その後も大企業に比べて相対的に低い水準で推移している。
業種別の経常利益を規模別にみても,製造業,非製造業とも54年度下期以降,大企業と中小企業の格差は拡大している。この背景には,外部環境としては,第2次石油危機によって,中小企業と結びつきの深い個人消費が停滞したことがあげられよう。また,57年度については,輸出の減少が下請中小企業の受注減,生産減をもたらしたことなどが考えられる。
こうした需要面の要因に加え,製品価格やコスト面でも中小企業で収益悪化要因がみられた。これらの動向を,中小企業製造業を中心に検討すると次のような点が指摘できる。
まず,製商品の採算状況は,大企業に比べ中小企業の悪化が目立つ。これは仕入価格面では,大企業,中小企業ともそれほど格差はないが,中小企業ではすでにみた需要要因による数量減に加えて製品価格の低下がみられたためであり,この結果大企業に比べて売上高は鈍化ないし減少せざるを得なかった( 第1-38表 )。
一方,コスト面をみると,中小企業は仕入価格がそれほど低下しなかったことから,変動費は55年度から56年度上期にかけて上昇した。他方,固定費は,人件費を中心にコスト圧迫を招いている。この間大企業でも変動費,固定費ともにコスト圧迫要因となっているが,中小企業に比べれば,売上高経常利益率の低下は相対的に軽微であった。この結果,中小企業の損益分岐点売上高比率は大企業を上回って上昇した。
損益分岐点売上高比率の上昇は,固定費コストの上昇による面が大きい。なかでも,人件費比率の動向がそれを大きく左右する。人件費比率の動きを規模別にみると,中小企業では50年代に入ってから若干の変動はあるものの,最近でも依然高い水準を続けている( 第1-39図 )。一方,大企業は中小企業に比べて相対的に低い水準にあるが,55年以降さらにその水準は低下し,両者の格差は5%ポイント前後となっている。
これを常用雇用の動きでみると,大企業では,49年以降素材型産業が一貫して減少を続ける中で,加工型産業は54年前半まで減少したあと増加に転じたが,57年後半以降頭うち傾向を示している( 第1-39図 )。他方,中小企業では,素材型産業は,40年代後半から50年代にかけて減少したが,その後は若干の循環変動はあるもののほぼ横ばい気味に推移したあと,55年から再び減少に転じ,57年には下げ止っている。これに対し,中小企業加工型産業は,48年から50年にかけて減少したあと,その後は,ほぼ一貫して増加を続けたが,57年後半以降減少を示している。57年後半以降における加工型産業の動きは,輸出の減少を背景に,大企業の稼働率低下に伴なう内製化,下請企業への発注減が中小企業での雇用調整を余儀なくしたものとみられる。
中小企業に比べて大企業の経常利益は,その落ち込みの程度が相対的に軽微であったが,業種別にみるとかなりの格差が存在する( 第1-40図 )。第2次石油危機後,素材型産業の経常利益は大幅な減少を示したが,56年7~9月期に在庫調整が終了し,56年度下期には生産も若干持ち直したため回復に転じた。その後,57年度は再び経常利益はかなりの減益となった。一方,加工型産業の経常利益は,57年に入ってやや低下しているが,その水準は素材型産業よりもはるかに高い。こうした格差は売上高経常利益率の水準にも表われている。
ここで,企業収益の変動に大きな影響を与える企業の交易条件(産出価格/投入価格)についてみると,第2次石油危機後の素材型産業の収益減は,原油価格大幅上昇を背景とした投入価格の上昇によって交易条件が悪化したことによる面が大きい( 第1-41図 )。その後,56年以降原油価格は軟調に推移したが,為替レートが円安傾向を強めたことから,素材型産業の交易条件は改善されなかった。加工型産業は円安によって産出価格が上昇したこともあって,若干交易条件は改善している。58年に入ってからの円安修正は,石油,電力,紙・パルプ,鉄鋼など輸入原材料比率の高い業種を中心に,その影響が出始めている。さらに原油価格引下げの効果も,これら業種を中心に次第に顕在化してくることになろう。
こうした状況から素材型産業の経常利益は最悪期を脱しつつあるとみられる。さらに加工型産業でも58年1~3月期には在庫調整の一巡,輸出の持ち直しを背景に生産増がみられることから,全体として,大企業の企業収益は緩やかながら回復局面へと移行しつつあるものとみられる。
経済全体のバランスとその維持を考える上で,雇用水準は重要な判断指標である。しかし,近年労働力需要及び供給の構造変化が著しく,判断に当ってはこうした点を踏える必要がある。政策目標としての完全雇用との関係で失業率をどう考えるかについては,これまで多くの議論が重ねられてきた。アメリカでは第2次大戦後完全雇用政策が追求されたが,1960年代には失業率の低下が進む中で労働生産性の上昇率は顕著に低下し,70年代に入っても生産性の停滞が続いた。一方で労働力需給がタイトになり賃金上昇圧力を生じると同時に,他方生産性の伸びが低下したことは,スタグフレーションの大きな要因となったと考えられる。失業率が低下する中で生産性上昇率が低下したのは,公共支出や公共部門での直接雇用により限界生産性が低下したことや一般的な労働モラルの低下によるものと考えられる。
他方で労働力の供給構造も変化したため,従来の完全雇用失業率に無理があるのではないか,構造的な失業まで景気対策によっては救済できないのではないかという批判を呼んだ。日本では事情は異なっているが,近年労働力の需給構造には大きな変化が生じていることは事実である。そこで最近の失業率の増加のうち,どれだけが構造変化要因によるものであり,どれだけが循環要因によるものであるかについて一応の目安をつけるため,以下の分析を行ってみた。
第2次石油危機後の調整過程,特に第1段目の在庫調整期では,わが国の雇用・失業情勢は,欧米諸国と比べて,また,第1次石油危機後のわが国の状態と比べても相対的に安定していたといえる。しかし57年に入ってからは,労働力需給はかなり悪化した( 第1-42図 )。その特徴をみると,第1に,一般労働市場での新規求人(新規学卒を除く)は57年に入って顕著な落ち込みをみせたが,特に製造業での減少が著しい。これは,第1節でも述べたように56年までは堅調に推移して来た組立,加工型業種の求人が,輸出の減少等を反映して減少したためである。第2に,所定外労働時間の削減等雇用調整の実施状況については,57年及び58年初にかけて,第2次石油危機後としては最も強まった状況が続いた。しかし,生産の落ち込みが前回の石油危機に比べて比較的軽微なため,その進行の程度は相対的に小さい。しかし,今回の景気調整が2度の在庫調整をはさんだ長期間にわたるものであったため,雇用調整も過去のそれが5~7四半期で底打ちしたのにくらべ,12四半期以上も要したこと,及び調整のテンポが緩やかでかつ二段階の調整になったことは看過できない。
第3に,わが国の雇用慣行として毎年春に新規学卒の一括採用が行われ,緩急の差はあれほぼ安定した企業の雇用態度が貫かれて来ており,2回の石油危機後においても雇用の安定に役立って来た。新規学卒の採用は,56年までは活発な採用が行われてきたが,57年には若干かげりがみられ,58年3月卒業者については,特に女子や高卒では就職環境が厳しさを増した。
このように労働力需要面で悪化が続くなかで完全失業率は高い水準に達した。完全失業率は55年1~3月期の1.92%(季節調整値)をボトムにその後上昇傾向を示し,56年7~9月期には一時改善したものの57年に入ると一貫して上昇し,10~12月期には2.43%となった。さらに58年1~3月期には2.68%と相当高い水準となった。なお,57年10月から58年1月にかけては「労働力調査」の新サンプルへの移行が行われており,それに伴う措置が影響している可能性も否定できないので,それまでの数字との接続等については十分注意する必要があると思われる。有効求職者数や雇用保険受給者数など関連指標の動きをみれば,この時期に労働力需給がそれほど急激に悪化したとは考えられない。もっともこれらの指標も完全失業者数の動きほどではないものの,57年後半から58年にかけて悪化傾向を辿っており,現在の失業状態が厳しい状況にあることは否めない。
このように57年に入り労働力需給はかなり悪化したが,他方,これと併行して就業者や雇用者の伸びは比較的堅調であった。その背景としては,第一に第3次産業での雇用者の増加がみられたこと,第二に57年3月卒の新規学卒者の採用が活発であったことがあげられる。こうした雇用者の増加が失業率の上昇と併存したことが雇用情勢全体の判断をいまひとつわかりにくくしている。
このように一見矛盾した動きが生じた背景をみるため,各労働力状態の変化を失業者の増減との関連に留意しつつ考えよう( 第1-43図 )。まず男子については,特に56,57年には新規学卒者の採用が堅調であり,これが雇用者増加の要因になった。ただし,製造業を中心に離職者が増加したこともあり,こうした雇用者の増加はその前の失業率が低下していた時期の増勢を若干下回っている。また,自営業主は自営業の業況不振により減少気味に推移した。このため,就業者数は雇用者数と比較して増加幅が小さくなった。こうしたなかで,労働力率の低下は,52年から53年にかけて失業率が上昇した時期に比べ若年層を中心に小幅なものにとどまった。以上の結果,失業者が増加した。
女子については,最近でも雇用者の増勢が続いているが,これは第3次産業を中心に女子労働力,特にパートタイム労働者に対する需要が強かったためと考えるれる。ただし52,53年程ではないものの労働力率の上昇がみられ,これが女子の失業者の増加を招いた。
このように新規学卒者や女子の雇用を中心に雇用者の増加がみられたものの,一般労働市場における男子の雇用需要は減少し失業者増加の一因となった。
以上のような状況下で,完全失業率が上昇するなかで雇用者も増加したという一見相矛盾する動きが生じた。
第2章第4節でみるように,わが国の就業構造は第3次産業へとシフトして来ている。第3次産業は第2次産業に比べて雇用吸収力が高い。このため,就業構造が第3次産業にシフトするに伴い経済全体の雇用吸収力を高めることになる。これが最近の雇用者の増加とどのようにかかわっているかをみてみよう。
まず経済規模の拡大がどれぐらい就業者を増加させるかをみるため,就業者の対実質GNP弾性値をとってみると,今回の景気調整局面においても弾性値が過去より高まっている( 第1-44表 )。しかし,延就業時間の対実質GNP弾性値をとるとむしろ低下している。その理由は以下のように考えられる。第1次石油危機の後は企業は減量経営の一環として雇用者数を抑制するかたわら,生産の増加に対しては主として残業時間の増加によって対処したため,就業者ベースでの弾性値の高まりは小さくなる傾向が生じたが,今回は雇用調整は主として残業時間の削減によって行われたことや,雇用需要が拡大したところではパートタイム労働者を中心に増加させたこと等から,就業者ベースでみると弾性値が高まっている。
次に産業別の雇用吸収力の推移をみてみよう。就業者の実質産出高に対する弾性値の変化をみると,ここでも最近弾性値の上昇がみられる。
産業別にみても,各々の就業者弾性値は高まっているのであり,最近の就業者弾性値の上昇は第3次産業化といった就業構造の変化とともに,労働時間の効果,パートタイム労働者の増加,新規採用者に対する企業の積極的な採用姿勢等の影響も加わっていると考えられる。
次に就業構造の第3次産業化の影響を性別,年齢別にみると( 第1-45図 ),最も顕著に第3次産業化がみられるのは男女双方とも若年層である。さらに女子では若年層以外でも第3次産業化がある程度進展している。しかし,男子では若年層以外の層では第3次産業化は小幅にとどまっている。
先にみたように,最近の雇用の増加は,新規学卒者や女子のパートを中心としたものであり,また第3次産業中心のものであることを考えれば,若年層以外の男子層での雇用環境悪化は循環的要因に加えて構造的要因も作用していると考えるれる。
労働力需要の変化について,次に考えておかねばならないのは,マイクロエレクトロニクスの普及が雇用にどの程度影響を及ぼしているのかという点である。
近年,産業用ロボットやファクトリーオートメーション(FA)は製造業を中心にかなり普及しており,他方オフィスオートメーショソ(OA)についても製造業,非製造業の区別なく汎用コンピュータ,ファクシミリ等の導入が一段と進んでいる。さらに,最近ではワードプロセッサーやオフィス・コンピュータなどその機種も多様化している( 第1-46図 )。ロボット導入動機は,生産性の上昇,生産能力の拡大,品質向上と並んで,熟練工不足等の人手不足の解消が大きな理由となっており,OAについても事務の合理化,効率化と並んで事務管理部門の人員抑制がねらいとなっている。
このようにロボットやOAの導入は一方では危険作業や単純作業からの解放といった労働環境の改善に役立っているものの,省力化も大きな目的の一つであることは否めない。しかし,種々の調査をみるかぎり,これまでのところ企業はマイクロエレクトロニクス導入に伴う雇用に対する影響を配置転換を中心とする方法で吸収することに努めており,またそれが可能であったため,雇用の減少をもたらすには至っていない( 第1-47表① )。
従来,大企業を中心とした企業内の配置転換は単に雇用調整策としてのみならず,幅広い職域経験を有する人材育成の重要な手段として大企業を中心とした終身雇用制のなかで重要な役割を果してきた。しかし,企業は今後配置転換を従来以上に増加させるという意向を示しており,その理由として,従来の人材育成とともに,「省力化機器,自動化設備の導入」を掲げる企業が増えている。したがってマイクロエレクトロニクスの導入が一層進展し,生産形態の変化や省力化が進行するにつれて,企業の配置転換は一段と重要さを増すとともに複雑さが加わるものと考えられる( 第1-47表③ )。
なおこれまでもマイクロエレクトロニクス導入に伴う配置転換では,仕事内容がなるべく大幅に変化しないような配慮も払われてきたが,配置転換の対象に中年層が多く( 第1-47表② ),中高年層では新技術の導入やこれに伴う配置転換への適応能力に問題があるとの指摘もみられ,今後についても中高年層の処遇を問題点に挙げる企業も多い。
また新規学卒の採用については労働省「労働経済動向調査」(57年11月調査)をみると,大卒の男子技術系や女子(製造業)では,新技術開発等への対応が採用増加の理由になっているのに対し,大卒女子(卸小売業)や高卒女子ではOA機器導入による事務作業の合理化が採用を手控える理由として挙げている事業所もみられる。
他方,労働力供給面でみると,近年の大きな特色として,(1)人口構造の中高年齢化が進む中で労働力人口の中高年齢化が進んだこと,(2)女子の労働力供給が増加傾向にあることが挙げられる。
特に女子の労働力人口は,51年以降増加が著しく,なかでも労働力率の上昇が顕著である。女子の労働力率は50年までには,農家世帯の減少に伴って傾向的に低下して来たが,51年以降は雇用者世帯の女子の労働力率が上昇に転じたことから全体としても上昇している。
この背景をみると,20歳代後半から30歳代前半にかけては,平均結婚年齢が高くなってきていること,出生児数が減少したことや保育施設の整備が進んだことにより育児負担が軽減されたこと,過去に比べ家電器具等の普及により家事負担が減少したこと等があるとみられる。また30歳代後半以上の年齢層では育児期間は終了しているため育児負担の軽減の寄与はほとんどないが,これに代って教育費や住宅ローンの負担等が労働力率を高めているとみられる。
また,女性の社会参加意識の高まりも女子の就業意欲を高めている。他方,労働需要面からみても,パートタイム労働者に対する需要が増加しているため,主婦層においても家事と労働とのバランスがとりやすいことが就業を高める大きな要因となっていると考えられる。
ちなみにこうした労働力供給及び需要の双方の要因を用いて雇用者世帯の女子の労働力率を計量的に説明してみると,かなり良好な結果が得られる( 第1-48表 )。
以上,最近の労働力需給の構造変化を概観したが,こうした点を踏えて今回の失業率の上昇の要因をみてみよう。
完全失業者の動向は性年齢別にはかなり動きが異っている( 第1-49図 )。ここでは失業者は雇用者市場で発生し,農林水産業や自営業では発生しないとの仮定のもとに議論を進める(その根拠については 付注1 )。
したがって失業率についても公表統計の完全失業率は失業者を就業者と失業者の合計で除したものであるが,ここでは失業者を雇用者と失業者の合計で除した雇用者失業率でみることとする。
年齢別にみると,後述のように25~54歳層の労働力供給は,労働力需要との関係も最も安定的であり,失業の動向も労働力需給の動向がそのまま反映した形になっている。これに対して他の年齢層では若干異なる動きがみられる。すなわち,(1)若年層では失業率に上方トレンドが観察できるが,若年層の労働力需給はかなり逼迫していることからみて,若年層の失業率の上昇は構造的要因による部分が大きいと考えられる。
(2)高年齢層では24~54歳層より失業率の変動が大きく,また第1次石油危機以降の上方シフトが24~54歳層より大きい。
こうした各年齢層の特質と労働力の年齢構成の変化が相俟って求人・失業の関係に変化を与えている。これをみる前にまず総量でみた労働力の需給関係がどのように変化しているかをみてみよう。
現実の市場においては一方で失業が発生しているにもかかわらず,他方で企業は求人を充足し切れない状態が生じている。完全雇用状態でかつ市場の調整機能が十分機能している場合でも,転職等に伴いある程度の無業状態は生じるが,その多くは労働需要と供給が必ずしも同質的でないためであると考えられる。これには,職種別の需給も影響しているとみられるが,年齢別や性別等に分けてみると,たとえ総量としての需給が一致する場合でも,なお部分的な不均衡が生ずることによるところが大きい。
第1-50図① は,縦軸に雇用失業率(失業者/(雇用者+失業者)),横軸に欠員率(欠員数/(雇用者+欠員数))をとり,時間的経過に伴う軌跡を描いたものである。これは「失業/未充足曲線」または「べヴァリッジ曲線」と呼ばれ,この曲線と45度線の交点では失業者数(労働の超過供給)と未充足求人数(労働の超過需要)とが等しく,労働市場では総量としての需給均衡が成立していると考えられる(曲線の導出方法については 付注1 )。従って曲線の交点は,総量としての需給が均衡している場合に,実際の失業率はどれくらいあるのかを示すものである。したがって45度線の上方では労働力の供給超過,下方では需要超過となる。
この図からわが国の労働市場の需給関係について以下のような特徴が指摘できる。第1には,雇用者失業率と欠員率との間に逆相関関係がみられ,しかも両者の関係がかなり安定的である。第2に,最近の労働力需給の状況は,雇用者失業率と欠員率が等しくなる45度線の左上方の位置にあり,労働供給が超過した状態にあることがわかる。ただ,45度線からの乖離の程度は,高水準の失業が発生していた昭和20年代ほど著しくはない。さらに,第1次石油危機以前の時期のデータを用いて「失業/未充足曲線」を推計してみると,最近の時点は原点に対してこの曲線よりもかなり外側にあることがわかる( 第1-51図① )。過去にも一時的な乖離が生じたことはあるが,比較的短期間のうちに解消されている。しかし最近は数年間にわたり推計線より遠くの距離にとどまっている。一般に原点からの距離が拡大した場合,高い雇用者失業率と高い欠員率が併存し,労働力需給が均衡した場合でもなお比較的高い失業率が生じることになる。これは労働力の性別・年齢別構成の変化や需要構造の変化といった構造的な要因が大きく作用しているとみられる。
推計された「失業/未充足曲線」と45度線の交点における雇用者失業率は労働市場における均衡失業率(雇用者失業率ベース)の目安とみることができよう。また各時点での失業率と欠員率との関係を推計された曲線に沿って平行移動すれば45度線と交わる点で,各期の均衡失業率が計算できる( 第1-50図② )。これによれば最近は均衡失業率が第1次石油危機前の水準よりも上回る状態が続いている。
以上のような均衡失業率は雇用者失業率ベースのものであるが,これを就業者ベース(労働力統計調査報告での完全失業率は就業者ベース)に換算したものが 第1-50図② に示されている。雇用者ベースの均衡失業率は長期にわたってそれほど上方トレンドがないが,就業者失業率ベースでの均衡失業率には上昇トレンドがみられる。このようなベース変更に伴うすう勢の有無の違いは,過去から徐々に雇用者比率(就業者に占める雇用者の割合)が上昇して来たためである。つまり,失業者の発生しやすい雇用の比率が高まったのであるから,失業率も高まろことになる(こうした就業者の構成変化が完全失業率に及ぼした影響は「就業構造の近代化効果」と呼ばれるものである)。
さらに現実の失業率と均衡失業率との乖離は, 第1-50図② によってわかるが,これによれば30年代前半までの失業率高水準期を除いて最も乖離幅が大きくなり循環要因の影響を最も強く受けたと思われるのは,53年7~9月期であったが,今回の失業率の上昇に際してもその乖離幅は53年7~9月期に迫っている。この点からみると今回の完全失業率の上昇は,循環要因の影響も大きく受けたものであることがわかる。
以上みたように,最近の完全失業率の上昇は,循環要因とともに就業構造の近代化あるいは労働市場の需給の構造変化といった要因も作用しているとみられる。
次に,こうした構造的要因がどのような層で強く働いたかについてみてみる。失業-未充足関係を年齢別に描いたものが 第1-52図 であるが,失業率と欠員率の関係は25~54歳の基幹層においてはほぼ安定した「失業-未充足曲線」が描けるようにみられる。しかし,若年層では,原点から遠ざかる傾向がある。これに若年層の労働力率が,進学率上昇の影響がまだ残っていること等から,低下傾向にあった反面,若年層に対する企業の需要は衰えず,この結果,欠員率が高まる傾向にあったことがある。
また,産業構造や職種構成の変化が進展するなかで職場への不適応による自発的離職者が増加していること等によるものとみられる。一方,高年齢層では欠員率はかなり特異な動きをしている。若年層,基幹労働者層では欠員率の動きは全投的な労働力需給の動きに応じたものであるが,高年齢層では欠員率は低水準のまま推移している。これに対し失業率は第1次石油危機後に製造業での離職失業が大幅に増加したことを反映して大幅に上昇している。したがって高年齢層での特異な動きは,需給双方の動きというよりも労働力需要の停滞が続いている中で高年齢者の労働力人口が急速に増加していることによる。
さらに基幹層(25~54歳)について詳しくみると( 第1-51図② ),失業・欠員の関係は全体でみるよりも更に安定した動きをしているものの,この層においても最近原点より遠方にシフトしている点は否めず,たとえ市場で需給が均衡しても従前に比して高い失業率になることがわかる。つまりこのことは基幹層においても構造的要因により労働市場で需給が調整されにくくなってきていることを意味している。また,最近の時点では失業・欠員関係が45度線のかなり左上方に位置しており労働力需給は需要不足となっていることがわかる。
このように最近では基幹層でも需要不足による失業が高まっているが,もし総量としての労働力需給がバランスしたときには,各年齢別の市場でも需給バランスは達成されるのであろうか。この点をみるため,経済の活動水準が拡大して,総量としての労働力需給の均衡が達成された場合における年齢別の需給バランスを試算したのが 第1-53図 である。57年についてみると,まず実績値では基幹年齢層では失業率が欠員率をかなり上回る状況にあるが,若年層では需要超過の状況にある。逆に高年齢層では著しい供給超過になっている。このような年齢層別の供給構造はそのままで,需要だけが総量で需給均衡を達成するように伸びたとしても,基幹年齢層での需給は均衡するものの,若年層では需要超過は一層大きくなり,賃金上昇圧力も高まるが,高年齢層では供給超過が相当程度残ることになる。
この傾向を過去と比較してみると,総量としての均衡時点でなお年齢別には不均衡がみられるという傾向は過去にもみられだが,最近は年齢別の労働力需給のアンバランスが更に強まっているといえる。
以上みたように,最近の完全失業率の上昇の要因は,以下のような構造的要因と循環的要因の合成されたものと考えられる。
(1)就業構造が雇用者中心のものへとシフト(就業構造の近代化)しているため,農林水産業者や自営業者ではほとんど表面化していない失業が雇用者では顕在化するためにおきているということ。
(2)こうした影響をとり除いた雇用者失業率でも上昇しているが,これは労働市場で需給が調整されにくくなってきているため基幹年齢層での均衡失業率が上昇していること,及び高年齢層での需給のアンバランスが従来以上に強まっていること等構造的な側面が強い。
(3)しかし,基幹年齢層においても需要不足による失業がかなり発生しており,今回の失業率の上昇は,構造的にも失業率が上昇してきているうえに,景気調整が長びいたことによる循環的な失業がかなり寄与している。
最後に,日本の失業率が諸外国に比して相対的に低いことの背景をみてみることにする。これにはベビーブームの世代が労働市場に出て来たタイミングが彼我で異っているというような点もあるが,日本の雇用慣行が失業の発生を最小限にくい止める効果をもっているのではないかとみられる。
この点について,日米比較をしたのが 第1-54図 である。これは,景気変動が生じて労働力需要が減少した場合に,その調整がどの程度失業の増加や労働力率の低下といった供給側の調整によって行われるのか,または労働時間の短縮といった企業側の内部的調整によって行われるのかをみたものである。
これをみると,わが国の場合には労働力需要が減少した場合にも,かなり労働時間の短縮による調整が行われており,失業の増加や労働力率の低下による調整はそれほど大きくない。これに対してアメリカでは,労働力需要の減少はただちに失業率の上昇にはね返っている。このような両国間の雇用調整のパターンの違いを説明するものとしてはアメリカでは先任権システムにより,若年,未熟練労働者を中心に,レイオフによる雇用者数の削減が行われるのに対して,わが国では大企業を中心に企業別労働組合及び終身雇用制度が発達しているため,常用雇用者の解雇に対する抵抗が強いことや,解雇による人的資本の喪失を企業が回避する傾向があること,などがあるとみられる。
また,賃金決定の弾力性は,労働市場全体の調整力を高め雇用の維持・確保を容易にしている。
しかし,景気調整が長期化したことに伴って,最近,企業の雇用過剰感が高まっている点には注意を要する。これには,企業収益の側からみると,最近賃金の伸びや雇用人員の伸びが鈍化して来ているにもかかわらず,売上高の伸びがそれ以上のテンポで低下したため,売上高人費件比率が高まっていることも一因となっている。
以上みたように,わが国では労働市場においては賃金決定が弾力的であることに加えて,雇用慣行も失業の発生を最小限に止める効果を有していること等により,労働力需給の緩和下でも諸外国に比べて失業率が相対的に低いレベルに止りえたと考えられる。