昭和57年
年次経済報告
経済効率性を活かす道
昭和57年8月20日
経済企画庁
第II部 政策選択のための構造的基礎条件
第3章 新しい国際分業と産業調整
第2節でみたように,構造変化に対応する能力を弱めた先進工業諸国は,ともすれば,保護主義的傾向を強めるようになった。かつて1980年代に深刻な不況のもとで,各国政府は保護主義的な貿易障壁を設けに経済のブロック化を推進した。そして,これが貿易の自由な流れをゆがめ,国際経済をほとんど崩壊の状態に陥いれた.
第2次大戦後,アメリカを中心とした主要国はこのような1930年代の苦い教訓を踏まえ「経済繁栄の基礎は自由な通商にある」との認識から,世界的な規模で自由円滑な国際貿易の発展を図る貿易ルールとして,「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」を成立させた(1948年)のである。
各国は,このガット体制のもとで,アメリカの強いリーダーシップを背景に関税障壁の削減,貿易の自由化を進めてきた。1960年代には,発展途上国の輸出拡大のためガットルールの一部手直し,特恵関税制度の創説等を実施した。また,ケネディラウンド(1964年~1967年),東京ラウンド(1973年~1979年)等数次にわたる多角的貿易交渉を通じて関税の大幅な引き下げが実施される一方,東京ラウンドでは,補助金,相殺関税等の非関税障壁の軽減撤廃を目指して国際的なルール作りが行われたのである。
第II-3-17図 主要国の関税負担率及び残存輸入制限品目数の推移
以上のような各国の貿易自由化努力により関税水準は,各国ともに極めて低い水準となり,また残存輸入制限品目数も顕著な減少をみせた( 第II-3-17図 )。そして,世界貿易の規模はこの間(1948年~1978年)に7.4倍,年率6.88%という高い伸びを達成したのである。
しかし,このような貿易自由化が進むなかで,一方では1960年代には早くも新たな保護主義と言えるような動きが生じてきた。繊維製品に関する国際貿易ルール(「綿製品の国際貿易に関する短期取極」等(1961~年))が成立したほか,ECは「域内共通農業政策(穀物,肉類,酪農品等に対する可変課徴金制度の創設)」を実施している。
更に,1970年代にはいると,先進諸国はこうした保護主義的な動きを一層強めるようになった。
既にみたように1970年代には関税水準が既に低水準となり,また変動相場制移行もあって関税の効果は相対的に低下していた。このため,貿易障壁としては,むしろ非関税的規制がより重要性を増した。非関税的規制について国連の世界経済調査報告(World Economic Survey 1980年~1981年)で引用された研究をみると,ケネディラウンド実施後の1974年時点で世界貿易全体に対して何らかの非関税的規制が行われている貿易分野の割合は40%であったが,1979年には46%へと強化されてきている( 第II-3-18表 )。更に,この間の規制の強化については次のことが指摘できる。第1に,非製造業は,1974年までに主要な分野では何らかの規制がなされており,ここ5年間の保護貿易の進展は,製造業分野への規制の導入によるものであったことである。第2には,この規制導入がアメリカ,EC等の先進国により行われたことである。
次に,このような1970年代における先進国の保護主義的動きの高まりについて,アメリカ,ECのダンピング調査,エスケープクローズ調査件数の推移をみよう( 第II-3-19図 )。
アメリカでは,保護主義的動きが高まった時期としては,3つの時期が指摘できる。まず,1971年頃にみられた保護主義の高まりは,当時,アメリカでは貿易,収支が83年振りに赤字となる一方,失業率も上昇し,ニクソン大統領がドルと金の交換停止,輸入課徴金の賦課等を内容とする「新経済政策』を発表,更に年末にはスミソニアン合意により(主要国通貨に対する)ドルレートの切下げ,が実施されるといった経済情勢の中でみられた。次に,第一次石油危機後の1975~1977年にかけて再び保護主義的風潮が高まりをみせたが,これは失業率の急上昇,1974年通商法改正に伴うエスケープクローズ等の発動要件緩和を背景としている。その後,一時,保護主義的な動きは国内景気の回復等を背景にやや弱まりつつあるかにみえた。しかし,1979年には,第二次石油危機による貿易収支の悪化,高失業率高物価の併存という状況の中で,3つめの大きな山を迎えた。その後,1979年通商法の改正(相殺関税,アンチダンピング関税の発動要件の厳格化)もあり,件数的には少なくなっているものの,景気後退と失業率の上昇が続くなかで,1982年には相互主義法案が議会に相次いで提出される等の状況が続いている。
一方,ECでは,1970年代前半は件数的にも少なく比較的落ち着いていたが,1970年代後半になると二度に亘る石油危機による経済の停滞,失業率の上昇,物価の上昇を背景に,急速に保護貿易主義的な動きが活発化してきた。このように,アメリカ,ECでは,国内における高水準のインフレと失業というスタグフレーションが進行するなかで,世界貿易の構造変化等に積極的に対応していく力を大幅に低下させたことが,新たな保護主義の動きとしてあらわれてきたのである。
なお,我が国はアンチダンピング関税及びセーフガードについて,アメリカ,ECと異なり,1970年代を通じて実際に調査等が行われた件数はゼロであった。
新保護主義とも呼ぶべき1970年代の保護主義的な動きには,目的面,方法面でどのような特徴が指摘できるのであろうか。OECD資料(1976年)によると,輸入規制が実施されている業種の中では,繊維・同製品,農産品,雑品分野の件数が他の業種と比較して高い。また,各国別にみると,このような業種のほか,アメリカでは輸送機械,ECでは輸送機械,電気機械といった業種での規制件数が比較的高い。なお,前出の国連「世界経済調査報告」で引用された研究によると,1970年代後半には,繊維,衣類,履物といった分野に加え,造船,鉄鋼等の資本集約分野に規制が広がっていることを指摘している。
このことは,当該業種の各国内における状況を勘案すると,保護の目的が近年,むしろ国際競争力が低下したいわゆる衰退産業保護といった色彩を強めてきていることを示唆しているといえよう。
次に,規制の方法についてみてみよう。具体的な規制方法としては,外国からの輸入に対する直接的な数量・価格規制,高関税賦課や監視制度にはじまり輸入の自主規制(VER),市場秩序維持協定(OMA)及び非関税措置(NTM)と呼ばれる国内商品規格や輸入許可手続の強制,数量割当,流通機構問題,輸出補助金,国際的規約を逸脱して運用される場合のダンピング防止税,セーフガード,政府調達,相殺関税など多数の型態がある。
最近では「輸出自主規制」「市場秩序維持協定」などの量的規制が,割当制,許可制,技術的貿易障壁などの伝統的な非関税措置と並んで実施されており,特に貿易摩擦の解決を図るに当ってガットを迂回する傾向があるといわれている。
一方,先進諸国の対応能力の低下は,以上のような貿易面における調整措置に加え,国内の個別産業別措置としても,貿易構造,需要構造の大きな変化の影響を短期的に緩和しようとする消極的な措置がとられるケースがでてきている。
しかし,こうした措置を採ることは,短期的な経済的社会的利益とその長期的コストとの間のトレードオフを悪化させてしまう。即ち,国際競争力の低下,需給構造の変化等の要因で生じる産業調整の流れに反し,これら産業を救済する措置は,それが長期化すれば,労働が最も非効率的に利用される雇用や市場が成り立たない産物の生産を温存することになる。その結果,経済はその生産性を低下させるとともに,インフレ体質が強まることになるのである。さらに,こうした措置により非効率な生産者が海外の供給者と競争することが可能になるが,これは当該国において保護の既得権を作り出す一方,他国においては,保護主義的な反作用を生む可能性が高い。
このような考え方から,OECDは1978年6月閣僚理事会において次のような「積極的産業調整政策(PAP)に関する一般指針」を採択している。
市場メカニズムに委ねるのが積極的調整政策の原則であるが,これとは別に政府の介入が必要と考えられる基準としては,第1に,一時的な措置であるべきであり可能な場合は,予定されたスケジュールに従って漸進的に縮小されるべきこと,第2に,かかる行動は老朽設備を漸次除去し,財務上健全な企業体を再建するための計画と関連づけられるべきであり,かつ,その場合,効率的な生産者に適正な利潤をもたらす水準以上に価格は引上げられてはならないこと,第3に,調整にかかる国民経済的コスト(価格引上げによる消費者にとってのコスト,納税者にとってのコスト)が可能な限り明らかにされること。また,補助を受けた競争者が他の雇用に及ぼす影響について注意深い関心が払われるべきこと,第4に,企業毎に与えられる補助は,管理方法の改善のための誘因が与えられるように構成されるべきで,特に国内的及び国際的競争を十分に確保すること等を満たす必要があるといった点である。