昭和56年
年次経済報告
日本経済の創造的活力を求めて
昭和56年8月14日
経済企画庁
第II部 日本経済の活力,その特徴と課題
第1章 民間部門の活力とその課題
日本経済の労働生産性(GNPベース)は35年~48年間で,年平均8.5%程度の高い伸びを示した。しかもこの伸びは他の先進主要国に比してきわだって高いものであった。第1次石油危機以降は年平均3%程度と鈍化したが,それでも,依然として主要国中最高の伸び率を維持している( 第II-1-1表 )。
生産性は,短期的には景気変動に伴う企業の設備等の稼働率によって左右されるが,中長期的には資本装備率,産業構造の変化によって決定される。前者は景気循環的要因,後者は構造的要因である。しかし,これらとともに重要なものとして,経済主体の行動要因,すなわち企業や労働者が生産性の上昇や技術革新に対して積極的に取り組むかどうかということも大きな影響を及ぼす。
わが国の就業者一人当たりの資本ストック(資本装備率)は35年~48年に年平均10.4%,48年~54年では同じく6.1%の増加となっており,これはこの間の労働生産性の向上にかなり寄与した(前掲 第II-1-1表 )。こうした資本装備率の上昇は,高度成長期における旺盛な設備投資がもたらした成果である。その後設備投資の伸びは第1次石油危機以降経済成長率の屈折を背景に52年度までは鈍化したが,53年度,54年度と再び10%程度の伸びを取り戻し,第2次石油危機後の55年度も5.8%の伸びを示した。また国民総支出に対する割合も(実質ベース),40年代央の20%には及ばないとはいえ,55年度には16.8%を占めるに至った。
これまでの資本装備率の急激な上昇は,主として新しい技術の生産設備への体化によるものであった。わが国の経済成長に対する技術進歩の寄与をみると,製造業の生産は30年から55年までの間に約12.4倍に拡大したが,そのうち約3割が技術革新によるものであったと推定される。もっとも,正確には,技術革新は資本の効率性を高め,その結果として資本節約的効果をもたらす。しかし,そうした事情を含めてもなお資本装備率は高い上昇率を示したのである。
技術革新の流れを回顧すると,まず30年代初期から中期にかけては,外国からの導入技術を基礎に,技術水準を高め,国際競争力をたくわえる過程であった。合成繊維,石油化学,電気機械等の新産業で合成繊維や家庭用電気製品等の新製品が開発された。鉄鋼,自動車,機械工業等の既存産業でも生産工程の一貫連続化,スピード化等の技術革新が進行した。その後30年代後半には,技術革新投資の伸びは鈍化したものの,自動車や石油化学工業等では引き続き旺盛な投資がみられた。さらに40年代に入ると内外市場の拡大と国際競争力強化のためのスケールメリットを追求する大規模プラント投資の増加と,中小企業段階へのそれまでの技術革新の普及・浸透が進んだ。
以上を要約していえば,40年前後までの時期は,外国からの導入技術にもとづく技術革新の時代であったとすれば,それ以降石油危機までの時期は内外市場の拡大と国際競争力の強化のためにスケールメリットを追求する大型技術の時代であり,まだ蓄積された各種の技術の総合化・普及化の時代であったといえる。
石油危機以降になると,まずエネルギー価格の上昇と経済成長率の鈍化は,素材産業を中心として省エネルギー・省石油型の技術革新を進行させる強い契機となった。これを「大量生産型革新」から「効率型革新」への変化といっても良いであろう。鉄鋼業における連続鋳造へのシフト,炉頂圧発電による排熱回収,セメント産業におけるNSPキルンへの転換等はその典型的事例である。これらは単にエネルギー消費原単位の向上を図るだけではなく,同時に生産性の大幅な向上を伴ったものであった。
ただし,そうはいってもこの時期において「効率型革新」だけが進行したのではない。
エネルギー価格の影響を受けることが少なかった自動車,家庭電気に代表される技術・労働集約型の加工型産業においては,品質管理やIC革命の進行を背景に「高度なメカトロニクス型革新」も進行した。
高度なメカトロニクス型の技術革新は,従来のように生産技術を根本的に改変するといった動態的変化とはいいにくい。しかし,既存の生産技術の中にICに代表されるエレクトロニクス技術が幅広く深く浸透し,生産技術そのものの質を大きく変えていくという特徴を有している。ICは50年代に入ってから,技術進歩と量産効果による価格低下が急速に進み,電子計算機のほかに工場の設備機械,事務用機械,家庭電器,自動車等の広範な分野に普及した。
このように機械技術(メカニズム)と電子技術(エレクトロニクス)が結合(メカトロニクス)された結果,従来の機械に記憶や判断を行う知能中枢部(マイクロコンピューター)や環境や条件に反応する感覚機能(センサー)がつけ加えられ,機械の機能の制御がきわめて簡単かつ精緻に行いうるようになったのである。このため生産工程のみならず,家電や自動車等の耐久消費財にいたるまでその需要が及んだ。
メカトロニクスの具体的寄与の典型的事例は,生産工程における産業用ロボットの普及にみられる。産業用ロボットは既に40年代初期において労働力不足を背景にアメリカから導入されたが,急速に普及したのは52年以降であった。そしてそれを主として導入したのが自動車産業,電気機械産業であった( 第II-1-2図 , 第II-1-3表 )。今日では産業用ロボットは,大企業のみならず中小企業にも普及しつつある。産業用ロボットの特徴は,自由度の高い動作機能をもつことにあり,省力効果や品質の安定,歩留り率の上昇,さらに稼働率の向上等が期待できる。また,従来の自動化工程と異なり,機能の自由度が高いため同一のラインでの複数種の生産ができ,モデルチェンジへの対応も容易である。さらに労働者を危険な工程から解放する等のメリットも指摘されている。こうした多くのメリットを背景に,現在わが国には約1万4千台の産業用ロボットがあるといわれており,保有台数では欧米諸国を圧倒している。また生産企業も約130社(日本産業用ロボット工業会調べ)と全世界の半数を超えている。
経済全体としての労働生産性の高い伸びには,単に技術革新→設備投資→資本装備率の上昇といった面のみならず,産業構造の低生産性部門の高比重→高生産性部門の高比重といった構造変化の影響も大きい。わが国経済は高度成長の過程で産業構造を大きく変えた。その最大のものは,第一次産業の比重の低下と第二次産業の比重の上昇である。国民純生産の構成比でみると,第一次産業の比率は昭和30年の20.1%から45年の6.0%へと大幅に低下し,他方,第二次産業は33.3%から41.3%へと拡大した。このような産業構造の変化の中核は,製造業部門の急速な成長,なかでも重化学工業の顕著な伸びであった。製造業に占める重化学工業の比重は純生産額でみて,昭和30年の48.2%から,45年には64.4%へと上昇した。
では,このような産業構造の転換が具体的に生産性の向上にどの程度寄与したであろうか。産業構造変化をそれに対応する就業構造変化の推移から,労働生産性の上昇にどれだけ寄与したかを試算してみると( 第II-1-4図 ),40年代前半を別にすれば,高度成長期における生産性向上のうち約2割が産業構造の変化によってもたらされたことがわかる。ただし,重要なことであるが,49年以降になると,第二次産業の比重が徐々に低下し,第三次産業の比重が上昇したため,産業構造の変化は全体の生産性の伸びをむしろ低下させる方向に働いた。これは第二次産業では,引き続き生産性上昇率が率が高いものの,その比重が低下し,加えて比重の高まった第三次産業の生産性上昇率の低下から産業構造変化による生産性上昇効果を小さくし,結局両者合わせると産業構造の変化によって,全体の生産性の伸びを引き下げることになったからである。しかし,だからといって生産性が上昇しなかったわけではない。製造業でも,第三次産業でも,個々の産業,個々の企業で生産性向上の努力が図られ,それが全体としての生産性を高めてきたのである。
労働生産性は,企業や労働者の行動様式や変化への対応によっても左右される。労働生産性の産業別格差は存在するにしても,生産性を高めようとする努力は,こうした面でも大きかった。
技術革新を取り入れ,労働生産性を向上させる機会は,いずれの国でも基本的には同じようにあるはずである。しかし,たとえばアメリカの場合,マクロ的にみた労働生産性の伸びはわが国に比べてかなり低い。(前掲 第II-1-1表 )なぜそうだったか。この点について,資本装備率の推移をみると,アメリカでは実質民間設備投資の伸びは絶対的には決して低い水準ではなかったものの,雇用の伸びとの関係では十分な設備投資が行われなかったことが,アメリカの労働の資本装備率の伸びを低い水準にとどめ,それが労働生産性の伸びを低いものにしたものと考えられる。(前掲 第II-1-1表 )
このような日米差が生じた理由として,次の諸点が働いたのではないかと考えられる。第1は,経営目標における日米間の長短視野の差である。わが国とアメリカの企業を比較してみると,まず,経営目標については,米国の多くの企業では投資収益率,株価といった短期的な経営効率を重視しているのに対して,わが国の企業は市場占有率,新製品の開発といったやや長期的な企業成長にかかわる目標を重視している( 第II-1-5表 )。第2に,企業内部の意志決定においても同様の差があるとみられる。企業内部での部門間の発言力をみると,両国とも販売部門が強い発言力を有するのは同様であるが,アメリカでは各事業の短期の採算を重視する事業部制のもとで,財務・会計の発言力がかなり強いのに対して,わが国では,企画部門や研究開発部門の発言力が強く,個別事業についても成長性を相対的に重視する傾向がある。第3は,企業活動の拡大における彼我の行動様式の相異である。アメリカでは企業の事業部門の拡大が既存企業の買収・合併を通じて行われることが多いのに対して,わが国の場合には企業組織の内部での技術的蓄積を踏まえた外延化や多角化のケースが多い。
以上を要約すれば,アメリカ企業の競争力低下には多くの場合経営者が短期業績に敏感にならざるをえず,研究開発,新鋭設備の導入,新規市場の開拓など,企業の成長にとっては必須のものであっても短期的採算面で不利な投資をしにくい面があることが影響しているようにみられる。以上の点について一つの参考として日米両国の企業の利益処分の動向をみると,製造業の売上高経常利益率は40~50年代を通じてアメリカの方が高いが,売上高減価償却比率はわが国の方が高い( 第II-1-6表 )。また配当性向についても,減価償却引当金も企業の貯蓄の一形態と考えてこれに税引後利益を加えた額に対する配当の比率を試算してみると,アメリカ企業の方が高い。以上を全体としていえば,アメリカの企業は,減価償却を相対的に小さく抑えて高い利益率を達成し,またその利益を内部留保に回すことが少なく,相対的に多い部分を配当として企業外部に支払ってきたといいうるのではなかろうか。わが国は正にその逆のパターンであり,企業内部への蓄積を重視した行動がとられたのである。さらにこれに加えてわが国の企業は30年代,40年代を通じて低金利政策下で間接金融により多く依存した資金調達を行いえたため,資金面の制約が少なかったこと,及び投資に対する税制面での優遇措置がとられたことなども,その後の日米間の資本装備率格差,ひいては生産性格差の拡大につなかったといえるだろう。
労働者が技術革新の受入れに対して柔軟であったことも生産性の向上の一因となった。
労働者にとっては,生産性の向上を伴う新技術の導入は,従来の職場を失うことになりやすいため,欧米諸国ではとくに抵抗が強く,技術革新投資に対する一つの障害になっている。しかし,技術革新によって生産性向上や市場開拓が進み,企業が成長する場合には雇用機会も増加するから,労働者にとってもメリットがあるはずである。わが国の場合にはまさにこのケースであった。この場合,企業別労働組合,大手企業を中心とした終身雇用制及び年功序列賃金等を特徴とするいわゆる日本型雇用慣行の果たした役割は大きい。わが国の労働慣行は大手企業を中心として終身雇用制を前提として,労働者に対して企業内で種々の業務を経験しつつ身につける業務上の教育・訓練(On the Job Training,OJT)を図っていくというものである。また労働組合も欧米のように職種別労働組合ではなく,企業別組合である。これらの結果,かつての石炭鉱業のように,業種そのものが衰退する場合には企業内部での職場転換による雇用調整は行いえないが,これまでの通常の新技術導入の際には,企業全体としての雇用は増加し,したがって職場転換による雇用調整が可能であり,労働者側としても,それを受け入れる余地が十分あった。その場合これまでの経験や能力が不利にならないように年功序列賃金によって補償されたこともこれを容易にした。また企業別労働組合のもとでは,労働者は,企業の盛衰が自己の利害に直接結びつくため,企業の生産体制の効率化に積極的に協力することとなった。繁栄の可能性も危険の回避も労使双力で分担されたのである。さらにつけ加えるならば,労働者側から生産工程の効率化や品質管理に対する改善の提案が積極的に出されたことも大きかった。これらはQC(Quality Control)サークル活動とか自主管理運動と呼ばれているが,生産工程の効率化に役立ったばかりではなく,労働者の職場モラールの向上等にも寄与し全体として生産性を向上させる基盤となった。