昭和56年

年次経済報告

日本経済の創造的活力を求めて

昭和56年8月14日

経済企画庁


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第I部 第2次石油危機を乗り越える日本経済

第3章 財政金融政策の展開と課題

第4節 石油危機と経済パフォーマンス

70年代の日本経済は2度の石油危機に直面し,これを乗り越えてきた。しかし,その乗り越え方には著しい相違がみられる。第1次石油危機はいわば「険しい山」であった。主要先進国中最も高かった物価上昇が厳しい引締めとそれに続く景気後退をもたらし,拡大した需給ギャップは長くデフレ圧力を残した。日本経済がその後遺症を完全に脱するには5年もの時間を要した。

第2次石油危機も厳しかったが,それを乗り越えた現状でいえば「多少起状の激しい丘」くらいだったといえるのではなかろうか。物価上昇率は先進国中最低であった。景気は「かげり」にとどまり,後退には至らなかった。

こうした著しい相違をもたらしたのは何か。石油危機の規模ではなかった。既にみたように第2次石油危機の影響は第1次をむしろしのぐものである。(第1章第1節参照)「丘」とはいえこれを乗り越えるにはそれだけの対応が必要であった。その一例は「賃金上昇率の安定」であった。第1次石油危機後ではそうではなかった。けれども20%を超える物価上昇のなかで「安定した賃金上昇率」が可能であったとは考えられない。

重要なことは,多くの経済主体の「期待」の変化にあったとみられる。第1次石油危機後の「期待」は「不確実性」であり,その中で経済主体の期待インフレ率は上昇した。しかし「期待は現実の推移によって変わるもの」である。そしてその現実は,経済構造の柔軟さや政策によって変わる。第1次,第2次と二つの大きな変化によって人々の長期的期待の変化に及ぼした影響,それを「学習効果」ということができるなら,それが果たした役割も大きかった。賃金上昇率の決定にも影響を及ぼし,家計の消費行動も「買急ぎ」を自制し,選択的,合理的な消費に徹しているようにみえる。しかし,それは経済構造や政策の影響と無関係ではない。現実に同じように2度の石油危機を経験しながらアメリカの消費者は貯蓄率を史上最低水準に低下させ,消費者ローンを大幅に増加させてまで消費を増やしている。こうしてみると,わが国の場合,最も影響の大きかったのは,石油危機直前の経済状態(初期条件)の差であったとみられる。石油価格上昇に対しての機動的な政策運営は前回にも同様にとられたことであり,今回のパフォーマンスの良さを説明することはできるが,それなら,前回はなぜそうでなかったかを説明できない。

前回と今回の初期条件の差には景気局面の違いなど多くの要素が絡んでいる。一方,こうした景気局面の差やその背景となった経済政策の差等によって,マネーサプライや財政支出などが変化し,これ等がさらに経済状態に与えた影響もあったとみられる。( 第I-3-20図 )。

まず,マネーサプライについてみると,第1次石油危機の2年前にいわゆる「ニクソン・ショック」が起り,360円レートが変更される過程で外為会計を通じて大量の円資金(ハイパワードマネー)が供給された。これに加えて「円切り上げ」によるデフレ効果を事前に相殺するため,46~47年にかけては拡張的な金融政策の運営が行われた。こうしたなかでマネーサプライは急増した。M2+CDの平均残高は46年24.3%増,47年24.7%増とかつてない高い伸びを示した。しかし,景気が過熱し,物価上昇が加速したため48年初から金融引締めに転じさらに石油危機の発生とともに引締めは一段と強化された。こうしたなかで,マネーサプライの増勢は48年16.8%増,49年は11.5%増と急激に鈍化していった。このように第1次石油危機の前後のマネーサプライの振れは大きかった。

これに対して,第2次石油危機前には51年から53年まで金融緩和政策が進められたとはいえ,マネーサプライの伸び率は10~13%の幅で落着いた推移を保っていた。また,54年以降の引締め局面では伸び率が鈍化していたがその低下幅は4~5%ポイントであり,前回の10数パーセントポイントに比べればごく緩やかなものであった。

これに対して,財政支出(ここでは公共事業)はどうであったか。46~47年にかけては金融政策と足並みを合わせた拡張的な財政政策がとられた。すなわち,46~48年には,円切上げデフレ回避のため積極予算が組まれ,公共投資は前年比2~3割の高い伸びとなったあと49年にかけてこれが1割程度にまで低下した。

ところが,52~55年についても財政支出の振幅は大きかった。公共投資の伸びは52年,15.7%増,53年19.4%増と高まった後,54年9,0%増,55年は2.7%増と大きく鈍化した。

このように財政支出については,石油危機の前後の動きにあまり違いはない。他方,マネーサプライは,今回は石油危機の前後とも安定的に推移したが,前回は,石油危機前にかなりの増加を示している。従って,2度の石油危機に関する限り,わが国経済のパフォーマンスの差についてマネーサプライの違いによる影響があったように考えられる。

一つの参考として,この点を簡単な時系列モデル(付注参照)を用いて調べてみよう。第1次石油危機前数年間についてマネーサプライが低目に,逆に第2次石油危機前については高目になっていたと仮定すると,物価とGNPのパフォーマンスは現実とは逆になる。( 第I-3-21図① )。第1次石油危機後には物価が安定するなかで成長率は高度成長から安定成長へ向けてなだらかに減速している。逆に,第2次石油危機後には,典型的なスタグフレーション現象が生じている。

一方,財政支出が安定的に推移したとしてシミュレーションを行った場合,物価については実績値とほとんど乖離が生じないが,GNPについては実績値を下回っており,積極財政による下支え効果を示唆している( 第I-3-21図② )。

以上のことは第1次,第2次の石油危機の影響の差とみられていたもののなかには,経済政策等を反映した初期条件の差に帰することができる部分があることを示唆するものであろう。

第2次石油危機後の政策運営はホームメイド・インフレを防止したことにより,ホームメイド・デフレ(景気後退)をも避けることができた。しかし,「輸入インフレ」とそれに伴う「輸入デフレ」(景気のかげり)は回避できなかった。それらは産油国への実質所得移転そのものによって生じるやむを得ないものであった。省エネ型産業構造への転換,石油生産性の向上,消費者,労働者の賢明な行動といった対応こそが石油危機を克服する真の決め手であるといえよう。


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