昭和55年

年次経済報告

先進国日本の試練と課題

昭和55年8月15日

経済企画庁


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第II部 経済発展への新しい課題

第5章 経済社会変化への対応

第2節 公共部門の効率化と問題解決能力のある社会の形成

経済社会は高い問題解決能力を持っていなければならない。わが国が欧米先進国へのキャッチング・アップを達成し,石油制約にも対応して良好なパフォーマンスを示してきた背景にも,わが国の全体としての問題解決能力が高かったことがある。今後においても,内外両面で難しい問題が増えると予想される。特に,従来は,キャッチング・アップという単一の目標があっただけに解決も容易であったが,今後は国際環境の面でも,国内問題でも多面的視野から解決を要するものが増大しよう。

経済的側面では,民間経済の活力が市場機構を通して,問題を効率的に解決していくことが重要だが,問題が集合的な意思決定を必要とする場合,公共部門の担うべき役割は大きい。先進諸国で政府部門の比重が高まったのには,そうした背景がある。しかし,こうした背景の下でわが国においては財政赤字の問題が発生した。

今後の経済発展と国民生活の安定のためには財政の健全化を図ることが主要課題となっている。財政の健全化と経済全体の効率性の維持のためにも,公共サービスの供給が効率的に行われるような適正規模の政府であることが必要だと思われる。また,大衆社会化の進行に対応して問題解決能力を高めていく必要がある。

1. 公共部門の規模

(規模の国際比較)

石油危機後,民間部門の適応は進んだが,公共部門では,いまだに高度成長期の惰性が残り,効率化が遅れているという批判もある。公共部門は,本来その性格上,効率化だけでは律し切れない役割を担っているとはいえ,経済社会の変化に応じた対応が重要となっている。

一般的にみれば公共部門の規模の拡大は,公共部門の役割の範囲の広がりの反映である。しかし,公共部門の適正規模を,一概にいうことはできない。ただ,わが国の公共部門について,政府関係職員の数や財政規模を欧米諸国と比較してみると,わが国は,これまでのところ,相対的には「小さな政府」であったといえよう。

第II-5-15図 公務員数の国際比較

公務員の数は,国によって,経済構造,公共サービスの水準などでそれぞれ異なる事情があり単純には比べられないものの,昭和51年時点でみると,イギリスでは人口千人当たりで100人を超えており,アメリカ,西ドイツでは80人強であるのに対し,わが国では約45人(就業人口の1割弱)ときわだって少ない。日本は国防関係の人員が少ないというのがその1つの理由であるが,国防関係を除いてみても,イギリスの95人,アメリカ,西ドイツの70人前後に対し,日本は40人強とかなり少ないことに変わりない( 第II-5-15図 )。もっとも国家公務員だけを比較するとわが国は必ずしも少なくないようにみえるが,アメリカ,西ドイツは連邦国家をとっているため,地方政府の役割が大きく,その分連邦政府の公務員数が少なくてすむという事情があるからである。フランスは中央と地方の関係が比較的日本と似ているが,フランスとの比較では相対的にわが国が少ないといえるだろう。

次に,国民経済計算ベースの財政規模を比較しても,財政規模のGNPに対する比率で,わが国は1960年代には20%を下回っており,当時欧米諸国が30%台であったのに比べて非常に小さかったといえる。しかし,この比率は70年代に入ると,欧米諸国でも上昇してきたが,わが国では特に急テンポで上がり,78年度には30.5%に達している( 第II-5-16図① )。

以上のように,60年代には,「小さな政府」であったわが国も,70年代に入って財政面では「大きな政府」に近づく徴候がみられるようになった。

(公共部門拡大の内容)

それでは,こうした財政支出の増大は,どういう理由でもたらされたか。70年代の歳出増加の内容を,資本支出(公共事業費など),消費支出(人件費,物件費など),移転支出(社会保障費など)に分けた上で,それぞれのGNPに対する比率をみると( 第II-5-16図② ),特に移転支出比率の高まりが目立っている。移転支出比率は,49年度頃から急速に高まり,40年代前半には5%程度であったものが,53年度には10%近くに達した。これは,社会保障その他の福祉支出の増大を反映している。政府消費支出の比率は49,50年度に2%ポイントほど高まったが,その後は安定している。一方,資本支出は,52,53年度に景気浮揚対策からその比率を高めたが,その後は低下しているとみてよい。

次に,人員面をみると,公務員数は,41~53年度の間に約80万人増加した。これを中央,地方別にみると,国家公務員は総定員法によって抑制されていたため増加せず( 第II-5-17図① ),また,政府系機関もこれに準じて抑制されたためほとんど増えなかった。特に国家公務員では,国立学校関係等が増加しているものの,その他の一般公務員,五現業部門では減少傾向にある( 第II-5-17図② )。一方,地方公務員については,大きく増加しているが,その大部分は,法令等の基準により定員が定められている教育,警察,消防関係の職員及び国民生活向上と密接な関連のある福祉関係職員が占めており,その他の地方公務員は40年代には増加傾向にあったが,50年以降は横ばいになっている( 第II-5-17図③ )。

以上のように,70年代の公共部門の拡大は,資金面,人員面の双方からみると,福祉施策の充実を中心に国民のニーズにこたえてきたことが大きな要因となって生じたものとみることができる。

2. 公共部門の効率

(公共部門のパフォーマンス)

公共部門のパフォーマンスが良好であるか否かは,公共部門の規模とその果たしている役割との関係で判断しなければならないが,公共部門の成果を判断することは難しい。

公共部門は社会資本の整備や社会保障の充実といった公共財の供給面では,かなりの寄与をしたといってもよいだろう。また,景気・物価の安定や経済の発展,公害の防除といった面でも,わが国は諸外国に比べて良好な成果をあげてきた。しかし,これらについては民間と公共部門がそれぞれどれだけ寄与したか区別することは難しい。

第II-5-18図 現業的な公共部門の労働生産性の伸び

また,そもそも,公共サービスが供給されるに当たっては,効率性のみならず同時に公平性も重要な基準であり,効率の見地のみから成果を判断するのは必ずしも十分でない。

(公共部門の効率性)

しかし,国及び政府関係機関の職員の過半を占める現業的な部門(国鉄,郵政事業,国立病院など)においては,効率性も1つの重要な基準であるといえよう。もっとも,こうした分野が公共部門の1つとなっているのは,その規模が大きいとか,市場機能が十分に活用しえないとかの理由があるほか,効率と同時に公平さも重要であり,民間部門を補完して不採算部門を担当するという性格もあるからである。

このように,公共部門の生産性の測定には制約はあるものの,比較的業務量の把握しやすい現業的な部門について,職員1人当たりの業務処理量を試算してみると,45~47年度平均を100として51~53年度平均は122.8と年率約3.5%の伸びとなっている( 第II-5-18図 )。これに対し,アメリカの公共部門の生産性は,公共部門の範囲や推計方法に若干の相違はあるものの1967~75年度の間に年率約1%の伸びにとどまっており(アメリカ,合同財政運営改善計画),わが国の方が生産性の伸びが高かったとみられる。

他方,民間部門との比較については,数量的な比較は困難であるが,最近の民間部門の経営努力にならい,公共部門も効率化に努める必要があろう。

3. 今後の課題

すでにみたように,70年代に入ってわが国も「大きな政府」に接近する徴候がみられるようになった。これは,福祉施策の充実を中心とした国民のニーズにこたえた結果であった。しかし,一方では,公共部門があまり大きくなりすぎると,民間経済を圧迫し,その活力を損なうおそれもある。さらに財政赤字の問題がある。財政の健全化は現下の重要な課題となっている。財政赤字の現状を改善しなければ,公債の利払いや償還に追われて国民生活の安定と経済の発展のために貢献するという財政の本来の役割を果たすことができなくなるばかりか,将来,経済情勢の推移によっては,インフレを招くおそれもある。そのためにも,公共サービスの供給が国民の間での公平をはかりつつ効率的に行われるような適正規模の政府が望ましいといえよう。このためには,公共部門の効率化を行い,経済社会の変化とともに公共部門が分担する必要が少なくなった分野を合理化しつつ国民のニーズにこたえていく必要がある。

(公共部門のいっそうの効率化)

これまでの公共部門の生産性上昇は,職員の総数を規制しつつ増大する行政需要に対応してきたことによるものである。今後も,安易に人員が増加しないように抑え,経済社会の変化によって生ずる新規の行政需要に対しては,相対的に重要性が低下している分野からの人員の移動によって対処していくことが重要だろう。

(公共部門と民間部門との役割分担の再検討)

公共部門の肥大化を防止するためには,真に公共部門が担当しなければならない分野は何かを絶えず再検討する必要がある。例えば,公社および現業に関しては,54年末の閣議了解においては,国鉄については,当面60年度までの間は,輸送密度2千人未満の鉄道路線(約4,000km)をバス輸送または第三セクター,民間事業者等による鉄道輸送へ転換するという方針が打ち出された。

財政投融資についても,たとえばかつてはある程度のウェイトを持っていた基幹産業への資金供給が,経済の発展とともに徐々に民間部門に委ねられ,住宅や生活環境整備,中小企業振興等にウェイトが移ってきている( 第II-5-19図 )。今後とも公共部門が資金供給をしなければならない分野はどこか等の観点から緊要な施策について資金の重点的配分を行っていく必要があろう。

さらに,行政の全般にわたって,各種の政府規制・介入が,現時点でその意義を失っていないかどうか再検討することも必要であろう。アメリカでは,近年政府規制が物価を押し上げる要因になっているのではないかという観点から規制の見直しが進められている。わが国でも,こうした観点からの再検討が進められるべきである。

また,OECDにおいても,昭和54年9月,加盟国に対し,競争政策の観点から,政府規制及び独占禁止法適用除外の見直しを行うべき旨の勧告が行われている。

4. 問題解決能力のある経済社会の形成

経済の発展に伴い,日本の経済社会はいわば「大衆社会化」した。大衆社会については,いろいろな見方も あるが,わが国の場合,①所得水準の一般的上昇,②所得分配の平等化,③耐久消費財,その他の生活手段の保有率の全般的上昇,④生活様式の均質化,⑤マスコミの発達等による情報入手の迅速化と共通化,等によって進んだと考えてよい。いわば,「一部の人しか持てなかった生活手段や生活様式が,多くの人々に広がった状況」といえるだろう。こうした中で人々の価値観も変わってきている。文部省統計数理研究所「国民性調査」によれば( 第II-5-20図 ),人々の人生観のうち「自分の趣味にあったくらし方をする」という「趣味重視」型は,28年の21%(2位)から53年には39%(1位)に増え,「のんきにくよくよしないでくらす」という「のんき重視」型は,同じく11%(5位)から22%(2位)と増えたが,逆に「清く正しくくらす」という「清廉重視」型は,29%(1位)から11%(4位)に下がった。しかも,詳しくみれば「清廉重視」型の減少も,「のんき重視」型の増大も,世代を問わず40年前後から生じている。とくに「清廉重視」型は50年前後になってさらに減少するに至った。他方,「趣味重視」型は世代によっては変わらず,「趣味重視」型の若者たちの増大によってもたらされた。総じていえば,人々は40年代以降,個人生活を重視し,楽しむ方向へ変わってきているといえよう。

このような変化をはじめ,人々の価値観の変化には,経済社会の問題解決を今までより,いっそう複雑化させることとなった。

第1は,価値観のいわゆる「多元化」に起因するものである。生活水準が上昇し,人々の生活が似通ってくると,①みんなと同じでありたいという気持(いわば「平等化」志向),と他人とは違っているという気持(いわば「個性化」志向),②今の生活を守りたいという気持(いわば「保身性」),と改善したいという気持(いわば「批判性」),などいろいろの欲求がいっそう入り混じってくる。しかも,問題の性格によって,立場によって,さらに時期によって,同じ人でも重視するものが変わる可能性もある。このことは,人々の意見対立を激しくし,問題解決を難しくする。

第2は,以上の一面でもあるがいわゆる「総論」と「各論」の対立に起因するものである。大衆社会化の中で国民全体の問題としては同じ意見であっても,問題が身近なものとなると意見が異なる場合がある。たとえば,「総論」では,かなり多数の人が賛成しているのに,「各論」では反対者が増えるという現象がみられる( 第II-5-21図 )。

今後のわが国は,こうした状況があっても,問題解決能力を維持し,高めていかなければならない。ところでアンケート調査によると,人々の間では公共の利益を最もよく判断するのは「国民自身」や「国民が自分たちの利益を守るため設立した団体」であると考える人が多いが,一方,行政を担う人達の間にも,行政の政策立案に当たって市長のようなリーダーのほか市民運動,世論,各種団体の影響が大きいという声が強い( 第II-5-22図 )。

このことは,問題解決において「国民自身」あるいはその声を代表する「集団」の果たす役割の重要さを反映するものである。行政がその果たすべき役割を効率よく達成していくと同時に,人々が相互に対話し,理解し,信頼しつつ問題を解決していく重要性が一層高まっているといえよう。