昭和55年
年次経済報告
先進国日本の試練と課題
昭和55年8月15日
経済企画庁
第II部 経済発展への新しい課題
第4章 民間活力の活用
わが国の家計部門の高い貯蓄率は,設備投資や社会資本の充実に必要な資金を供給し,ストックの増大,経済の発展に大きな役割を果たしてきた。そして今日も,新しい技術革新,それを体化した設備投資等民間部門の活力を生かしていくとともに社会資本の充実のためにも重要な役割を担っている。
今後も,国際的に比較すれば,わが国の高い貯蓄率は持続するであろう。重要な課題は,国民の貯蓄を効率よく経済発展に活用していくとともに,人々がその貯蓄資産を取得したり運用したりする多様な機会を増大していくことである。
高い貯蓄率は,いろいろな要因が重なり合って生じたものであるが,経済成長の速さが貯蓄率を高めるという好循環もあった。また,老後への支えや,子弟の教育,住宅の購入のため貯蓄をした面もある。しかしいずれにしても,家計部門が,預貯金,有価証券などの金融資産や家,土地などの実物資産を充実しようとして,所得の多くの部分を貯蓄に回したのは事実である。
このような観点から,貯蓄率を金融資産増加に対応する分と実物資産増加に対応する分とに分けてみると( 第II-4-16表 ),後者が全体の約半分を占めている。これは,実物資産の増加のなかでも重要な住宅において,その改善の意欲が強く,所得のかなりの部分がこれに回されたことを示している。
次に,金融資産の増加に対応する部分をさらに,金融資産残高比率(年間可処分所得に対する金融資産残高の比率)を一定に保つために必要となった分と,この比率を引き上げるために必要となった分とにわけてみると,前者の割合が高い。わが国の名目可処分所得は年率11~12%という他の先進諸国に比べてかなり高い伸びを続けてきた。このように所得水準が急速に高まっていく経済の下では,過去のたくわえは現在の所得額に比べて相対的に小さなものになっていく。したがって,家計が不時の出費や緊急時に備えるために,その時々の生活水準に応じた一定の貯蓄残高を維持しようとすれば,そのために年々所得のかなりの部分を貯蓄に回さなければならない。金融資産残高比率一定化のための割合が高いのは,このような背景によるものと考えられる。また,所得に対する金融資産の比率を上げようとする貯蓄努力から残高比率も徐々に高まり,30年代後半には0.7年程度であったものが,50年代前半には平均して1年程度に達している。
それでは,貯蓄率の先行きはどうであろうか。わが国の所得の伸びは国際的にみてもなお高く,住宅投資比率も高いことから,国際的には高い貯蓄率が続くことは間違いないと思われる。しかし,所得の伸びそのものは高度成長期のような高い伸びは今後見込めないとみられる。そうした中で,所得に対する金融資産の比率を一層高めようとする動きや,住宅などの実物資産をこれまで以上のテンポで増やそうとする動きがなければ,貯蓄率は低下に向かう可能性がある。以下では,貯蓄動機の面からみて,金融資産残高比率をさらに高める要因があるかどうか,また,住宅需要の動向はどうかを検討してみよう。
わが国家計の貯蓄目的には,アメリカに比べて,いくつかの相違点がある( 第II-4-17図 )。すなわち,①わが国では,病気や不時の災害の備えが非常に重視されているが,アメリカでは緊急時,病気への備えはそれほどの目的となっていないこと,②老後の生活はわが国でもかなり重視されているが,アメリカではこれが最大の貯蓄目的となっていること,③土地,住宅は日本では重要な貯蓄目的となっているがアメリカではさほど意識されていないこと,④教育のための貯蓄は日米ともかなりのウエイトを占めていること,などの特徴を指摘できる。
このような家計の貯蓄目的の相違がマクロの貯蓄水準にどのような影響を与えるかを考えてみよう。
国民経済全体で考えた場合には,いろいろな目的をもって行われる貯蓄は,一方でそうした目的に役立たせるために貯蓄を取り崩している人もいるわけだから,それ自体が貯蓄率を高めることにはならない。
ただし,「病気や不時の災害の備え」は,将来起こり得るリスクに対するいわば個人的な保険である。したがって,各家計が起こり得る出費に備えれば,そうした事態にあわないですむ家計もあるから,こうした個人では貯蓄を取り崩すことなく一生を終え,全体としては貯蓄率を高めることになる。わが国において,こうした目的で貯蓄している家計が多いことは,アメリカに比して貯蓄率を高めることになる。
また,住宅については,貯蓄を取り崩して家を建てても,それは消費にはならず実物資産の増加となるため,将来の住宅取得のための貯蓄が多いことはマクロの貯蓄率を高める要因となる。したがって,住宅を目的とした貯蓄が多いことは,わが国の貯蓄率をアメリカより高める要因となる。
老後の備えや教育資金については,そのための貯蓄と他の家計が取り崩している貯蓄との差額が,結果的にマクロの貯蓄になる。
この点について日米の状況を比較してみると,まず老齢化については,わが国では65歳以上人口比率がこれまでのところはアメリカに比較してかなり低かったが,その開きは急速に縮まりつつある( 第II-4-18図 )。わが国の家計の貯蓄率を世帯主の年齢階層別にみると,50歳台が最も高く,60歳以上では低下する。もっとも,60歳以上の貯蓄率もそれほど低くはないが,これは,勤労所得のなくなった老人が子供の世帯などに組み込まれることが多いためとみられる。65歳以上層の就業率や平均賃金の低下から考えれば,わが国においても高齢者の貯蓄率はかなり低いとみられる。したがって,わが国がこれまで65歳以上の高齢者の比率が少なく,その手前のいわば高齢者予備軍の高貯蓄率層の増加が,アメリカに比べて貯蓄率を高める要因になっていたものと考えられる。
次に,教育については,高等教育への進学率は,1970~75年の間にアメリカでは46.5%から45.2%へとむしろ低下気味であったのに対し,わが国では24.0%から38.4%へと急上昇した( 第II-4-19図 )。また,わが国においては,子供を大学までやりたいという親の希望が強い。したがって,これまでは,貯蓄率を取り崩して子供を進学させている家庭よりも子供の将来の進学のために貯蓄している家庭が多く,これもマクロの貯蓄率を高める要因となっていたと考えられる。
以上のように,貯蓄目的の日米比較をしてみると,わが国の方が優先順位の高い貯蓄目的は,それ自体がマクロの貯蓄率を高める方向に働き,また,アメリカの方が優先順位が高いか同程度の貯蓄目的は,社会構造の相違がわが国のマクロの貯蓄率を高める方向に働き,その2つの結果として,アメリカに比してはるかに高い貯蓄率が実現したと考えられる。
以上のような要因は,今後も持続するだろうか。
まず,老後の生活のための貯蓄に関しては,老齢化は今後さらに進行し,1990年代にはアメリカ以上の水準になるとみられている。こうした過程で,貯蓄を取り崩す層が増えるだろう。また,社会保障の成熟が,老後のための貯蓄動機を弱めることも考えられる。年金給付水準の平均世帯主収入に対する比率をみると48年以降急速に高まっており( 第II-4-20図 ),こうした制度の充実が私的な貯蓄を補完する効果も少なくないと考えられる。
次に,子供の教育のための貯蓄については,わが国でも高等教育への進学率は50年代に入って頭打ちの気配がみられる(前掲 第II-4-19図 )。また,家庭の平均的な子供の数の減少等を考え合わせると,教育貯蓄が従来のように増加する可能性は低いと思われる。もっとも,50年以降教育関係費の相対価格は上昇に転じており,特に授業料などの教育費の上昇が著しい( 第II-4-21図 )。このような相対価格の上昇は,一方で進学率の上昇を抑制する面と,他方で貯蓄を増やす面との両面あるとみられるが,親の教育熱心さからみて需要の価格弾性値はそう大きくはないだろう。
いずれにしても,老後,子弟の教育という貯蓄動機がマクロの貯蓄率を押し上げる力は従来ほどのものではなくなるかも知れない。
それでは,もう1つの大きな貯蓄動機である住宅資金動機についてはどうであろうか。
住宅建設は,高度成長期から安定成長期への移行に伴って趨勢が最も大きく変化した需要のひとつである。昭和40年代に年率10数%で伸びていた民間住宅投資は,51~54年度には,住宅金融公庫の融資拡大にもかかわらず,年率3%以下の伸びとなった。
これは,世帯増加率の鈍化や社会移動の減少によって新規の住宅需要が減少するとともに,世帯当たり住宅戸数の増加,老朽住宅比率の低下など住宅ストックが充実してきたためである( 第II-4-22図 )。
このように住宅事情の改善が着実に進んでいる中で依然として住宅に対する国民の関心が強い背景には,国民の根強い持家需要があると考えられる。53年現在,全体としての持家率は6割を超えているが,この比率は,地域別,従業上の地位別,所得・年齢階層別に相違がみられる。
まず,地域別にみると,大都市圏とりわけ京浜大都市圏での持家率が低い。京浜大都市圏では持家率が49.8%と全国平均をかなり下回っている。
次に,従業上の地位別にみると,農林水産業では持家率が96.4%とほとんどの人が自分の家を持っており,商業その他の自営業者でも7割を超えているのに対し,雇用者層では54.4%にすぎない。
さらに,所得年齢階層別には,低所得層,若年層ほど持家率が低い。
以上をとりまとめれば,こうした持家率の相違はライフステージに応じた国民の持家取得行動による面が大きく,また,各要因が互いに関連しており持家率の数値を直接比較することには十分な留意が必要であるが,総じてみれば,結局,京浜大都市圏における雇用者は,その5割以上が自分の家を持たず,特に年収300万円以下の層ではその比率は7割に達している,ということになる( 第II-4-23表 )。
国民の持家に対する需要が大きいのは,持家取得による居住水準の向上に対する要望が重要な要因であるが,同時に,資産としての住宅,土地の保有選好が強いことも大きく影響している( 第II-4-24図 )。
国民の貯蓄資産が増えるに伴い,人々の資産運用動機も流動性だけでなく,収益性や安全性などより高次のものに変わってきた。
金融資産の面でも,金融資産残高比率の上昇とともにそうした傾向が強まっている( 第II-4-25図 )。金融資産の形態別構成比をみると,48年以降,現金及び通貨性預金の比率は15%程度にまで低下している一方,定期性預金の比率が高まり,53年には55%程度にまで達している。なかでも郵便貯金,信託は銀行預金と比較して高い伸びを続けている。
しかし,預貯金のなかでの収益性の選択の幅は相対的に狭い。こうした中で,実物資産の保有,特に住宅取得の面では,生活の充実と資産選好の両面が重なって,需要が増大したとみられる。第1次石油危機以前のように住宅建設費や地価が大幅な上昇を続けると,持家を早期に取得したいという要望をより強めることとなる点には十分の注意が必要である。
ところで,持家取得の上での大きなネックは,用地費の高さである。大都市圏について,住宅取得費に占める用地費の比率をみると,次第に上昇しており,53年には50%に達している。地価は49年に初めて下落したあと,最近では三大都市圏を中心に再び上昇傾向を強めている。これには土地需要を反映しているとみられる各種の投資需要が回復していることも原因となっているが,同時に,市街化区域における宅地供給の減少による面も大きい( 第II-4-26図 )。最近の住宅地関連指標の動きをみると,住宅地供給の先行指標となる市街化区域での住宅地用の開発許可面積や区画整理事業認可面積は昭和50,51年を底に増加基調にあるが,市街化区域での農地から住宅地への転用面積は減少を続けている。このため,市街化区域内農地の宅地化や未利用地の宅地化を推進して宅地供給の確保を図るとともに,既成市街地の再開発等を総合的に進めていくことが必要である。
以上述べてきたようにわが国の家計の貯蓄率は,今後低下に向かう可能性があるにしても,国際的にはなお高い水準を維持するものとみられる。この高い貯蓄水準が,今日の経済発展のため,まず効率的に活用されることが重要である。一国の貯蓄投資のバランスを,個人,法人,政府,海外の4部門にわけて日米比較してみると,大きな相違がある( 第II-4-27表 )。アメリカにおいては,個人部門の貯蓄率が低い一方,法人部門の投資比率も高くないため,各部門で貯蓄と投資がおおむねバランスしている。これに対し,わが国では,個人部門では貯蓄率が高いために大幅な貯蓄超過を生じ,これが法人部門での内部留保を上回る旺盛な設備投資を可能にしてきた。
しかし,こうした関係は50年代に入って変化してきている。50~53年の貯蓄投資バランスをみると,安定成長への移行に伴って法人部門の投資比率が大きく低下したから,内部留保比率も小さくなったものの,法人部門での投資超過幅は縮小してきている。一方,個人部門の貯蓄超過幅は縮小せず,この間のギャップは,一般政府部門の投資超過幅拡大によって吸収されるかたちになっている。このような状況から,家計部門の貯蓄率の高さが,経済全体のバランスを損なうのではないかという見方もあるが,家計の貯蓄超過が,経済発展の源泉であり,また,国際経済社会への寄与を可能にするという関係は変わらない。
前回の石油危機後大幅に落ち込んだ企業の設備投資は,既にみたように53年後半から回復し,省エネルギー型へと生産構成を変え,第2次石油危機に対処する上で大きな役割を果たしている。高度成長期のように高い設備投資比率が再現することはないとしても,新しい技術を織り込んだ設備の更新,拡充は安定成長下においても必要である。
また,代替エネルギー開発のための先行投資や居住環境の改善,防災施設の整備など公共部門の投資に期待される分野も多い。
さらに,経済協力の拡充など国際経済社会への貢献を高めていくうえでも,国際収支の不均衡を招くことなくこれを行うためには,国内の貯蓄余剰が必要である。
このように考えてみると,わが国の貯蓄率が国際的にみて高い水準を維持していくとみられることは,経済の活力の源泉として評価すべきであるとともに,それが個人,企業,公共部門により効率的に使われていくように,金融システムの合理的な資源配分機能を強めていくとともに私的貯蓄と公的貯蓄相互のあり方についても検討していく必要がある。