昭和55年
年次経済報告
先進国日本の試練と課題
昭和55年8月15日
経済企画庁
第I部 景気上昇と物価安定への試練
第1章 昭和54~55年の日本経済
石油危機とは,一言でいえば,産油国への巨額な所得移転に伴う経済的動揺である。それは,輸入物価の上昇やその国内波及を通じて,国際収支赤字,物価上昇および景気の鈍化等のインフレ的,デフレ的影響をもたらす。しかし,石油危機のデフレ効果は,前回の場合に比し,今回はかなり違っている。前回の場合,その後景気が下降に転じたのに対し,今回はむしろ景気上昇が続いている。
こうした景気上昇の背景として,次の5点を指摘できる。第1は,石油危機の現象的性格が異なることである。前回の場合は,石油価格上昇が突発的かつ集中的に生じたのに対し今回の場合は小刻みでかつ段階的に行われた。しかも石油需給の面では,前回は短期間に供給不安→需給緩和と変わったが,今回は需給ひっ迫→需給緩和が徐々に進行した。従って,石油価格上昇の影響も,前回に比し時間をかけ現われていった。
第2として,石油消費国は石油価格の長期上昇傾向を持続的なものとして受けとめるようになっていたことがあげられる。前回の場合は,そうした認識が十分でない状態で危機が起こった。今回はそうではない。多くの人に石油危機への認識と対応が広がり,特に企業段階では石油価格の上昇傾向を持続的なものとして受け止め,省エネルギー,省・脱石油への努力が基調的に進行していた。また第1次石油危機及びその後の経験も人々に貴重な教訓を与えた。今回は以上のようないわゆる「学習効果」が働いている。
第3に,石油危機発生時点の景気局面が異なる。前回の48年末には景気は過熱気味であり,物価上昇率は2桁台に達していた。それに比べると,今回の53年末には,景気上昇はまだ若く,物価上昇率は過去20年間位でも最も安定した時期であった。例えば,製造業の需給ギャップは前回は既に2.7%と超縮小気味であったのに対し,今回は14.0%とかなりゆとりある状態であった( 第I-1-4図 )。
第4は景気上昇の「力強さ」である。
それは,設備投資の動向に最もよく現われている。前回は,47年1月に不況を脱して後,景気刺激策がとられたこともあって景気は急上昇した。このため製造業の需給ギャップも急速に縮小し,46年10~12月期の11.4%を最低に48年10~12月期には前述のように2.7%と急速に縮小し,民間設備投資は48年度には前年度比16.4%増(国民経済計算べース,実質)と急拡大した。
その状態で石油危機が生じ,需要は急速に減退したが,一方それまでの設備投資の生産力化は当然のことながら進行し,49年秋頃まで生産能力はかなり増大し,需給ギャップは拡大した。したがって,その後企業の投資意欲は急速に冷却化した。
今回はこれとは違う。民間企業の設備投資は,資本ストック調整の進行,需給ギャップの縮小,企業収益の改善等の短期・中期の循環的要因を背景に高まり,更新投資や能力拡大投資等が拡大している。しかも,需給ギャップの縮小は,企業の設備投資意欲を高める点では前回,今回を問わず当然のことであるが,今回は前回に比し相対的に余裕のあること,生産財産業では能力拡大に慎重さもみられること等,需給ギャップの動向は,設備投資を増やしつつも,投資の伸びを安定化させる状況にある。
さらに省エネルギー投資,合理化・省力化投資,技術革新を体化するための投資等,独立的,構造的要因による投資もみられる。こうした,高度成長期とは異なるとはいえ,第1次石油危機後初めての本格的な設備投資の拡大は,今回の景気上昇を特徴づけるものであり,景気上昇に力強さを加えている。
第5に政府・日本銀行の物価政策が後に述べるように石油危機に伴って生じる影響を緩和し,経済の安定の維持に寄与した。後でみるように(第II部第2章)石油価格上昇の影響を計量経済モデルによって試算すると,その影響は小さくはない。しかし,今回の場合,その影響はこれまでのところ,かなり緩和されてきたと考えられる。
以上のように,第2次石油危機後も景気は上昇を続けた。こうした中での,国内需要項目に及ぼした石油価 格上昇の影響を整理すると,おおむね次の諸点があげられる。
設備投資については,まず第1に,石油制約の持続性を認識した企業の省エネルギー投資,省・脱石油投資の盛行は,投資需要拡大の面に働いた。第2に,国際収支悪化に伴う円安傾向は,海外需要の拡大する中で,輸出の数量的増加をもたらした。このような輸出の増加は,内需の拡大とあいまって,既に稼働率が高水準であった加工型産業の設備投資拡大の要因となった。第3に,金融引締め政策も,特に製造業大企業では総じて内部資金が豊富であったため,計画変更の事態を呼ぶには至っていない。
第4に,現在の設備投資は,かつてのように大工場,大型設備型のものでなく,機械中心のものになっていることが,影響を小さくした。地価,建設資材等に比し資本財価格の上昇率は相対的に低い。
在庫投資の面では,全体としての「慎重な在庫積増し」のほか,「仮需による積増しとその調整」がもたらされた。石油価格上昇の国内物価への波及過程は,相対価格構造が時間の経過につれ変化していく過程である。従って,一定時点では相対的に割安なものへの需要,異時点的には,将来割高になると予想されるものへの需要が生じるのは当然である。在庫投資の面では,これも「輸入インフレに伴う在庫投資変動」といってよいだろう。流通・原材料在庫投資の面では,こうした在庫投資需要は,54年初から54年夏にかけ一部石油関連製品でみられたほか,55年1~3月期には電力や各種資材の値上げを控えて,石油関連製品,化学,パルプ・紙・紙加工品,さらに鉄鋼,非鉄金属,窯業・土石等かなりの生産財関連品目でみられた( 第I-1-5図 )。そして,後者については,55年4月以降その調整過程にある。しかし,この在庫投資変動は,全体としての景気動向の基調を変えるものではなかったと思われる。金融引締め政策の効果に加えて,第1次石油危機におけるいわゆる学習効果により,全体としては慎重な在庫投資行動をとっていたからである。この間,製品在庫は横ばい気味であった。
石油価格上昇の個人消費に対する影響は次第に強まっていった。消費者物価上昇率が次第に高まっていったからである。このため,最近では勤労者家計では実質所得,実質消費ともに減少している( 第I-1-6図 )。
実質消費需要が減少したのは,消費者が石油関連品目及びその国内波及の大きい消費財に対する需要を大きく減らしたことが響いている。たとえば自動車等関係費では顕著にそうである。しかし,全体としての消費は,一時のような堅調さは失われているとはいえ,底固さをまだ維持している。54年前半の消費者物価の安定と54年以降の雇用の改善は消費者心理をかなり安定させたと思われる。第1次石油危機後の家計は消費者物価の高騰と雇用の不安の両方からはさみ打ちされたが,その状況は今回は様変わりとなった。その後消費者物価上昇率の高まりとともに消費者意識は慎重化しているが,最近でも消費性向の上昇,百貨店売上高の好調さにうかがわれるように,前回に比べ,萎縮するまでには至っていない。
住宅投資は,中期的には,住宅ストックの増加,世帯増加率の停滞,社会移動の鈍化,それに地価上昇や宅地供給難等が働いて,あまり伸びない傾向がある。加えて建設資材価格の上昇が進む中で金融引締め局面を迎え,住宅投資にも抑制的な影響を与えた。
石油価格の上昇と円安傾向,さらには一次産品価格の上昇が重なって輸入物価が上昇し,それが国内価格を上昇させた。第2次石油危機後の物価パフォーマンスの特徴として次の諸点があげられる。
第1は,当然のことながら,石油が上がって物価も上がるというパフォーマンスの悪化である。
しかし第2として,今回は前回に比べればパフォーマンスが良好であったことを強調しておかねばならない。今回は前回に比し輸入物価の上昇率が高いのに,国内の卸売物価,消費者物価の上昇率は逆に低かった( 第I-1-7図 )。こうした背景には後述するように,政府,日本銀行の物価対策の効果もあって需給が比較的安定的に推移していたという事情がある。
輸入物価は今回が前回よりはむしろ高いが(ピーク時点の前年同月比上昇率で前回49年5月78.4%,今回55年2月83.5%),卸売物価(同じく前回49年2月37.0%,今回は55年4月で24.0%),消費者物価(前回49年2月26.3%,今回は55年6月で8.4%)の上昇率はかなり低い。もっとも第3として,今回は石油危機の発生から物価がピークアウト(山を越す)するまでには時間がかかっているということもあげておかねばならない。かりに危機の基準時点を前回は48年10月,今回は53年11月とするとピークアウトまでの期間は輸入物価は今回が14か月で前回の7か月を大きく上回り,卸売物価も今回17か月,前回4か月であった。消費者物価は前回4か月で山を越したが,今回はなお警戒すべき状況が続いている。これには,前述のような石油危機の現象的性格の違い,電力料金の引上げが55年4月になって行われ,その間波及の中断があったこと等が影響していると思われる。
第4に加工段階別の卸売物価,いわゆる川上と川下での値上がりの跛行性があげられる。輸入原材料上昇の直接的,間接的影響は,加工段階の低い産業で大きく,高い産業では小さいから輸入価格の変動は後者ほど弱まり,それが加工段階別の物価変動に差をもたらすのは当然である。前回も加工段階別の卸売物価は素原材料の上昇率が最も高く,次いで中間製品,完成品の順であった。今回も上昇率は当然ながらこの順序であったが前回に比べると,素原材料,中間製品,完成品の上昇率の差の開きが大きい。とくに完成品の上昇率は低かった。
こうした違いには,次のような事情が働いているものと思われる。
その1は,今回の物価上昇がホームメード・インフレーションを伴わずに進行し,各段階での値上げがおおむねコスト・アップの範囲内にとどまってきたことである。これには景気が過熱状態になかったことに加え,前回石油危機の「学習効果」による経済主体の冷静な対応が大きかったとみられる。
その2として今回の景気上昇下で川下産業,特に輸出産業では,円安の効果も働いて売上金額が増大したから,この中でコスト上昇が吸収されていったことも大きかった。
その3には,輸入価格の国内波及は時間的ラグをもって川上から川下に進行するが,一方金融引締め政策の効果も徐々に浸透し,後になればなるほど,その効果が働いたからである。現在では川下だけでなく,川上でも転嫁がむずかしくなってきている。
第5に,国際的にみたパフォーマンスの良さがあげられる。主要国でも国によって物価統計の構造,作成方法が異なるが,その点を考慮して,比較可能な面でみると,工業製品ベースでは,わが国は55年2月時点で前年同月比15.1%の上昇でアメリカ(19.3%),イギリス(18.4%),フランス(17.1%),イタリア(24.4%)を下回り,完成品ベースでは同じく5.3%の上昇にとどまっている。
第2次石油危機が進行する中で,国際収支は当初の赤字幅拡大傾向から最近では縮小への兆しをみせ,為替レートも円安傾向から円高へと動いてきた。
国際収支の面では,石油価格上昇が輸入額の大幅増大を通して国際収支を悪化させる面のほか,悪化した国際収支が円安効果を通して輸出を増大させる面にも特に注意する必要がある。また,今回の場合,54年中アメリカの景気がインフレと高金利を伴いつつ拡大したことも考慮に入れる必要がある。
国際収支面は,石油価格の上昇につれ,赤字幅が拡大した。石油価格上昇率(通関べース)そのものは前回48年8月→49年1月の3.8倍に対し今回(53年11月→55年4月)は2.4倍と前回を下回った。しかしその上昇幅は,前回は約8ドル/バーレルであったものが今回は約18ドル/バーレルでむしろ2倍以上になった。従ってその影響は国際収支に大きく響き,もともと黒字縮小傾向を示していた貿易収支は,54年4~6月期には赤字に転じることとなった。また,経常収支の赤字幅は期を迫って拡大した( 第I-1-8図 )。
しかし,石油価格の上昇は,国際収支の悪化を通じて円レートを下げる方向にも働いた。円安は,輸出数量を増加させ,輸入数量を減少させる方向に働いた。また,今回の場合,アメリカ景気が,インフレと高金利を伴いつつ拡大する中で,所得要因,価格要因の両面から対米輸出が増加した。
こうした要因が重なって次第に輸出が増加し,他方輸入の伸びも鈍化してきたことを背景に,55年4,5月には経常収支(季節調整値)の赤字幅は縮小した。また,円レートも4月半ば以降,アメリカの異常な高金利が修正されるにつれて,円高に転じた。ただし,産油国が引き続き値上げ姿勢を維持していくとすれば,わが国国際収支が今後急速に回復していくことは難しいと思われる。現在,石油消費国の多くが国際収支の大幅な赤字に悩んでいる。
前述のように,物価は前回に比べて,あるいは国際的に比較して,良好なパフォーマンスを示してきた。経済全体として言えば,国民所得統計の輸入デフレーターは53年10~12月期に前年同期比17.6%の低下であったものが55年1~3月期には同じく59.2%の上昇になっているのに対し,GNPデフレーターは同じく3.4%の上昇から0.1%の低下に転じた。GNPデフレーターは,生産物1単位当たりの付加価値の変動を示しているが,それが上がらなかったことは,輸入インフレがホームメード・インフレにつながらなかったことを示している。この重要な背景として,次の2点を指摘しておかねばならない。
第1は,財政金融政策を中心とした政府,日本銀行の物価対策の効果である。金利の上昇,マネーサプライの安定化,55年における公共投資の抑制を通じて総需要は管理され,投機的需要は抑制され,インフレ期待的心理も広がらなかった。こうして輸入インフレがホームメード・インフレにつながるのを防止し,国内需要デフレーターが上昇したといっても,輸入物価上昇の範囲にとどまり,経済の安定性が維持されたのである。
第2は,国内家計の所得上昇率,特に賃金上昇率が安定的だったことである。春季賃上げ率は,54年,55年と安定的であった。これは賃金コストの増大を契機とするホームメード・インフレの増大を防止し,輸入インフレの影響を最小限にとどめるとともに,雇用の安定を持続しようとする家計・企業の強い動機が働いたからであった。
こうして,輸入インフレ→物価上昇→賃金上昇→ホームメード・インフレという物価上昇の悪循環が防止されてきている。
しかしこのことは石油価格上昇の国内的影響がなかったことを示すものではない。石油価格上昇による産油国への所得移転は,いわば国際収支を「窓口」としつつ,国内物価への波及が各経済主体への「ツケ」として回ることを通じて生じる。全体として安定しているGNPデフレーターも国内需要項目ごとのデフレーターでみれば,民間住宅投資(53年10~12月期前年同期比2.3%上昇→55年1~3月期同15.5%上昇),政府消費支出(同じく1.1%低下→7.1%上昇),公的固定資本形成(1.5%上昇→7.5%上昇),民間設備投資(1.0%低下→6.3%上昇)と上昇した。しかし,それは,輸入インフレの影響としてはやむを得ないものであった。こうして第2次石油危機に伴う経済的動揺は,最小限に抑えられ,経済の安定性が確保されて,景気上昇が持続した。
どこからどこまでを第2次石油危機というかは難しい。OPEC諸国は55年6月のアルジェ総会において新たな石油価格水準を決定し,価格,供給戦略を強めている。こうした動きを背景とした石油制約の持続性を考えればなおさらそうである。
しかし前述のように,これまでのところ景気局面の相違,景気上昇の力強さ,政府,日本銀行の物価対策の効果,石油制約への認識の深まり,前回からの学習効果等の要因を背景に,物価や景気のパフォーマンスは比較的良好であった。その意味では,ここまでは石油危機の試練を乗り越えてきたといえる。
しかし,試練は終わったわけではない。その理由として次の諸点を指摘する必要がある。
第1は,消費者物価には,卸売物価上昇の波及が続きつつあり,なお警戒すべき段階にあることである。
第2は,国内需要という面では現在,消費需要が第2次石油危機からの最大の影響を受けつつあることである。
第3は,海外諸国,特にアメリカをはじめとする先進諸国で,景気の後退,頭打ち,先行き後退の可能性等が生じつつあることである。
消費需要は,需要項目中最大の比重を持つ。従って,その動向の景気に与える影響は大きい。しかし実質所得減→実質消費停滞の状況が長期化すれば,それは企業の売上げ,利益にもひびいてくる。けれども逆に所得上昇率を高めれば,賃金コスト→ホームメード・インフレのメカニズムが働く。こうした観点から重要なことは,早期に消費者物価の安定を回復し,安定的な所得上昇率の下で消費増加を実現していくことである。
また,石油危機の影響は,わが国に対する直接的なもののほか,世界経済の動向を通じて間接的にももたらされる。アメリカをはじめとする世界経済の停滞化傾向は今後徐々にわが国への影響を強めると思われる。
従って以上のような内外環境を考慮すれば,まず物価安定を確保し,その上に立って景気上昇が本格的に持続しうる条件を作り出すことが重要である。