昭和54年
年次経済報告
すぐれた適応力と新たな出発
昭和54年8月10日
経済企画庁
第2部 活力ある安定した発展をめざして
むすび
53年秋以降,円高から円安に転ずるとともに卸売物価も下落から上昇に転じ,54年に入ると海外一次産品価格,殊に石油価格の値上がりを反映して大幅な上昇傾向にある。
他方,当面の景気情勢は,石油危機以降の成長屈折に対応して企業が行ってきた設備,在庫,雇用などの調整が一応の終局段階に達し,製造業の設備投資もようやく上向きに転ずるなど,自律回復の初期段階にある。この景気回復傾向を進めることは,なお厳しい雇用情勢の改善のためにも必要であるし,製造業の設備投資の増大は,中期的な供給力を確保し,物価の安定を図るためにも必要なことである。そのためには急激な変化によって企業のコンフィデンスが揺がぬような政策運営が求められている。
かくして,今や,インフレを避けつつ景気上昇の持続を図らなければならないという極めて狭い道に立っていることになる。
そこで53年秋以降の物価上昇の性格をみると,まず,物価上昇の一因となった円高から円安への転換は,5月以降みられている円相場の落着きが持続すれば,一時的な効果にとどまるという見方ができる。次に,景気の推移のなかで内生的に物価上昇がもたらされたという面がある。すなわち,在庫調整が終了し,積み増しに転じたための需給改善による物価上昇である。これも,市況上昇につれて供給が増加したり,在庫積増しが一巡すれば自然に収まるべき性格のものである。そして,原油等海外一次産品価格の上昇に伴う国内の物価上昇も,現在までのところ総じて直接,間接に関連する品目に限られており,石油危機後の調整過程を経て企業行動は慎重になっているので,仮需のまん延現象は一般化していない。卸売物価上昇の消費者物価への波及もまだ目立ったものとはなっていない。
しかし,現実に卸売物価上昇は続いており,これが企業や家計のインフレ心理につながるとインフレの自己増殖過程が始まることは,48~49年の経験が示している。そして,インフレが進行すると所得分配面などで問題が生じるだけでなく,インフレ自体がもつ経済成長の押下げ効果とインフレ抑制のためのデフレ政策の効果が重なって,大きな経済的コストを払わなければならなくなることも当時の経験から学んだところである。何としてもインフレ心理の発生は避けなければならない。
ところで,48年の石油危機の際は,すでに景気は過熱状態にあり,二桁インフレが進んでいるところへ石油価格の4倍引上げが行なわれた。従って,何はともあれ物価上昇を抑えこむことが最優先であった。今回の場合は内生的な要因による物価上昇圧力はさほど大きくはないところへ石油の大幅値上げがもたらされた。その意味では今回の方が前回に比べ深刻さは薄いといえるが,景気の回復力を失なうことなく,インフレ心理の発生を抑えるというきめ細かさが求められており,対処ぶりに難しさがある。
48年当時と最近を比較すると,内外の経済拡大テンポが最近の方が緩やかなこと,石油やその他の海外一次産品価格の上昇テンポも緩やかなこと,我が国において需給ギャップ,労働需給などで示される供給余力が総じて大きいこと,マネーサプライの増加率が安定していること,企業や家計の行動が落着いていること,賃上げ率が低いことといった状況がみられ,当時よりインフレになり難い条件が多い。
しかし,当時のインフレは異常であり,これを繰り返してはならないことは当然である。そして,当時と比較して注意すべき点としては今回は大量の国債発行がなされておりマネーサプライ増加の可能性がひそんでいること,生産能力の増加率が極端に低くなっており現在大きい需給ギヤップも将来急速に縮まる可能性があるといったことがあげられる。さらに,石油供給について,今回は数量面でも不安定性が残っているという点も看過し難い。
このような状況の下で必要なことは,原油等海外一次産品価格の上昇を契機としてインフレ心理が発生し,物価上昇が増幅されることを厳に抑制し,製造業の設備投資の増大を軸とする景気の自律回復力は維持するように経済政策を運営していくことである。そのことは,最大限の石油節約措置をとることを前提としてなお必要な石油量が確保されることが必須となるが,市場メカニズムが十分に発揮される条件を整えつつ,マネーサプライの適正な管理,民需と官公需の適切な調整などの需要のコントロールを含む機動的な財政金融政策のポリシーミックスの重要性が高まっているといえよう。その際,石油価格の大幅上昇の影響は,当初物価上昇圧力が強いが,タイムラグをもって購買力の産油国移転によるデフレ効果がもたらされることにも留意する必要がある。