昭和54年
年次経済報告
すぐれた適応力と新たな出発
昭和54年8月10日
経済企画庁
第2部 活力ある安定した発展をめざして
むすび
53年度経済の特徴を大づかみにとらえれば,国内需要主導型成長,殊に年度後半の設備投資を中心にした民間需要の盛り上がり,企業収益の改善,物価の一層の落着き,国際収支の均衡化,遅ればせながらの雇用情勢改善の兆しなど,52年度まではなかなか現われなかった主要な経済バランスに改善の動きがそろってみられ,日本経済は良好なパーフォーマンスを示した。
このような状況は,40年代後半に生じた大きな内外経済環境の変化による日本経済の成長軌道の変容に対して,それへの適応過程が一応53年度をもって終了したことを意味するものと考えられる。
すなわち,それまで日本経済の高度成長を支えていた諸条件は,40年代後半になって,国内的には環境問題の登場,土地,水の制約,労働力不足の進行が目立つようになり,国際的には固定相場制の崩壊,日本経済の規模が大きくなったことによる輸入資源制約の高まりと日本品の世界市場に占めるウェイトの高まりによる輸出依存型成長の困難さなどによって変化し,成長趨勢の鈍化と成長内容の変化を必要とする潜在的条件は既に形成されつつあった。そして,そのような成長屈折を一挙に顕在化させたのは48年末の石油危機であり,それに伴う強烈な総需要抑制策であった。
このような内外経済環境の激変は,高度成長に慣れていた日本経済にとってはきわめて大きな衝撃であり,これへの適応は容易ならざるものと考えられた。(殊に49~50年の需給ギャップ拡大,期待成長率の低下,52年初からの円高などは日本経済にとって未経験のものであり,前途の不確実性を高めた。しかし,政府,企業等の経済主体の厳しい努力と市場メカニズムが有効に作用したことによって,石油危機後5年間という長期間を要したものの,一応の適応体制が整ったとみられるようになったのである。
すなわち,政府は強力な総需要抑制策をとったあとインフレ鎮静化と国際収支改善の動きが現われるや不況克服のための景気刺激策に転じ,特に52~53年度には大幅な財政赤字のもとでも積極的に公共事業を拡大し,それが結局民需に点火するに至った。企業は,コスト削減のために厳しい減量経営に取り組み,減速経済の下でも収益が確保できるようになったとともに,新しい経済環境に対してコンフィデンスをとり戻し,製造業の設備投資も増大し始めるようになった。物価の落着きについては基本的には49年度を中心とする政府の総需要抑制策,その後の適切な需要管理や経済情勢に応じた弾力的な賃金決定によるものであるが,49年以降の輸入物価の安定,52年以降の円高の影響も見逃せない。いったん黒字になって国際的にも関心の的になった国際収支は,内需の拡大,一連の輸入促進策の効果とともに,52年初来の円高がJカーブ効果によって遅れて影響をもたらしたことなどにより,53年度末には赤字にすらなった。
このようにして,53年度には,50年度以降の緩やかな景気回復過程のなかで残されていた物価問題と経常収支の大幅黒字問題も一応解消され,長らく低迷していた景気の自律回復力も動き出すに至った。いわば,かつての成長軌道が切断されたことにより明確な姿では現れなかった民間在庫および設備投資需要を主動因とする本来の意味での景気循環が新しい成長軌道の下で始まろうとしているかにみえる。なお残されている問題としては,やや改善の動きがみられるとはいえ経済の減速過程のなかで顕在化した雇用問題が依然として厳しいことである。また,民間の自律回復力の再興に大きく寄与した財政には大幅赤字という問題が生じ,その収支改善が課題となっている。
このような問題が解決されるまではバランスのとれた新しい成長軌道への移行が完了したとはいえないが大勢としては5~6%成長路線への移行のための調整が終了したといえるであるう。前記のように,日本経済をとりまく諸粂件は40年代前半までの高度成長を支えたものとは異なり厳しい方向に大きく変っている。そのような環境の下で,例えば物価上昇率が高度成長期より高まるという形でなく,適応が進んだということは特筆に値するもので,日本経済の適応力の豊かさを改めて示したものといえよう。そうしたところへ,石油情勢の悪化という問題が新たに登場した。