昭和54年
年次経済報告
すぐれた適応力と新たな出発
昭和54年8月10日
経済企画庁
第2部 活力ある安定した発展をめざして
第2章 日本経済の体質強化
日本経済は石油危機後の量的調整をほぼ終了し,自律的な回復過程に入った。この過程につながる新しい成長軌道が円滑に進むためには,成長という視点から日本経済が逢着している諸問題を解決する技術革新(イノベーション)が必要である。
一般的に,生産効率を高め,生活水準を向上していくためにはイノベーションが重要なことは論をまたない。この場合のイノベーションとは,①新製品の開発,②ハード面での生産方法の革新,③ソフト面での生産組織の変更などを意味する。戦後の日本経済の目覚しい成長に果たしたイノベーションの意義は大きかったし,今後もその役割は引続き重要である。
さらに石油危機後の日本経済にとっては,特有のイノベーションの必要性に迫られている。第1は,資源の有限性の克服である。この問題は次節でとりあげる。第2は,日本の所得水準が急速な円高もあって世界一流の水準になったことである。1人当たり国内総生産は35年にはアメリカの16%にすぎず,45年でも41%にとどまっていたが,53年には90%とほぼアメリカ並みに達した。その結果開発途上国との間の賃金格差は急速に拡大し,また,それら諸国の工業化が進展したため,我が国は産業構造をより一層知識集約型のものに変えていく必要性に迫られている。第3は,高密度社会ということである。そのような高所得で規模の大きい経済が狭い国土で展開している。そこには環境の保全,社会開発の推進などについて日本独自のイノベーションの必要性が生じている。第四は,自主技術の開発である。日本経済は導入技術の応用により発展してきたが,最近は重化学工業品の国際競争力が強くなったことに現われているように,技術のキャッチアップがかなり達成された。今後は自主技術のウエイトを高める必要がある。
もちろん,50年に1度というような画期的な新機軸の出現という点からみれば,現在の世界はそのような新技術の盛り上がりはない。しかし,技術革新については悲観的である必要はなく,既存の技術の応用・組合わせや新しい材料分野等イノベーションのフロンティアは多いといえよう。
以上のようなことを念頭におきつつ,以下では経済,ことに生産の面に現われた技術進歩の状況を,主として石油危機後の時期についてみるとともに,技術開発に係わる問題点を概観してみよう。
戦後の日本経済の成長は目覚しかったが,それを生産でみると( 第II-2-1図 ),30年から53年までの23年間に11倍,年平均11.2%の増加であった。その要因を生産関数で分解すると資本の寄与度が最も大きいが(年平均6.4%),技術進歩も3.3%でかなりの寄与をしている。趨勢的にみると,40年代後半から技術進歩の寄与度はやや低下しているものの,石油危機ごろから鈍化した生産の伸びに対して資本の寄与度は下がり,労働はマイナスになっており,技術進歩の役割は相対的に高まってきたといえよう。
主として石油危機前までの状況を,新製品の登場という視点から技術進歩をふりかえってみると( 第II-2-2図 ),30年代には三種の神器といわれた白黒テレビ,電気洗濯機,電気冷蔵庫を始めとして,タンカー,動力耕運機,ナイロン,ポリエステル,塩ビ樹脂などの増加が目立ち,40年代に入ると,3Cといわれたカラーテレビ,クーラー,乗用車のほか,テープレコーダ,電子計算機などが普及し,ポリエチレンやアクリルなどの合成樹脂や合成繊維もウエイトを高めている。
新生産方法という点でも,鉄鋼における大型高炉,連続鋳造,高速ストリップ・ミル等,合成化学における石炭から石油製品への原料転換,自動車等における電子計算機利用による工程管理など枚挙にいとまのない改善が普及し,効率化と高品質化が進められた。
また,ある産業における技術進歩が他産業の発展をうながし,それがまたこの産業に好影響を与えるという産業間の相互波及がある。例えば,優秀な鋼板や合成樹脂といった新製品の量産は,造船,自動車,電機産業などを支え,逆にこれら機械工業の成長は鉄鋼業や化学工業を発展させた。さらに,新生産方法での技術進歩もこれを体化するための設備投資をうながすという意味で産業間の相互波及があった。
新製品は新しい需要を生み出すという効果をもっている。ことに新技術による価格低下を伴うと応用分野が一段と広がり,一層の価格低下をもたらしつつその産業が発展していく( 第II-2-3図 )。例えば,半導体集積回路がそれであり,マイクロコンピューター内蔵のクーラーや乗用車などに多く使用されつつあるとともに,レジャーの面でもテレビゲームの活況がもたらされている我々の身近で急速な普及をみている電子式卓上計算機も同様の傾向がある。また,石油危機後の厳しい環境のなかで,低価格の合理化効果のある電子計算機,NC工作機械,電子式金銭登録機などの新商品の飛躍的増加は,省力化,合理化を通じて我が国工業製品の輸出の増大や減量経営の進展をもたらした。
このようなことをもたらし得るのは,それなりの研究開発努力を払っているからであると考えられる。相対的に生産の伸びの高い精密機械,電気機械,化学,輸送機械などの諸産業では,付加価値に対する研究費の割合も高い( 第II-2-4図 )。
また,かつては技術進歩はハードの面が中心であったが,所得水準が高まるにつれてソフトの面に重心が移行するという面も現われている。技術導入件数の構成をみると,ファッション産業の隆盛から服装,デザイン関係,あるいは高級化指向の面から雑貨,家具,化粧品などを中心に流通,消費関連でかなり大幅な高まりをみせており,電子計算機関連でもハードウェアよりソフトウェアの構成比が高まってきた( 第II-2-5図 )。
我が国の技術進歩は主として外国技術の導入によって行われてきた。それは我が国が先進国に遅れてキャッチアップを開始したのでやむをえないといえる。石油危機後技術導入件数は民間設備投資の動きと類似して低下しているが,その水準はなお高く,技術に関する外国との間の対価受取額は53年度で対価支払額の22%にすぎない( 第II-2-6図 )。もっとも,この比率は西ドイツの41%(1977年)に対して,イギリスは1倍(1975年),フランスが1.2倍(1976年)という状況から考えると,低いことをもって必ずしも問題視する必要はなく,むしろ技術導入が多いことは導入能力があることを示すものとみられる。しかし,技術格差が縮小すればするほど先端技術の導入は困難になり,その対価の支払料(1件当たり)やクロスライセンスなどの契約条件も厳しくなる。従って,前記のような事情もあわせて,自主技術の開発の重要性が高まっているといえよう。
ところで,日本の技術開発力も徐々ではあるが高まっているとみられる。技術導入対価支払額のGNPに対する比率は40年代後半以降下がっている( 第II-2-7図 )。また,研究費に対する割合は30年代初の5割近くから最近は1割近くにまで下がってきている。そして,自主技術開発の指標ともみられる特許出願件数(外国人を除く)は引続き増加しているが,ことに機械,弱電といった部門の件数が多く,増加テンポも高いことが注目される( 第II-2-8図 )。これは日本産業の知識集約型構造への発展方向を示唆しているようにみえる。
導入技術によるか,自主技術によるかはともかく,日本の技術水準が世界的レベルに達していることは日本の輸出動向をみてもわかることである。その点は企業自らの意識においても先進技術水準並と考えている産業が多い( 第II-2-9図 )。しかし,技術開発力については技術水準より相対的に低いと意識されている(図の45度線より上にある産業はない)。これは,やはり自主技術開発努力は大きくなってきているとはいえ,自力で主要な技術を進めていく力はまだ弱いということを示しているのであろう。
技術を購入したり応用したりすることと独創的な技術を生み出すということは基本的に性格が異なる面があり,一朝一夕に前者から後者に移ることは不可能である。それは国民全体に根をおろした教育研究体制にもかかわる問題であり,その整備が基礎になると考えられる。
さらに,国民所得に占める研究費の割合は2.1%(52年度)とアメリカの2.5%(1977年),西ドイツの2.6%(同)と比べて低い。そして,我が国の研究費に占める政府資金の割合は,国防研究費のウエイトが低く,また租税負担率に差異があり,単純には比較は困難であるがアメリカの50.5%(1977年),西ドイツの48.5%(同)に対して27.4%(52年度)と低い(科学技術白書)。イノベーションは原則としてイノベーターである企業家自らが行うべきものではあるが,大型で長期間を要し,リスクが大きいものや企業活動に直接結びつかない社会開発関係のものについての研究開発は,企業による推進に限界があることも考慮する必要がある。