昭和53年

年次経済報告

構造転換を進めつつある日本経済

昭和53年8月11日

経済企画庁


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むすび

(景気回復の現状と判断)

昭和52年度経済は,50年春からの景気回復の3年目に当たる。経済成長率は5.5%と,アメリカの4.9%(暦年),西ドイツの2.4%(同)など主要先進国に比べても高く,卸売物価の上昇は0.4%,消費者物価は6.7%とかなりの落ち着きをみせた。しかし,他方では完全失業者数は113万人と前年度を7万人上回り,まさに「日本経済が戦後ようやくにして達成した完全雇用からの後退を余儀なくされた年であった」。また,経常収支は140億ドルの黒字を示すなど,内外両面での均衡の回復が大きな課題として浮かび上がった年でもあった。こうした過程で,円レートが期を追って上昇し,ことに,フロートに移行してからの最高値を超えた52年秋には,経済の先行き見通しの不透明さが高まった。

もとより,政府は52年度経済を着実な景気回復軌道に乗せるべく,石油危機後の厳しい財政事情の下においてあえて歳出の3割にも及ぶ公債発行を続け,公共事業中心の大型予算を編成し,その前倒し執行,補正による追加などを行った。日本銀行も数次にわたり公定歩合を引き下げた。しかし,それらの効果は52年中には顕著に現われず,景気の足取りは必ずしも順調ではなかった。その要因としては,第1に,大きな在庫変動の波として石油危機後積み上がった巨額な在庫を調整する局面の中にあった上に,51年から52年前半にかけて積み上がった在庫を調整するという小さな波の局面が重なっていたことにある。第2は,企業や家計といった経済主体が石油危機後の環境変化への適応に追われており,こうしたことが外生需要の変動の効果をときに減殺するような方向に働いたということがある。すなわち,1年前後という短期的視点からみても,石油危機後という中期的な視点でみても,自律的な内生需要拡大の条件に欠けていたものとみられる。第3は,かつてない円の急激かつ大幅な上昇が企業の態度を一時期相当慎重にしたという面がある。

ところで,今年に入ってから景気は次第に明るさを増している。鉱工業生産は52年11月以降増加を続けており,需要面では官公需はもちろんのこと,個人消費も基調的には回復している。このような動きの背景には,官公需の増大に政府が引き続き努めていることの他,上に述べたように,在庫調整が一段落した上に,経済主体も石油危機後の新しい安定成長路線に対応した行動がとれるようになってきたことがある。すなわち,企業は石油危機後の収益力後退に対する対応-いわゆる「減量経営」-が相当程度進み,身軽になって新しい需要増加に対して積極的に行動できるようになりつつある。そこに貸出金利の低下,おだやかな賃金上昇,円高による原燃料安といった企業活動にとっての好条件が登場した。消費者においても,物価の落ち着きとともに,先行き不安の軽減により,消費マインドの改善がみられる。従って,マクロ的にみて石油危機によるトリレンマを比較的早く解決した日本経済になお残っていたミクロ的な後遺症からも,ようやく脱却する条件が整いつつあると考えられ,現在みられる景気の明るさにはかなりの底固さも窺われる。

しかしながら,景気の先行きについて注意を要する点もないわけではない。その第1は,需要動向のうち,特に円高等により輸出の鈍化が予想されることである。また,今春季賃上げ率がおだやかだったことは,それだけでは消費の停滞要因とはならないが,前述の消費マインドの好転の度合,臨時所得の動向,物価上昇率等との関係が今後どのように推移するかについてはなお不透明な面もある。第2は,経済主体が石油危機後の縮こまり態勢から脱却しつつあるとはいえ,それは持続的な回復の条件が地ならしされたということであって,現在みられている政策努力の重要性が減ずるということでは決してない。

従って,政府としては不断に事態の推移を見守りつつ,引続き内需の振興に努める必要がある。その際,物価安定の持続も,消費需要の増大など息の長い着実な景気回復の基礎となるという意味においても重要である。


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