昭和52年
年次経済報告
安定成長への適応を進める日本経済
昭和52年8月9日
経済企画庁
第II部 均衡回復への道
第3章 国際収支黒字の背景と課題
51年度は第1節でみたように為替レートの変動幅が比較的大きかった年であった。そこで,このような為替レートの変動はどのような要因によってもたらされたかをみると同時に,これが各業種に及ぼした影響並びに交易条件に与えた影響についても考察しよう。
為替レートは短期的には相場感や投機などによって変動することはあるが(相場の乱高下が生じる場合には平衡操作が行なわれる),基調をきめるものは,経常取引と資本取引の動向である。したがって,ここでは,経常取引と資本取引について検討する。
経常取引は貿易取引,貿易外取引,移転取引に分けられるが,為替取引の多くを貿易取引が占めていることから,為替需給の基調にかなり大きな影響を与えるのは貿易収支であるといえる。しかし月々,日々の為替レートは資本取引などによって左右されることもある。そこで,まず為替レートと貿易収支との対応について取りあげることとする。貿易取引と為替需給との関係をみると,当月の為替市場においては,当月の輸出がドル供給となるに対し,輸入はユーザンスを3,4か月受けるものが大部分であることから3,4か月前の輸入がドル需要となって現われる。したがって,ここでは輸入ユーザンスを期限一杯使うと仮定すれば為替需給としての貿易収支は当月の輸出から4か月前の輸入を引いたものになる。これでみる貿易収支は,48年,49年,50年前半と黒字幅が縮小してきた後,50年7~9月期を底として,再び拡大,堅調に転じている。この間為替レートは,貿易収支黒字の縮小とともにすう勢的に50年10~12月期まで低下を続けた。その後この貿易収支が黒字拡大基調に転ずるとこれとほぼ見合って,為替レートも上昇に転じ,その後も上昇傾向にあり,両者の間には四半期ごとには若干の不一致がみられるものの同時化傾向がみられる( 第II-3-15図 )。
資本取引には内外金利差を中心とする短期的な経済的要因によって生ずるものと,そうでない取引とに分けられ,前者は非居住者による債券投資,居住者による外貨債発行などであり,後者は本邦資本による直接投資,借款供与,延払信用などである。
まず,非居住者による公社債(短期国債を除く)の取得を内外金利差との関係でみると,これは48年の石油危機以降非居住者による債券取得の規制が緩和されたあとは内外金利差の影響をかなり受けた動きを示すようになり,49年後半から50年前半にかけては規制緩和直後でもあり急速な流入がみられた。しかし50年後半には内外金利差も縮小したことから流入も減少したが51年後半以降は再び流入増となっている。こうした公社債取得の際には償還時または処分時にドルを買いもどす場合は先物市場でドル買い予約をする必要がある。そこで直物市場と先物市場とのドル・レートのかい離率をも考慮に入れてもなお内外金利差がある場合には債券投資は増加することになる。ただこうした内外金利差の要因以外にも日本の場合は石油危機後のインフレ率が急速に鎮静したことが,日本経済に対する償頼度を高め対日債券投資の増加につながったといえる(
第II-3-16図
)。
次に,外貨債発行は50前年半から増加を示し51年前半には特に増加をみたが,この背景には①外貨債発行者利回りが国内での事業債発行者利回りより低かったこと,外貨建債権の為替リスク・ヘッジ,海外での企業の知名度を上げることなどから外債発行の潜在需要が大きかったこと,②石油危機後とられた規制が緩和されたことにより従来からの発行希望が累積していたものが,50年から51年にかけて許可され発行となったこと,などがあげられる。
こうしたことから48年,49年には大幅な赤字であった長期資本収支は,内外金利差,規制緩和等を反映した外貨債発行,対日債券投資の流入から,50年以降51年央まではほぼ均衡化している。その後51年末にかけて再び長期資本収支はマイナスに転じているが,これはプラント及び船舶輸出の増加による延払信用供与・借款供与の増加がみられたためである。52年春になると内外金利差の逆転から対日債券投資の流入は急減した(
第II-3-17図
)。
以上みたように,資本収支が50年から51年中までは,従来の大幅流出から,ほぼ均衡に転じたことが,経常収支の黒字と相まって,51年の為替レートを上昇させる要因となったといえる。
このように変動相場制移行後の為替レートの動きは経常収支,資本収支によって生じた為替需給を反映したものであった。
それではこのような50年度,51年度における為替レートの変動をもたらした為替需給を日本経済の実態との関連でみてみよう。
50年度,51年度の貿易収支の黒字に関しては実体経済が弱い下で先にみたように景気変動要因の影響を強く受けていたことから,貿易黒字が拡大し為替レートの上昇につながったといえる。また,資本収支においても,インフレ心理が根強く残っている状況のもとで,50,51年中の金利水準は海外金利に比べれば割高となっていたため,内外金利差に基づく資本の流入が貿易収支の黒字と相まって為替レートの上昇をより大きいものとした。
以上のように国内の需給ギャップが大きかったこと,内外金利差の解消に時間を要したことなどから為替需給が一段と緩和したといえる。このようにして,為替レートが上昇することは,輸出価格の上昇を招き,現にみられているようにわが国の輸出価格競争力を弱める方向に働いている。
一方輸入価格は為替レートの上昇によって下落したことから,卸売物価の安定にかなり寄与したが,消費者物価についても今後その効果が及ぶことが期待される。
為替レートの変動が各業種に与える影響には2つの側面がある。
第1は輸入原材料価格の変動を通ずる影響であり為替レートが上昇した場合,輸入原材料の価格(円建)は低下することから,輸入原材料投入比率の高い業種ほど原材料におけるコスト軽減の効果は大きいことになる。
第2は,製品の輸出価格(ドル建)に対する影響であり,為替レートが上昇する場合,輸出価格は上昇することから,製品の輸出比率が高い業種ほど,価格競争力の低下による企業収益の不利化の度合いは大きい。
そこで主要業種について,輸入原材料投入比率と製品輸出比率についてみよう。まず,輸入原材料投入比率についてみると,石油,鉄鋼,繊維,非鉄金属,化学などにおいては,他の業種に比べ,相対的にこの比率が高い。これらの業種は48年,49年には石油危機を契機とした一次産品価格の急騰から輸入原材料価格が大幅に上昇したこと,為替レートが低下したことなどから,原材料コストは大幅に上昇し,コスト面での不利化の度合いが大きかった。しかし,50年以降は一次産品価格が安定していることに加え,51年初来為替レートが上昇していることから,原材料投入コスト面では有利化してきている。
次に,各業種の輸出比率について前述の当庁「企業行動調査」でみると,51年度で製品業の平均(16.1%)より相対的に高い業種は,精密機械(40.3%),輸送機械(38.4%),電気機械(21.3%)などであるが,これらの業種においては,49年,50年の為替レートの低下は相対的な価格競争力を強化させたことから,輸出からうける企業収益の改善の度合いは大きかった。しかし,51年央以降の為替レートの急上昇はこれと反対に,輸出価格の上昇につながり価格競争力は相対的に低下してきている。この点を前述の調査によって輸出が円高に耐えられる限界(輸入原材料価格の低下も考慮したうえでの限界利益を確保できるか否かの分岐点となるレート)についての52年1月時点での対象企業の見方によれば,製品業全体では270円台が29%と最も高く,これ以下が33%,これ以上は38%となっている(
第II-3-18図
)。
しかし,この輸出における限界利益の分岐点は,業種によってかなり異なっており,電気・輸送機械では,かなりの円高に耐えられる企業が多い一方,繊維などでは円高によるダメージが大きくなるなど輸出収益の為替レート変動に対する耐久力には業種によってかなりの差がある。
以上では為替レート変動が原材料投入コストと製品価格に与える影響をみてきたが,次に為替レート変動が輸入製品価格に及ぼす影響をみると,為替レートの上昇により,輸出競争力を失うのみならず外国からの輸入製品との国内市場での競争力を失う業種も出てきている。そこで構造不況業種といわれる繊維とアルミニウムについてみよう。繊維・同製品は45年度から51年度にかけて,輸出比率(前述の「企業行動調査」による)が低下する(29.6%から20.8%へ)一方で,輸入比率(通産省「繊維統計年報」の繊維需給表による)は次第に増加してきている(4.3%から14.0%へ)。またアルミニウム(地金)も為替レートの上昇により,主要原材料であるボーキサイトの輸入価格の下落から原材料コストは,生産コストに占める輸入原材料比率とレート上昇率とをかけ合わせた分だけ低下するものの,輸入品価格の下落幅がこれを上回ることから輸入品価格と,国産品価格とのかい離幅は次第に拡大し,輸入品との価格競争力が弱まっている。
以上みたような為替レートの変動は,輸出入価格の変動を通じて交易条件の変化をもたらすが,これが日本経済にどのような影響をもたらしたかを次に考えてみよう。
まず,わが国の交易条件(輸出価格/輸入価格)のこれまでの動きをみると,35年以降生産性の上昇による輸出価格の下落から悪化傾向にあったが,44年頃からやや改善した。しかし,48年秋の石油危機以来一次産品価格の急騰から輸入価格が急上昇したため51年1~3月期にかけて交易条件は大幅に悪化し,その後も輸出価格の下落によって悪化を続け,51年1~3月期までに45年に比べ30%以上交易条件は悪化した(45年=100で51年1~3月期は67.7)。その後輸出価格が持直したのに対し輸入価格が安定していたことから交易条件指数は52年1~3月期には74.7にまで改善している(
第II-3-19図
)。1973年以降日本以外の国の交易条件も同様に悪化したが,日本の悪化幅は西ドイツ,アメリカに比べ大幅なものであった。これはまず第1に資源に対する日本の輸入依存度が高いことによるものである。
石油依存度(石油/エネルギー総供給)をとってみると,西ドイツは55%(73年),アメリカは47%(72年)であるのに対し,日本は78%(73年)と著しく高く(73年,総合エネルギー調査会資料による),かつ石油が輸入全体に占める割合も西ドイツ(16%),アメリカ(26%)に比べ日本(36%)はかなり高い。従って輸入価格の上昇率(1973年7~9月期から77年1~3月期まで)は西ドイツ(34.0%),アメリカ(73.6%)に対し,日本(96.4%)は上昇が著しい。第2に,輸出価格についてみると,日本の輸出構造自体が加工貿易中心であって輸出による生産誘発額が高い産業は石油投入比率が低いことから,輸出価格はエネルギー価格の上昇に比べ相対的に小さかったことに加え,75年から76年にかけて日本は先にみた輸出供給余力が大きいこともあり上昇率は相対的に小さかった。しかし,76年央から77年にけて円レートの上昇から輸出価格は上昇しつつある。
自動車の例をみると,ドル建ドル決済であるアメリカ向け輸出価格は76年4月に平均2%程度引き上げられたあと,7月にもさらに平均4%の引上げがなされている。
以上のように,日本の交易条件は約3割悪化した後も緩やかな改善にとどまっている(48年10~12月期から52年1~3月期まで日本は交易条件が25%悪化)。こうした交易条件の悪化による経常収支の悪化は先にみたように輸出数量の増加によって賄われた。このため,この期間における実質国民総生産は10.8%増加したのに対し,実質国内最終需要(個人消費,政府消費,総固定資本形成の合計)の伸びは3.7%にとどまっている。つまり,48年以来の交易条件の悪化は石油価格が一挙に4倍も引き上げられたことによって生じ,値上げ後は同じ量の石油を買うのに値上げ以前の4倍も多くの対価を支払わなければならない。すなわち,わが国は国民がその生産活動によって産み出した実質所得(資源)の中からそれだけ多くの支払いをしなければならなくなったのであり,交易条件悪化以前と比べ国内の支出増加に当てうる資源量は圧縮されざるをえなかったということなのである。
しかし,そうであるからといって,交易条件を自由に変えることはできない。というのは,輸出入価格とも世界市場での競争によって決まる面が大きいからである。世界市場での価格がドル建で一定であれば,交易条件は為替レートが変化しても変らないからである。しかし,わが国の商品が価格以外の面での競争力(品質,デリバリー,アフターサービス,輸出信用条件等)ですぐれていれば,為替レートの上昇に応じてドル価格を引上げることが可能になるので,交易条件が改善されることになる。また,輸入価格はドル建で一定,輸出価格は円建で一定というような場合には契約条件の変更が行われないかぎり,為替レートの上昇によって交易条件は改善することになる。いま日本と西ドイツ(日本経済調査協議会調べ)について輸出入に占める自国建比率を比較すると輸出は各々約20%,約80%,輸入は各々1~3%,約60%であるから輸出入価格とも契約条件が一定とすれば,自国の為替レートが変動する時,日本は西ドイツに比べて自国建の輸出入価格とも変動幅は大きくなる。
為替レートが上昇するとき輸入価格の下落を活かし,同時にドル建の輸出価格を引上げることができれば交易条件は改善することになる。