昭和52年
年次経済報告
安定成長への適応を進める日本経済
昭和52年8月9日
経済企画庁
第II部 均衡回復への道
第2章 減速経済下の高貯蓄
以上で貯蓄率が高成長下での所得増加とともに傾向的に上昇し,減速経済下においてもなお,大きな変化が生じていないことの要因を解明したが,次に貯蓄率の水準を決める要因は何かという問題に関して高貯蓄率が消費者家計の支出計画においてどのような消費者選択に対応しているかという点をみることとしよう。
さて,消費が現在財に対する選択であるのに対し,貯蓄は将来財の選択である。したがって,消費者選択という観点から貯蓄を考えるに当たっては,
①現在財の消費水準
②将来財に対する消費者の評価
③将来財の現在財に対する相対価格
という3つの点を検討する必要がある。
第1に,現在財の消費水準について,国際比較によってみてみよう。現在財の消費を私的消費と社会的消費にわけ,まず私的消費からみれば,私的消費(個人によって購入され個人的に消費されるもの)は,30年代から40年代にかけての家計所得の増大とともに,その充足度も高まり,現在では衣,食,住のうち住生活を除けば,私的消費水準は国際的にみて遜色がないかあるいは項目によっては先んじているものさえあるという状況にある。特に,食生活の充実は目ざましく,栄養水準でみるかぎりかなり高い水準に達しており,エンゲル係数(飲食費/消費支出)も51年には約30%と,欧米水準に近づいた。また,衣生活においても繊維の消費量でみて先進国並みになっている( 第II-2-4図 , 第II-2-5図 )。
一方,家計ストックの面においても,耐久消費財に関しては,日本は国際的にみて最も普及率の高い国のグループに属している( 第II-2-6図 )。
このように,衣,食,耐久消費財消費などの生活の向上により,私的消費水準はかなり充足されており,実質所得の伸びが落ちたからといって消費性向を意識的に高めてまで水準を上げなければならない状態ではない。これに対し,いわゆる社会的消費(社会的な手段で主として供給され集団的に消費する性格の強いもの)の面では立ち遅れが目立っている。わが国は,生活環境施設として必要性の高い下水道,廃棄物処理施設,都市公園,道路などの分野においても国際的にみて低水準にある。一般論として社会的消費はその性質上消費者家計の支出計画において選択の対象となりうるものではない。すなわち消費水準が低いからといって消費者が支出を増やして私的にその水準の向上を図れるという性格のものではない。したがって,その水準の低さが消費性向を高めるということにはならない。( 第II-2-7A表 , 第II-2-7B表 )
次に,第2の点に関して消費者が具体的に何を将来財と考えているかは,貯蓄増強中央委員会「貯蓄に関する世論調査」の回答項目によって何を目的に貯蓄をしているのかといった点をみればよい。そこで次にこの調査結果から消費者が何を将来財と考え,そしてそれぞれの将来財について消費者がどのような評価を与えているかという点について検討してみよう。
51年同調査(3項目選択による重複回答)において各世帯が貯蓄の目的としてあげている主要なものは,「病気や不時の災害の備えとして」(82.2%),「子供の教育費や結婚資金に当てるため」(53.9%),「老後の生活のため」(41.8%),「土地家屋の買入れや家屋の新増改築修理のため」,(30.1%),「旅行など余暇を楽しむため」(9.3%)などである。このうち「病気や不時の災害に備え」は将来財ではなく,将来のリスクに対する保険であるが,その他の項目はすべて将来財である。もっとも各項目のすべてがあらゆる消費者にとって将来財であるとはいえないのは当然である。子供のない夫婦にとっては子供の進学のために貯蓄する必要はないし,住宅を新築したばかりの家計にとっては住宅取得はもはや将来財ではない。従って,同調査の項目別の回答比率はわが国の平均的な家計が各項目をどの程度に将来財とみなしているか,及びどれだけ重視しているかという点を示すものと考えられる。まず,このような貯蓄目的が最近の10年間でどのように変化したかをみてみると,病気や不時の災害,老後の生活,旅行など余暇等の目的が増加しているなかで,住宅や子供の教育,結婚のための貯蓄は高水準で推移している( 第II-2-8図 )。
また,40年から45年にかけて,耐久消費財などのまとまった金額のものを買うための貯蓄目的の増加をみたが,これは最近低下してきており,代って旅行などの貯蓄目的が増加するなど,将来財の内容も変化がみられる。これは,耐久消費財など従来は将来財とされていたものが,所得の上昇や消費者信用の発達により現在財化したことから生じる変化を反映したものである。
そこで,次にこれらの貯蓄目的についてその背景をやや詳しくみてみよう。第1に住宅と貯蓄率との関係をみると,住宅建設の3年以内に計画のある世帯はそうでない世帯に比べ9.3%も貯蓄率が高くなっている( 第II-2-9図(1) )。
日本の住宅戸数は43年に普通世帯数を上回り,さらに48年にはいずれの都道府県においても普通世帯数を上回るなど地域的にも絶対数は充足されるに至った。それにも拘わらず,依然としてこのように住宅需要が根強いのは,借家,アパートなどの居住者にあっては持家志向が強く,この面からの量的な住宅需要が大きいことに加えて,住宅を既に所有している世帯においても,過密過小,老朽住宅が多いことから,質的向上をはかる住宅需要が増加してきているからである。この点は,住宅金融公庫の調査において,住宅需要の動機として,住宅の狭いこと,老朽化したことをあげるものが急速に高まっている(43年度41.9%から50年度66.8%へ)ことにも示されている。
このような,量的質的両面からの住宅需要の根強さが住宅目的の貯蓄の背景にある。
第2に,老後の生活を目的とした貯蓄についてみると,これは年齢が高くなる程増加する傾向にある。年齢別にみて,高齢者の貯蓄率は高いがこれは,①退職後における老後生活が極めて近い将来の問題となり切実化してくること,②年金制度への加入期間が短いため,現在の老齢年金受給者の相当部分が受けている年金の水準がかならずしも充分といえないこと,③親に対する扶養義務感が若い世代で薄れつつあること,④平均余命が延びていることに加え,病気や不時の出費に備える必要があることなどから高齢者の貯蓄動機は極めて強いといえる。その一方で,高齢者にあっては貯蓄する能力も高まってくる。これは,①既に子供の教育も峠を越していること,②住宅ローン返済の負担も軽くなるのに対し,③年功序列賃金の下で比較的高収入が得られることや,55歳以上の年代に至れば,退職金等の一時金をもらう年代に達している人がふえることなどのためである。このように貯蓄動機の強いことと,貯蓄能力の向上とが相まって高齢者の高い貯蓄率が形成されている。
第3に,教育費と貯蓄の関係があげられる。中卒者の大多数が高校へ進学するようになり(進学率は35年の57.7%から51年には92。6%へ)大学・短大進学率も上昇しており,(進学率波35年の10.3%から51年の38.6%へ)このこともあって子供がより高い教育を受けるのに必要な経費を貯蓄することが必要になっている。
貯蓄すなわち将来財への支出を増加させようとする動機のもう一つの要因は,将来財の価格の高騰(現在財との相対価格比の上昇)を見込んでいることがあげられる。
将来財の価格高騰見込みは二通りの経路で貯蓄の増加につながる。第1には,これまで蓄積された貯蓄ストックが減価するので,この目減りを補てんする必要があること,第2には将来に向けて貯蓄の目標水準を上げなければ,社会一般の生活水準の上昇が続くなかで期待するような生活水準を将来実現できないことである。
そこで,将来財の予想価格がどのように変化したかをまず①住宅についてみると,住宅価格は48年以降49年にかけて急騰し,47年から48年にかけては土地価格の値上がりも著しかった。前述の貯蓄調査によれば,住宅価格が高水準となった49年には,「5年以内に自家取得計画を持つ世帯」が減少したものの,50年以降は再び,この世帯は増加してきている。住宅価格の高騰により,将来における住宅購入をあきらめたのではなく,住宅価格の上昇分だけ目標額を引き上げたのである( 第II-2-9図(2) )。
次に,②老後生活についてみると,同調査における「老後の生活のため」に貯蓄するという理由をあげる世帯数は49年から急増しており,60歳以上の実際の貯蓄率も上昇してきている。これは平均余命が延びていることに加え,最近の物価の水準が高いことから,老後の生活コストが上昇しているため貯蓄を増やしていることを反映しているものであろう。
③教育費に関しても,45年から50年にかけての年度平均の伸び率を消費者物価でみると「教育」関係費目が18.4%増と,消費者物価総合の伸び(12.4%増)を上回って増加してきている。
以上にみたように,諸々の将来財の現在財に対する相対価格が高いこと及びそれが高騰する見込みが強いことが家計の高貯蓄率持続の要因となっている。