昭和52年
年次経済報告
安定成長への適応を進める日本経済
昭和52年8月9日
経済企画庁
第II部 均衡回復への道
第1章 盛り上がりを欠く民間設備投資
現在の民間設備投資の盛り上がり欠如とくに基礎資材産業を中心にした製造業大企業の設備投資の沈滞は,単に戦後最大の不況及びその後の回復過程下における大幅な需給ギャップの存在という短期的な要因だけでなく,高度成長から安定成長への移行期における構造的な需給の不適合及び高度成長を可能とした諸要因の変貌という中・長期的な要因にもよっている。
昭和30年代から40年代前半にかけての高度成長のエンジンとなったものは,技術革新投資を中心とする旺盛な民間設備投資であった。技術革新の主要な特徴は(1)新製品の開発と(2)製造コストの低下という2点にあった。(1)新製品として登場したものとしては,第二次大戦中から戦後にかけて陸続として開発,実用化されたエレクトロニクスや,高分子化学等の製品とならんですでに1920年代には実用化されていたもののわが国の所得水準が低く市場規模が狭小であったため導入されなかった幾多の製品や製造技術(家電製品や乗用車,ストリップ・ミルやトランスファー・マシン等)があった。そして戦後の高度成長へのスパートがまさに始まろうとする昭和30年前後の時期においてこの両者が同時に導入されたことにより技術革新のわが国経済に対するインパクトは一層強烈なものになった。また,新製品投資はその性質上既存能力が存在しない場合が多いことから需給ギャップという問題は発生しなかった。
(2)技術革新のもう一つの特徴であるコスト・ダウンは主としてスケール・メリットの追求というかたちで行われた。高度成長の結果わが国の経済規模(国内市場の大きさ)は,今でこそ自由世界第二位の巨大さに達しているが,ここまで到達するまでの過程では常に国内市場規模の狭隘性が問題になった。粗鋼の生産量をみると現在(51年)では年間1億740万トンと1億トンを超えているが,昭和35年には2,214万トン,昭和30年にはわずか941万トンであったし,乗用車の生産台数も昭和50年の457万台に対して昭和35年,30年はそれぞれ16万5千台,2万台という状態であった。国内市場規模の狭隘性の結果,初期のころは最適規模以下の水準での設備投資が行われた。このため常により大規模な投資による新規参入の可能性を残していた反面,最適規模以下の投資ではあったが,その当時の市場規模との関係では将来を見越しての過大な投資であることが多かった。この結果過剰能力が生まれ,供給過剰の圧力から競争が激化し,価格が低下した。この価格低下は一部はコスト・ダウンの結果であるが,また一部は供給過剰の結果であった。こうして再びコストを一層引き下げるようなより大型の投資を必要とするという過程の繰返しであった。この場合は過剰能力が設備投資に対して抑制としてではなく,むしろ設備投資を誘発するように働いたのであった( 第II-1-3図 )。
高度成長時代の設備投資のいま一つの特徴は,投資が投資を呼ぶというメカニズムが働いたという点である。昭和30年代初期から40年前後にかけての時期においてはいずれの産業も生産能力は小さかった。したがって一産業の設備拡大は他産業の設備拡大の誘因となるとともに,他産業の設備拡大なしには実現しなかった。例えば,石油化学や自動車工業の設備拡張は鉄鋼業の能力拡大を必要としたし,製造工業の能力拡大は発電能力の増強が必要であった。電力業の拡大はまた電気機械産業の能力増加を誘発した。このように投資が投資を呼ぶ連鎖的な拡大が設備投資の強成長をもたらしたのであった。
このような技術革新投資はすでに海外で実用化に成功したものを導入して行われたのが一般的であり,導入技術はテスト済みのものであったことから,新しい開発に伴うリスクは小さなものであった。
高度成長時代を特色づけるもう一つの点は,将来の成長への確信が広く行きわたっていたことであった。戦後策定された経済計画の成長目標は昭和30年末に策定された経済自立5か年計画から昭和42年始めに策定された経済社会発展計画まですべて超過達成された。しかも達成された成長率は年平均10%程度のきわめて高いものであった。また,成長の過程で景気変動は免れることはできなかったが,後退期は短く,谷は浅かったのに対して上昇期は長く山は高かった。この2つの事実は設備投資をめぐる企業リスクを小さいものとし,他人資本に依存して能力を拡大することについての企業家の不安を小さいものとした。
高度成長時代においても景気後退期には民間設備投資は減少したものの,その期間は短かく,景気回復期には大きく盛り上がり景気回復の主導役を勤めた。これに対して今回の景気回復局面においては景気回復の2年目である昭和51年度においても目立った動意がみられず,高度成長時代とは全く様変わりの状態となっている。以下ではなぜこのような状態が生じているのか,高度成長時代に盛り上がりをみせた要因との比較においてみることにしよう。
過剰流動性と日本列島改造ブームを背景に47年下半期来わが国経済は名目でもまた実質でもかなりの拡大をみた。こうした状況下,依然として高度成長の持続を前提としたかなり高目の需要見通しが行われた。昭和48年度を初年度とする経済社会基本計画は昭和52年度までの5年平均実質経済成長率を9.4%と見込んでいたし,これに基づいた鉄鋼,化学等基礎資材の需要見通しもかなり大きなものであった( 第II-1-4図 )。
鉄鋼,化学は他の業種と比べて46年不況後の回復が遅れ,48年頃になってようやく回復に向かっており,こうした需給の回復の遅れと過剰流動性等による異常な物価高の下での仮需の発生による供給力不足感の高まりとが時期的に重なったことからより過大な需要見通しが行われたのであった。そしてこのような強気の需要見通しの下に全体としてかなり高水準の設備投資計画が立てられた。ところが48年秋の石油危機を契機にわが国経済は戦後最大の不況に落ち込み,49年度の実質経済成長率はマイナス0.3%と戦後初のマイナス成長となった。需要は急速に減少した。もちろん設備投資も減少した。過大な設備投資計画の一部は削減された。しかしながら実際にはかなりの部分が実行に移されており,このため設備投資は減少に転じたものの投資水準自体はかなり高いものであった。過大な設備投資計画が実行に移された理由はいったん着工したものをそのまま放置するわけにはいかないという事情のほかに,投資財価格の上昇を予想して早目に設備投資を行えばコスト面で有利だと判断されたからであった。49年に入ると,需要としてのフローの設備投資は減少に転じたが,投資効果の二面性( 第II-1-5図 )すなわち,設備投資は一方において需要創出効果をもつとともに他方において供給能力増加効果をもつことからマイナス成長下においても設備ストックは増加を続け供給能力は期を追って増加した。このため製造業でみると景気の谷である50年1~3月期に需給ギャップは40年不況時を上回る大幅なものとなっていた。景気は50年春以降回復に向かったが,需要の増加テンポが鈍いものであったため大幅な需給ギャップは目立って縮小しなかった。
大幅な需給ギャップの存在に加えて,構造的な需給の不適合がある。構造的であるという意味は需要構造の変化に見合って供給力構造が十分対応しきれていないということである。すなわち,需要の側についてみると,まず第1にわが国経済が設備投資に主導された高度成長から個人消費,財政支出等の主導による成長へと変化していく過程での需要構造の変化が設備投資に依存する度合いの大きい産業の需要の減少を引き起こしているということである。さらに,これに加えて第2に原油価格の大幅な上昇がエネルギー依存度の高い産業の需要を構造的に変化させたことである。すなわち,原油価格の大幅な上昇はエネルギー依存度の高い産業のコスト構造を変化させ,この変化に対応した相対価格の変化を引き起こしたため,代替進行の中断や輸出競争力の低下等を通してエネルギー依存度の高い産業の需要を減少させている。このような構造的な需要の変化は従来高度成長を支えてきたエネルギー依存度の高い鉄鋼や化学,非鉄金属の装置型の基礎資材産業に最も大きくあらわれている。一方,供給の側をみると,供給力構造は徐々に変化してはいるものの短期間には完全には変化しえず,依然として供給力構造は高度成長型の色彩を残している。この結果,供給力構造(産業構造)と現在の需要構造との間には不適合の状況がみられる。
いま,このような構造的な需給の不適合状態をみるために,石油危機以前の成長すう勢が今なお継続しているという仮定の下で製造工業の主要業種に対する需要の伸びを試算し(想定需要),各業種別の生産能力及び現実の生産の伸び(いずれも48年に対する51年度の伸び)と比較してみると,想定需要と生産能力との対比においては全体としての需要不足がみられないことは当然として,業種別にも需要不足はほとんどみられない。逆に,基礎資材産業等では想定需要が生産能力を上回っている。また,想定需要と現実の生産(現実の需要)との対比においては鉄鋼,化学,非鉄金属,一般機械などでは両者のギャップが非常に大きく,電気機械や輸送機械などでは両者のギャップが存在しない( 第II-1-6図 )。
このように現在における大幅な需給ギャップは単に総需要が総供給能力を下回っているという状態にとどまらず,供給能力の産業別構成が需要の産業別構成とずれているという構造的な需給の不適合を内包しているのである。このため深刻な不況業種が存在する一方で好況を謳歌する業種もみられるのである。
技術革新投資がいっせいに開花し,次々により大型の投資が行われていた時代にあっては過剰能力も新規投資の妨げとはならなかった。これは明るい需要見通しがあるという状況の下で,より大型の投資を行うことで製品コストを引き下げることが可能であったからである。しかしながら,現在の技術水準を前提とすると,装置産業を中心に広範に最小最適規模(これ以上規模を拡大しても製造コストが5%以上下がらないような規模)が達成されており,あるいはこれを超えているものもある。エチレン・クラッカーの場合,30万トン/年規模までの費用の減り方にくらべ,30万トン/年規模以上での費用の減り方は緩やかなものとなっている。鉄鋼の場合も高炉1基当たりの炉内容量が5,000立方メートル以上になると費用の減少はほとんどみられない。アルミニウム精錬業の場合も年産5万トンを超えるとスケール・メリットはかなり低下する。このような例はなにも装置産業だけにみられるものではない。例えば自動車の場合最適生産能力は月産2万台といわれている。そしてこのような規模の装置は,現在わが国において広く普及している。例えば,エチレン・クラッカーの場合,生産能力全体に占める30万トン/年規模の装置の能力の割合は過半に達しており,世界各国と比較しても規模の大型化が進んでいる。鉄鋼についても同様である(前掲 第II-1-3図 , 第II-1-7表 , 第II-1-8図 ),昭和20年代後半から30年代を通して三次にわたる合理化が行われ,40年代に入ってからも一層の新鋭拡大投資が行われた結果高炉の規模は大型化し,現在生産能力全体に占める炉内容量4,000立方メートル以上の装置の能力の割合は3割(51年度29.9%)に近いものとなっていて,世界の大規模高炉5位までのうち1位(炉内容量5,070立方メートル),2位(同5,050立方メートル)及び4位(同4,930立方メートル),5位(同4,617立方メートル)を占めるまでになっている。この結果高炉1基当たりの平均出銑量をみると,1974年において年間ソ連697千トン,アメリカ537千トン,西ドイツ529千トンに対して,わが国は1,559千トンというように能率の点でも他国を大きく引き離している。このようにわが国の設備能力はきわめて高い技術水準に達しており,いまや海外で成功したテスト済みの技術が新たに導入される機会も減少し,自主開発技術についても短期間に実用化される可能性は少ないとみられるにいたっている。前出経済企画庁「企業行動調査」によれば,今後2,3年間で実現するとしたものは回答者のうち製造業で22%,非製造業で12%とかなり少なくなっている。
一方,新製品についてみると,確かに年々新しい商品が創り出されているが,昭和30年代前半に登場した「3種の神器」(TVセット,電気洗濯機,冷蔵庫)に比肩されうるようなものは当面ない。これらの耐久消費財は本来は選択性の強い性格の商品であるが,デモンストレーション効果の働きによって必需性を帯びた。このため爆発的な普及を示し経済規模が小さい段階でのわが国経済へきわめて大きなインパクトを与えた。しかし現在ではわが国の経済規模が巨大化したため新製品の出現が経済全体へ及ぼす力は小さくなっている。
すでにみたように,現在大幅な需給ギャップが存在するなかで構造的な需給の不適合がある。とくに装置産業でこのような需給の不適合が著しく,大幅な過剰設備が存在している。
したがって,かりに自動車産業で設備投資が増加したとしても,例えば鉄鋼業では稼働率の引上げによってこれに対処する余地が存在し,新たに設備能力を拡充大するという必要性に乏しいことから,高度成長期にみられたような投資が投資を呼ぶ過程は今はない。
現在の企業家の多くは成長率の低下を避けがたいものとして受入れ,これを前提として企業経営を行っている点も高度成長時代とは異なるところである。前出経済企画庁「企業行動調査」によれば52~54年度3年間の年平均経済成長率を6%前後と見込んでいる企業家が圧倒的に多く,高度成長時代の強気の見通しと比べて全く様変わりとなっている。
また同調査によれば,製造業において,47,48年当時は操業率が90~95%のとき新規能力拡充投資を考えるとしたものが多かったのに対して,現在は95~100%とほぼフル操業でなければ新規能力拡充投資を考えないとするものが多い。これは減速経済下,高度成長時代と比べてある一定の操業率からフル操業に近づくまでの期間が長期化しているためとみられる。設備投資の開始時点は,懐妊期間を前提として既存能力がフル操業になるような時点で新設備が稼働し始めるような時点が選ばれるから,高度成長時代と比べて減速経済下では設備投資の開始時期がそれだけ遅くなることを示している。
また,減速経済下での今次回復過程におけるジグザグの景気回復は短期的に企業家の先行きに対する信頼感を弱めているほか,為替の変動相場制,資源・エネルギー価格の非経済的要因による決定など高度成長時代にはみられなかった制度的要因の変化が企業家行動を高度成長時代と比べて慎重なものとしていることも否定できない。