昭和51年

年次経済報告

新たな発展への基礎がため

昭和51年8月10日

経済企画庁


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第2章 世界景気の回復とわが国輸出の増加

第2節 わが国の輸出増加の背景

今回の景気回復は,輸出が重要な役割を果しているが,回復初期においては従来の同一局面とは異なり,輸出が停滞を示したことが回復を弱いものにした。これは従来の回復局面では内外景気局面のすれちがいから世界貿易がほぼ順調に推移したのに対して,今回は先進工業国の同時的景気後退が次第に開発途上国をもまきこみ世界貿易が大幅に縮小したためである。したがつてアメリカを中心に先進国の景気回復がはじまると,先進国の輸入需要が増加に転じ,わが国輸出は急速に増加に向かい景気回復の再前進がみられた。

以下では,こうした先進国を中心とする輸入需要増とわが国輸出との関連をみる。またわが国の輸出相対価格が有利になつたことを示す。さらに,石油価格高騰が業種別価格競争力にどのような変化をもたらしたかをみる。

(1) 先進国の景気回復とわが国輸出の増加

先進諸国の同時的な景気後退により74年秋から75年前半にかけて世界貿易は縮小を続けた。この間において,わが国の輸出は,先進国向けを中心に大きく落ちこんだ(例えば50年度上期の減少に対する先進国向けの寄与率は83%)が,その中にあつて0PEC諸国向けなどが増加を続け,わが国輸出を下支えした。しかしながら,第1節で述べたように,アメリカの景気回復を契機に先進国を中心として,世界貿易が再び拡大するにつれてわが国の輸出も急速に増加に転じた。輸出が増加に転じた50年度下期を上期と比べてみると,その間に輸出は年率にして21.7%(通関ベース)と大幅に増加しているが,先進国向け輸出の輸出全体に対する増加寄与率は106%である。すなわち,先進国向け以外は全体としてこの間に増えていない。またこれを商品別にみると,電気機器,自動車を中心とする機械類(除く船舶)が99.3%とそのほとんどをしめている(第2-8図)。もっとも今回のこうした先進国向けを中心とする輸出の増加も,先進国(特にアメリカ)の輸入需要が回復しはじめた当初には,わが国にはあまり貢献しなかつた。アメリカの輸入需要が回復初期(50年7~9月期)には非耐久消費財中心であつたため,東南アジアなどの開発途上国からのそれらの財の輸入がまず増加したからである。その後(10~12月期),自動車を中心とした耐久消費財や資本財の需要が活発になるにつれて,わが国に有利となつた(第2-9表)。さらに今回の対米輸出急増の背景には,アメリカにおける在庫投資の急増があつたとみられる。そこでアメリカにおける在庫投資と輸入との関係をみると次のことが指摘できる(第2-10図)。

このような急速な在庫投資に加え,好調な最終需要の伸びに支えられて,わが国の対米輸出は急増を示した。

(2) 有利になつた輸出相対価格

このように50年末から51年1~3月期にかけてわが国の輸出は急増したが,今回の回復局面におけるわが国輸出の世界輸入に対する弾性値を,過去の回復局面(景気の谷をはさんで前後半年)と比べてみると,40年時には2.2であつたが,46年時には為替レートの調整により低下した。しかしながら,今回の回復期には1.8程度に回復している。また,主要先進国の輸出パフォーマンス(各国の輸出の伸び率マイナス当該国の輸出市場における輸入の伸び率)をみると,ここ半年のわが国のパフォーマンスは他国に抜きん出ており,また1960~72年平均をも上回るまでに改善している( 第2-11表 )。

それではわが国の輸出パフォーマンス改善はいかにしてもたらされたのであろうか。それは,まずわが国の輸出相対価格が有利になつたためである。さらに,今回の不況局面における国内需要の大きな落込み,かつてない稼働率の低さから輸出圧力が強かつたことなどもある。また輸出面での商品構成の有利性なども無視しえない点である。まず,わが国の輸出相対価格(日本の輸出価格(1970年=100)/世界の輸出価格(1970年=100),ドルベース)は,49年7~9月期以降低下しつづけた。最近時である51年1~3月期における世界の工業製品輸出価格指数(ドルベース)は50年1~3月期と比べると4.3%下落している。一方,わが国の輸出価格は円ベースでその間9.5%下落したが,為替レート(対ドルレート)も2.3%フロートダウンしたためドルベースでは11.8%も低下し,わが国輸出価格の世界輸出価格に対する相対比は0.939となつた。この数値はスミソニアン協定が結ばれた時期である46年10~12月期の0.956をも下回つており,この比率が最も高かつた49年4~6月期の1.180に比べると実に0.241ポイント(20%)も低下している( 第2-12図 )。その背景には,第1に,わが国の卸売物価が49年央以降先進工業国の中では比較的落着いた動きを示し,輸出物価も落着いた動きとなつたこと。とりわけ,50年に入つて鉄鋼の輸出価格が下落したため輸出物価の下落が目立つたこと(49年8月~50年7月下落寄与率52%)。第2に,実効為替レートがこの間比較的動かなかつたことがあつた。

まず,こうした輸出物価の落着きを国内卸売物価との関係でみてみよう。いま輸出物価指数を構成する品目に対応する卸売物価指数の品目を輸出物価指数のウエイトで再構成した卸売物価指数をつくり,これと実際の輸出物価指数の比率をみると( 第2-13図 ),49年には石油危機後の世界的な基礎資材に対する需給ひつ迫を反映して,鉄鋼,化学製品などは輸出物価が急騰した。一方,国内では,価格規制が行われたため卸売物価は輸出物価ほどには上昇しなかつた。したがつて,49年央をピークにこれら素材部門の相対価格比(輸出物価/卸売物価)は急上昇した。しかしながら,50年に入つて全く逆のプロセスが働いた。各国でこれら商品の在庫が積み上がり,同時的不況の深刻化により世界需要が低迷し輸出価格が急落した。一方,国内では徐々に価格引上げが浸透してゆき,相対価格比も45年水準の相対価格比に近づいた。すなわち,こうした輸出物価の下落は国内価格の落着きから乖離して下回つたことを示すものではなく,49年の異常な輸出価格の急騰がようやく元に戻つたことを示しているにすぎない。

次に,実効為替レートの動きをみると,石油危機前後のいわゆる狂乱物価の時期には円の実効為替レートは相対物価水準の上昇ほどには切り下がらなかつた。その後強力な総需要抑制政策がとられ,わが国の物価水準は安定に向つたが,実効為替レートの変化は少なかつた。

(3) 石油価格高騰がもたらした業種別価格競争力の変化

石油価格高騰が価格競争力に与えた影響は業種別に異なつていた。いま,石油危機前(48年9月)と最近時点(51年3月)の業種別の卸売物価上昇率を総平均の上昇率との相対比でみると,例えば素材部門である化学では総平均136.3の上昇に対して153.3の上昇であつたため,総平均に対する相対比では112.5となつている一方,機械部門である自動車では相対比が93.7と100を下回つている。

第2-14図 卸売物価上昇率と生産単位当たり原材料使用額の関係

こうした相対比のちがいは生産単位当たり原材料使用額の上昇幅の大小によるところが大きい( 第2-14図 )。48年から49年にかけての石油をはじめとするエネルギー価格の急騰によつて,石油・石炭製品,化学,紙・パルプなどの部門で原材料使用額の上昇が目立つている。一方,一般機械,電気機械などの機械類は製造業平均よりも原材料使用額の上昇は小さい。

このように国内においては,業種ごとに原材料使用額の大小によつて卸売物価上昇率の相対比に違いが生じた。しかし,これをもつて直ちに日本の機械部門の価格競争力が有利になつたとはいえない。次のことを考慮する必要がある。

まず,価格競争力の問題は国際市場における優劣の問題であるから,各国通貨表示による価格上昇率の比較だけでなく,為替相場の変動との相乗効果である。したがつて為替レート調整後で判断しなければならないこと。次に日本で起つたような相対比の変化はその他の国でも大かれ少なかれ同様に起つたことである。さらに,現実の価格は各国の需給動向の違いなどを反映したものであり,各産業における投入コストの変化をそのまま反映したものではない。しかし以下ではこの点は別にして議論をすすめる。

第1の点については,やや長期的には為替レートが物価水準全体(卸売物価総平均)の上昇を相殺するようにきまつてくる面が強い。為替レートとインフレ率の関係をみるためフロート移行後の主要国の実効為替レート変化率と卸売物価騰落率の関係をみると( 第2-16図 ),推計期間を長くとる程両者はきわめて高い相関を示している( 第2-17表 )。各国のインフレ率が実効為替レートの変動により相殺されるということであれば,卸売物価総平均上昇率に対する業種別卸売物価上昇率の相対比( 第2-15図 )は為替レートが調整された前後における業種別の価格競争力の変化の方向を示しているとみなすことができる。

第2の点について西ドイツと比べてみれば,日本と同様に総平均上昇率に比べ素材部門の方が上昇が大きく機械部門では小さい。しかしながら,素材部門の相対比は日本よりも小さい。他方機械部門についてみると,例えば,自動車の卸売物価上昇率は西ドイツでも総平均上昇率より低いものの相対比でみると日本よりも総平均上昇率に近い。こうした日本と西ドイツの違いは,両国のエネルギー供給構造における原油依存度の違いによつて卸売物価総平均の上昇率に差があつたためである。日本の石油依存度が77.6%であるのに対し,西ドイツのそれは55.2%にすぎない。このようにして,石油危機前と比較すれば最近においては自動車など機械部門の相対価格は西ドイツ,アメリカと比べて日本の方が有利となる方向に動いた。

次に,現実の為替レートで調整されたあとの両国の業種別相対価格をスミソニアン合意(1971年12月18日)の直後の期(1972年1~3月期)と,石油危機(1973年10月)の直前の期(1973年7~9月期)及び最近時点(1976年1~3月期)の3時点において比べてみよう( 第2-18図 )。1972年1~3月期においては,日本の方が切上げ率が大きかつたために有利さが縮小する方向で作用し,化学,非鉄金属などの業種では不利化している。次に1973年7~9月期においてみると,この時は前回とは逆に西ドイツの為替レート上昇幅が日本のそれよりも大きかつたために,日本にとつて相対価格では有利に作用し,機械をはじめとして鉄鋼などの多くの業種で有利さを増している。さらに,石油危機を経た最近時点でこれをみてみると,日本は機械部門は相対的に有利さが一層拡大しており,これに対して素材部門ではかなり不利となつている。このようにみてくると,わが国と西ドイツとの関係では1970年代においては機械部門ではわが国の相対的有利さは保たれているが,鉄鋼,化学,非鉄金属,紙・パルプなどのエネルギー多消費産業である素材部門では,石油価格の高騰によつて一層不利化している。

次に同様の観点から,日本とアメリカの関係についてみてみよう。71年12月のドルの切り下げ,その後のドル安により,ドルの実効為替レートは,1973年7~9月期頃まで低下を示した。このため為替レート調整後の相対価格はこの間日本にとつて不利化したが,石油危機後のドルの実効為替レートの上昇によりほとんどの業種で不利化の度合いは著しく縮小しており,1972年1~3月期の水準にまで回復している。