昭和51年
年次経済報告
新たな発展への基礎がため
昭和51年8月10日
経済企画庁
第2章 世界景気の回復とわが国輸出の増加
OECD全体の鉱工業生産は,1973年10~12月期にピークに達したあと年率8.5%というかつてないペースで落ちこみ,75年4~6月期にはやつと底をうつて回復に向つた。このように,今回の不況からの脱出には長い時間を必要とした。それには次のような原因があつた。
ア.石油価格急騰がもたらしたデフレ効果(この内容については第1章参照)があつたこと。イ.インフレ対策のために従来になく長期間にわたり総需要抑制策がとられたこと。ウ.各国ともインフレの下で個人消費が低迷したこと。エ.先進国を中心に世界貿易が縮小したことなどがあげられる。
75年央からはじまつた今回の回復過程はこうした不況を深刻化していつた要因が徐々に解消していく道程であつた。まず,インフレの鎮静を主因に実質所得も上昇し,消費者の先行きに対する信頼感も回復を示した。また,インフレ懸念が根強かつたため75年初めまでは各国政府は本格的な拡大政策に転ずることについては慎重であつた。しかし,1975年半は以降,ほとんどすべての先進工業国で景気拡大策がとられるようになつた。こうして,景気回復への条件が整つたのである。
しかしながら,石油価格急騰のデフレ効果及び世界貿易の縮小があつたため,各国の景気回復は一様なものではなかつた。そこで以下のような理由からアメリカが回復のリーダーとなつた。まずデフレ効果については,各国とも74,75年の両年にわたりほぼ出つくしたとみられるが(日本については,第1章参照),その度合いは各国の石油輸入代金増加額(対GNP比)の大小により異なつた。日本,イタリア,イギリスなどに比べアメリカは,それが小さかつた。したがつて,国内における景気拡大策も他の国に比べ効きやすいという面もあつたと思われる。さらに世界貿易の縮小は75年4~6月期には止まつたものの,その後もしばらく低迷がつづいた。したがつて輸出依存度(輸出/GNP)の高い国(例えば西ドイツ)は,輸出の停滞により,景気が底をうつたあとも順調な回復はできなかつた。
それにひきかえ,アメリカは輸出依存度は低く,世界貿易低迷の影響を受けることも少なかつた。
第2-1図 アメリカのGNPの動き(需要項目別前期比増減寄与度)
このような条件の下で,アメリカでは本格的な景気拡大策が比較的早くとられたこともあつて,他の諸国に先んじて回復を着実なものとした。アメリカのGNPは,75年4~6月期に6期ぶりにプラスに転じたが,これをもたらしたものは在庫調整の一巡(マイナス幅の急減)とそれに続く個人消費支出の増加であつた( 第2-1図 )。こうしてアメリカの景気回復が進むにつれて輸入も拡大に転じ,日本,西ドイツその他諸国も次第に景気回復を着実なものとした。
それではアメリカの景気回復がわが国に対してどのような経路を通つて波及したかをみると次のようになる。
まず直接的にはアメリカの景気回復による輸入需要増大は日本の輸出増大となり日本の景気回復に好影響を与えた。次に間接的には,アメリカの輸入需要増大が日本以外の国の所得増大をもたらし,それらの国への日本の輸出を増大させる効果をもつたと考えられる。
そこでこうした直接・間接の2つの効果がどの程度であるかをOECD当局の推計によつてみると,次のようである。すなわち,アメリカにおいてGNPの1%に相当する独立投資が行われたとき,アメリカ及びその他先進諸国への波及をみると,アメリカ国内2.00%,日本0.35%,西ドイツ0.50%,その他西欧0.35%,カナダ0.70%各国のGNPを押し上げることになる。日本,西ドイツにおけるGNPの1%の独立投資の波及効果と比べてみると( 第2-2表 ),アメリカの経済規模が大きいだけにアメリカの独立投資の波及がいかに大きいかがわかる。さらに,こうした波及効果の背景には,貿易の自由化,関税引下げ,長期資本移動の自由化,国際金融市場の拡大などによつて世界経済の相互関係が一層緊密化したこともある。
以上のようにアメリカの景気回復と,それがもたらす大きい波及効果もあつて,世界経済は先進国経済を中心に着実に回復している。OECD全体,及び主要6か国の鉱工業生産をトレンドからの乖離率によりピークとボトムを定め,その間の増減率を年率換算してみると( 第2-3表 ),今回の局面の特徴がわかる。ア.石油危機後の同時的落込み幅が大きかつたこと。イ.OECD全体(アメリカのウエイトが43.3%であり,アメリカの動きに左右される面が大きい)と各国の鉱工業生産が72~73年のときと同じようにほぼ同時的に推移していること。ウ.しかも,その回復テンポが急速であること。などである。ただ,イギリスとイタリアは,国際収支とインフレの問題が深刻化しており,とくにイタリアでは政治状況もあつて先行き不透明である( 第2-4図 )。
1975年の世界貿易(輸入)は名目ベースで4.9%増となつたが,実質ベースでは6.1%減となつた。これは74年末から75年1~3月期にかけての落込みが大きかつたためである。実質ベースでみると,74年10~12月期から75年1~3月期にかけて4.3%減(年率16.2%減)と大きな落込みとなつた。しかし年央以降は,まず先進国輸入が先述のようにアメリカの景気回復により下げ止まりをみせ,76年に入ると急回復に転じた( 第2-5図 )。
次に先進国以外の地域についての輸入(名目)を75年の前年比でみるとOPEC(石油輸出国機構)諸国,共産圏,非産油開発途上国の輸入は減少せず,とりわけ0PEC諸国の輸入は著増を示した。
一方,輸出をみると先進国の輸出は6.8%の増加を示し,逆に非産油開発途上国,OPEC諸国の輸出は減少を示した( 第2-6表 )。先進諸国グループは深刻な不況により輸入は減つたものの,輸出は減少しなかつた。その結果,貿易収支は改善を示した。OPEC諸国の輸出は世界不況による原油の輸入需要が減退したため減少し,反面輸入は増勢が続き貿易収支の黒字幅は大幅に減少した。
また,東西貿易は先進国間貿易の縮小を埋め合せるように働いた。75年中の共産圏の輸入の中には,ソ連で不作であつた小麦等の穀物の輸入の急増が含まれているものの,全体としてその伸びは堅調であつた(27.3%増)。輸出については,共産圏域内は好調であつたが(33.3%増),対先進国向けが低調であつたため伸び率は鈍化した。このため共産圏の外貨事情も悪化した。
こうした地域別貿易の動きからもわかるように,75年の先進国の経常収支(公的移転を除く)はアメリカの119億ドルの黒字をはじめとして大幅な改善をみせた一方で非産油開発途上国では大幅な経常赤字が続いた( 第2-7表 )。しかしながら,こうした先進国の経常収支の改善も景気回復とともに石油輸入の増加を主因に再び赤字化する可能性が強いと考えられている。
他方,OPEC諸国の巨額な経常黒字は大幅に(前年比34%)減少した。この間のOPEC諸国の資本輸出の動向をみると74年中は短期資本での運用が大部分をしめていたが,75年に入るとその大部分が長期的運用に変化してきており,オイル・マネーの還流が順調かつ安定的になされてきたことを示している。
このように75年の世界の国際収支は,非産油開発途上国の経常収支の一層の悪化,余剰オイル・マネーの減少,先進国グループの輸入縮小による経常収支の大幅改善と明暗をはつきり分けた。しかし,先進国グループ内部でも,76年に入つて景気回復が進むにつれて日本,西ドイツなど黒字を示す国とイギリス,イタリアなど赤字が続いている国との格差がみられるようになつた。