昭和50年
年次経済報告
新しい安定軌道をめざして
昭和50年8月8日
経済企画庁
第II部 新しい安定経済への道
第1章 成長条件の変貌
1970年代に入つて,主要国の景気循環パターンに同時性が強まつてきた( 第69図 )。好況と不況が国によつてすれ違つているときは,好況国では,国内の投資,消費が活発化してくると輸出減・輸入増で国内経済活動の過熱化が抑えられる傾向を持つが,過熱が行き過ぎると国際収支が赤字になつて,引締め政策をとらざるをえなくなり不況ヘ転換する。一方,不況国では輸出増・輸入減によつて国内均衡へ近づくが,国内不均衡が存在している間は国際収支の黒字が続いて,やがて好況に転換する。こうして,主要国相互の景気循環がならされ,世界経済はバランスのとれた成長を持続し,供給弾力性の小さい国際的一次産品相場も朝鮮動乱後は安定基調で推移するというのが,戦後世界経済の循環のメカニズムであつた( 第70図 )。しかし,このような世界の景気循環のパターンは,貿易の自由化,関税引下げ,長期資本移動の自由化,短期資本移動の巨大化などによつて次第に同時性を強めるという形へ変わつてきた。それが1970年代に入つて一層強められ,それと同時にインフレ・デフレの振幅が拡大した。その原因はどこにあつたのか。
第1に,ブレトンウッズ体制が崩壊にひんし,やがてそれは世界的な変動相場制へ移行していくなかで,世界経済に大きい影響を及ぼす諸大国の金融節度が失われ易くなり,国際流動性の適切な管理がむずかしくなつたことである。まず,長期にわたる特定の平価の維持は,膨大なアメリカの国際収支赤字を通じて,国際流動性を急増させた。これは,多くの国で外貨の不胎化政策に失敗したため,過去のすう勢をこえて通貨量を増大させ,金融の緩和が世界的な規模で一般化し,世界景気の同時的上昇が生じた( 第71図 )。こうしたところへ石油危機が加わつて,インフレが一層加速化した。一斉に景気が過熱し,インフレーションの加速化に直面した主要国はこんどは一斉に金融を引締めたので,多くの国でデフレが同時化し世界貿易の縮小傾向が拡がつた。1971~73年の世界経済にみられた過剰流動性とインフレーションの加速化,これを抑制しようとして生じた1974年の戦後最大の景気後退は,このようにして生まれたといえる。
しかし,世界的な変動相場制に移行した現在の国際通貨体制の下でも,互いに影響を及ぼす大国間の金融政策が十分な協調体制をとりえないときには,固定レー卜制の末期で生じたようなインフレと不況の振幅の拡大が再び発生する危険性がある。通常,変動相場制の下では,各国は自由に独自の国内経済目標(完全雇用や物価の安定など)を追求し,その結果生じる国際収支の不均衡は為替レートの変動によつて調整される,と考えられている。しかし,これは,国内の金融・財政政策,為替レートの変動が,他の国の利子率や所得や為替レートに大した影響を与えない小さな国を対象とした場合の考えであり,またそうした面で影響力をもつ大きな国の場合でも資本の移動を考えに入れていない理論である。しかし今日の世界のように,資本移動が活発な大国の場合にもこの考えをあてはめることは必ずしも正しくない。例えば,世界のいくつかの大国がすでに同時的に不況に陥つていて,そうした不況からの脱出が当面の政策目標だとしよう。その場合,ある大国が通貨供給の拡大によつて金融緩和策をとつたとすると,その国の金利は低下して資本流出が起こり,為替相場は下落する。これは他の諸国の為替相場を上昇させて輸出の減少,輸入の増大を導くこととなろう。この貿易収支の悪化は一方で資本流入を相殺して通貨供給の増大を妨げ,他方では総需要を減少させるから,結局他の国では不況が一層深刻化する。したがつて他の国でも金融緩和策をとつて調整しようとするであろう。その結果こんどはこれらの国から資本流出が起こり,はじめの大国の為替相場を上昇させてデフレ的影響を与える。このようにして大国間で通貨供給の拡張競争が続くならば,やがて通貨供給が景気拡大効果をもち始めるときには,景気はあまりにも急激な同時的上昇局面を迎えることにより,こんどは一挙にインフレーションを加速化させてしまう。これに対して,景気が過熱してインフレーションに陥つた場合には,金融引締めを中心として前述とは逆のメカニズムが働いてマネー・サプライの縮小競争が起こり,デフレーションを激しくすることになる。したがつて,大国間の協調的金融政策が固定レート制の場合に劣らず変場相場制の場合にも必要になつてくるであろう。
第2は,先進諸国の経済が一方では等質化して,競合関係を強めている反面,他方では供給のボトル・ネックを生じ易くしていることである。工業水準が等質化してくると,主要国の経済は補完関係より競合関係を強めてくる。例えば,日本の乗用車の進出は米国や西ドイツの乗用車市場における競争を激しくし,また,イタリアの鉄鋼業の発展は日本の鉄鋼輸出価格を下落させるなどである。さらに,好況になると,等質化の進展は,同じ財に対する需要を競合し易くする。各国経済が完全雇用化しまた一方では,環境,公害問題の深刻化から基礎産業の供給力が制約されるようになつてきただけに,需要の競合は供給のボトル・ネックを招き易い。このような等質化は,上記第1の原因発生を容易にし,インフレーションのときはその国際的波及を,反対にデフレーションのときは縮小傾向と近隣窮乏化政策を招き易い。
第3は,開発途上国の工業化が漸進し,また資源の供給弾力性が低下しつつあることである。先進国の工業生産増加率を上回る開発途上国の生産拡大もあつて工業資源の需要が高まり( 第72図 ),他方では開発途上国の資源温存政策と輸出価格引上げの動きを強めている(後述)。これは,先進国の景気循環同時化とあいまつて,世界景気の好況期には一次産品相場を急騰させ,不況時でも一部の重要な一次産品については価格が元の低水準まで戻らないという動きを強めて(前掲 第70図 ),先進国のインフレーションを加速させ,景気後退時には落込みを大きくするという結果を招いている。
以上のような要因による世界の景気循環の同時性の高まりと振幅拡大の可能性は,次のような問題を提起しよう。
第1に好況の同時的到来が世界のインフレを加速化し,インフレ心理をもたらす結果,それを抑制しようとして総需要管理が長期化すれば,景気の同時的下降とその長期化を招来する。1972~74年にみられたような世界の景気循環の振幅の拡大と比較的低い成長という循環と成長のパターンが,今後も繰返される可能性がある。第2に,もしそのような結果をもたらすインフレの加速化を前もつて防ごうとすれば,各国の総需要管理は,有効需要の増大を潜在成長力の範囲内に十分な余裕をもつて抑えていくという慎重なものにならざるをえなくなる。すなわち,インフレの再発と輸出の同時的拡大による急速な景気の過熱化を防ごうとすれば,需要増大はつねに控え目に保つていかざるをえないからである。第3に長期的には,そのために潜在成長力をフルに利用できなくなつて設備投資が抑えられ,やがて潜在成長力も下方に修正されていくこととなる。世界経済はこうした景気循環の同時化の下で安定成長の道を考えなければならない時期にきているといえよう。