昭和50年

年次経済報告

新しい安定軌道をめざして

昭和50年8月8日

経済企画庁


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第I部 インフレと不況の克服

第2章 高価格原油への対応

2. 対応の諸経路と問題

石油危機後に発生したOPEC諸国の巨大な経常収支黒字,それと対照的な石油消費国の赤字の発生は,どのようにしてこの巨大な不均衡をファイナンスしていくかという形で国際金融面に困難な問題を提起した。しかし経済には市場メカニズムを通じて均衡を回復しようとする自動調節作用が働いており,それは時間の経過につれて国際貿易と金融面でも次第に高価格原油への対応という形をとつていつた。また市場メカニズムで対応できないところは国際協力で補完していつた。以下でその実態をみよう。

(1) 石油消費国

石油消費国における対応は第1に石油輸入量の減少である。OECDの石油輸入量は,1974年には前年比3.4%減少した(OECD推計)。こうした輸入減は先進工業国における不況,石油価格高騰による価格効果と節約効果によつてもたらされた。

いま,日本を例にとつてみよう,わが国の工業用重油消費量は,1974年に前年比4.6%減少した。その減少要因を分析してみると,生産低下によるもの約15%,割高で代替または効率を高めたことによるもの約37%,その他節約によるもの48%であつた( 付注14 参照)。

第2は石油消費国の輸出価格の上昇とOPEC諸国向け輸出量の増加である。OECD諸国の1974年の原油輸入価格は前年比192%上昇したが,OPEC諸国への輸出価格も約26%上昇した。OECD諸国の輸出価格上昇は原油価格の転嫁だけによるものでないが,輸出価格の上昇自体はOECD諸国の交易条件(輸出価格指数/原油輸入価格指数,輸出価格は非石油品が中心)をある程度改善した。さらに,OPEC諸国への輸出量が41%と著増したから,輸出額でみると73年に比べ約128億ドル(77%)増加している。これに,石油輸入量の減少分約20億ドルを加えると,74年中にOECD諸国のOPEC諸国との貿易収支は,約15億ドル改善し,これは同年における石油支払代金増加額の4分の1強に達した。

(2) 石油輸出国

石油輸出国の対応の第1は輸入の急増である。OECD諸国のOPEC諸国に対する輸出著増は,結局,OPEC諸国の所得がふえ,購買力が高まつたことを意味している。こうしたOPEC諸国の輸入増加の内容をみよう。輸入国別にみると,総額の3分の2が,アメリカ,日本,西ドイツ,フランスの4か国で占められており,また,74年の前年比伸び率も日本101%,アメリカ87%,西ドイツ80%,フランス64%とこれら諸国からの輸入の増加が著しかつた。輸入増加の特徴をみると,アメリカからはその3分の2以上がプラントを含む機械類(武器などの特殊分類を含む)と穀物であり,日本からはその約6割が鉄鋼,3割弱が機械類(自動車,ラジオ,テレビなど),西ドイツからはその5割が機械類,2割弱が鉄鋼,フランスからはその5割程度が機械類と鉄鋼であつた( 第60図 )。このように,OPEC諸国の輸入増加内容をみると,商品別には機械類,鉄鋼,食糧に集中し,国別ではそれぞれの輸出国がもつとも得意とする比較優位の商品を選んで輸入したことがわかる。

石油輸出国による対応の第2は原油の生産制限である。当初,石油需要の価格弾力性はきわめて小さく,価格の急騰にもかかわらず石油需要はあまり減少しないと考えられていた。しかし,OPECの原油輸入先の約85%を占めるOECD諸国の石油消費が,不況の深刻化,石油節約,西欧の暖冬などで大幅に減少した。OPECはこれに対して,74年秋から減産を強化した。これにより石油の大幅な需給緩和は防がれ価格は高水準に維持されることとなつた。OPEC諸国の最近の減産率をみると,1974年10月から75年4月までの間に12.8%に達している。ただし,国別にみると,各国の経済事情等により必ずしも減産がOPECとして統一的に行なわれたわけではなかつたことがうかがわれる。すなわち,サウジアラビア,イラン,ナイジェリア,インドネシアなどにおける減産が顕著である一方,イラク,アラブ首長国連邦等はむしろ増産している。そうしたなかでサウジアラビア一国の減産量はOPEC全体の減産量の82%に達しており,また,中東についてみても,全体の減産量約270万バーレル/日に対し,サウジアラビアの減産量が約310万バーレル/日とこれを上回つているのが注目される( 第61表 )。このような,OPEC諸国の減産は次のような結果をもたらしている。ひとつは減産しても経常収支余剰がなくならないサウジアラビアなどが減産の中心となつていること,2つにはそれによつて,サウジアラビアなど開発資金所要量の小さい国の石油資源が温存されていること,3つは人口が多く開発資源が大量に必要で経常収支の余裕の少ない諸国はあまり減産せず石油収入が最大限に確保されたことである。こうしてOPEC諸国は,高騰した原油価格を維持することができた。

(3) 余剰オイルマネーの国際的還流

石油価格の高騰に対応した石油消費国の石油需要の減少,産油国の輸入の増大も,大規模な貿易収支の不均衡をすべて是正することにはならなかつた。その結果,産油国は膨大な経常収支余剰,すなわち余剰オイルマネーをもつことになつた。そのようなオイルマネーは,結局すべてがなんらかの形で石油消費国への投資や援助に使われるわけだが,問題はオイルマネーが消費国各国の国際収支上の必要に応じうまく還流していくかどうかという点にあつた。

1974年の余剰オイルマネーは,モルガン・ギャランティ・トラストによれば550億ドル程度と推定されるが,そのうちの3分の2が短期流動資産,残りが長期投資と経済援助に向けられたとみられる( 第62表 )。そこで,それぞれについて,どのような形で国際的還流が行なわれたかを検討しよう。

(短期流動資産)

余剰オイルマネーのうち,短期流動資産は,1974年中に370億ドル増加し,そのほとんどがOPEC諸国の外貨準備となつた。その運用の内訳をみると,ユーロ銀行の短期預金がもつとも多く,次いでニューヨーク金融市場で銀行預金,預金証書(CD),財務省証券の形態をとつており,ロンドン金融市場でもほぼ同様である。これを通貨建別にみると,ユーロ市場では8割がドル建て,残りがマルク,スイスフラン,ポンドであり,ニューヨーク,ロンドンの金融・市場ではそれぞれドルとポンドであつた。他方,金・SDRのような対外準備はほとんどふえなかつた。

こうした運用形態をとつて国際短期金融市場に流入した余剰オイルマネーはそれらの市場から他の石油消費国に再び還流していつた。しかし,いつたんユーロ市場やアメリカの金融市場へ流れ込んだ余剰オイルマネーはそれ以外の資金と一諸になつて再び貸出されていくので,石油消費国がこれらの金融市場から取入れた資金のすべてを余剰オイルマネーとみることはできない。わが国についてみてもこれはあてはまるわけだが,74年のわが国の石油支払代金増加は約130億ドルにのぼり,他方為替銀行の負債増加は約110億ドルに達した。そのほとんどはユーロ市場とアメリカの銀行から借入れたものであつた。その結果,為替銀行の海外短期ポジションは大幅に悪化したが,わが国の外貨準備高は減少しなかつた。

しかし,こうした短期性オイルマネーの国際的環流にはいくつかの難点があつた。第1は,産油国による預金は短期性だが,石油消費国は経済収支赤字の継続が見込まれることから中・長期の資金を必要としていたことである。この結果,短期借り,長期貸しを行なう仲介金融機関のリスクが増大し,国際的な還流規模が限定されることが問題であつた。第2は,石油消費国の銀行部門の対外短期ポジションが悪化するため,借入能力が低下することであつた。第3は,石油支払代金増加の上に石油以外の収支の赤字が重なつて,経常収支を改善できない石油消費国には民間の短期金融市場を通じては,オイルマネーが還流しにくいことであつた。それは貸付リスクがこの場合きわめて高いからである。もつとも,74年中の経過をみると,OPEC諸国の資金運用は,短期金利の異常高が先進国のインフレの減速とともにおさまり,利子率体系が正常に戻るにつれて次第に中・長期の形態をとるようになつた(第1と第2の難点に対処)。また,EC間の金融援助,IMFの一般貸付けやオイル・ファシリティ(石油特別融資制度)に加えて,OPEC諸国が開発途上国への援助や国際機関に対する貸付を増大させた(第3の難点に対処)ことから,こうした不安は漸次薄れるようになつた。

余剰オイルマネーの運用形態は,短期流動資産から非流動資産や援助へとある程度重点を移していつたのである。

(非流動資産等)

OPEC諸国の非流動資産等は1974年で約180億ドルに達したと推定される。その内訳は次の形態に大別される。第1は,二国間信用供与である。これはOPEC諸国から石油消費国への二国間政府ベースの信用供与で,全体の36%にのぼつている。第2は直接投資,不動産投資などである。これは全体の26%を占め,世界の有力企業の株式取得やアメリカでの土地購入などが含まれている。第3は,国際機関への投資である。全体の24%を占め,IMFのオイル・ファシリティ約20億ドル,世銀債購入11億ドルなどが大きい。オイル・ファシリティの半分以上はイタリア,ニュージーランドなどの先進国に向けられた。また,その残り3分の1と世銀などへの投資は開発途上国に対する間接的な援助であつた。第4は開発途上国への直接的な援助である。これは,1973年の5億ドル程度から一挙に約25億ドルヘ急増した。さらに,援助約束額では実に150億ドルにのぼつている。先進国(DAC加盟国)73年中の政府べース援助(ODAとその他政府資金)実績120億ドルに比較しても,OPEC諸国の直接,間接の援助実績約55億ドル(上記第3の間接的援助を含む)はかなり大きいし,また約束額の規模の大きさからみても,OPEC諸国の経済援助に対する関心はきわめて高いものがある。

(4) 新しい均衡への調整過程

原油価格の高騰が世界経済に与えた影響は,それが突然でしかも大幅であつたことから,きわめて大きいものがあつた。しかし時間がたつにつれて,すでにみたように,それへの対応がさまざまな形で始まつている。これは,世界経済が新しい均衡へ向かいつつあることを物語つている。

第1に,国内均衡回復への動きが,先進国でみられることである。

前記(1)「石油消費国」の項でみたように,OECD諸国は74年中に,OPEC諸国との貿易収支を約150億ドル改善したが,これは,先にみた購買力移転による先進国の経済成長率の低下を約1.1%ポイント相殺することになる。また,総需要抑制策によつて,74年の2桁インフレは,最近次第に減速を始めている。75年になると,主要先進国の卸売物価はおおむね鎮静化し,消費者物価も多くの国で月率1%を割る小幅な上昇率に鈍化した。こうしたなかで,総需要抑制策は漸次緩和され,景気対策ヘ徐々に重点が移行しつつある。下期中には,景気も回復へ向かうものと期待されるようになつた。

第2に,世界経済のなかで,新しい地位を固めようとする動きが,産油国にみられることである。ひとつは,膨大な石油収入を背景に,産油国の経済開発が刺激されたことである。1960年代末につくられた70年代前半の開発計画に比べて,第4次中東戦争後につくられた70年代後半の開発計画は総投資規模で260億ドルから1794億ドルへと約7倍に膨張している(イラン,サウジアラビア,アルジェリア,イラク,リビアの合計,中東経済研究所調べ)。投資配分も,鉱工業,インフラストラクチャ,農業などに重点がおかれ,新しい国づくりが始まろうとしている。前述した先進国からの輸入急増もこのような事情を反映していた。

いまひとつは,産油国における経済援助供与の強化である。中東産油国の援助の内容をみると,援助規模がきわめて大きく,政府ベースで対GNP比率は中東産油国7か国平均で1974年には2.5%に達している。大産油国が援助供与の支柱となつており,サウジアラビア,イラン,クウェート,アラブ首長国連邦で全供与の86%を占める。二国間援助が8割強で,その大半はアラブ諸国に向けられており,特に,エジプト,シリア,ヨルダンへその約6割が集中している。加えてOPECは多国間援助を主体的に行なうために,中東,アフリカ各種基金を設立し,アラブ域外の非石油開発途上国への援助を強化しているといつた特色がみられる(中東経済研究所調べ)。

膨大な石油収入をもとに,アラブ域内の経済開発を進め,経済援助を積極化してアラブ諸国の結束を固め,また,広く開発途上国の経済発展にも貢献しようという,主体的な姿勢がうかがわれる。

しかし,第3に,原油価格の高騰が,OPEC諸国にとつて,新しい困難をもたらしていることである。ひとつは,石油消費国からの輸入価格が上昇していることであり,それは他方でOPEC諸国の石油輸出価格の上昇を一部相殺することになつた(前述(1)「石油消費国」の項参照)。いまひとつは,石油収入の急増が,産油国の通貨供給を膨張させて,信用インフレーションを発生させたことである。例えば,サウジアラビアをみると,1970年までの4年間における通貨(M2)の平均増加率は10%であつたが,74年7~9月期には前年同期比39%増に達し,イランでも同様の傾向がみられる。こうした2つの事情は,産油国経済にインフレーションをもたらしつつある。いま,イランの消費者物価上昇率でみると,1969~70年には年率2~3%に過ぎなかつたものが,74年7~9月期には前年同期比15.8%に加速しており,原油価格高騰に伴うインフレーションが,産油国にも及び始めたことを示している。

なお第4に,新しい均衡への動きのなかで,産油国の余剰オイルマネーが縮小し始めたことである。イングランド銀行の推計によれば,OPEC諸国の余剰オイルマネーは,74年10~12月期の174億ドルから,75年1~3月期には89億ドルへほぼ半減したものとみられている。

先進国の不況,石油節約,交易条件改善や,産油国の石油減産や経済開発促進と輸入増などが反映されたからであろう。石油価格の高騰は,石油消費国の不況とインフレーションを一層悪化させ,それはさらに,石油輸出国に輸入インフレーションと石油収入減少をもたらす形で還流したといえよう。世界は,経済循環においては一体である。

世界経済は,石油危機によるさまざまな影響を吸収して,均衡回復への動きを始めている。それが1975年の姿であるといえよう。しかし,そうしたなかで,世界経済は次のような問題の解決を迫られている。ひとつはOPEC諸国が提起した第3世界の地位向上と強まりつつある「南」側全体の貧困からの解放の願いが,世界経済を元の均衡に戻すのではなく,新しいタイプの均衡ヘ飛躍させることを要請していることである。それは有限の資源を先進国のためではなく開発途上国自体の発展のために価格及び所得の面で有利に活用しようとしているからである。原油価格引上げの動きは,そうしたなかで生れた(第2部第1章(2)参照)。新しい世界経済の均衡はこの「南」の基本的願望を無視してはもはや達成できない。いまひとつは,石油価格の急騰による世界的な規模で生じた国際収支の不均衡は,余剰オイルマネーが減少してきているとはいえ,いぜんとして国際金融の最大問題でありこれもまた,すべての国の国際協力によつてしか克服できない,という問題である。産油国に年間数百億ドルの経常収支黒字が生じることは,必ず消費国にそれに対応した赤字が発生しているわであり,しかもその赤字は世界経済の大国ではなく先進国のなかでも小国や開発途上国に集中する傾向が生じつつあるからである。こうしたなかで産油国の安定した長期の投融資がますます行なわれるようになることが望ましいとともに,他方では消費国の経常収支赤字をどのようにファイナンスしていくか,国際収支の目標はどこにおくのか,といつたわが国にとつても直接,間接に重要な問題を国際的視野のなかで考えていかねばならないであろう。

こうした2つの問題をどのように解決することができるか,それが高価格原油に対応して新しい均衡を生まねばならないこれからの世界経済の課題である。


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