昭和50年

年次経済報告

新しい安定軌道をめざして

昭和50年8月8日

経済企画庁


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第I部 インフレと不況の克服

第2章 高価格原油への対応

1. 国際収支パターンの急変

(1) 石油危機の影響

原油価格の高騰は,世界の国際収支パターンを突然変えてしまつた。1973年までは,先進工業国全体の経常収支は大幅黒字であり,資本の流れは先進工業国から一次産品生産国へと向かつていつた。このことは一方で,一次産品生産国とりわけ開発途上国の経常収支が赤字であり,それを先進工業国からの資本流入で補つていたことを意昧する。

だが,1974年になると,石油支払代金が急増したため,先進工業国の経常収支はそれまでの黒字から赤字ヘ一挙に転落したばかりでなく,赤字幅もかつての黒字幅よりはるかに大きくなつた。また,一次産品生産国のなかの先進・中進国( 第58表の備考 参照)の経常収支も,大幅な赤字へ転じた。つまり,OPEC(石油輸出国機構)諸国以外のほとんどすべてが,大幅な赤字国ヘ変わつたのである。その一方,OPEC諸国は,これまでの先進工業国に代わり,世界で唯一の資本純輸出国グループとして登場することとなつた。しかも,その基礎となる経常収支の黒字は,かつての先進工業国の約6倍に達した( 第58表 )。そして,OPEC諸国のこうした黒字の3分の1程度しか長期資本の流出や援助に回らず,残りはほとんど外貨準備として蓄積された。1974年末におけるOPEC諸国の外貨準備高は,世界の25.9%を占めるに至つた。それは,前年末の8.0%の3倍強になる。それでもなお,OPEC諸国から石油輸入国への長期資本と援助の流れは,かつての先進工業国の約2.2倍に相当した。

他方,石油輸入国における経常収支の赤字は,国別にみて,あるいは時間の経過につれて,かなり多様な姿を示した。大別すれば当初は,これまで経常収支が黒字ないし均衡していたグループ(西ドイツ,日本,アメリカ,「その他OECD,」等)と,すでに経常収支が赤字であつたグループ(イギリス,イタリア,多くの開発途上国)に分けられた( 第59表 )。1974年には,主として後者に国際収支面の不安が生じた。これは,石油価格高騰以前からすでに経常収支が赤字であつたこともあつて,石油支払代金を民間べースで国際金融市場から十分に調達することができなかつたことによる。しかし,こうしたパターンは1974年末から75年になると,変化を始めて,新しいパターンヘ変わつていつた。第1は,石油代金増加分を支払つた上でなお貿易収支が黒字となつている国(西ドイツ,日本など),第2は,石油支払増加分を除いた経常収支の赤字が解消していつた国(イギリス,イタリアなど),第3は,経常収支全体の赤字をむしろ拡大した国(OECDのなかの小工業国や一次産品輸出依存度の高い国,及び多くの非産油開発途上国)である。

(2) 国際的な購買力移転効果

原油価格の高騰は,交易条件の悪化を通じて,石油輸入国の購買力をOPEC諸国ヘ移転させる効果をもつた。石油価格の値上がり分の支払額すなわち購買力の移転の大きさは,OECD諸国において1974年には約590億ドルに達し,1973年のGDPの1.8%に相当した。これだけの購買力が,OECD諸国内部で消費されなくなり,これにその波及効果を加えると,移転された購買力の乗数倍だけのデフレ効果がOECD諸国で発生する。いま,こうした直接,間接の効果を試算してみると,OECD諸国の実質GDPは約4.3%減少することになる(主要先進11か国の加重平均による,石油危機前3年間の限界乗数2.368を用いた。( 付表13 参照)。このデフレ効果は,5%程度の経済成長をしてきた先進国を,1974年にはほぼ「ゼロ成長」に追い込むほどの規模だつたことになる。もつともこのデフレ効果は,OPEC諸国への輸出増加によつて一部は相殺されていつた(後述)。


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