昭和50年
年次経済報告
新しい安定軌道をめざして
昭和50年8月8日
経済企画庁
第I部 インフレと不況の克服
第1章 異常インフレの収束と課題
国内最終需要の減退で注目されるいまひとつは,民間設備投資であつた。過去の不況期においても,民間設備投資は減退したが,49年度は実質値でみると戦後最大の落込みであつた( 第41表 ),もつとも,名目値でみると,不況期としては46年度と並んで,わずかだが増加している。こうした実質と名目のかい離は投資財価格の高騰を示すもので,異常なインフレーションの影響がここにも現れている。
民間設備投資が減少した背景を調べてみよう。第1は,過去の不況期に例をみない個人消費の停滞が,影響を与えたことである。過去において,民間設備投資がもつとも落込んだのは40年不況であつたが,その内容を当時と比べてみると,今回の方が落込みが大きいのは,非製造業であり,また中小企業であつた( 第42表 )。これは,すでにみたような強い総需要抑制策がとられ,さらに非製造業については,選別的融資規制の実施などがあつて,相対的に抑制度合いが強かつたことによる面もあるが,個人消費の動向により強く影響されるサービス(後出第2部第2章 第133図 )や中小企業依存度の高い消費財の落込みが,今回は大きかつたことを示している( 第43図 )。
第2は,戦後最大の減産がデフレギャップを拡大し,それが強く影響したことである。いま,製造業のデフレギャップ,つまり,供給力過剰度をみると40年不況より大きくなつている( 第44図 )。これは,時期を追つて拡大しており,49年9月時点ではまだ46年不況程度であつたが,50年3月時点になると40年不況をこえる規模にまでなつている。デフレギャップに大きく左右される製造業,しかも投資財・生産財への需要に依存するところが大きい大企業の設備投資が,7~9月期以降急速に低下していつたのは,その現れであつた(前掲 第42表 )。いま,設備稼働率の低下と設備投資計画の下方修正の関係を業種別にみると,一般機械,窯業,非鉄金属,といつた投資財・生産財で,明らかな相関が生じている( 第45図 )。ただ,こうしたなかで,鉄鋼,化学など基礎資材部門の投資計画は,稼働率が低下を続ける下でもほとんど修正されなかつた。これは,これらの産業では投資の懐妊期間が長く,長期計画に立つて設備投資が行なわれるため,その修正が容易でないという事情によるほか,48年の異常な需給ひつ迫が特にこれらの部門に集中的に現れたため,先行きの供給能力確保をめざす投資意欲が根強く続いたことによるものである。
第3は,企業の投資負担が増大したことである。その原因のひとつは限界資本係数の上昇である。GNPを1単位ふやすのに必要な民間企業設備の比率(限界資本係数)の推移をみると,40年代後半になつて上昇テンポを高めている( 第46図 )。これは,能力拡大(コスト引下げのための合理化も大半は能力増につながる)投資の比重が低下して,公害防止のためなど能力増加に結びつかない投資の比重が上昇しているためである( 第47図 )。原因の2つは,投資財相対価格の上昇である。GNPデフレーターに対する民間企業設備デフレーターの相対価格は,30年代以降低下を続け,31~47年度間に39%も低下して,投資財価格の方が割安であつた。しかし,48年度になつてこの相対価格が上昇に転じている(前掲 第46図 )。このような変化の背景には,海外資源価格の高騰とその下方硬直化が働いている。こうした事情がこれまでの企業にとつて有利な投資環境を変えつつある。だが,48年度の異常なインフレーションは,これをおおいかくしていた。製品価格の急騰が,投資増に伴う借入金増加や償却増加の負担を上回つて,利益をあげていたからである。それに,47年度から始まつた投資の増大が資本費の増加に反映するまでには,時間的なずれがあつた。49年度に入つて,異常なインフレーションが収束し始めると,製品価格上昇の大幅鈍化に加え,売上数量が減少し,設備稼働率が低下することによつて,かくされていた投資負担が表面化し始めた( 第48図 )。いわば,40年代後半に入つてからの投資構造の変化に異常なインフレーションの影響の加わつたことが,インフレーション収束のなかで企業の投資意欲を減退させたといえる。
民間設備投資は,こうして従来にない減少を示したが,その内容は,次のような可能性を示唆している。
第1は,現在のデフレギャップが大幅であり,また企業の期待需要成長率も低下しているので,デフレギャップがなかなか縮小しないと,設備投資の停滞が続き,将来の供給力がさらに低下する可能性をもつていることである。すでに49年度における生産能力の伸び率は,45年度当時に比べ全産業では4割,製造業で5割がた低下しているとみられるが,現在の大きいデフレギャップがさらに拡大すればこの伸び率はもつと低くなつていくだろう( 第49表 )。
第2は,現在の設備投資意欲の著しい後退にもかかわらず,個人消費の回復やデフレギャップの縮小が起これば,設備投資も徐々に回復できる面をもつていることである。個人消費の回復は,非製造業や中小企業の投資に影響するからである。また,現在のデフレギャップが縮小し始めると,それは,従来に比べて,企業の投資意欲により早く影響するとみられる。それは,現在の投資水準が能力ベースでみると,大企業については,45年度の約6割に低下し,新しく増加する供給力が小さくなつているからである( 第47図 )。能力化するまでに時間のかかる基幹産業の投資は,長期的視野からそのインセンティブを強め易いといえよう。
また,今回の場合,需要の減退がかつてなく大幅であつただけに,これまで,不況期においてもさほど需給の緩和しなかつた非製造業でも,かなりのデフレギャップに直面しているものと推測され,デフレギャップが縮小に転ずると,この面でも投資促進効果をもとう。さらに,限界資本係数が高くなつているため,投資が動き出すと,これまでに比べ,供給効果より需要効果の方が大きく,現在のデフレギャップの縮小テンポもそれだけ速まることになる。
第3は,企業の値上げ意欲が潜在的に根強くなつていることである。投資負担の増大がその背景にある。インフレーションの収束は,こうしたコスト圧力を表面化させた。それは,人件費を抑制するとともに,他方では根強い製品価格引上げ期待を示している。現在の大きいデフレギャップは,こうした値上げ意欲の顕在化を防いでいるが,デフレギャップの縮小は値上げを表面化させていく可能性がある。
このような事情は,日本経済が戦後高度成長の転機にきたことを物語つている。高い限界資本係数と割高な投資財価格を背景に高度成長を再現しようとすれば,インフレーションが再燃するだろう。しかし他面,コスト圧力の下で大きいデフレギャップが縮小しなければ,低成長の悪循環に陥るだろう。このジレンマを解く鍵は,デフレギャップの漸進的縮小をはかりながら,他方では,地道な企業努力によつてコスト圧力を吸収していくことである。こうした方向にそつて内外環境の変化への適応を進めつつ物価安定を定着させ,将来の安定成長の維持を供給面から支えるのに必要な設備投資の伸びを確保していかなければならない。