昭和50年
年次経済報告
新しい安定軌道をめざして
昭和50年8月8日
経済企画庁
第I部 インフレと不況の克服
第1章 異常インフレの収束と課題
今回不況の特色は,国内最終需要の減退にあつたが,そのひとつは個人消費の停滞であつた。国民所得統計の個人消費支出(実質)の伸び率でみると,49年度(速報)はわずか2.3%にとどまつた。これは,過去の不況期の最低であつた29年度の4.8%をさらに下回る低い伸びであつた。その原因はどこにあつたのだろうか。
まず第1は,実質所得が伸び悩んだことである。全国勤労者世帯の可処分所得の伸び率をみると,名目値では,44~48年度平均13.8%に対して49年度は26.8%と倍増したにもかかわらず,実質値では,前者5.3%に対し後者は4.1%とむしろ低かつた。消費者物価の上昇がいかに大きかつたかがわかる。
第2は,消費性向の著しい低下である。全国勤労者世帯の可処分所得(実質)と消費支出(実費)の伸び率を比べてみると,44~48年度のそれぞれ5.3%,4.3%に対し,49年度は4.1%,1.1%であつた。したがつて,今回の消費停滞の主因は,インフレーションが続いているなかで,消費性向が低下したことにあつたと考えられる。それでは,なぜこのように消費性向が低下したのだろうか。消費性向は,消費者が所得の大きさを考えて,そのなかからどれだけを消費ヘ支出するか,という消費態度を表わしている。したがつて,消費性向の著しい低下は,消費態度がいままでになく慎重になつたことを示している。その原因を調べてみよう。
今回の消費停滞で注目されるのは,所得階層別の消費性向が二極分解したことである。49年度の消費性向を前年度と比べてみると,高所得層(第5分位)では4.9ポイント上昇しているのに,中所得層(第3分位)では4.7ポイント,低所得層(第1分位)ではさらに7.8ポイントも逆に低下している( 第33表 )。消費内容をみると,習慣形成効果が大きくて硬直的な生活必需支出に比べて,実質所得や実質貯蓄残高などの動向に左右される随意支出の伸びの差が著しい。消費支出の変動要因を分析してみると,この関係がよくわかる。49年度を通じて,消費を抑制した主因は実質貯蓄残高の低下であつた( 第34図 )。さらに,後半になると雇用不安の影響も大きくなつている。これに対して,実質所得の影響は期によつてかなり変化している。以上の動きには,インフレーションによる貯蓄の実質価値の減少が貯蓄動機をかえつて強めたこと,不況の進行に伴う雇用不安が消費を手控えさせたこと,また,昨年の春季賃上げの前後における賃金水準の相違や昨年後半におけるボーナスや残業手当の低下など実質所得の複雑な動きが影響を与えたこと,などの理由が考えられよう。
そこでまず,貯蓄残高の内容からみてみよう,49年度の貯蓄選択基準を所得階層別に比べると,高所得層は貯蓄残高の約3割が収益性指向であるが,低所得層ではそれが1割強にどどまり,大半は流動性と安全性を指向している( 第35図 )。最近6年間の推移をみても,両者のパターンの差は著しくなつている。
もちろん,収益性の強い資産は,それだけリスク(期待収益率の変動の程度)も大きく,しだがつて,収益性指向型であればつねに高収益を実現できるわけではない。しかし,株式や土地など,収益性の強い資産の保有者が,46~48年度にかけて大幅なインフレ利得を享受しえたことは争えず,49年度には株価や地価の低落からキャピタル・ロスをこうむつたとしても,ならしてみればその損失はインフレ利得の一部に過ぎなかつたとみられる。他方,安全性や流動性指向の資産は異常なインフレーションの過程で確実に減価しており,結局,インフレ・ヘッジが可能なだけ資産運用にゆとりのある高所得層に比べ,それが困難な中・低所得層の貯蓄減価が大幅であつたといえよう。さらに,一般的に中・低所得層の貯蓄動機を考えると,後出第2部第2章でのべるように「老後」や「住宅」への指向性が強い。「老後」のための貯蓄は,退職後の消費生活を支えるためのものである。また,「住宅」を購入するための貯蓄は,必要最小限度の家屋と土地を手に入れられるだけの金額を用意しておかねばならない。したがつて,なるべくリスクの小さい資産への運用をはかることとなるが,現実に貯蓄の購買力の不足が起こるとしたら,その不足分は現在の消費を節約することによつて埋め合わせようとするだろう。
つまり,インフレーションが貯蓄意欲を強める結果をもたらすのである。それと同時に,インフレの被害をこうむらない階層との間で消費態度に著しい格差を生じたのである。高所得層の消費がふえていても,中・低所得層の消費低下が消費全体を停滞させてしまつたのが49年の実態であつた( 第36表 )。インフレーションが不況を呼んだのであり,またその反面で,社会的不公正を生んだのである。
次に,所得と雇用の関係を検討してみよう。所得や雇用に対する不安は,今後の生活への不安にほかならず,消費節約動機を強めた,世帯収入の内容を所得階層別にみると,中・低所得層ほど世常主のボーナスやその他の臨時収入が停滞しており,それを妻の収入や事業・内職収入などで補つている( 第37表 )。49年のこうしたパターンは,40年不況時にはみられなかつた。これに対して,高所得層は,ボーナスや臨時収入の伸びが大きく,世帯主収入が世帯収入を支えるパターンになつている。所得階層間のこのような格差は,世帯主の職場が違い,不況の影響に差があつたことを物語つていよう。こうして,中・低所得層の実質所得の低下もしくはそのおそれが生じていた。それが上記の貯蓄の実質価値の減少と重なると,将来の実質貯蓄残高に対する不安が強まるだろう。
また,こうした将来の所得に対する不安は,雇用不安からだけでなく,異常なインフレーション自体によつてひきおこされる面のあることに注意する必要がある。すなわち消費者意識調査によれば,現実に物価上昇が加速すると,消費者の物価上昇に対する予想が大きくなる一方,将来の名目所得に対する期待はあまり変らない,という傾向がみいだされる( 第38図 )。この結果,消費者の実質所得期待は,インフレーションに対する警戒心から低下し,そのことが消費態度を一層慎重化させることとなつた。インフレーションは,貯蓄残高の実質購買力の低下を通ずるほか,このような消費者意識の作用によつても,消費抑制効果をもつたのである。
インフレーションのなかで貯蓄をふやそうとした人々は,それでは,どのような形で消費を切り詰めたであろうか。
消費支出の内容を所得階層別にみると,低所得層ほど食料,光熱のウエイトが大きく,高所得層ほど住宅,被服,雑費のウエイトが大きい。大別すれば,前者が生活必需支出であり,後者が随意支出ということになろう。ところで,こうした生活必需支出のウエイトが中・低所得層で48年から49年へかけてかなり上昇しているのが注目される。これは,すでにのべたような事情から中・低所得層が貯蓄を増加させるため随意支出の切り詰めにより消費を節約したことを物語つている。
さらに,生活必需支出のなかでも,より安いものへの代替が進み,あるいは節約が行なわれた。このような動きを,さらに細かい品目についてみよう。例えば,肉類や野菜類では価格上昇率が相対的に低いものへ代替し,加工食品や菓子,衣料ではより実用的な別の種類へ切替え,耐久消費財はなるべく買替えを延ばして修理して使い,対個人サービスや学用品はできるだけ節約する,という動きがみられた( 第39表 )。
結局,このような中・低所得層の生活防衛意識は,インフレーションに対する警戒心に基づいているといえよう。インフレーションが呼んだ不況は,インフレーションをなくさないかぎり回復することはできない。また,社会的不公正を改めることもできない。49年度経済は,このことを強くわれわれに教えている。
このように消費支出が停滞するなかで,住宅建設も減少した。GNPベースの民間住宅投資は,これまで,不況期にあつても実質値で増加していたが,49年度には,前年度比9.0%減と初めて減少を示した。
これを資金形態別にみると,民間資金,公的資金ともに減少しているが,とりわけ民間資金分の減少が大幅である。この背景を明らかにするため,いま,住宅投資の変動要因を分析してみると,49年度の減少の主因は,実質所得の伸び悩みにあつたが,さらに,住宅建設コストも,年度上期中は減少要因として働き,下期には,その鎮静化から増加要因に転じたものの,なおコスト水準の割高がそのテンポを制約した( 第40図 )。47年以降の異常なインフレーションの過程で地価や住宅建設費の上昇は特に著しく,例えば,住宅金融公庫融資利用者の平均住宅建設費(敷地取得費用を含む)の年収に対する比率をみると,46年度の4.4倍から,48年度には6.1倍に上昇していた。49年度には春季の大幅賃上げと年度後半の物価の落着きから,この比率はやや改善したとみられるものの,いぜん高水準にあり,他方で,先にみたように,実質所得が伸び悩むとともに実質貯蓄残高が減価し,またインフレーションへの警戒心から支出抑制態度を強めたため,住宅投資の大幅減少を招くこととなつた。