昭和49年
年次経済報告
成長経済を超えて
昭和49年8月9日
経済企画庁
第2部 調和のとれた成長をめざして
第4章 調和のとれた成長をめざして
顧みれば,第2次大戦後のわが国経済の発展はめざましいものがあつた。狭い国土に大きい人口を擁し,資源にも乏しいわが国が,今日のような経済的繁栄を実現することができたのは,世界の歴史的経験からいえば奇蹟であつた。しかし,経済的繁栄の実現が速やかであればあるほど,それが奇蹟であつたことを人々は忘れがちである。思えば戦後,世界が過去の苦い経験を反省して国際協力に努力し,先進各国が完全雇用の実現のために経済拡大に心掛け,技術進歩とあいまつて資源,食料が豊富・低廉に供給される条件があつたことなどが,戦後日本経済の奇蹟を可能にしたといえよう。もちろん,わが国をとりまく国際環境がこのように恵まれていても,わが国の自助努力がなければ,奇蹟は生まれえなかつた。勤勉で教育水準も高い1億の国民が,自由経済の下で戦後の国際環境に適応してきたことが,日本経済の奇蹟を確実なものとしたのである。
しかし,その日本経済も,今日ではこれまで経験しなかつた新しい諸問題に次々に直面している。外においては,戦後世界経済の秩序が崩れ,新しい模索の過程が始まっている。先進諸国は完全雇用下のインフレーションと苦闘し,国際通貨体制は固定相場制から変動相場制ヘ移行し,南側諸国は自国の経済開発について自主性の主張を強め,南北問題の新しい展開が始まつている。社会福祉の思想も,国際的に幅広く,内容についても多様な広がりをみせつつあり,「機会の平等から結果の平等へ」という新しい平等主義の動きも生まれている。
内においては,公害・環境問題への対応や生活関連社会資本の拡充が課題となり,労働力不足が強まり,資源・食料の供給制約の懸念と価格高騰に直面している。安定した拡大が持続する世界経済のなかで,自らの潜在力を思い切つて伸ばすことに成功してきた戦後の日本経済は,このように変貌する内外環境のなかで,これまでのような高度成長を続けられなくなつてきた。戦後の高度成長は,成長率が高くなるほど投資がふえ,それが生産性を高め供給力を大きくして,国際収支の天井を引上げるとともに,雇用の拡大,生活水準の向上,社会資本や社会保障の拡充を図りながら,物価も安定させるという効果をもつていた。それは,成長のなかでいろいろな課題を解決するという仕組みであつた。しかし,こうした高度成長が続けられなくなると,国際収支,物価,雇用,福祉をそれぞれ望ましい方向で同時に実現しようとすれば,それぞれの問題の間で選択を迫られ,また,このような選択の問題を避けて,従来の高度成長を踏襲しようとすれば,激しいインフレーションの脅威に直面することとなる。
日本経済がこのような状態に直面するようになつたのは,潜在成長力,つまり供給力がいままでのように伸びなくなつてきたためであり,また潜在成長力の鈍化は,わが国の産業構造が労働力不足,資源の供給制約,公害・環境問題などに対応できなくなつてきたからである。
しかしながら,産業構造の転換は決して容易ではない。それは,流動的な世界経済のなかで海外立地など新しい国際分業の道を見出し,また,国内において増大し多様化する福祉要求に対応できる産業構造を創造することが求められでいるからである。
日本経済はいま,このような意味で歴史的転換期に遭遇している。時代の転換期にはさまざまな新しい問題が錯そうしてあらわれるもので,それへの対応は従来になく難しい。昭和48年度の物価急騰はこうしたなかで生じたが,それがもたらした社会的不公正を改めるためにも,また新しい時代への準備を進めるためにも,日本経済の当面の課題は総需要抑制策の堅持によつて物価の抑制を図ることにある。それがたとえどのように苦しい闘いであろうとも,インフレーションの脅威を取除くことなしに,新しい時代の扉をあけることはできないからである。もつとも,今日の日本経済の問題は,世界経済の問題と二重写しになっており,幅広い国際協力の裏付けなしに,この闘いを成功させることはできない。
しかし,当面の物価抑制が進むにつれて,それをより確実なものとするためにも,現在の物価問題の背後にある日本経済の新しい適応の問題に取組まねばならない。そのような適応とは,さまざまな選択の間の調和を実現するルールを通じて,変化した内外の与件に適応できる新しい経済の枠組をつくり上げていくことである。
この場合の調和には3つの側面がある。1つは,世界経済と日本経済の調和である。わが国の産業構造を国際的視野から考え直すということは,われわれ1億の日本人が,38億のさまざまな世界の人々の立場に立つて,わが国経済の貢献できる道を探すことを意味する。たとえば,今後国内企業の海外進出が活発化するであろうが,それが相手国の経済社会の国民感情と抵触することがあつてはならないのである。日本経済の増大した対外影響力が摩擦を起こさないようにするためには,日本の安定した経済発展と国内市場の開放が必要であり,また,開発途上国経済に真に役立つ経済協力が必要である。さらには,日本経済と相手国経済の双方の発展につながる海外立地や開発加工輸入の推進などが必要である。
2つは,民間部門と公共部門および国と地方の調和である。福祉充実は公共部門の役割を増大させる。しかし,そこでは市場機構の働きがあまりみとめられない。このため,公共部門の供給は民間部門のそれより遅れやすい。また,逆に公共部門の供給をふやしすぎると,それが民間部門の需要を誘発して経済全体が需要超遇に陥る場合もある。それに公共部門の比重増大が市場機構の硬直化と結びついた場合には,経済全体の動きが悪くなる。公私両部門の供給のバランス,あるいは公共部門の比重増大と市場機構の活発な働きとが両立して初めて経済の望ましい発展が実現する。また,福祉充実は国と地方の調和を必要とする。経済全体の立場から福祉を求める国と,地域住民の立場から福祉を求める地方との調和がなければ,公共部門の比重増大も真の福祉充実にはつながりにくいからである。とくに,従来の重化学工業化と産業基盤公共投資を軸とした経済から,生活基盤公共投資や所得再分配を軸とする経済への転換は,地方の役割を高めることになろうが,その場合に国と地方の調和がなければ,日本経済の安定した成長は望めないことに留意しなければならない。なお,日本経済が内外の新しい与件の下で安定した成長を続けるためには,国内農林漁業の健全な発展も必要である。それは農林漁業が,世界的な食料供給の不安定化の下での安定的な食料供給と,いわゆる‘ふるさと’の環境保全という2つの役割をもつているからである。このような国民福祉の基礎が保証されてはじめて,日本経済の成長に伴ういろいろな不安定性が取除かれ,経済発展の担い手となる工業の安定的成長も期待できるのである。
3つは,各所得相互間の調和である。市場機構が所得分配の公正をもたらすという保証はないし,また種々の利益集団による対抗力の形成は完全雇用経済の下でコスト・インフレーション,あるいは所得インフレーションをもたらし,結局社会的弱者が取残されるという危険性をもつている。
こうした所得不調和は社会的緊張を高めやすい。インフレーションはそうした不調和を最も大きくする。したがつて,各種所得の形成にあたつては,それぞれの経済主体が物価といかなる関係に立つかを認識する必要がある。
それでは,このような調和のルールとはどのようなものでなけれぼならないか。
第1は,経済の各分野における価格機能を有効に働かせることである。たとえば,企業の市場支配力が強まり,その自由裁量で価格などが決められるようになると,消費者の主権が損なわれてしまうからである。新価格体系移行の現段階においてはこの点がとくに重要であり,新価格の形成如何は所得分配の不公正にもつながることに留意しなければならない。競争の促進はこうした意味で重要であり,それには,独禁政策の拡充強化とともに,多国籍企業の影響力が強まりつつある現状においては競争促進手段の多様化も要求される。
第2は,企業の市場における行動基準と,政府介入のあり方を明らかにすることである。供給の不確実性増大,公害・環境問題の深刻化,インフレーションの脅威などは市場機構そのものの否定に傾きがちである。市場機構に対する安易な政策介入がこうしたなかで強まりやすいというのが今日の世界的風潮であるが,緊急やむをえない場合を別とすれば,これは決して問題の解決にはならない。政府の介入はむしろ望ましい価格機能を実現できるようにするための基準と環境作りに重点をおくべきである。たとえば,公害物質に対する総量規制,自然環境保全のための各種規制,食品添加物規制,誇大広告規制,生活必需物資に対する不当な投機行為の禁止などの基準を設けて,その範囲内においては市場機構の自由な働きを認めることが大切である。また,そうした市場機構の働きが望ましい経済の動きをもたらすためには,マクロ的な経済運営の強化や産業構造の方向づけ,さらには各経済主体の社会的責任の自覚にまたねばならない。
マクロ的な経済運営としては,機動的な総需要管理とそのための政策手段として租税・金利等の弾力的運用を含む多様化が必要である。とくに,供給力が従来に比べて制約的になりつつある状況下において,公私両部門の調和や各種所得の調和を図るためには,総需要管理の適切な運営が従来にもまして重要である。
他方においては,需要を賄う供給力の増加も必要である。近年においては,公害防止投資の急増等から限界資本係数(GNP単位当たりの資本の増加)が急上昇し,基幹産業のボトル・ネックも加わつて,わが国の潜在成長力がかなり鈍化しているが,貿易や産業の構造転換を通じて供給力と需要がつり合いのとれるようにすることが必要である。また,激動する世界経済のなかで,供給の不確実性を低めることによつて,価格機能の安定を図る必要がある。これは,結果においては所得分配の不公正を防ぐ一手段であり,資源・食料供給における備蓄,リサイクルなど柔構造化はこうした視点からも評価できるであろう。
なお,国民生活と深いかかわりのある分野で,自由な市場機構の働きだけでは十分な成果を挙げえない農林漁業・中小企業等の低生産性分野については,適切な政策的配慮を必要としよう。
第3は,福祉充実のための財政の適正な対応と社会的便益に対する費用負担の内容を明らかにすることである。福祉充実の要請はますます社会保障や公共投資を拡大することになるが,インフレーションの脅威にさらされる現状では,所得保障と公共投資を一体のものとして考えると同時に,それぞれのナショナル・ミニマムを保障することをめざすことが重要である。もつとも,公共財と私的財の中間的性格のもの,あるいは私的財であつても社会的要求の強くなつているものなどいわゆる混合財の分野が拡大していることも事実であり,これに対しては,費用負担の明確化と公共部門の責任分野をナショナル・ミニマムとの関連ではつきりさせる必要がある。このような視点からみて,公共料金,税負担,社会保障は,バラバラでなく福祉全体の枠組としてとらえ,総合的に福祉充実に貢献するものでなければならない。
新時代における日本経済の成長の基盤は,調和とそれを実現するためのルールの設定にあるといえよう。それは成長が究極的に福祉充実につながるような経済の動きをつくることにある。成長のみに走つて福祉が犠牲になつたり,目先の福祉だけを考えて経済の動きを悪化させるようでは,いずれも,究極的には福祉充実に沿わないのである。現代の自由経済にとつて,福祉充実は基本的な課題であるが,その実現は決して容易ではない。
日本経済の新時代への道は新しい適応の過程であるが,それは,これまでの成長経済を超えて,人間性豊かな社会を実現するものでなければならない。それは調和的成長とよぶこともできようし,また,自由と公正がともに実現できる経済ということもできよう。1億国民が豊かな人間性にめざめ,社会的公正についての共通の認識を強めることが,日本経済をインフレーションや統制の懸念から救い,この激動の経済社会にあつて個人の自由を守り,ひいては福祉を実現する道である。