昭和49年
年次経済報告
成長経済を超えて
昭和49年8月9日
経済企画庁
第2部 調和のとれた成長をめざして
第4章 調和のとれた成長をめざして
日本経済はいま歴史的転換期に遭遇している。昭和48年度経済が激しいインフレーションの脅威に直面したことは,そのことを雄弁に物語つている。この理由は,40年代央から日本経済の潜在成長力が鈍化しつつあつたこと,石油危機に象徴される世界的な資源問題に直面してその鈍化傾向が強められたこと,これに対して所得形成や政策運営には従来からの慣性が働いていたため,需要が潜在成長力が上回つたことにある。バランスを失つた経済がどのような混乱をもたらすかを,われわれは48年度の異常な物価高騰において経験した。その実態は第I部で明らかにしたところである。
49年度経済は,インフレーションを抑えつつ新しい時代への入口を模索する段階にある。潜在成長力が鈍化しても,それに見合うようには需要がなかなか鈍化しない現状においては,本来短期であるべき総需要抑制策を中期的視点から見直さなければならなくなつてくる。物価抑制のためには,従来に比べてより長く引締めを続けなけれげならないというのはそのためである。しかし,同時に新しい時代への用意をしなければならなくなつていることも事実である。そこで,第II部において.産業構造の転換,価格機能の活用,福祉充実という3つの問題を取上げて検討した。そこでは,現在の産業構造が内外の新しい要請にこたえられなくなつてきたこと,したがつて産業構造の転換を図らなければならないが,その場合に価格機能の役割をどのように考えていくかが問題となる。とくに,従来と違つて価格機能の働きにくい福祉充実が,今後の日本経済の基本的課題となつていること,また最近物価急騰のなかで価格機能に対する不信感が社会的に芽生えていることを考慮すると,これからの産業構造政策の責務は重いといえよう。この場合,基本的には福祉充実を経済全体の枠組のなかで総合的に進めるとともに,他方では価格機能を積極的に活用していくことが必要である。
ところで,石油危機を契機に生まれた新しい価格体系への移行は,49年度経済の基本課題であるが,それは産業構造の転換,価格機能の活用,福祉充実という上記の諸問題の接点に位置している。それが,今後どう進められるかによつて,インフレーションが再び問題になつてくるおそれもないとはいえない。
それでは,新価格体系への移行とは何を意味するものであろうか。それは,石油危機を契機に一挙に表面化した原油価格の急騰に基づく産油国の交易条件の大幅な改善であり,ひいては開発途上国の経済的自主性の要求の強まりと解すべきであろう。これは,これまで不安定で長期的には工業製品価格に対して低下傾向をたどつてきた一次産品価格を引上げて,一次産品輸出国の交易条件を一挙に改善することを意味している。しかし,価格の変動が大きく,供給の弾力性が小さい一次産品の価格が,それと対照的な工業製品価格と常につり合いを保つていくことは,本来むずかしい。そこで,一次産品輸出国が供給を調節して,その輸出価格と工業製品の輸入価格とのバランスを保持する必要がでてきた。工業製品を輸入に仰ぐ一次産品輸出国は開発途上国にほかならず,また,工業製品輸出国は先進国であるから,これは結局,開発途上国が自らの経済発展を促進するために経済的な自主性を強めること,つまり,南北問題の質的変貌を意味している。供給独占という条件を備え,所得弾力性が高い原油に,こうした南北問題の質的変貌が象徴的な形で表面化した。
こうして世界の石油消費国は,高価格原油という新しい現実を前提として,自らの経済の安定と発展を考え直さなければならなくなつている。これが,いまわれわれが直面している新価格体系移行の問題である。もつとも,この見方はやや狭すぎるきらいもあるが,最近これに国内で生じたさまざまな要因を加えて,それを漠然と新価格体系とよぶ見方もあるので,その内容についてはできるだけ狭く解釈した方がよいと思われる。なぜなら,わが国において,石油危機を契機に生じた異常な物価高騰による思わざる利益や,合理化で解消できるコスト増まで正当化してしまうおそれがあるからである。
日本経済は,すでにこうした新価格体系の問題が生ずる以前から潜在成長力の鈍化に直面しつつあつた。今回の石油危機は,その傾向を一層はつきりと認識させたといえる。それでは,なぜ潜在成長力は鈍化したのか,またそれは産業構造の転換とどういう関係をもつのか,さらに新価格体系移行はこれにどう影響するかを次にみてみよう。
わが国の潜在成長力が鈍化したのは,公害問題,新規立地難,労働力不足など生産諸条件の制約が大きな原因であつた。
それは,まず限界資本係数の急上昇にあらわれている( 第II-4-1図 )。GNPを1単位ふやすために必要な資本量は,40年代後半に入つて急上昇しており,それに伴つて成長率は40年代前半の10%以上から7%台に低下した。これは,40年代後半になつて公害防止投資,省力化投資が急増したためである。公害防止投資についてみると,40年代前半はほとんどなかつたが,49年度には総投資額中16.2%(開銀調べ,49年5月)を占めるに至つている。省力化投資については,製造業における更新投資比率の上昇,物流面における機械化などの形をとつてあらわれている。
次に,ボトル・ネックの発生がある。これは,ボトル・ネック不況でわが国基幹産業の投資が停滞し,その生産力拡大テンポが鈍化したためである。また,鉄銅,電力,エチレンなどの今後の生産力を資源制約,新規立地の可能性などから予想すると,これまでの高度成長を続けていくことは困難になりつつある( 第II-4-2図 )。48年度経済は,こうした戦後高度成長の転換期に遭遇していたため,ボトル・ネックと潜在成長力の2つのハードルに直面し,第1部で詳述したような物価の急騰を生じた。
今日,わが国の産業構造が転換を迫られているのは,重化学工業化の基礎となつていた基幹産業が,資源・エネルギー問題や公害・環境問題などの登場によつて,従来のようなテンポで成長できなくなつてきたことにある。したがつて,これら産業が制約要因を解消し,あるいはこれら産業の需要の比重を低めることが潜在成長力を高め,ボトル・ネックを解消することになる。産業構造転換の課題もそこにある。これらの産業とは,戦後産業構造の中心となつてきた鉄鋼,非鉄金属,化学,石油などの重化学工業と,それを支えた電力などの基礎産業である。
しかし,これら産業の転換は簡単ではない。なぜなら,需要動向や貿易パターンによつて,これらの産業の生産は影響されるからである。いま,産業連関表等を用いて試算してみると,1つは消費,投資など最終需要の成長率の大きさ,いま1つは需要項目のウエイトの違いによつて,全産業生産額に占める重化学工業のシェアが変化している( 第II-4-3表 )。つまり,最終需要の成長率が高かつたり,最終需要のなかで輸出の伸びが高いと,重化学工業のシェアは上昇することを示している。これは,最終需要の成長率が高くなるほど最終需要単位当たりの生産誘発度が高まり,またそうした生産増を賄うための投資と,その投資を賄うための生産がふえるという関係が生まれ,「投資が投資をよぶメカニズム」が強まるからである( 第II-4-4図 )。輸出がふえるとき,この傾向は最も強まる。
わが国の重化学工業比率は,これまでこうしたメカニズムで上昇してきた( 第II-4-5表 )。
それでは,新価格体系移行がこのような重化学工業化にどう影響するかを考えてみよう。
いま,原油価格が3倍に上昇したことを前提にして(48年10月,49年1月の0PEC値上げに相当する),その衝撃がマクロ経済にどう波及するかを追跡するモデルを作つて検討すると,次のような結果がえられる。原油値上げはまず輸入価格を3~4割高め,工業製品の輸出価格を1割程度高めて,それが輸出を抑え,GNP,設備投資に影響し,個人消費にも若干影響を与える。GNPの鈍化は輸入を抑え,設備投資の鈍化は潜在成長力を低めるというプロセスでその衝撃波が日本経済に伝わつていく(ケース1)。この衝撃波は原油供給の制約を加えると,もつと増幅される( 第II-4-6図 ケース2,3)。それは,自給率の大きい経済に比べて自給率の小さい日本経済ではより強くあらわれることになる( 第II-4-7表 )。一方,原油価格値上げは需要シフトを生ずるはずである。たとえば,本年3月以降の石油製品価格,電気料金,鋼材価格の引上げの価格波及を産業連関表でとらえ,その結果を業種別需要関数に投影させると,その価格弾力性効果を通じて業種別の需要量が変化する。これは,消費,投資など最終需要の財別構成比を変え,最終需要のそれぞれの項目の財別生産誘発度を変化させる。こうした需要シフトの効果を織込んでみると,鉄鋼,エチレン,電力,原油の必要量はある程度節約される。こうした節約分をGNPに換算すると1~2%になる(前掲 第II-4-2図 )。もつとも,これには代替技術の進歩などを考慮していないので,それが期待できれば,この節約効果はさらに確実なものとなるであろう。
こうした石油危機の衝撃は,日本経済にとつて,前掲 第II-4-3表 に従えば,最終需要面から重化学工業比率を低める方向に作用することになる。従来は, 第II-4-3表 のケース2型であつたが,これがケース4ないし5型に変化することを意味する。
また,こうした価格弾力性効果に,財政支出の拡大による福祉型成長パターンを加味してみると,過去のすう勢型に比べて,重化学工業比率の低下,さらには製造業比率の低下が明瞭に浮かび上がつてくる( 第II-4-8表 )。
以上のようにみてくると,今回の新価格体系移行は,わが国産業構造転換の問題を解く一つの鍵であり,それを活用して資源再配分を進めることができれば,まさに日本経済にとつて“禍を転じて福とする”ことができよう。
産業構成を変えるのは需要であり,また資本や労働あるいはそれらを調整する価格機能であり,さらには技術進歩である。しかし,どのような産業構成が妥当するかを決めるのは,国民の合意に基づく政策的選択である。望ましい産業構造の転換は,こうした2つの側面をみたすものでなければならない。
わが国は,戦後第2の産業構造の転換期に直面している。それは,戦後日本経済のめざましい発展の結果でもあるが,同時に内外の諸条件が変わつて,新しい対応を迫られているからでもある。こうしたなかで産業構造の転換を進めるには,上記2つの側面から考える必要がある。第1は,需要や生産諸条件の変化に伴う価格機能の働きを活用することである。前述のいろいろな分析は,価格機能を通じて,産業構成が変わりうることを示唆している。戦後の産業構成変化に大きく影響を与えたエネルギーの豊富・低廉が一変して高価格となつたことは,価格機能を通じて産業構成が今後変化していく可能性を示している。労働力不足や公害防止費用の内部化もまた,価格機能を通じて産業構成を変えていくであろう。
第2は,そうした産業構成の変化が国民経済的にみて,望ましい方向に進むよう政策の誘導を必要とすることである。現在,この面で最も必要なことは,国際協調と国民福祉充実のための産業活動のルールと今後の方向を明確にし,またそのなかで,内外の需要や国内の生産諸条件の制約に適応していくために価格機能が十分に働く環境を整備することにある。ところで,産業活動の今後の方向を明確にすることは,市場の不確実性を低めるとともに産業活動が国民経済的にみて望ましい方向に進むための指針となる。そのルールを確立することは,正常な市場活動から企業が逸脱しないようにするためである。また市場環境の整備は,市場行動における最近の硬直化を改めて,競争の促進を図るためである。
省資源,省エネルギーの問題は,今日わが国の産業構造転換の基本的課題のひとつとされ,前述のような新価格体系への移行はそのための挺子としなければならない。省資源,省エネルギーの問題は,上記の産業構造転換の視点から進める必要がある。しかし,こうした産業構造の転換は,少なくとも10年程度の長期的視野に立つて,着実に進めていくことが望ましい。それは,今後の産業構造転換のあり方が,従来のように様々な立場の利害調整を成長のなかで解決していくのでなく,それぞれの利害調整を相互理解に基づいて解決する方向ヘ変わりつつあるからである。
また,食料などの安定的確保や国内の環境保全の観点から,こうした産業構造転換のなかでわが国の農林漁業の健全な発展を図つていくことが必要であり,そのためには望ましい産業構成のなかでの農林漁業等の位置づけと,それに対応した適切な政策が必要である。
また,これまでのような海外技術の導入や商品貿易から一歩進んで,自主技術の開発を行い,さらには商品よりプロジェクトを重視する対外投資・援助を通じて,新しい転換が行われなければならない。産業構造の転換にとつて,技術進歩はとくに重要な課題であるが,それには次のような新しい対応が求められよう。
まず,自主技術の開発が必要であるが,それには研究開発投資の充実,研究人材の確保・育成,研究環境の整備,研究活動の効率化などを総合的に展開していく必要があるので,従来にも増して政府の役割は大きい。また,研究対象については,福祉の充実のための公害防止,医療,災害,事故の防止などの分野,資源・エネルギー対策として原子力の開発利用,及び核融合,太陽熱,石炭ガス化等の新エネルギー開発,リサイタリングなど,さらにはライフ・サイエンス,宇宙・海洋等の新領域開発などが重要である。また,技術の及ぼす影響を事前に総合的,多角的に把握,評価し,必要に応じて代替策を検討して,最良の手法を選択するためのテクノロジー・アセスメントも必要とされている。
わが国産業構造の転換を進めるためには,以上のような対応が必要である。しかし,それが確実なものとなるためには,いくつかの条件を充たしていくことが必要である。
第1は,インフレーションに陥らないことである。産業構造が現状のままで需要がふえすぎると,供給力が制約されているだけに,需要超遇に陥りやすく,その結果需要インフレーションが生じやすいというのが,今日の日本経済の実態である。その内容についてはすでに第1部で詳述した。こうした需要インフレーションが発生すると,新価格体系移行のもつ相対価格効果は埋没してしまう点に留意しなければならない。
これを避けるには,新価格体系移行の下で日本経済が安定するまで総需要管理を続けることが先決である。そのうえで産業構造の転換を確実にする安定的な経済再拡大を進める必要があろう。現段階では,まず何よりも根強いインフレ心理を一掃することが重要であり,またそれとともに,技術,資本,労働力の移動を円滑にするための環境づくりが先行しなければならない。
第2は,対外経済関係の再編成を進めることである。最近のわが国では,重化学工業化が急伸した結果として,主要産業輸出の世界輸出増加に占める比重が高まり,またその生産に要する主要資源輸入の世界輸入増加に占める割合も著しく大きくなつている( 第II-4-9図 )。
こうしたなかでの新価格体系移行は,世界の工業基地としてのわが国の輸出価格を比較的容易に高めることができるが,それは,わが国のこれまでの産業構造を変えにくくする。また,開発途上国において所得向上に対する強い要求と,それを可能にするための工業化に対する自主性の主張があり,わが国においてもさきに述べたような生産諸条件の制約があることを考えると,日本経済が世界の工業基地化するよりも開発途上国の工業化が前進し,また開発途上国のなかに資源消費市場が生まれることが重要である。
この意味において,わが国の基幹産業は,これまでの消費地加工方式から生産地加工方式あるいは中継地加工方式への転換を図り,また今後日本経済は資源の輸入市場としてよりも,半製品,工業製品の輸入市場としての役割を高めていく必要がある。これは,基幹産業だけでなく,労働集約的な軽工業についても同様である。それは開発途上国の工業化がこの分野から始まる傾向が強いからであるが,わが国の完全雇用化と為替調整により,すでにこの分野では輸入が急速に増加しつつある。第2部第1章で詳述したように,わが国の産業構造は主要工業国と比べて,貿易構造における水平分業の遅れが目立つているが,これを改善することは,国内の労働力節約と潜在的汚染発生量の減少にも役立つ。それはわが国の労働生産性を高め,開発途上国からのより高次の工業品需要に応ずる輸出力を強化することにもなる。
第3は,福祉充実に配慮しなければならないことである。新価格体系移行は資源再配分を押進めるが,他方では,そのことが低所得層への経済的負担を重くするという場合もあろう。したがつて,資源再配分が所得分配の公正を妨げないようにしていく,あるいは,その過程で積極的に所得再分配を押進めるようにすることが必要である。エネルギー価格の大幅上昇を起点に,上昇率の高低はあるものの価格体系そのものが変わつていくとき,需要の所得弾力性が低い,あるいは供給の価格弾力性が低い財・サービスの価格上昇は,低所得階層の実質所得を相対的に低め,所得分配の不公正をもたらす( 第II-4-10図 )。
この場合,公共料金(たとえば電気料金)については,ナショナル・ミニマムを設けることも必要であるが,資源再配分との両立を考えるならば,別途の対策を考慮する必要がある。1つは社会保障の拡充,2つは低所得層に対する減税,3つは所得再分配を実質的に保障するため,国民生活に関係が深い公共の施設やサービスの供給を強めることである(なお,第2部第3章参照)。
以上の諸対策は総合的に考えるべきであり,それは社会保障におけるマンパワーの量質両面の向上や生活関連社会資本の拡充が伴わなければ,最低所得保証の実効を期しがたいからである。この場合の費用負担についても,所得再分配の視点から総合的に検討する必要がある。なお,こうした対策は,産業構造の転換を公害防止,環境保全,過密・過疎問題などの解決につながるよう進めることとあいまつて,広く国民生活を向上させ福祉を充実させるであろう。