昭和49年

年次経済報告

成長経済を超えて

昭和49年8月9日

経済企画庁


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第1部 昭和48年度の日本経済

4. 総需要抑制策と今後の課題

(3) 景気の現局面と今後の課題

タイムラグは大きかつたが,49年に入ると,総需要抑制策の効果は漸く実体経済に浸透してきた。すでに1で述べたように,インフレーション的ブームは1~3月で終止符を打つたからである。こうしたブームの典型的商品のうち,生活関連品目については本年初頭に価格を凍結したが,ブームの終焉に裏付けられてその後価格は反落ヘ転じている( 第I-4-14図 )。

需要の減退につれて製品在庫率が急上昇し,設備稼動率も低下した(前掲 第I-1-1表 )。こうして卸売物価は前月比で48年12月7.1%,49年1月5.5%,2月3.9%と急騰したのち,3月,4月ともそれぞれ0.7%,5月0.6%の小幅な上昇へと鈍化した。消費者物価(全国,季節商品を除く)も,卸売物価の鈍化を反映して前月比で48年12月3.3%,49年1月3.5%,2月2.9%と急騰したのち,3月0.8%,4月1.9%,5月1.6%とかなり上昇率が鈍つてきた。

しかし,今回の景気調整局面は,従来と非常に異なる点がいくつかある。第1は,需要面である。49年1~3月の実質GNP(速報)が5%減(前期比),鉱工業出荷が3.9%減(前期比)と異例の落込みを示したのは,それまでのインフレーション的ブームのなかで発生した仮需要のはく落,物価急騰等による実質所得の低下,石油危機の衝撃による自動車などの売行き不振,物価の異常な急騰の下での先行き見通し難に基づく設備投資計画の繰延べが大きく影響したためであつた。しかし,賃金所得については,本年春季賃上げ率が32.9%(労働省調べ,大企業)の高率となり49年1~3月の消費者物価上昇率(全国,前年同期比)を再び上回つており,それを起点として所得波及が起こりつつあるので,実質所得はこれまでの遅れを取戻したことになる。5月以降,日銀券や百貨店売上げの伸びが,再び上向きへ転じているのは,実質所得の回復に伴う個人消費の増大を示唆している。また,民間設備投資についても,先行指標の機械受注(船舶を除く民需,前期比)でみると,1~3月の49.4%減のあと4~6月は48.8%増と底固い動きをみせている。これは,基幹部門である鉄鋼,石油化学,電力などにおいて,供給力の制約が基本的に解消していないこと,企業の存立にかかわる公害防止投資の必要が強いことなどを反映している。さらに,最近の輸出急増が海外需要に裏付けられていることも,大きな特徴である。いま,主要工業国の設備投資の伸びをみると,1973年には68,69年をしのいでおり,各国が同時的に上昇した( 第I-4-15図 )。この傾向は74年に入つてからもなお続いており,各国とも投資財関連部門の需給はなかなか緩和せず,これらの輸入需要が強い。とくに,鉄鋼などにその影響が大きくあらわれている。また,資源輸出国も,価格急騰で外貨がふえ輸入力が高まつているため,輸入需要が旺盛である。

第I-4-16図 生産能力の伸び(紙・パルプ,化学,一次金属,製造業計)

このようにみてくると,49年1~3月の需要減退は,引締効果の浸透とともに,物価の異常な急騰や石油危機の衝撃に基づく,いわば一過性の落込みという性格も強かつたと考えられる。

第2は供給面である。すでに指摘したように,製造業の生産能力の伸びが低くとくにこれが鉄鋼,化学などの基礎資材部門において著しい( 第I-4-16図 )。このため,需要が鋭角的な落込みをみせた49年1~3月についても,全産業の需給ギャップ率をみると,事前の支出計画を推定してそれを前提に算出されたいわば潜在的ギャップと実現値の乖離が大きく,前者はまだ供給力超過が小さいことを示している( 第I-4-17図 )。これは,需要がふえると需給が再びひつ迫して,物価が上昇しやすい環境にあることを示している。

第3は,コスト面である。原油価格高騰が引金となつて,石油製品価格,電気料金,鋼材価格が大幅に引上げられ,今次の春季賃上げがこれに加わつたことから,生産コストの上昇圧力がきわめて大きいことである。いま,右油製品,電力価格および賃金引上げのコスト上昇効果を産業連関表で試算してみると,卸売物価ベースに引直して29.3%,さらに消費者物価でも同率の上昇率となる( 第I-4-18図 )。もっとも,これらの相当部分はすでに現在の物価水準に先取りされていると思われるが,上記の需給環境からいえばこうしたコスト上昇が安易に価格に転嫁される可能性がある。

以上の諸要因を総合すると,今回の景気調整局面は,過去に比べて自律的ゲ後退を展開していく力はかなり弱いといえよう。こうした今回の景気調整局面の性格は,在庫調整のテンポからもうかがわれる。本年に入つて石油危機前後の異常な仮需のはく落という形で流通段階の在庫調整が始まり,また,大幅減産に伴い仕掛品在庫投資も減少した。しかし,原材料在庫については,なお不足感が根強く残り,製品在庫についでみても,本年に入つてようやく製品在庫率が急上昇し,5月には企業の在庫水準判断に過剰感が強まつた段階にある。しかも,前回の調整局面と比べると,過剰感はまだ総じて弱く本格的な製品在庫調整が始まる局面にないことを示している( 第I-4-19図 )。これは,48年中の製品需給ひつ迫の程度が著しかつたため,在庫の積上がりが低水準から出発したことにもよるが,インフレーション的ブームが終息して間がないため,企業にインフレ期待感が根強く残り,このため在庫過剰感がなかなか高まらないという面も見逃せない。

もつとも,現在とられている総需要抑制策の下で,企業金融は49年に入つて明らかにひつ迫基調に転じており,その効果は実体経済面にも徐々に浸透している。この結果企業のインフレ期待が払拭されることとなれば,やがて在庫調整の進行等から物価安定への展望が開けよう。しかし,いまここで総需要抑制策を緩和してしまえば,コストの上昇圧力が需給ひつ迫を通じて容易に価格ヘ転嫁されてしまい,それは企業収益の回復となつて景気の自律的上昇力を強め,物価の高騰を再燃してそれが賃金にはねかえる危険性をはらんでいる。

このような情勢を考慮すれば,現段階での総需要抑制策の緩和は時期尚早である。インフレーション的ブームの再燃を避けるためには,物価抑制に重点をおいた経済運営を堅持してゆかなければならない。ここしばらく抑制堅持を貫いても,景気の冷えすぎの懸念は少ないし,いまは景気より物価の安定を優先させるべきである。

もつとも,景気局面の明暗が業種間で著しいこと,コストの上昇圧力が大きいことは,今後総需要抑制策の効果浸透につれて摩擦を生ずる可能性も示唆している。

今回の景気調整局面の最も基本的な特徴は,日本経済の供給力が減速し,慢性的な需要超過が起こりやすい環境のなかでの景気調整であること,また,国際的な一次産品の価格革命が起こつて,その影響を日本経済が強く受けつつあるなかでの景気調整であることにある。したがつて,このような中期的,構造的な問題と切離して当面の景気政策を考えることはできない。これまでは景気を重視することが日本経済の供給力を高め,これがコスト低下につながつて,物価安定と国際収支均衡を実現してきた。しかし,今日では物価の安定を重視することが物価と賃金の悪循環を避けるとともに産業調整を促し,そうした調整を通じて省資源型の産業構造への転換の契機が生まれ,また,国際収支の均衡と供給力の展望が開けてくる関係に変わつてきたといえよう。

このような意味からみて現在の総需要抑制策は,日本経済の歴史的な転換点における古い時代から新しい時代への仲介者の役割を帯びている。それには,従来短期に限定されていたこの政策を中期的視野から運営できるように,補完的手段を用意しつつ多様化を図ることが必要である。まだ,その間に生じやすい社会的摩擦や弱者へのしわ寄せを適切に救済していくこと,さらに,各種の市場介入措置を排して産業構造転換の基礎条件を整えていくことを必要としよう。

この場合,総需要抑制策を堅持すれば,産業構造の転換ができなくなるという見方があるが,これは正しくない。むしろ,ここで抑制策を外せば,景気は再び急速に上向き,基幹産業のボトル・ネックに衝突し,物価が再騰して賃金にはねかえり,国際収支の赤字も再拡大するおそれがある。そのような情況では,新価格体系のもつ価格弾力性効果がインフレーションのなかで減衰し,産業構造の転換が困難になるからである。

日本経済の当面する課題は大きく,かつむづかしい。その解決を一歩誤れば,わが国の自由経済は戦後最もきびしい試練に立たされるからである。現在の総需要抑制策を続けることがたとえ苦しくても,それがインフレーションを抑え,新しい時代への仲介者となることを思えば,日本経済の将来と福祉充実のために耐えなければならないときである。