昭和47年
年次経済報告
新しい福祉社会の建設
昭和47年8月1日
経済企画庁
第2章 円切上げの影響
為替レートの切上げは,輸出減,輸入増による国内需給の緩和や,円ベースでみた輸出入価格の低下,さらには国際収支の黒字縮減による過剰流動性の圧縮などによつて国内物価の安定に大きな効果をもつはずである。やや長期的にみれば,円切上げは生産性の低い産業を高生産性部門ヘ転換させることによつても物価安定に寄与することが考えられる。このような効果が円切上げ後のわが国物価動向にどのように現われ,またどのような要因によつて現われにくくなつているかを以下にみよう。
40年代前半にはそれまで安定的に推移してきた卸売物価の騰勢が強まり,卸売,消費者両物価が平行的に上昇するという経験をもつこととなつた。これは国内経済が好況を続けたことを基本的な背景とするものであるが,これと密接不可分の関係にあつたのがいわゆる「輸入されたインフレーション」であつた。43年から45年にかけて輸出物価の急上昇をともないつつ輸出増加が国内需給引締まりの一因となり,輪入物価の上昇と相まつて国内卸売物価が押上げられた( 第2-22図 )。海外インフレはわが国企業に輸出採算の好転と市場の拡大を同時にもたらし,それが楽観的な需要見通しに基づく設備投資意欲をあおることによつて,国内需給をさらにひつ迫させた。
このように輸出と設備投資が相互に増幅するかたちで好況が持続する間は,企業は高収益を,労働者は高い賃金上昇をそれぞれ享受していただけに,「輸入されたインフレーション」への対処は遅れることになつた。こうしたことが賃金上昇率の加速化を通じてコスト面からの物価上昇圧力をも強める一因となつたことを否めず,海外インフレの国内物価への影響が,単に輸出入物価や製品需給を通じるものだけにとどまらないことを教えた。「輸入されたインフレーション」が賃金コスト面にまで及んだことは,卸売物価の水準が40年代に入つて一段底上げしたことのひとつの要因とみられ,いわば後遺症を残すことになつたといえる。30年代からの卸売物価変動の各循環について,ボトムの水準に対する次のボトムまでの上昇ポイントの比率をとつてみると,40年代に入つてその比率が大幅に高まつていることがわかる( 第2-23図 )。
いまから考えれば,海外インフレの影響が強まり,国内需給も引締まつている時期に円切上げが行なわれれば,それは物価の安定と国際収支の均衡の両者に一石二鳥の効果を発揮したであろう。しかし現実には44年秋には金融引締め政策がとられ,これもあつて45年夏以降景気は後退局面にあり需給ギャップが拡大した。このため卸売物価は低下傾向に向かつた反面,対外不均衡はさらに拡大する結果となつた。円切上げがこうした段階に行なわれたため,その影響の現われかたにも次のように特徴がみられた。
第1は昨年8月のアメリカ新経済政策発表後,円ベースでみた輸出入物価は急速に低下したことである。昨年8月から本年3月までの間に輸出物価(円べース,日銀調べ)は4.4%,輸入物価(同)は7.1%もの低下を示した。とくに輸入物価は,本年3月には海外インフレの高進がみられる前の43年春頃の水準まで一挙に戻している。こうした輸出入物価の低下を円の切上げ率(IMF方式では16.88%,円建てでは14.44%)に対する比率でみると,輸出物価は26.1%,輪入物価は49.2%となつている。
円切上げが不況下で行なわれたため,多くの業種に操業度を維持するための輸出圧力が残つたことは,ドルベースの輸出価格引上げを抑制し,円ベースでの輪出価格を引下げさせる結果となつた。
第2は円切上げが国内の需給ギャップをさらに拡大させるものであつたため逆に操業率低下にともなうコスト圧力を強め,企業に価格支持の動きをとらせたことである。今回の景気後退期には12件の不況カルテルが認可されたが,それはいずれも昨年11月以降のことである。これらのカルテル品種の卸売価格はほとんどがカルテル結成後2ヵ月以内に上昇に転じており,自主減産を強化した業種とともに,商品市況底入れの大きな要因となつた( 第2-24図 )。
第3に内外不均衡の激化に対処して景気対策が強化されたことも,円切上げの物価への影響を相殺する方向に働いたことである。金利の引下げや通貨供給量の増大は,アメリカ新経済政策発表後の在庫再調整を小幅なものにとどめ,卸売物価の低下も短期間で終息した。また,公共投資の拡大を軸とする財政面からの景気対策が商品市況の底入れから回復により直接的な役割を果たしたことは,第1章でみたとおりである。
第4は以上の結果輸出入物価が低下を続けるなかで卸売物価は円切上げとほぼ時を同じくして下げ止まつたことである。45年10月をピークに軟化を続けていた卸売物価は,46年7~8月には在庫調整の進展を背景に一度は底入れの気配をみせたが,国際通貨危機にまきこまれた9~11月には再び大きく低下した。しかし,多国間通貨調整が成つた12月には下げ止まり,本年2月からは漸騰に転じたのである。この間の輸出入物価低下の直接的な影響をみるために,卸売物価指数採用品目のうち輸出入品目だけをとり出し,その価格の低下が卸売物価変動に与えた寄与度を計算してみよう。これによると,46年7~11月の卸売物価1.1ポイント低下のうち,0.44ポイントは輸出入品の価格低下によるものであり,また46年12月から47年3月の卸売物価0.5ポイント上昇は輪出入品の値下がりがなければ0.7ポイントの上昇であつたことになる。品目別にみても合成樹脂や合板のように輸出価格,国内価格ともに大幅に下落しているものはむしろ少なく,鉄鋼,繊維のように輸出価格の低下にもかかわらず,卸売物価が上昇しているものが多い。とくに輸出が価格,数量ともに下落している金属製品,織物,繊維二次製品等中小企業製品でも国内価格は上昇ないし下げ止まりをみせている。
このように円切上げは輸出入物価の低下をもたらしたが,卸売物価は不況下ですでにかなり低下しており,また円切上げと同時に不況カルテルが認可されたり,景気対策が強化されたことによつて,卸売物価がさらに低下することはなかつた。しかし,45年秋以降,国産品の卸売物価が軟化傾向にあるなかでも強含みを続けていた輸出入物価が46年8月以降低下し,また,今後も当面輸出量の伸び率鈍化が需給緩和要因として働くことが見込まれるなど,43年頃から目立つた「輪入されたインフレーション」のルートは円切上げによつて一応遮断されたものとみることができよう。ただ海外インフレの影響が長期にわたつたなかで賃金上昇率が高まり,物価が全体として底上げされたことは,今後の物価動向に多くの問題を残している。
円相場の上昇や円切上げが消費者物価に安定効果を与える経路は大別してふたつある。ひとつは原材料など卸売物価の低下や労働需給の緩和を通じる賃金上昇率の鈍化によつて消費者物価を安定させる経路であり,他のひとつはより直接的に消費財輸入の価格低下,数量増大によつてもたらされる安定効果である。卸売物価が円切上げ後むしろ上昇に転じ,賃金上昇率もさして低下していないため,第1の経路による消費者物価安定効果は一般に小売価格に占める原材料費の割合が低いことなどから,これまでのところ灯油など原材料の大部分を輸入に依存している一部の商品を除けば目立つて現われているとはいえない。ここでは輸入消費財の価格と数量がどのように変化し,それが国内小売価格にどの程度反映しているかをみよう。
昨年秋からの円相場上昇のもとで,輸入価格は全体として急速に低下した。主な輸入消費財の輸入価格の変化とその国内小売価格への波及をみると,次のような傾向が指摘できる。
第1にバナナ,レモン,グレープフルーツといつた輸入果物では輸入価格の低下,輸入量の増加のなかで国内小売価格もかなり下落している。これらはすでに輸入が自由化され,輸入と国内流通がともに競争的に行なわれており,輸入価格の変動が小売価格に波及しやすくなつている( 第2-25図 )。
第2に,すでに自由化され輸入依存度が高いもののなかでも,冷凍えびのように輸入価格が円切り上げ後むしろ上昇し国内の卸売価格もほとんど下がつていないものもある( 第2-26図 )。輸入価格の上昇は,わが国の輸入業者が円相場上昇による輸入価格低下などもあつて輸入を急増させたため,供給国側の価格引上げを誘つたことも影響しているとみられる。また国内価格上昇は生鮮魚介の小売価格が全般に上昇傾向にあつたため,それに引きづられた面もあろう。
第3に,豚肉は昨年10月に自由化されたことに加えて,昨年7月から実施されていた輸入豚肉,関税の減免措置が昨年末まで継続された結果,輸入の増大を通じて国内価格の安定に効果があつた( 第2-27図 )。
豚肉については,自由化の際,国内の豚肉価格安定制度との調整をはかるために国内の安定帯価格を基準とし,それより輸入価格が低下しないようにするための差額関税が設定され,海外価格が直接には消費者物価に反映しがたくなつているが,国内価格高騰時に対処して行なわれる上記の関税減免措置の制度があり,今後も消費者物価安定をはかるためその機動的な運用が期待される。他方牛肉については国内価格は国際的に割高なものとなつている。
第4に,食料品以外の消費財についてみよう。小売段階への価格が追跡可能なものについては,まず輸入価格をみるとアメリカ製品は円の対ドル切上げ率が大幅であつただけにかなり低下しているが,欧州製品はほとんど値下がりしておらず,乗用車,万年筆などでは逆に輸入価格が上昇しているものもある。これは欧州諸国が対ドル切上げを契機にわが国への輸出価格(ドル)を大幅に引上げたことにもよるが,これらの商品については輸入需要の価格弾力性が低く,また,総代理店による輸入形態をとるものが多いため,小売段階への影響が現われにくかつたという事情もある。この結果,小売段階で値下げをみたのは乗用車,書籍,腕時計,万年筆などのうち主にアメリカ製品であり,その幅も小さい。これに対し,欧州製の乗用車や万年筆は小売段階でも値上がりしている。
また高級品としてのイメージがとくに強い化粧品,ライターなどは小売価格の値下げがほとんどみられない。
以上のように消費財輸入が円切上げによつて有利になつたにもかかわらず,その小売価格への波及が少ないのは,基本的にはわが国の消費財輸入の規模自体が小さいことによるものである。46年度の名目個人消費支出に対する通関ベースの消費財輸入額の比率はわずかに2.8%にすぎず,輸入全体に占める消費財の比率も17.2%となつている。しかもその内容は飲食料にかたよつており,食料以外の消費財については輸入のウエイトが小さく,円切上げの効果といつてもきわめて限定されたものになつている。
このように消費財輸入の比率が小さく,その内容もかたよつていることは,輸入先国の価格引上げを容易にし,また,国内小売価格の安定効果を小さくしている。
しかし,早めに輸入自由化が行なわれたバナナやレモンおよび46年6月に自由化されたグレープフルーツについては円切上げの効果が大きく現われている。とくにこれらについては輸入量が大幅に増えた結果,流通段階でのマージン率も圧縮されており,こうした例は,日常生活に定着した消費財の輸入を促進することが流通マージン率の縮減に資するものもあることを示唆している。
円切上げの物価安定効果は以上のようにさして大きなものではなかつたが,今後まだまだその効果を拡大させる余地が残つている。円の対外購買力の高まりを背景に割安となつた消費財の輸入を促進すれば,われわれの消費生活が豊かになり,物価の安定に寄与するものと思われる。
そのためには,輸入割当枠の拡大等輸入増大措置や関税引下げ等が必要なことはいうまでもないが,輸入の促進についてはつぎのような点に留意すればいつそう物価安定の効果が高まろう。
第1は,現在多くの輸入消費財についてみられる総代理店制について,独占禁止法上の監視,規制などを強化するとともに,第3者による当該商品の輸入ルートをひらくなど,輸入の窓口を広げることである。これは国内での競争を促進し,また輸入量の増加にもつながるであろう。
第2は輪入先の多様化である。いまバナナとレモンを例にとると,レモンの方が相対的に値上がりが大きく,また昨年のアメリカ港湾ストに際しては輸入価格,国内価格とも暴騰した。これはバナナが台湾,エクアドル等4ヵ国以上から輪入しているため,競争が維持され,供給の不安定性もカバーされやすいのに対し,レモンについては輸入先が単価割高なアメリカに限定されていることがかなり影響している( 第2-28表 )。
第3は近隣国に輸入基地を設けることである。当然のことながら,輸入先が近ければ輸送コストが節約されるわけであり,わが国の輸入バナナが産地価格として国際的に割高な台湾産にかなり依存しているにもかかわらず,輸入単価が西欧諸国なみにとどまつているのはその好例である。また,国際比価が中位にあるアメリカ産豚肉の輸入が多いにもかかわらず,輸入単価が西欧諸国を上回つているのは,輸送コストの影響が大きいことを示す例である。近隣地城からの輸入をふやすためには,資本輸出を通じて開発輸入を促進することも必要であろう。