昭和46年
年次経済報告
内外均衡達成への道
昭和46年7月30日
経済企画庁
第2部 経済成長25年の成果と課題
第3章 物価・所得上昇と資源配分
世界がインフレの波におおわれるなかで,わが国は卸売物価,輸出物価を比較的安定に保つことができた。しかし,その過程で国際収支の黒字が大きくなり,また国内的には消費者物価が根強い上昇をつづけた。わが国の物価問題は,どうしてこのような形をとることになつたのであろうか。
戦後インフレが収束した後の卸売物価の相対的安定は,工業発展と生産性向上への国民的努力によつてもたらされたものである。
戦争直後(昭和20~23年)には物資不足から消費財の値上がりが激しかつたが,朝鮮動乱時(25~26年)には外需,特需の集中した繊維,金属の価格が暴騰した。昭和26年の主要商品の対戦前倍率をみると( 第97図 ),繊維520倍,金属機械380倍で,これらが食料品の300倍を上回つていた。とくに金属,機械,石炭など重工業関連物資の価格は,価格差補給金が廃止されたこともあつて,23年秋に設定された1ドル360円の為替レートのもとで国際的割高が目立ち,産業合理化による輸出の振興が経済自立達成の眼目とされるにいたつたのである。その後の卸売物価は,工業部門の近代化の進展を反映して,鉄鋼などの重工業品価格は長期的には安定を保ち,化学,合成繊維,機械など新規産業,高度加工産業製品の価格は相当の低下となつている。価格が上昇しているのは,農産物,木材,非鉄金属,紙,パルプなどが中心である。
わが国の卸売物価のうち,非鉄金属,石油などが海外市況の影響を強く受けていることはいうまでもないが,卸売物価水準についてみると産業構造の高加工度化が進み海外価格の変動によつて影響を受ける度合は減少した。朝鮮動乱やスエズ動乱(昭和31~32年)に際しては,海外諸国以上の大幅な卸売物価変動をみたわが国であつたが,近年の世界的インフレ傾向のなかにあつても工業製品価格は相対的に安定し,対外的にはむしろインフレの歯止めの役割りに回つている。これには,わが国の輸出が限界供給者としての地位を脱却したこと,産業構造が高度加工化し,輸入価格の上昇を国内の生産性上で吸収する余地が増大したことなどが影響していよう。国内面でも卸売物価とともにかつては大幅な増減をくり返した企業利潤,在庫投資,輸入等の変動率はいずれも小幅化する方向にある。
工業品卸売物価の動向については,寡占どの関連も問題となる。卸売物価の変動を生産集中度の水準と対比してみると( 第98図 ),生産集中度の低いものほど卸売物価の上昇傾向が著しいという関係があり,高い集中度が価格を引上げているという関係は認められない。しかしこれを集中度の変化と結びつけてみると,集中度が上昇傾向にあるものと低下傾向にあるものとで,物価の高低がかなり明確に分かれてきている。集中度が低下した商品グループについては新規参入が物価の安定に貢献しているといえよう。経済の高い成長と速い技術進歩がつづくなかでは,生産集中度の高まりも抑えられ,日本の産業社会の競争的性格は全体として保たれてきたのである。しかし部分的には,需要や技術の停滞,自由化のおくれから生産シエアが固定している業種などで好ましくない価格パーフォーマンスをもたらしている面のあることも否定できない。化学調味料,ビール,写真用フィルムおよびピアノなどについては管理価格的な動きも問題とされている。これまでの高成長のもとでは大企業の工業製品は,寡占的生産体制をとりながらも激しい企業間競争が行なわれ,生産性上昇率も高いものが多かつたことなどによつて,寡占商品の価格がインフレを促進する弊害はあまり大きくなかつたが,今後安定成長のもとで,いわゆる寡占的価格形成のもつ弊害が生じないよう,たえず公正競争が行なわれる環境を維持していく必要がある。諸外国の例をみても低成長は必ずしも物価の安定を約束するものではないのである。
物価問題の所在は,30年代の半ばに大きく変化して,それ以前とはむしろ対照的な様相と示している。物資の欠乏にかわつて労働力の不足があらわれ,卸売物価の変動にかわつて消費者物価の上昇が著しくなつた( 第99表 )。かつては重工業製品の国際的割高が物価問題の中心であつたが,いまでは農産物,中小企業製品,サービスなどの価格上昇が物価問題の焦点となつている。
消費者物価の上昇をやや長期的にみると,戦後インフレの時期には食料と工業製品が大きな物価上昇圧力を形成していたが,その後の上昇は農産物,中小企業製品,対個人サービスに著しく傾斜している( 第100図 )。このような現象は,わが国で伝統的に割安とされていたものの価格が上昇しているという側面をもつている。価格の国際比較を正確に行なうことは困難であるが,たとえば40年時点での対米比価によつて消費者物価指数の対象費目をグループ分けし,各グループのその後の上昇テンポをみると一部の生鮮食料品やサービスなど,かつて割安であつたものの価格上昇が概して高い( 第101表 )。
近年の消費者物価上昇は,高い経済成長がつづくなかで労働力不足の波が低生産性部門に強くおしよせ,賃金・諸所得が全般的に上昇する過程で生じたものである。それだけに,物価問題は以前よりはるかに複雑となつている。第1に,現在の消費者物価上昇率は著しく高く,放置しておけば累積的に加速化することが懸念される。この場合,利潤変動と結びついた卸売物価の変動は,騰貴も大幅になるが低落もみられるなど概して伸縮的であり,総需要調整政策の効果もすみやかにあらわれた。これに対して消費者物価上昇については,賃金・諸所得の上昇を背景とするだけに下方硬直的であり,景気政策の効果も遅れがちである。経済政策が進歩して大幅な景気落込みの可能性が小さくなるにつれて,所得上昇への期待もいつそう根強いものとなる面も出ている。
第2に,消費者物価の上昇は,昨年度の本報告でもみたように,国民生活に大きな影響をあたえることである。消費者のなかには,貯蓄者もあれば負債者もある。有業者もあれば無職の者もある。また価格上昇がなければ人並みの所得をえられない人達がいたことも否定はできない。消費者物価の上昇が高成長のもとでの賃金・諸所得の増加を背景としているだけに,職についている者の実質収入はたえず増加する傾向にあるが,職についていない者や働らき手を失つた世帯にとつては,物価上昇による生活の圧迫は著しいものとなる。現在職にある者についても,物価上昇が加速化すれば将来の生活設計は困難になろう。この点で,とくに高年令層にとつて物価問題は,初任給が確実に上昇していく若年層とは違つたきびしさをもつているわけである。
消費者物価の上昇は,それ自体加速化の懸念をはらみ,また生活基盤を不安定にするなど,経済安定や所得分配に関述する面で大きな弊害をともなつているが,資源の配分にも深いつながりがある。その第1は,急速な物価上昇の過程では価格体系がアンバランスとなりがちで,資源配分の適切なものさしとしての価格の機能が失われやすくなることである。たとえば物価上昇期には公共料金の抑制が図られるのはやむをえないが,いつまでも公共料金がおさえられると,他面では国民にとつて不可欠な社会的サービスの供給不足などのひずみをかえつて拡大する危険がある。第2に,消費者物価の上昇が,資源配分のひずみの結果として加速されることが少なくないことである。輸入自由化の遅れ,各種の価格支持制度や保護措置は多かれ少なかれ消費者物価上昇の背景となつている。第3は,消費者物価の場合,関連する産業が多く,かつ小規模企業を中心としているため,資源配分の是正によつて物価安定の効果をあげることが必らずしも容易ではないことである。大企業工業部門の近代化は,投資が投資をよび技術革新が技術革新をよぶ形で急速に進展した。しかしこのように強い産業連関効果は,消費者物価関連部門では期待できない。むしろ,これまでの保護措置の撤廃を進めるについても,大きな社会的摩擦をともないがちである。
以上から明らかなように,物価問題はその時代の資源配分の構造そのものにかかわつており,消費者物価上昇については,社会のあり方とのつながりがとくに強い。その解決には,重化学工業の近代化と国際収支赤字基調の克服に費やした以上の英知と努力の結集が必要である。この点を念頭におきながら消費者物価上昇の基礎条件ともいえる所得形成と生産性向上の態様についてややくわしくみよう。