昭和45年
年次経済報告
日本経済の新しい次元
昭和45年7月17日
経済企画庁
第2部 日本経済の新しい次元
第3章 高福祉経済への前進
わが国の消費水準は,著しい消費構造の変化をともないながら急速に上昇してきた。消費水準は,1960年(昭和35年)から67年(昭和42年)までの7年間に約70%上昇するとともに,消費構造は,欧米主要国にくらべてはるかに大きく変貌してきた( 第157図 )。これは,経済の急速な成長にともない所得水準が大きく上昇したことや核家族化の進行によつて生活慣習が変つてきていることなどによるものであるが,そのなかで食料費の比重の低下,教養娯楽やリクリエーション支出の増大,耐久消費財需要の高まりが目だつている。
こうした消費の高度化,多様化のなかで,大きく分けてふたつの特徴がみられる。ひとつは,消費水準の平準化傾向がすすんでいることである。 第153図 にみるように若年層や低所得層世帯では,第2章第2節「物価上昇下の国民生活」でみたように所得の増大テンポが著しかつたこともあつて,消費の向上と変化の程度は,他の階層にくらべてより急速であつた。これに対し,中高年令層や高所得層世帯では相対的に小幅であつた。
しかし,こうした平準化のなかで,老人層世帯では消費水準の上昇がいたつてちいさいにもかかわらず,消費パターンの変貌が大きいことに注意しておく必要があろう。これは,核家族化の進行や生活慣習の変化が老人世帯の生活面にかなりの変動をあたえていることを示しているものとみられる。
もうひとつは,生活必需的支出のウエイトが下がり,選択的随意的な支出がふえていることである。その大きな要因は,食料費支出の消費支出に占める比重すなわち,エンゲル係数の低下である。たとえば,全国勤労者世帯のそれは,昭和38年から43年の5年間に3ポイント下つている。しかし,所得水準の上昇のなかで,消費の平準化,同質化への欲求が強まり,生活必需的支出の内容が拡大しつつあることも考慮する必要がある。とくに, 第159表 は,こうした観点から,食料費支出だけでなく,衣,住および社会的,文化的支出として雑費支出を含めた生活必需係数を試算したものであるが,これでみれば生活必需係数は低下している。しかし,必需係数が低下したといつてもそれは食料費支出の比重が下つたことが主因で,むしろ,その他のものでは高まつている。これは,低・中所得層で,食料費支出以外の生活必需係数が上昇しているためである。このような,生活必需的支出の増大に加え,近年では情報化社会の進行による依存効果(新製品の登場や周囲の人々の消費生活,あるいは広告などによつて新たな欲望が生みだされること),高等教育への進学率の高まり,耐久消費財の普及やレジャー消費の活発化などが,消費内容に大きく影響するようになり,かつては,選択的,随意的と考えられていた支出が,いまでは基礎的,生活必需的な性格をもつようになつてきた。
国民の数多くが,中流意識をもつようになつているにもかかわらず,なお強い生活上の不満感を訴えるものが多いという事実には,物価上昇や住宅難はいうまでもないことであるが,こうしたかたちでの消費支出の非随意的部分の増大が中堅所得層にかなりの負担感をあたえていることも反映しているのではなかろうか。
経済成長とともに,貧困世帯も減少しつつある。 第160表 にみるように,低所得世帯数は,昭和35年には約351万世帯で全世帯中15.6%もの比率を占めていたが,40年には231万世帯,8.9%と低下し,さらに42年には177万世帯,6.3%と減少した。こうした貧困世帯の減少は,成長が失業をへらし,低所得層の賃金や所得を急速にひき上げてきたことによるところが大きい。
しかし,絶対的世帯数として減少しつつあるとはいえいぜん貧困世帯は残つている。しかも,成長にともなつて労働力不足がいつそう強まり,就業機会もふえ,雇用条件も改善されつつあるにもかかわらず,老齢化や肉体的,精神的障害によつて変化の激しい成長社会に適応できない階層がふえ,また事故や災害による母子世帯が増大するなど,成長から取り残された階層へ転落していくものもまた少なくない。
生活保護の基準は,年々引上げられ,一般世帯と被保護世帯の消費支出格差は第2章第2節「物価上昇下の国民生活」でもみたようにかなり改善を示している。しかし,生活保護廃止率は,38年度以降低下傾向をたどつており,廃止世帯数もかなり減少してきていることは,生活保護世帯の老齢化もあつて,就労を通ずる自立がむずかしいことを示すものである。社会のいかなる階層においても,勤労と社会参加意欲を有するものについてはできるだけその機会があたえられるよう配慮する必要がある。老齢世帯と母子世帯をくらべると,相対的に就業人員の多い母子世帯の方が平均消費支出額が高く,世帯間の不平等度も近年若干の改善を示している。社会参加の機会が多い階層ほど成長の成果に浴しうることを示唆するものであろう。
低所得世帯の固定化を解消し,社会的再起をはかるためには,まず教育,技能訓練や保育,施設等の充実によつて就業を通じた社会参加の道を開くことが必要であり,そのためには,雇用促進施策とあいまつて,社会保障政策の総合的な運用が望まれる。
もちろん,こうした就業が不可能なものについては,適切な社会的保護が必要となろう。とくにわが国では,今後老齢人口の増加が予想されるにもかかわらず,現在の中高年令勤労者の所得上昇率は相対的に低く,かつまた消費構造変化の重圧や,核家族化,家族意識の変化にもとづく私的扶養の後退傾向,物価上昇による貯蓄の急速な減価などから,老後生活の見通しは必ずしも安定的なものではなく,ひきつづき老人福祉対策の充実が望まれる。
都市の住宅水準の立遅れは,生活上の不満の大きな要因となつている。総理府広報室「国民生活に関する世論調査」によれば,国民の不満感は全国平均では所得,余暇,交通などの問題に強くあらわれいるのに対し,東京都区部では住宅事情に関する不満が最大となつている。不満や困窮感の大部分は狭小過密を訴えるものであるが,事実,客観的にも住宅難とみられる世帯がかなり多く,その大部分は民営借家に居住している。しかも,こうした住宅難世帯は低所得層ほど大きな割合を占めているが,中堅所得層やそれ以上の層でも相当の割合に達しているのである( 第162図 )。
これには住宅建設投資が一貫して高い成長をつづけ,住宅ストックは着実に増加してきているにもかかわらず,その内容にアンバランスがあつたことも大きく影響している。総理府統計局「住宅調査」によれば,昭和38年から43年にかけて全国の世帯数は342万世帯増加したが,住宅戸数は450万戸ふえ,43年には住宅数が世帯数を上回つている(住宅数2559万戸,世帯数2492万世帯)。しかし,住宅ストックの増加は大半が持家の増加によるもので,人口集中地区の民営借家では戸数はかなり増加しているものの,居住面積の増加は相対的に小さい( 第163図 )。この結果,居住水準の向上はもつぱら持家にかたより,1人当たり居住面積でみると,38年から43年にかけて,全国持家では0.9畳拡大して,6.3畳となつたのに対し,人口集中地区の民営借家では0.4畳ふえて3.9畳となつたにすぎず,両者のアンバランスはいつそう拡大している。
都市の住宅問題は,このように,主として民営借家に居住する世帯の居住水準の停滞によるところが大きい。借家の大部分を占める民営借家は,設備水準でも持家をはじめ,公共借家,給与住宅に比べかなり劣つているが,家賃水準は逆にはるかに高い。また,人口集中の高い地域ほどこのような民営借家に住む人口の割合が大きく,家賃水準も高くなつており,住宅事情の地域格差には著しいものがある( 第164図 )。これは,大都市地域における家賃ほどその大部分が地代に充当される傾向があることを反映したものといえよう。地価の高騰は家賃に占める地代分を大きく膨張させ,他方家賃支払限度の制約から低質の民営借家しか供給されないことになる。
人口の激しい都市集中と急速な世帯細分化との過程で,大都市で激増した低所得で貯蓄もすくない世帯は,一般に民営借家に入居し居住水準を切り詰めた生活を始めるが,年々の所得上昇にともなつて居住水準の向上を切実に望んでいる。しかしながら,地価高騰を反映した家貨の上昇は著しく,38年から43年にかけて年率13%(総理府統計局「住宅調査」,人口集中地区の民営借家(設備専用))にもおよび,所得上昇による家賃支払能力の増大を減殺し,実質的な家賃支払能力はほとんど増大せず,居住水準の停滞をもたらすこととなつた。
住宅は衣食とともに最も基本的な生活要素であるが,それ自体の単価も高く,家計年収や貯蓄の数倍にもあたり,一般には自力で購入することはむずかしい。したがつて,公共借家,給与住宅,民営借家などの直接サービスや,住宅金融,持家援助制度などの金融サービス,さらにこれらを組合せた各種分譲制度などの諸制度が必要とされている。公共住宅や給与住宅の充実は望ましいが,本来のの性格上,量的,質的にも限界がある。またこれまでの住宅金融制度のなかには高地価のもとで,これを利用しうるのは土地保有者や高所得層など,一部の階層にかぎられる面がすくなくないものもある。
今後の産業構造の変化とそれにともなう人口の都市集中を考えると,所得と居住水準のゆがみのこれ以上の拡大を防止し,快適な居住環境を実現していくには,低所得世帯に対する社会保障的住宅や労働力移動にともなう雇用促進的住宅の建設,市街地における土地の有効利用のため高層集合化の促進住宅金融の円滑化のための信用補完制度の拡充,新技術の開発や部品・建材の規格化等による住宅建設の工業化,民間資本の住宅分野への大幅導入など住宅それ自体に関する政策を推進することが必要である。さらに基本的には強力な土地政策の確立が肝要であり,この基盤の上ではじめて,住宅に関する諸政策が総合的に有効性を発揮するものと思われる。
住宅問題の解決とならんで重要な問題は,社会的サービスの充実である。所得水準の上昇,生活内容の多様化などを背景に,生活面の欲求は変化し,拡大する。生活環境施設など社会的サービスは豊かな国民生活を実現していくための基礎的な条件である。しかも,これらは,単に施設面だけではなくて,サービスの中身やそれにふさわしい労働力の質と量を必要とするものである。これまでのわが国経済においては高度成長を通じて私的消費水準の向上には著しいものがあつたが,一面で社会的消費の立遅れが目だつようになつた。以下こうした側面についてわが国の現状と問題点をみよう。
まず,住宅についてはすでに述べたところであるが,これに関連する設備水準はまだ十分なものとはいえない( 第165図 および 第166表 )。とくに,水洗化率,一人当たりの居住スペースにおいて立遅れがみられる。上水道はかなり充実してきているが,下水道およびゴミ処理施設については市街地人口の増大と生活水準の向上から,総排出量は著しく増大しており本格的衛生処理も含めて今後多大の努力が必要な分野であろう。
保健医療の面については,病床数,医師数などの面ではかなり充実してきており,国際的に遜色のない水準に達しているといえる。しかし,医療サービスが地域的に偏在していること,精神病関係の医師や施設とくに社会復帰(リハビリテーション)関係施設が不足していることなど,今後改善していかなければならない面もなお残されている。
福祉施設については,まず老人福祉施設についても現在不足が目だつているが,さらに今後,わが国人口構造の老令化,核家族化の一層の進展にともなつて,その需要はますます増大するものとみこまれる。また身体障害者更生援護施設なども不足しており,保育所など児童福祉施設もその収容人員は最近10年間に約5割増加しているが,働く婦人の増大もあつて需要の伸びは大きくなお強い不足感がつづいている。
教育については,高等教育就学率はアメリカ,スウェーデンに次いで高く,進学率も年々高まつてきている。しかし,こうした量的な面での急速な拡大の反面,高等教育機関の学生1人当たりの教育施設面積や学生数に対する教員数が低下を示しており,ここ数年がベビーブームによる大学生急増という特殊な時期であつたことを考慮に入れる必要があるが,質の面での充実が必ずしも十分でなかつたことを示しているといえよう。
また,体育,リクリエーション施設をはじめ公共図書館,公園,美術館,公会堂などの文化施設についても,余暇の増大と消費者の選好の多様化に対応できるようその整備を進める必要があろう。
労働省調べの「毎月勤労統計」によれば,労働時間は昭和35年以降大きく減少し,しかも近年では隔週ではあるが週5日制を実施する企業がふえると,ともに夏季休暇制度もかなり普及してきた。このような労働時間の縮小傾向は,増大する余暇をいかに活用するかという問題を提起している。
最近のレジャー活動の動向には,大衆化,多様化そして大型化ないし高級化という幅の広がりがうかがわれる。たとえば,レジャー支出の伸びは消費全体の増加率を上回つているだけではなく低所得層や若年層での増加率は他の階層に比べてかなり高くなつており( 第167表 ),レジャーが高所得層中心ではなく国民生活全体としてのものになつてきていることを物語つている。家族づれのレジャー活動や観光旅行,海外旅行もふえる傾向にある。
レジャーの内容も「見て楽しむ」といつた受身のものから,「参加して行動する」といつたより積極的なものへと移つている。のちにみるような第3次産業部門への就業者の増大傾向にも,こうした余暇のすこし方の変化が反映しているとみられるが,今後も増大するレジャー消費に対応して,各種リクリエーション施設の整備と効率的な労働力の活用をはかつていく必要があろう。
社会的サービスの供給主体は必ずしも国だげではなく,民間部門も経済発展段階に対応して活動しうる分野である。しかし,国民生活の基礎的な部分については国がその供給責任をもち,充実していかなければならない。 第168表 は財政支出について消費者の生活に密接な関連をもつ,住宅,生活環境,保健衛生,安全,教育,文化面などに対する支出を政府によつて供給された社会的サービスとしてとらえ,国際比較したものである。わが国のこれらに対する財政支出は,アメリカ,イギリスにくらべると安全を除き政府支出総額に対するウエイトも国民総生産に対する比率でも相対的に低いものが多い。
以上みてきたようにわが国では社会的サービスの供給には全体として立遅れがみられ,量的にはある程度の水準に達しているものでも内容的にはよりいつそうの充実が望ましいものもある。そうした意味で今後,この分野に成長の成果を重点的に配分していくことが必要であろう。
公害問題の克服は,1970年代の先進国社会の共通課題となり,欧米主要国あるいは国連,OECDなどの国際機関で検討と研究が進められるようになつた。各国とも,公害問題は有害物の除去という観点はもちろん,調和のとれた社会開発の展開という見地からも見直す必要が生じている。とくに,アメリカ社会では公害に対する深刻感がまし,本年々初に大統領特別教書が発表された。全体的な公害発生量は各国とも総合的な計量が困難な現状にあるが,近年のアメリカの大気汚染物排出量のうち,3割までが電力と工業による産業公害によるもの,6割が自動車排出ガスによるもの,残りがその他都市公害によるものと計量されている( 第169表 )。公害発生源が多様であることは,それだけ公害克服策が総合的でなければならぬことを示している。
わが国でも急速な工業化の進展にともない大気汚染,水質汚濁などさまざまな公害現象が国民生活の上に暗い影を投げかけ,大気汚染防止法にもとづく指定地域,水質保全法にもとづく指定水域数は年々ふえてきた( 第170図 )。
公害の要因として,第1に指摘できることは,急速な経済成長にもとづくエネルギーや水消費の増大である。これにともなつて廃棄物や排水量がふえる。
国民総生産は43年には,30年当時の6倍近い規模に拡大したが,生産活動の拡大は一方でいおう酸化物による大気汚染の原因となる重油消費の増大をまねいた。とくに固体エネルギーから液体エネルギーへの転換というエネルギー革命により重油消費は同期間に実に13倍近い伸びを示した。
また,モータリゼーションの進展にともない自動車用燃料の消費増大による一酸化炭素などの自動車排出ガス汚染は,しだいに高濃度化,広域化するとともに,最近では排出ガスによる鉛害など自動車排出ガスによる公害問題は重大化しつつある。
さらに水需要の増大は,わが国の下水道普及率の低さとあいまつて水質汚濁を激化させることとなつた。わが国の下水道の普及率は35年の13.7%から44年には22.1%(推定)と多少高まつたが,工業用水を中心とする水使用量は35年の3,258万トン/日から,42年には7,864万トン/日へと伸び,その結果排水量は増大した。
第2の要因は,エネルギー年の消費の面からみて,わが国は大気汚染をひきおこしやすい構造になつていることである。 第171図 は主要先進工業諸国のエネルギー消費構造を比較したものであるが,まず,わが国は欧米諸国にくらべて公害発生の少ない天燃ガスのウエイトが小さい。またわが国はイタリーについで液体燃料のウエイトが高く,とくにその中でもいおう含有量がもつとも多い重油の割合が高いことが,いおう酸化物による大気汚染問題をもたらす結果になつている。
第3の要因は,人口,産業の著しい都市集中にみられる過密化の進行である。都市集中は,規模の経済を享受できるという面で経済の効率化につながるものであるが,過度の集中による汚染の進行が自然のもつ浄化作用を著るしくこえてすすんだ場合は多大の被害をもたらすことになる。日本の全面積のわずか1割くらいのなかで日本人の約半分が現在経済活動を行ない,過度の局地的な集中がわが国の公害を深刻化されるひとつの要因となつている。
また最近の汚染現象の特徴のひとつとして既汚染地域において若干の改善がみられる一方で,汚染が広域化し平均的に底上げされていることが指摘される。これは,既汚染地域において排出基準が強化されてきた反面,大都市よりも都市周辺部での人口,エネルギー消費の伸びが高まつていることなどを反映したものである。
第4の要因は,産業活動や生活内容の高度化にともなうプラスチック製品,電気製品,自動車等の廃棄物の増加である。最近ではこのような固形廃棄物の増大により生活環境や自然美の破壊がおこつている。
以上みてきた要因に加えて,わが国では設備の合理化や規模の拡大を追求するあまり,公害が人間生活を阻害するという点に対する認識が遅れたことが公害をいつそう激化させたといえよう。
このように公害問題は年々深刻化してきたが,わが国における汚染因子排出量を42年について試算すると,360万トンのいおう酸化物,水質汚濁指標であるBOD(生物学的酸素要求量)負荷量で418万トンが排出されていることになる。 第172表 は,これら汚染因子が産業や家計の重油,石炭,水消費によりどの程度排出されているかをみたものであるが,全体としてエネルギー消費の高い産業活動によるところが大きいこと,しかし水質汚濁は家庭排水の影響も無視できないことなどがわかる。これは,以上に述べてきた諸要因が重なり合つて生じたものであるが,今後現状のまま放置していけば,これまでと同様に経済活動の拡大がそのまま汚染因子排出量の増大につながることになる。
その意味で,わが国にとつては公害問題の解決は焦眉の急務となつている。大気汚染については,現在行政目標として環境基準が設定され,そのため排出規制が強化されつつある。また,公害防止技術の開発などの施策も進められ,都市政策や産業立地政策の面でも公害問題に対してきびしい配慮がされつつある。今後はさらにこれらを強化していく必要があるが,とくに重油の使用にともなういおう酸化物による汚染については排煙脱硫および重油の低いおう化が緊要のこととなつている。近年低いおう原油の輸入は増大しているものの資源の賦存状況からみてとうてい需要規模をみたしきれない。いおうを含有しないと考えられる液化天然ガスの輸入も行なわれはじめてはいるが,当面輸入ガスの急速な増大は期待できないので,これらをすすめていく必要がある。自動車排出ガスによる一酸化炭素,鉛害などの汚染の防止についても排出ガスの有毒性の分析はもちろん,排出ガス防止技術の促進,燃料改善,規制の強化などを早急にはかる必要があろう。水質汚濁については,現在行政目標としての環境基準を設定し,そのための排出基準の設定,強化がすすみつつある。排水処理施設の設置,排水処理技術の開発なとも進められているが,今後さらにこれらを促進するほか,とくに下水道の整備をはからなければならない。また,これに関連して,国民の健康上悪影響のある水銀,カドミウムなど重金属などの有害物質についてもその対策を強化しなければならない。
このほか,騒音,地盤沈下,悪臭など解決されなければならない問題が多い。
わが国の経済力,技術水準の高さからみて,公害問題の克服は決して不可能なことではない。公害による自然,文化的資産の破壊は人間らしい生活の基盤をおびやかすことを強く認識し,規制の強化とあわせ公害防止技術の開発と投資の増大を進めていくとともに,より広い視野から公害をコストとしては握し,公害防止のための費用負担の原則と基準をととのえていくことが必要であろう。