昭和45年

年次経済報告

日本経済の新しい次元

昭和45年7月17日

経済企画庁


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第2部 日本経済の新しい次元

第2章 インフレなき繁栄

5. インフレなき繁栄への道

以上みたように物価上昇はわが国経済の各方面に広範な悪影響を及ぼしつつある。今後真に豊かで安定した高福祉経済社会を建設してゆくためには,インフレの防止への強力な施策を行なつていく必要がある。

(1) 需要管理政策の役割

物価安定政策の基本をなすのは総需要の適切な調整である。その理由としては次の点があげられる。

第1は需要の成長率が高すぎると物価上昇が著しくなることである。経済成長と物価上昇の間に単純なトレードオフ関係を認めることはできないが,一段には成長率が高いほど所得および賃金の上昇率は高く,物価水準の上昇は大きいと考えられる。また生産性上昇率の業種間格差が大きくなつて,価格体系の変動も大きくなる。新経済社会発展計画の策定に際して行なわれた中期マクロモデルによる試算結果をみても( 第142表 ),構造的物価対策に差がない場合には,需給ギャップのひつ迫もともなうため高い実質経済成長率には高い物価上昇率がともなうことが明らかにされている。このことは物価安定のためには総需要の成長率が高くなりすぎないように調整していかなければならないことを意味している。

第143図 需給ギャップの拡大期における需給ギャップ率と卸売物価 (景気の山からのポイント差)

第2には,需給の短期的なひつ迫による卸売物価の上昇が物価水準を傾向的に押し上げる要因となることである。 第143図 から明らかなように需給ギャップの拡大期には卸売物価が時を経るにしたがつて下りにくくなつている。これは物価の下方硬直性を打開していく必要があることを示している。しかし反面一度上つた物価はだんだん低下を期待できなくなつており,物価の短期的な上昇にも警戒する必要があることをも意味している。物価水準の長期安定のためには需給の短期的なひつ迫による物価上昇を抑制する必要があると考えられる。

第3に,総需要の適正な管理は経済全体のインフレムードを抑制する役割を果す。強い需要圧力がつづき,完全雇用経済に近づくとインフレ期待が強まるが,需要管理政策はこうしたインフレムードを防止し,後にのべる各種の構造政策の環境をととのえる役割を果す。

こうした総需要の調整に大きな役割を果すのは財政金融政策である。まず,財政政策のうえでは,支出面は後にみるように高福祉経済建設のための重要な役割をになつており総需要抑制の主要な手段とすることには困難を伴なうが,財政支出の施行に慎重を期するなどの配慮がのぞまれる。一方,租税政策はこうしたなかで,しだいに重要な政策手段となることが要請されてこよう。

つぎに金融政策の面についてみると,最近ではアメリカを中心に通貨量政策の重要性がとくに強調されるようになつている。ここでわが国における通貨量と総需要の関係を簡単に検討しよう。

第144図 からわかるように,短期的なフレを除去(3期移動平均による)して観察してみると,総需要変動と通貨量変動との間にはかなりの相関関係がある。計測結果によると,当期から3期前までの通貨変動と当期の総需要変動との関係が深いことがわがる(とくに一期前の変動との関係が密接である)。とくに43年末ごろから通貨量の変動と総需要の変動との関係が強まつている。

さらに第1部で述べたように,長期にわたる物価上昇が先行きの物価上昇期待を生み,金利コスト感覚の低下をもたらしている懸念があることも考慮に入れると,今後金融調節にあたつては,従来以上に金利を弾力的に運用すると同時に通貨量の動きをも重視していく必要があるといえよう。

通貨量の適切な調節のためには,金融機関貸出の調整が必要となる。また,金融機関貸出の調整には,市場メカニズムの働きが不可欠である。こうした観点からコールレート,公社債発行条件など金融市場に関連する金利の弾力性を十分に確保していく必要があろう。

(2) 輸入されるインフレへの対策

海外からインフレが輸入される場合には,通常の財政金融政策手段では総需要の調整が困難になる。

わが国でも以下にみるようにしだいにインフレが輸入される度合が強まつており,そうした要因にも留意していく必要が高まつているが,いまの時点で財政金融政策による総需要の安定が困難になつているとはいえない。

a. 通貨面からの輸入インフレ

海外からインフレが輸入される場合の1つのルートは国際収支黒字にともなう通貨供給の増大が総需要の拡大をもたらしインフレに導く場合である。さきにみたように最近総需要の拡大とともに通貨の増加も目だつているがこうした通貨供給の増加ほどの程度国際収支の黒字からきたものであろうか。

第145表 は各年の総通貨の増減額とその要因別寄与率をわが国と西ドイツについて比較したのである。わが国でも43年および44年には通貨供給にしめる海外要因のウエイトが高まつているが,いまだ,10%を若干上回る程度であり,通貨供給増加の圧倒的な部分は対民間信用(とくに貸出)の増加によるものである。これに対しドイツでは海外要因の動きが大きく影響しており,43年には通貨供給増加のうち28%は対外資産の増加によつてもたらされたものであつた。

第146表 成長通貨の増加と外貨準備

つぎに現金需給バランスにあたえる国際収支黒字の影響をみると,わが国の場合43年と44年には,外為会計の払超と日銀の輸出金融による貸出がかなり大きな額となつている( 第146表 )。ただ好況による税収の揚げがここ2~3年大きな額となつているため,現金需給の引き締まり要因も大きく,金融市場が,国際収支黒字のため,中央銀行の政策意図をはなれ緩和し,金融引締めが困難となつていることはみられない。これに対し西ドイツでは経済成長率が低い反面,国際収支黒字が大きいため,成長通貨供給量を外貨準備の増加が大量に上回る年が時々みられ,金融市場の適切なコントロールに困難な面があると考えられる。以上のことから日本の場合は西ドイツと異なり,金融市場の面からみて,国際収支黒字が過剰流動性をもたらし,その面からインフレ要因となつているとはいえない。

しかしながら長期的にみると,為替会計の払超,日銀の貿易金融による貸出が,いずれも最近にいたりしだいに多額になつている点には注目すべきである。岩戸景気時のピークである36年当時には自動的に金融市場がひつ迫し,一種のビルト・イン・スタビライザー的効果があつた。最近ではこうした効果はしだいにうすれている。制度的要因を通じる今後の現金供給のあり方についても注目していく必要がある。

b. 輸出需要と輸入されるインフレ

輸出需要そのものが総需要の拡大となつてインフレをもたらす場合も考えられる。

第147表 は,輸出と国民総支出の関係をわが国および西ドイツについてみたものである。わが国では輸出等の国民総生産に対する構成比は11.4%(44年)であるのに対し,西ドイツでは23.4%(43年)となつている。また輸出増加がGNP増加に寄与した割合もわが国では西ドイツにくらべかなり低い。以上のことからみて,わが国の場合,輸出需要が国内の物価上昇に影響した割合は西ドイツにくらべかなり低いといえる。

もつとも,36年当時にくらべれば輸出の国内需要にあたえる影響は大きく変つている。たとえば企業の設備投資をみても,輸出によつて誘発される度合が高まつており輸出需要が国内需要にあたえる影響はかなり大きくなつてきている。

c. コスト面からの輸入インフレ

輸入原材料価格が上昇し,コスト面からインフレが輸入される場合もある。43年末以降,卸売物価の騰勢が著しいが,輸入原材料価格もかなり上昇している。一方,需給ギャップ率は低水準よこばいとなつている(第1部第2章1,「好況4年目の需給ひつ迫」参照)。

こうした動きから見で,輸入原材料価格の上昇が最近の卸売物価上昇の大きな要因となつていることがうかがわれる(第1部参照)。

d. 輸入されるインフレへの対策

以上いずれの面からみても,わが国経済が海外要因によるインフレ圧力を受ける度合は過去にくらべると強まつていることがわかる。海外インフレを受ける度合は,マルク切上げ前後における西ドイツ経済に比べれば小さいといえるが,わが国も海外インフレの影響への対処の仕方を慎重に考慮していかなければならない。

現在アメリカにおいては,インフレ抑制のために政策態度が示されている。総需要の停滞と物価の安定の間にかなりのタイムラグは生じるとしてもしだいにその物価安定効果が期待される状況となつている。西欧でも西ドイツで強いインフレ抑制努力がみられる。こうした状況のもとで,わが国の物価安定政策が,海外インフレによつて阻害される環境は漸次緩和に向うものと期待される。

しかしながら,海外インフレの影響を受けやすくしてきたこれまでの諸制度は現在の海外インフレ圧力を軽減する方向で改善していくことが必要である。また同時に,この面での多国間の国際協調を進めていく必要があろう。

国際通貨制度のあり方についても,各国の物価安定と世界貿易の拡大に資する方向で不断の検討を重ねていくことが望ましい。

(3) 成長と物価安定両立のための諸政策

以上にのべた総需要の適切な調整は物価安定の前提条件にすぎない。所得の成長と物価の安定をより高い次元で実現していくためには,各種の構造政策の強力な推進が必要となる。

a. 輸入政策の活用

貿易自由化の促進や関税率の引下げなど輸入促進政策は物価安定に大きな役割を果すことが期待できる。すでにみたように( 第110図 参照),輸入自由化は国内への外国物資の供給を増す効果をもつ。これは各商品の需給緩和を助け,物価安定効果をもつと考えられる。また貿易自由化や関税引下げによる直接的な価格引下げ効果も期待できる。わが国の食料品価格についてみると,残存輸入制限品目の価格上昇は年により高低はあるが41年以降では年平均4.9%(季節商品を除くと4.3%)と自由化品目の年平均4.6%(季節商品を除くと4.3%)を若干上回つている。さらに 第148表 でみるように自由化品目にくらべ米などの国家貿易品目の価格上昇率はかなり高い。すでにみたように( 第93表 参照),食料品の輸入制限品目は概して海外価格の方が安いことからみて,今後輸入自由化を可能な限り推進するとともに,できる限り関税の引下げをはかつていくことは,消費者物価の安定に大きく寄与するものと期待される。

b. 競争条件の整備

各種の財貨やサービスの市場が競争的に維持されることは,独占的な利潤吸収をさけ,適正な資源配分を通じて物価安定に大きく寄与すると考えられる。

この点との関連でまず注目されるのは,40年代に入り,大企業性製品のうちで卸売物価が横這いないし安定を示しているにもかかわらず,小売価格はむしろ上昇を示しているものもあることである(前年度本報告)。

これは一つには耐久消費財などにおいて,広告宣伝による商品の差別化が行なわれ,これが個人の消費内容の多様化にむすびつき,価格面の競争は生じにくくなつていることによるが,二つには化粧品,著作物など現行法で認められている再販売価格維持制度やいわゆるヤミ再販によつて卸売・小売段階の競争が制限されていることもその要因であると考えられる( 第149図 )。

つぎに各種の行政指導や許認可によるいわゆる行政介入が,実質的に供給の増大を制約したり,競争的な価格形成を阻害したりする場合もあつたと考えられる。行政介入の背景にいわゆる“過当競争”に対する懸念がある場合が多いが,これはとかく消費者の負担のもとに生産者を保護することになりやすい。経済が全体として先進国化し,しかも,企業体質も総じて強化されてきた今日“過当競争”に対する過度の懸念が価格を支えることは強い決意をもつて避けるべきであろう。

c. 流通費用の縮減

最近の消費者物価上昇には流通マージンの増大も大きく寄与しており,これを縮減するための環境をととのえることも政府の大きな役割である。

流通マージンの動向を産業連関表を用いて推計すると,民間消費支出に占める流通マージンの割合は35年20.8%から40年26.2%に増えている( 第150表 )。この傾向が消費者物価上昇に大きく影響し,35~40年間では25.9%,40~43年間では28.9%,それぞれ消費者物価の上昇に寄与している( 第151表 )。

このうちとくに消費者物価上昇の大きな要因となつている農水産物について農林省資料により,小売価格に占める流通マージン(流通経費+商業マージン)の比率をみると野菜は5割前後,水産物は4割程度となつている。また,野菜の最近の動きについてみても人件費の増大などから小売段階の比率は増大している( 第152図 )。

以上のべてきたような流通マージンの増大を抑えるために必要なことの第1は,まずスーパーの発展や小売店の大型化,協業化等による量販体制の整備が必要である。 第153図 にみるように小売部門ではスーパー取扱いの多い品目ほど40年代に入つて流通マージンが低下し,消費者物価が安定する関係がみられる。現在のところスーパー取扱商品の多くは品質規格などの画一した商品に限られているが,今後,小売免許制,再販売価格維持制度,卸売市場の改善をはかることをとおして,スーパー取扱い品目の増加を実現していくことが必要であろう。

第2には物的流通コストの圧縮のため,包装荷役,保管等の機械化,道路,鉄道,船舶を有機的に組み合わせた一貫輸送体系の形成を推進し輸送コストの引き下げをはかる必要があろう( 付表12 参照)。

d. 公共料金と物価安定

公共料金の抑制は物価安定に直接的な効果をもつ。

まず,公共料金抑制の直接効果についてみると,消費者物価に占める公共料金のウエイトは12.9%であり,また米,食塩,煙草の政府関与価格も含めると,19.5%となる。すなわち公共料金等の上昇を1つ抑えることによつて消費者物価は0.2%抑制されることになるわけである。また,一般に公共サービス,及び米,食塩などの消費には所得弾力性が小さいものが多く,公共料金等の上昇は低所得階層により大きく影響するといえよう( 第154表 )。

公共料金抑制は,その性質から広範な業種に影響を与えるため,その間接波及効果も大きい。かりに,他産業で公共料金引上げにともなうコスト上昇を生産性向上で吸収できず,そのまま製品価格に転嫁したとした場合の影響を産業連関表をもちいて分析すると, 第155表 のようになる。公共料金関連の農産物,電力,都市ガス,水道,運輸,公共サービス,通信の各料金が1律10%上昇した場合,直接効果は消費者物価で2.80%,卸売物価で0.51%となるのに対し,他産業への波及による間接効果は消費者物価で0.98%,卸売物価で1.30%とかなり大きい。

また,公共料金の引上げは政府の責任における価格引上げであることもあつて一般的な物価上昇ムードをおとしやすく,便乗値上げなどを誘発するおそれもある。

また,公共料金の抑制は企業経営の合理化を迫るという副次効果も期待される。すなわち,公企業は地域的独占企業が多く,競争要因に欠けるため人件費の上昇,資本費の上昇などを価格に転嫁することもできる。公共料金の適正な抑制は価格への転嫁を抑え,これらの企業の合理化努力をうながす意味をもつているといえよう。

しかし公共料金といえども,価格体系の一部をなすものである以上,コストの動きを無視した長期にわたる料金抑制は価格体系に歪みをもたらし資源の最適配分をそこなうおそれがある。また,各種の公益事業についても公共料金が過度に抑制されるようになると,供給力の増加が困難となつたり,経営の弱体化から私企業としての存立基盤を失い適正な資源配分をそこなうことになる。さらに公営企業体の体質が弱体化していることも公共料金抑制の限界となろう。たとえば,地方公営企業(とくに交通関係)の経営状況をみると最近赤字が増大し,中央,地方の財政負担が増大する一方,企業体質が悪化している( 第156表 )。

これらの点から,経営合理化によつて可能なコスト軽減の範囲を越えた公共料金の抑制は,物価安定の一時的,緊急手段としての性格をもち,長期的な物価安定のためには,需要管理政策,構造政策の持続的な展開に最大の重点がおかれるべきであるといえよう。

以上経済成長と物価安定を同時に達成するための構造政策について検討したが,もちろん物価対策はこれにつきるものではない。とくに地価については,その上昇が国民生活に多大な影響を及ぼすことを考え,物価政策の1つの重点がおかれるべきであろう。しかし,物価安定政策にとつて,最も強調されなければならないのは,各施策の整合的かつ強力な推進が必要だということである。さらに,物価安定の総合的かつ強力な推進のため,責任と権限がどうあるべきか,法,制度,慣行をたえず検討していく必要があろう。