昭和44年
年次経済報告
豊かさへの挑戦
昭和44年7月15日
経済企画庁
第2部 新段階の日本経済
1. 日本経済の実力
日本経済は,西欧先進国より約1世紀遅れて近代工業社会へ離陸したあと,一貫して高い成長をとげてきた( 第85図 )。明治の初めから第2次大戦直前までの平均成長率(実質)は年率4~5%という高さであつたと椎定されている。
戦後の成長はさらに急速であつた。戦後10年間ほどは復興要因に支えられた点があつたが,「もはや戦後ではない」といわれたころの昭和30年度以降43年度までをとつてみても,年率約10%(実質)の高い成長をつづけている。
戦後の荒廃の中で,このように高い成長の持続を予想しえたものはいなかつたであろう。それからすでに4分の1世紀が過ぎようとしているが,その間日本経済には,いつも「やがて成長率は鈍化する」という予想が多かつた。しかし,事実は反対であつた。 第86図 は,戦後これまでに作られた政府の代表的な経済計画の目標成長率とその実績を対比したものであるが,成長率に関する限り,つねに実績が計画を上回つている。そして,計画は改定されるたびに,実績に徴して計画成長率を少しづつ高めてきた。それにもかかわらず,実際の成長率との間には大きなかい離が生じたのである。これは,計画が日本経済の成長力を過小評価してきたことを意味している。
こうみてくると,日本経済には高い成長力が基調として定着しているといつた方が自然であろう。
このような高度成長の過程は,日本経済の国際的地位が向上する過程でもあつた。わが国の国民総生産は,昭和25年(1950年)には240億ドルで自由世界第7位であつた。その後,昭和30年(1955年)には191億ドルでインドを抜いて第6位,35年(1960年)には430億ドルでカナダを抜いて第5位と着実に順位が上昇してきた。そして,43年(1968年)には1,419億ドル(速報)と,西ドイツを抜き,アメリカについで第2位になつた( 第87表 )。世界貿易に占める割合も,25年の1.5%から,いま(1968年)では6.2%に達している。
基礎的な工業製品の生産規模をみても, 第88表 に示すように,多くのものが世界のトップクラスにある。