昭和43年
年次経済報告
国際化のなかの日本経済
昭和43年7月23日
経済企画庁
第2部 国際化の進展と日本経済
5. 経済社会発展のための諸条件
物価問題が国民の関心をひくに至つてから久しい。物価上昇は,所得の平準化をもたらし,福祉向上に役立つた面もある。また,産業部門間で労働の生産性の上昇にひらきがあり,産出係数にも大きな変化がみられないとすれば,ある程度の消費者物価の上昇も避けがたいとみなければならない。しかし,それもある程度まではやむをえないということであつて,物価がある限度をこえて上昇すると効率や分配の公平が損われる。物価上昇の国民生活に与える影響については,42年度年次経済報告で詳しくみたところであるが,こうした物価上昇は,さらに,国際化の進行のなかで国際競争力を弱める可能性をもつている。
日本の輸出商品価格指数はごく最近まで大勢として低下傾向をつづけ,諸外国にくらべ国際競争力はむしろ強められてきた( 第70図 )。
これは第1に,わが国の賃金の上昇が諸外国よりも大きかつたにもかかわらず,輸出産業や製造業での労働生産性の上昇が急速であつたために賃金上昇分を吸収しえてきたからである。この点は,賃金コストが上昇し,それがそのまま輸出価格の上昇になつたイギリスとよい対照をなしている。第2には,わが国の輸出商品構成の中で資本集約的な商品ないし重化学工業品の割合が高まつたからである。つまり,これらの商品は,労働集約的な商品や軽工業品にくらべて,労働生産性の上昇率がきわめて高く,価格も相対的に安定ないし低下してきたからである。
だが,今後とも以上のような傾向がつづくであろうか。わが国経済のもつ成長力からみれば傾向としては変わらないと思われるが,警戒すべき点がないではない。
第1に,過去の労働生産性の上昇には,いわば見掛け的なものもあつたという点である。つまり,これまで日本の輸出産業ではかなりの偽装就業者がいたと思われる。それが生産拡大や合理化の過程で配置転換などのかたちで解消し,実質的な生産性向上や労働力の機械への代替以上に,いわば見掛け上生産性の向上を大きくしてきた。このような意味での労働生産性の向上は,労働力不足の本格化とともにてい減するであろう。第2に,輸出商品構成の面で労働生産性の高い商品ヘ特化するというかたちで輸出商品全体の労働生産性の向上をはかるといつても,これまでのようなはやいテンポをつづけるということは容易ではないという点である。たしかに新らしい技術の開発や新らしい商品の出現でそれがカバーされることは間違いないが,日本の技術水準が国際的にみてかなり高い水準になつたことや今後は新技術の導入が必ずしも容易でなくなつたことを考慮すると,その速度は緩慢となるであろう。第3に,消費者物価の上昇がこれからもつづくとそれが賃金上昇をつうじて卸売物価あるいは輸出物価にはね返る可能性を十分考えなければならないという点である。
このように考えると,国際化と労働力不足が進行するなかで物価の安定が強く望まれるが,以下消費者物価安定のための諸条件,卸売物価の安定を妨げている下方硬直性の要因やその打開策についてみよう。
30年代後半からの消費者物価上昇の内容をみると,農水畜産物,中小企業性製品,サービス料金の3つのグループの上昇がとくに大きかつた。その背景には,第1に,成長過程で生じた各種の不均衡があつた。すなわち,大企業や重化学工業部門にくらべ中小企業や農林水産業部門では生産性上昇が遅れ,そこに格差ができたが,賃金・業主所得は両者の間で平準化してきた。しかし需要も拡大してきたので低生産性部門でも賃金コストや業主所得の上昇分を価格に転嫁することができた。第2の背景は,急速な都市化や労働力不足による流通費用の増加であり,第3には,非競争的要因があつた。すなわち,カルテルをはじめ各種の競争制限的行為があり,また農産物については価格支持・安定政策が実施されていたことがあげられる。
第92表 主要農産物の相対価格,家族労働報酬および作付面積等の変化
消費者物価安定のための一般的条件としては,中小企業,農林水産業など低生産性部門の近代化をすすめ,生産性向上を推進することが重要であることはいうまでもないが,それだけでは十分な解決にならないものもある。
ここでは典型的な例として,農産物のうちの米をとりあげてみよう。米は食管制度の下で,毎年価格が上がつてきている。これは現在の米価決定方式が生産費および所得補償方式を採用している以上やむをえないことであるが,それが主な要因となつて米の1日当たり労働報酬が他の農産物にくらべかなりの格差をもたらしていることが注目される( 第92表 )。
そのため,労働力を他の農産物に投入するよりも稲作に投入する方が有利になつたことは否定できない。このことは米の生産量維持や増産に役立つたものとみられる。たとえば,全体の耕地面積が減少しているなかで,水田面積はここ2~3年むしろ増加傾向を示し,畑の水田への転換も増加している。しかし,その反面,収益性が米にくらべてかなり劣つている野菜や畜産物は,需要の伸びがきわめて高いにもかかわらず,それらの生産は需要に見合うほど増加しないという状態を招いた。このようにして米以外の農産物の不足がおこれば,それらの価格が上がるか,あるいは輸入をふやさざるをえないということになる。
こうした状態は米をはじめとした農産物価格体系や現在の経営構造などがつづくかぎりくり返されることになろうが,農業の項でみたように比較上にいろいろ問題があるにしても米価はすでに国際価格の約2倍になつている。国際化がすすむなかで,今後,国内需要に対応した農業生産の拡大を考えるとすれば,米を含めた農産物全体の価格体系や経営構造について十分検討を加える必要があるといえよう。
つぎに,サービス料金とくに後にふれる財政硬直化との関連で最近問題になつている公共料金についてみよう。公共料金上昇の背景には複雑な事情がある。人口の都市集中などによる需要の増加に対応して,たとえば国鉄・地下鉄や水道事業などが,サービスを拡充しようとすれば,地価,建設費,補償費の上昇で巨額の借入金による資本が必要であり,その結果,金利支払や減価償却費の負担が大きくなる。さらに,人件費増による赤字もこれに加わり料金上昇の大きな圧力となつている( 第93表 )。
このような事態に対しては,本来は費用を収入でまかなうという受益者負担の原則が強調されるべきであろう。ただ,減価償却費や建設資金の利子支払などをすべて直接の最終受益者に負わせるのは不公平であるし,料金もかなり高くなろう。したがつて,受益者負担の原則を強調する前提としてはこれら公共サービスを提供する企業が何よりも効率化と合理化をすすめることが重要であり,同時に,資本的支出と経常的支出を明確に分離し,資本的支出については間接的受益者の開発利益を吸収して充当するほか,場合によつては,財政からも適正な補助を行なう方策も考慮する必要があろう。
ここ数年の卸売物価の動きは,消費者物価にくらべ概して安定している。36~42年における物価の騰貴率(年率)をみると,消費者物価は5.8%,卸売物価は1.0%であつた。これは,消費者物価にくらべ生産性上昇率の高いものが,卸売物価に多く含まれていることなどにもとづくものである。しかし最近景気後退期には在庫率がかなり上昇するにもかかわらず,卸売物価は下がりにくくなり,景気上昇期にはかなり顕著な騰勢をみせるようになつてきている( 第71図 )。これには,非工業製品が米価引上げなどもあつて,いちじるしく上昇していることが大きくひびいているが,工業製品が下がりにくくなつていることによる面もある。
すなわち 第94表 によつてみると,39~42年は,36~39年にくらべ供給超過の程度もほぼ同じであつたのに,卸売物価の総平均は39~42年ではそれ以前にくらべ下落する程度(下落係数)がいちじるしく縮小しており,一方上昇する程度(上昇係数)はむしろ強まつていることがわかる。
これを工業製品,非工業製品に分けると,上昇係数が高まつているのは非工業製品で,工業製品ではほとんど変わつていない。その反面工業製品では下落係数が縮小している。用途別には,生産財,資本財,消費財のいずれも上昇係数の増大,下落係数の縮小という傾向がみられ,とくに生産財においては,輸入素原材料価格の変動による面もあつて,その傾向がいちじるしい。さらにこれを60品目(日銀卸売物価の小分類別)についてみても,下落係数の小さくなつた品目数は40品目と7割弱にのぼつている。このようにここ数年,卸売物価の下方硬直性は工業製品あるいは生産財を中心として強まつているとみられる。卸売物価のなかで,農林水産物や中小企業性製品などは,労働生産性上昇率が低く,変動幅は大きいながらも上昇傾向は強い。このような商品の相対価格が上昇するのは,合理化努力が強く望まれるにしても,やむを得ない面もあることは昭和42年度年次経済報告で指摘したとおりである。こうした商品は卸売物価全体の上昇寄与率も大きいので,これらの上昇傾向が合理化によつて少しでも弱まるよう政策的にも努力しなければならないのはむろんである。しかし物価が安定するためには,他方で生産性の上昇がいちじるしい部門における価格の低下が望ましいが,そうした部門での価格が下がりにくくなると,価格機能がそこなわれ資源の適正な配分が阻害されるとともにひいては卸売物価全体の水準を引き上げ,国際競争力を相対的に弱めることになる。以下この点についてみよう。
こうした事情をもたらした背景としては,業種によつて事情はあろうが,総じてみればつぎのような点が考えられる。
まず商品によつてカルテルなど企業の共同行為や再販価格維持制度あるいは行政指導や価格支持制度などによつて,自由な価格形成のメカニズムが損われていることである。公正取引委員会の調査(41年度年次報告)によれば,日銀卸売物価指数770品目のうち,硬直的ないし上昇傾向の強い品目は,約半数にあたる339品目(うち大企業製品は58%,中小企業製品36%,その他6%)で,そのうち認可をうけて,生産調整や再販価格維持を行なつているものが2~3割に達していた。この種の企業の共同行為などの数は,36年4月から39年3月までの時期よりも39年4月から42年3月までの時期で増加している。なお,年々の動きでみると40年の深刻な不況もあつて40年度末までは逐年増加してきたが,41年度には景気の好転もあつて若干減少している。
つぎに競争の度合いという点から注目されるのは生産集中度の動きである。企業の総合集中度指数(31年度基準,公取委調べ)をみると34年頃を底にすう勢的な上昇を示し,とくにここ1~2年は上位3社集中度の上昇テンポが大きい。しかし,わが国企業の集中度の現状が欧米先進諸国にくらべてとくに高い状態になつたというわけではない。また,集中度の上昇それ自体は,一義的に競争制限を強めたり,また,それが,ただちに価格の下方硬直性と結びつくわけではなく,集中のタイプとか競争条件や需給関係など市場の状態などに依存するし,コスト上昇圧力の有無,当該商品の成長性や性格によつても異なつてくる。集中度が具体的に卸売価格に与える影響の程度については,個別商品の実態に即して分析しなければならないが,これらの事情を捨象して大量観察をすれば,集中度の高まりと価格の動きについて,つぎのような関係がみられる。
まず集中度の変化と卸売物価の変動との間に関連があるかどうかをみよう。その場合,集中度の絶対的水準の高低を考慮に入れてグループ分けした卸売物価(組替指数)を作つて集中度の変化との関連をみると( 第72図 ),38年度における3社集中度の高低にかかわらず,その後集中度が低下したI’型およびII’型の物価は,ともに42年までの間にかなりの下落を示している。一方38年度以降集中度が上昇したI型およびII型については,集中度が低下したタイプにくらべ不況期においても従来のように低下しないといつた動きを示している。もつともI型は41~42年に若干低下した。このように集中度がかなり高まれば,それが価格の動きをある程度下方硬直的にしているという関係がありそうであるが,とくにこれは38~40年頃についてめだつている。なお,このような傾向は新規参入の傾向を示す企業数の増減と集中度の変化を組み合わせて検討してみてもうかがわれ,とくに企業数が増加し,かつ集中度が低下している場合にはその卸売物価はかなり低下することがわかる。
また,卸売物価指数の小分類別に集中度の変化と価格下落幅の変化の関係をみたのが, 第73図 である。この図の左上と右下にかなりの品目が集中しており,概して,集中度が上昇すると価格の下落幅が縮小し,集中度が低下すると価格の下落幅が拡大するという関係がうかがわれる。しかし,たとえば,精密機械器具などでは集中度が上昇しても競争が激しいため,価格の下落幅が増大しており,逆に集中度が下落しているにもかかわらず,下がりにくくなつている業種もある。これは,物価の下方硬直性は単に集中度だけでなく,その市場での競争状態や商品の性格・品質のいかんにも大きく依存していることを示している。
なお,卸売物価の下方硬直性をもたらした背景の1つには,労働力需給のひつ迫化もある。労働力需給のひつ迫化は,賃金の上昇と平準化をつうじて低生産性部門などのコスト圧力を高め,資本コストが従来のように弾力的に低下しないという事情とあいまつて,卸売物価の下方硬直性をもたらしがちである。また,労働力需給がひつ迫化すると,商品需要の増大や需要構成のシフトに対して供給の適応が円滑にすすまず,部分的超過需要の発生が拍車され卸売物価全体の水準上昇に結びつきやすい。近年における卸売物価の根強い上昇には,以上にみたように下方硬直性が強まつているところへ労働力需給ひつ迫化にともない部分的超過需要が発生したことによる面も無視できないように思われる。
最近における卸売物価の下方硬直的傾向は以上のようないくつかの背景が重なりあつて生じた現象とみられるが,そのことは,生産性の格差,賃金の平準化,部分的超過需要の発生などにともなう相対価格の変動がそれだけにとどまらず,ひいては,消費者物価の水準を押し上げ,さらにこのさき卸売物価の上昇にも結びついて,国際競争力を弱めるようになる懸念もなしとしない。
こうした問題の発生を防止するためには,財政金融政策の適切な運用,おくれた部門の近代化,労働力の流動化などをはかるとともに,競争制限的行為や制度慣行を改めるなど,市場における有効競争が確保されるよう競争条件の整備に努めるべきであろう。
もとより,経済の高度化や産業の発展に応じて経済の仕組みも変わらざるをえまい。産業部門によつては競争のあり方も違つてこよう。しかし,いずれにしても,経済社会が発展するためには,資源と所得の適正な配分が保証されなければならない。