昭和43年
年次経済報告
国際化のなかの日本経済
昭和43年7月23日
経済企画庁
第2部 国際化の進展と日本経済
1. 変貌する内外情勢
日本経済の地位向上はいちじるしい。
先進国に追いつくことを目標にした明治維新後の経済成長が速かつた以上に,戦後日本の成長は急速であつた。いまより10年前の昭和32年当時の国民総生産は300億ドル強にすぎなかつたが,その後年率15%弱(実質で10%)の伸びをつづけ,41年には1,000億ドルをこえた(42年暫定値1,157億ドル)。1968年には経済の規模は米ソにつぎ世界第3位となつて,英独仏をぬくと見込まれており,最近1年間の増加額はおおむねアルゼンチンの国民総生産の大きさに相当する( 第28表 )。
こうした発展の過程は,国際交流の場における日本の地位向上でもあつた。世界の輸出(除く共産圏)に占める日本の比重は5.5%に達し,第6位になつている。また,開発途上国に対する援助も増加し,DAC援助総額に占める日本の援助の割合は,32年の1.6%から最近の10年間で6.8%にまで拡大している。
1人当たり国民所得水準はまだ低いが,工業生産や技術水準が高く,ようやく世界における地位が向上してきた。それは,世界に対する発言権が増大してきたことを示すとともに,果たすべき役割も大きくなつたことを意味している。
そのような経済の発展につれて留意すべきいくつかの動きがあらわれてきたが,その1つは労働力不足の進行である。
戦後の急速な成長は,豊富かつ優秀な労働力に支えられた面が大きかつた。しかし,35~6年ごろからようやく労働力不足の状態に移行し,この傾向は将来いつそう強まるものとみられる。
労働力不足は需給の両面から生れた。需要面では,高い成長の持続が基本的な要因であるが,その伸びは戦前(4%前後)の2倍以上になつている。他方,新らしい労働力の担い手である15~19才人口は,最近まで絶対数では増加をつづけてきたが(昭和5年645万人,25年857万人,40年1,098万人),成長率が2倍以上になつたことにくらべると,新規の労働供給は戦前を大きく上回るとはいえない。その結果,新規学卒に発した労働力不足は,農業部門での減少,非農業部門での増加という就業構造の変化( 第29表 ),賃金の上昇と賃金格差の縮小,あるいは労働から資本への代替など大きな影響を経済の各面に与えつつある。今後は,絶対数においても15~19才人口の減少がみこまれ(45年909万人,50年778万人),労働力人口もこの2~3年は2%弱の増加率を示すが,そのあとは1%をかなり下回るところまで鈍化すると予想され,その影響はますます大きくなろう。
欧米先進国にくらべて1人当たり所得(生産性)が低く,かつ低生産性部門に人が多いことは,現在の労働力不足が成長を制約するような絶対的なものでないことを示している。しかし,42年には求人倍率(有効求人/有効求職)が戦後はじめて1をこえ( 第30表 ),労働力不足が一般に強く意識され,一部では生産に対する制約条件となりはじめたことは,日本経済にとつて画期的なことである。今後の経済発展にとつて大きな意義をもつ条件といえよう。
第2に注目すべきことは,経済の発展にともない,国民福祉向上への要請がいつそうの高まりをみせていることである。
経済成長の過程で所得は上がり,消費も豊富かつ多様化した。とくに,衣・食生活の改善,耐久消費財の普及など私的消費の分野の向上にはいちじるしいものがある。しかし,①物的消費の豊富さにともなうデモンストレーション効果や依存効果の増大からくる欲望のかりたて,②主として地価の高騰にもとづく住宅問題の深刻化,③所得向上にともなう社会的消費(道路,上下水道,公園,社会的施設……)に追いつかない社会資本や社会的サービス,④必需性の高い商品・サービスを中心にした消費者物価の騰貴などによつて,国民の生活に対する満足感は必ずしも十分に満たされていない。
今後,所得が上昇し,国民の選択の範囲が拡大するにつれて,福祉向上への欲求がこれまで以上に高まるであろう。