昭和39年
年次経済報告
開放体制下の日本経済
経済企画庁
総説
開放体制下の日本経済
開放体制への移行
日本は39年4月IMF8条国への移行とOECD加盟によって開放体制へ入った。開放体制とは、外国との商品やサービスの取引や資本の移動を自由、無差別に行うことを原則とする経済体制である。8条国への移行によって、国際収支が悪くなっても、IMFの承認なしには貿易や貿易外の経常取引について為替管理を行うことができなくなり、OECDのメンバーとなることによって、貿易外経常取引や国際的な資本移動を制限することが原則として許されなくなった。もちろん、封鎖体制から開放体制へと一度に変わったわけではない。戦後19年の間、日本は、世界経済から孤立した状態から出発して、だんだんと世界経済との接触を深めてきた。戦争直後は日本の貿易は占領軍によって完全に管理されていたが、昭和22年には、部分的に民間貿易が再開され、24年には1ドル360円の単一為替レートが設定された。また、昭和35年には、貿易為替自由化計画大綱が決定されて、3年間に自由化率を80~90%にまで高めることを目標にした自由化の基本方針が定められた。
その結果、35年4月には42%であった自由化率は、39年4月には93%になった。8条国移行やOECD加盟は、こうした開放経済へ向かっての長い歩みの到達点であり、新しい発展への出発点である。