昭和39年
年次経済報告
開放体制下の日本経済
経済企画庁
総説
昭和38年度の日本経済
生産拡大を支えた金融の役割
上に述べたいろいろな需要の増大が生産の上昇要因となったが、38年度には金融の側でも生産増大をたすける力が強く働いた。特に高水準の製品在庫をかかえたままで生産を増やしていくことは、銀行が資金面で支えなければ不可能だっただろう。
金融面で、38年に最も特徴的なことは、通貨量の増大だ。特に預金通貨は、これまでの年約2割の増加が一躍4割強の増加となった。通貨供給量(現金通貨+預金通貨)は、37年末の5兆8千億円から38年末には7兆8千億円へと35%増えた。国民総生産に対する通貨の比率をマーシャルのkとよぶが、これも36%に高まった。過去10年のマーシャルのkの最高は31%だったから、いかに急上昇だったかがわかる。
預金通貨が増大しているのは、銀行の貸し出しが増加し、企業の手元の現預金が増えているからだ。全国銀行貸し出しの前年に対する増加率は、37年は18%だが、38年は27%増加し、産業資金供給に占める割合も、前年の45%から50%と高くなった。
銀行貸し出しの増加には企業側と銀行側の両面に原因がある。企業の資金需要は根強かったが、38年は株式市場が不振で増資があまりできなかったこともあり、資金を銀行から借りる割合が増えた。また国際収支が赤字になっていつ引き締めが実施されるかもしれないというおそれから、借りだめ、借り急ぎの動きもあった。
また、銀行も預金を増やすために積極的な貸し出し態度をとった。銀行は預金を増やすことが営業上有利だが、35年ごろから個人貯蓄率が頭打ちになったり、株に回ったりしたので、個人貯蓄預金の伸びが鈍くなってきた。そこで銀行は企業の預金を集めなくてはならないが、企業の手元に余裕があるわけではないから、貸し出しを増やして、それに伴う派生預金の獲得を図るということになりやすい。38年の貸し出しの急増には、こうした底流が、金融緩和を契機として表面化したという事情が働いている。公定歩合が引き下げられ、コール・レートが低下して、外から安い金利で借りられるようになったことも、銀行の貸し出し増加を容易にした。
こうして実体経済の拡大を上回る貸し出しが行われると、企業の預金としての歩留まりが増え、それがまた銀行の貸し出しを増加させた。
貸し出しと生産の動きを比べてみると 第19図 の通りで、貸し出しの増大は生産をはるかに上回った。
景気回復の初期には企業の流動性が上昇するのはいつでもみられる現象だが、景気上昇が本格的段階に入るとそれが下がっていくのが普通だ。流動性の上昇がずっと続いたのは今度がはじめてのことである。このことは、33年の景気回復と比べた 第20図 にはっきり現れている。このように金融の支えがあったから、製品在庫率が高くても、在庫が多いという圧迫感はあまりおこらなかった。 第21図 は、大企業の在庫投資と借り入れ難易の度合いとの関係をみたものだが、38年にはいって、借り入れがらくになるにつれて在庫が多すぎると感じる企業の数が減って、在庫投資意欲が高まっている。
大企業への貸し出し増加はまた、企業間信用を増やし、中小企業の投資を支えた。大企業は金繰りにゆとりができたので、調整過程でゆるくなった販売条件をそのままにして、中小企業や、販売業者に向けて製品の売り込みを伸ばそうとした。特に供給圧力が増えている電気機械、一般機械、鉄鋼などでこの動きが強かった。 第6表 は企業間信用の比重の大きい主要企業70社の決済条件を示しているが、38年4~6月も10~12月も売上高の8割までが売掛金となっており、決済期間は5ヶ月と改善しないまま横ばいとなっていることがみられる。企業間信用が解きほぐれないままで再び膨張に転じたのはこのためだった。その上売掛の方が買掛よりも比率も大きく決済期間も長いから、この条件で大企業と中小企業間の取引が拡大して行けば、大企業の中小企業に対する売掛超過幅が大きくなって行く。資本金10億円以上の大企業では、4月から12月までの間に売掛超過幅が5,600億円あまりも増えた。
38年には、中小企業は設備投資も、在庫も非常に活発だったが、このために必要な資金は銀行からの借り入れ増によるばかりでなく、大企業がらの企業間信用によってみたされたわけだ。こうして、38年には、銀行貸し出しの増大は、直接生産の拡大をたすけたばかりでなく、大企業の手元資金繰りの緩和によって中小企業・、の企業間信用の拡大を可能にし、その投資活動を支援した。