昭和38年

年次経済報告

先進国への道

経済企画庁


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総説─先進国への道─

景気調整から回復へ─昭和37年度の日本経済─

回復の足取り

 引締政策が採られてからどのように景気調整が進み、どのような形で回復に向かったか、まずその足取りを振り返ってみよう。

 金融引き締めによる景気調整の常道にしたがい、まず在庫投資が減少したが、37年度に入ると設備投資も沈静して内需が停滞してきた。生産も落ち着きを示し、これを反映して輸入が減少し一方輸出が増加したので、国際収支は、37年夏には早くもバランスを取り戻すことができた。引締政策実施後の、生産、物価、雇用、賃金の動きは 第1図 の通りである。

第1図 生産、物価、雇用、賃金の推移

 鉱工業生産は、引き締め後もしばらく上昇を続けたが、37年に入ると弱含みとなり、約1年間ジグザグコースながら低下気味に推移した。しかし1月のピークと12月の底と比較しても、落ち込みはわずか3%である。昭和32年の景気調整の時は、引き締め後直ちに下降を始め、ピークから底まで8.4%下落したのに比べ、今回の下降は緩やかであったといえよう。資本財や生産財は下降したがその落ち方は小幅だったし、消費財はむしろかなりの上昇を示したからである。生産の高水準の維持が今回の景気調整の第1の特色であるが、同時に卸売物価もおち難かった。もとより景気調整の浸透につれて、卸売物価は下降したが、下落幅は36年8月のピークから37年10月の底まで5%であり、前回の景気調整期の下落率の13%に比べるとかなり緩やかだったといえよう。雇用にしても37年秋までは増え続け、その後いくらか伸び悩んだが、ほとんど景気調整の影響は受けなかったとみてよい。その他、不渡り手形の発生、企業の倒産件数などもあまり増えないですんだ。

 こうして、景気調整がひどく進展しない間に国際収支の改善がみられたため、10月、11月と公定歩合の引き下げが行われ、金融引締政策の解除が行われたのである。金融政策の転換と共に景気は回復に向かい始め、生産や物価も上昇に転じてきた。今回の景気調整は前回32年のときや前々回の29年のときに比べ、比較的軽微に済んだといえる。

 しからばなぜ軽くて済んだのだろうか。それは、 ① 景気調整の時期がたまたまアメリカの景気上昇期にあたっていたため、輸出が大幅に伸びて国際収支を好転させたこと。 ② 景気後退の衝撃を緩和するために財政、金融が弾力的に機能したこと。 ③ 生産や卸売物価を下支えするいわゆる下方硬直的な経済の諸条件が増大していたこと。 ④ 日本経済はもともと強い成長力をもち、特に消費が堅調を続けたことなどの要因によるものと考えられる。次にこれらの要因が景気調整期にどのような形で経済の各部門に作用してきたかを分析し、今後の景気回復期における問題点を明らかにしよう。


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