昭和35年
年次経済報告
日本経済の成長力と競争力
経済企画庁
日本経済の国際競争力と構造政策
西欧の貿易自由化とその背景
貿易自由化の展開とその対策
我が国はいま貿易為替の本格的な自由化推進への第一歩を踏み出そうとしている。世界経済の動きからいっても、日本経済の一層の近代化のためにも当然のことである。
そのために、世界に先駆けて自由化を進めてきた西欧諸国の自由化の実体を再検討し、その中からなにがしかの教訓を汲み取ることは決して無駄ではないはずである。
そこで、まず西欧諸国における自由化対策がどのように行われてきたか、またなぜ彼等が世界に先駆けて自由化を行ってきたかを明らかにすると同時に、彼等の置かれている国際環境、また国際分業のあり方を具体的に検討してみたい。
西欧における貿易自由化対策は、主として国際的協力措置として実施されたものであり、各国の戦後における国内対策の多くが直接的、間接的に自由化となんらかの関連性をもっていたといえよう。
その理由の第一は、西欧における貿易自由化が戦後比較的早く(24年)から開始され、今日までの10年間に漸新的に実施されてきたため、戦後期の大部分が自由化の時期と重なること。理由の第二は、戦後貿易体制の理想像として自由貿易がうたわれ、IMFやガットなど国際規約を通じて貿易為替自由化の義務を一般的に負うていたばかりでなく、特にヨーロッパ的規模における自由化、つまりOEECを通ずる貿易自由化が一定の期日までに達成すべき一定の明白な目標として設定されていたことから、西欧諸国は自由化を国際社会の1員として当然の義務として受け取り、従ってその各般のの経済政策においても大なり小なり自由化への顧慮が払われていたであろうこと。理由の第3はOEECの自由化方式そのもの中に、自由化の摩擦を緩和するメカニズムが含まれていたこと。すなわち、(1)OEECの自由化が地域的に限定され、西欧産業の対外競争力とドル・ポジションが強化されるまで対ドル地域自由化を控えることができた。(2)OEECの自由化目標が24年12月15日までに50%、26年2月1日までに75%、30年10月1日までに90%という具合に漸新的に実施しされた。(3)自由化方式に弾力性があって具体的にどの商品を自由化するかは各国の自由裁量に委せられていた。(4)エスケープ条項が設けられ、国際収支上の理由または「国家的重要性」の理由から自由化の不履行または中止が可能であった。(5)自由化方式がギブ・アンド・テークの原則に立ち、自由化にによって輸入が増える代わりに輸出も増えるという仕組みになっていた。(6)多角的決済と自動的信用供与の機構としてアメリカの援助の下にEPUが設けられ、それが貿易自由化の決済面における裏付けとなっていた。
また、対ドル地域自由化にしても前述した理由から大した摩擦もなく吸収されない、むしろ欧州産業のコスト引下げと近代化に役立つとみられる。従ってドル輸入の自由化に伴って特殊な自由化対策が採用されることもなかったようである。周知のように、西欧諸国の対ドル貿易自由化が急テンポで進められたのは33年末から34年いっぱいにかけてであるが、この時期ヨーロッパは通貨交換性の回復、アメリカの国際収支大幅赤字と巨額の金流出に象徴されるように、外貨準備においても対外競争力においても十分な自信をもち、一般的にいって何ら特別な対策を必要としなかった。
西欧全般については以上のような事がいえるであろうが、各国についてみると、その自由化に対する態度は必ずしも一様ではない。すなわち現在の時点においてこそ、若干の例外を除いて西欧諸国の自由化率はほぼ9割程度の線に足並みを揃えているが、従来の経緯を見ると、自由化に対する各国政府の態度にかなりの相違があったように思われる。概していえば貿易自由化に積極的であったのは、スイス・オランダ・ベルギー・西ドイツ・イタリアなどであろう。これに対して自由化に消極的であったのは何よりもフランスであり、イギリスも比較的消極的であったようだ。これは各国の自由化の推移からも読み取れるであろう。
第I-1-1表 から明らかなように、30年についてみると主要国の域内自由化率は比較的接近している。イタリアの99%、ベネルスクの96%、スイス・西ドイツ・スウェデンの90%強から、最低のフランスの78%、ノルウェーの75%にいたるまでそう大きな開きはない。この頃には西欧の域内貿易自由化が一応の限度に達し、それが一つの契機となって共同市場の構想が生まれたほどだ。だから域内貿易自由化に対する各国の態度をみるには、朝鮮動乱による国際収支難から、主要国が自由化を停止し、その後再開した27年、28年、29年頃の自由化率をみるのが最も適当である。それによると、27年末には、フランスはいまだ自由化を再開しておらず、イギリスの自由化率は44%に過ぎなかった。また28年末現在においてもイギリス75%、フランス18%でいずれも、OEEC総合自由化率を下回っている。
また、対ドル地域自由化率についてみると、それが急速に展開したのは33年末から34年いっぱいにかけてであるから、それ以前の32年5月現在の自由化率が一応各国のドル貿易自由化に対する態度を示す尺度となろう( 第I-1-2表 参照)。これによると総合自由化率ではフランス11%が最も低く、イタリア39%、デンマーク55%、イギリス59%などいずれもOEEC全体の自由化率より低い。工業製品の自由化率ではイギリスの8%が最低であり、フランスも14%、イタリア33%、デンマーク41%で、この4国がOEEC全体の自由化率を下回っている。
ヨーロッパの貿易自由化をリードしてきた西ドイツの場合には、当初における自由化の推進力はエアハルト経済相の自由主義的経済思想にあったとみることができる。西ドイツが最初の自由化を行った24年末から25年始めにかけての経済情勢をみると、手持外貨も少なく、国内には難民の流入により失業者が200万を数え、成立したばかりの西ドイツ政府は重大な失業問題をいかに解決すべきかに苦慮していた時代であった。それにもかかわらず政府が国内の反対を押さえて自由化を断行したのはやはり統制を廃して自由競争と業者のイニシヤチブにより経済発展をはからんとするエアハルト経済相たちの経済思想が大勢を制した結果であろう。もちろん、その背景にはドイツの産業構造が戦前から輸出重点的であり、輸出せんがためにはまず輸入を増やすことで近隣諸国の購買力を増加させる必要があったことはいうまでもない。
西ドイツはその後も朝鮮動乱勃発による一時的な危機の時期を除いて自由化を推進し、特に30年以降の投資ブーム期には国内のインフレ圧力緩和のために貿易自由化の促進のほか数次にわたって一方的に関税を引き下げ、輸入の増加に努めた。こうした西ドイツの貿易自由化が割安な輸入原材料の入手、外国製品からの競争増大による産業能率の向上及び国内インフレの抑制に大きく貢献したことは一般に知られている通りである。もちろん、西ドイツは貿易自由化に先立って通貨改革の実施(23年)により過剰購買力を吸収し、徹底的な資産再評価の実行により資本蓄積をはかるなど一連の経済再建措置を講じたばかりでなく、その後も各種の財政・金融政策を通じて物価の安定、輸出の促進に努力してきたのであって、貿易自由化が成功した背景にはそうした適切な政策面の裏付けがあったことを見逃してはならない。
興味があるのは、イタリアが欧州内貿易自由化の先頭に立ってきたことである。周知のようにイタリアは日本と同じようにいまだに雇用問題が解決しない労働力過剰国である。
イタリアが域内貿易の100%自由化に踏み切ったのは26年10月で、当時は対EPU収支の大幅黒字という背景があったものの、27年にはいって自由化による輸入の増加とフランス及びスターリング地域の輸入制限による輸出の減少のため対EPU収支も大幅赤字化し、この情勢が28年5月頃まで続いた。その結果、貿易制限の復活を望む声が高まったにもかかわらず、政府が自由化政策を堅持した理由はイタリアの貿易構造にあったとみられる。すなわち、イタリアの輸入の大部分は工業生産の維持と投資の推進に必要な原材料、燃料、半成品、資本財及び食糧からなり、比較的弾力性に乏しい。他方、イタリアの輸出のかなりの部分が非必需的消費財からなっている。そこで自国の輸入を自由化することで相手国の輸入制限緩和を促進すると同時に、輸入自由化を通じて自国産業の対外競争力を強めるとういう要請があったわけだ。要するに、イタリアはこうした貿易構造上の理由から自由化を得策としたといわれている。
ヨーロッパで貿易自由化に比較的消極的であったフランスとイギリスについてみると、この両国には興味ある共通点が見出される。両国とも西ドイツと並んで人口5千万前後の大国であり、ともに高度工業国であるが、海外に属領またはポンド地域のような特別な経済関係のある地域をもち、従って欧州諸国との貿易関係が比較的薄い。また、両国とも戦後絶えずインフレに悩み、しばしば国際収支難と外貨危機を経験している。
特に戦後のフランス経済は絶えず国内インフレ、国際収支難、外貨不足に悩んでいたばかりでなく、国内産業も長年にわたる保護政策の下で企業規模の弱小、設備の老朽により国際競争力をもたなかった。従って、貿易自由化に対しも消極的であって、他の西欧諸国に比べて自由化の進行速度が最も遅かったばかりでなく、しばしば、自由化の停止を行った。また、貿易自由化に伴って輸入税を賦課するなど、自由化の本来の趣旨に反する措置をしばしばとってきた。
次に西欧主要国の現在の制限品目を述べてみよう。
前述したように、今日までは西欧諸国の貿易自由化率は対OEEC、対ドル地域とも非常に高くなっているが、それでもOEEC自由化率に比べると対ドル自由化率はやや低い。現在の輸入制限品目は対OEECリストと、ドル地域向けリストの二本立てとなっている。例えば、イギリスの場合現在なお制限されている品目は対OEEC14品目、対ドル19品目、西ドイツの場合は、対OEEC32品目、対ドル67品目となっている。
品目別に見ると、国によって一様ではないが、じゃがいも、砂糖、肉類、大麦、小麦、動植物性油など農作物のほか、石炭、一部の繊維製品、自動車などが多い。いずれも国内産業保護の見地から制限されている品目である。
問題は日本に対して特別な制限を課している国が多いことで、特別な対日制限リストを適用している国(例えばイギリス、イタリア)や、日本だけを差別措置しているわけではないがOEEC、ドル地域のいずれにも属さぬ「その他諸国」に対して厳しい制限を残し、日本をその中の含め、しかも日本の得意とする商品を制限品目の中に入れている国(フランス、オランダ、ノルウェー、スウェデン、デンマークなど)がある。西ドイツはOEECを除けば同一の扱いをしているが、やはり日本の主要輸出品を制限品目の中に入れている。しかし、最近の日独通商協定により、いわゆる6品目(繊維品の大部分、陶磁器、双眼鏡、玩具、家庭用ミシン、ライター)のうち繊維と陶磁器の一部を除いて40年1月までに段階的に自由化することが決定された。