昭和35年
年次経済報告
日本経済の成長力と競争力
経済企画庁
昭和34年度の日本経済
労働
景気上昇と賃金
著しい定期給与の上昇率
労働省「毎月勤労統計」(30人以上事業所)による34年度の賃金水準は22,608円で前年度に対して7.2%の上昇となった。これは33年度の上昇率3.9%の2倍に近く31年度の6.8%に比べてもやや高い。実質賃金の対前年度上昇率は5.6%で33年度の4.3%を上回ったが、31年度に比べるとほぼ同程度の上昇率であった。 賃金を定期給与と特別給与に分けてみると、定期給与は前年度に対して6.0%の上昇でその上昇率は33年度の4.4%,31年度4.3%を上回ったが、特別給与は14.3%の増加で33年度の1.3%を大幅に上回ったが、31年度の24.9%に比べてかなり低かった。
定期給与の上昇は景気の好転を背景としたベースアップと定期昇給の前年度より広範な実施、生産拡大に伴う超過勤務給、奨励給の増加によるものであった。34年春闘による主要労組のベースアップ妥結額は平均1,300円(基準内賃金の約7%)で33年の妥結額を3割程度上回った。毎月勤労統計の「定期給与の変動理由」によっても給与改定により賃金が増加した事業所が前年度より大幅に増えている。また33年度には不況下において定期昇給の実施を繰り延べていた事業所が景気の好転とともに実施に移したことも賃金を引き上げる要因となった。
生産の拡大、産業活動の活発化が賃金上昇に及ぼした影響はさらに大きい。工業労働者一人当たり生産(労働生産性)の対前年増加率は34年度においては18%に達し30年度以降最高の増加率を示した。このような生産性の上昇は奨励給、賞与、手当の増加となって賃金を上昇せしめた。労働時間も増加し製造業では33年度に対して2.2%、そのうち所定外労働時間は18.7%の著増となったが、これによる超過勤務の増加も定期給与を引き上げる大きな要因であった。労働省「給与構成調査」による34年9月分の定期給与では超過勤務給は基準内給与の16.6%に及び、33年9月の16.1%より比率が高くなっている。
これに対して期末賞与を中心とする特別給与の伸びは相対的に低く、33年度に対して14.3%の増加にとどまった。 第13-2図 のように特別給与は景気の上昇段階からやや遅れて増加するので、34年度においても夏期賞与は前年同期の12.1%にとどまり、31年夏季に比べれば増加率は約半分に過ぎない。年末賞与ではかなりの伸びを示しているがこれも31年末よりはかなり低かった。しかしながら規模別にみると後述のように小規模事業所ほど増加率が高く、これが規模別賃金格差を縮小せしめる一つの要因となった。
産業別賃金水準の動向
石炭不況を反映して鉱業では賃金上昇率が低かったが、その他の産業では大幅な伸びを示した。特に製造業では31年度以来最も伸び率が高く、他産業と比べても最高であった。それに次いで設備投資や公共事業などによって活況を呈した建設業が33年度に引き続いて高い上昇率を維持し、卸小売業も特別給与の増加率が大幅であったため賃金水準は著しく改善された。運輸通信業と電気ガス水道業は不況下にあっても定期給与が順調に上昇を続けた関係もあって、34年度の好況期にも伸び率は相対的に低かった。
製造業の業種別では33年度において停滞をみせた繊維、石油石炭製品などは34年度には10%~12%とやや高い上昇を示し、雇用増加が特に大幅であった電気機械は賃金の低い女子、若年労働者の増加によって賃金水準の上昇が減殺され最低の上昇率にとどまった。これらを除くと他の業種はおおむね9%前後の上昇率で賃金水準は比較的、斉一的に上昇した。
中小企業の賃金と規模別格差の縮小
34年度の労働経済においては前述のように労働需給が改善されたことが最も大きな特徴であるが、これを背景として中小企業において賃金をはじめとする労働条件が改善の兆しをみせた。このことは従来拡大の一途をたどっていた賃金の規模別格差がわずかながらも縮小したことに、最もよくあらわれている。規模別格差の縮小は31年度の好況の中にもみられなかったことである。製造業の500人以上の大規模事業所を基準とした賃金格差は 第13-10表 のように、34年度には100~499人の中規模を除いてわずかではあるが縮小した。定期給与と臨時給与にわけてみると、定期給与では中規模で若干拡大しているが、臨時給与では各規簿とも縮小している。業種別に定期給与の格差をみると中規模では窯業、化学、鉄鋼、機械などで若干格差の拡大がみられるが、小規模ではほとんどの業種で格差は縮小している。
この格差の縮小には種々な要因がある。大規模事業所の雇用増加が著しく、それが平均賃金の上昇を抑える作用をなしたことも、格差縮小の要因の一つであった。また33~34年度には堅調な消費と設備投資に支えられた最終消費財部門は生産財部門の大企業よりも立ち直りが早かったが、最終消費財部門では中小企業の比重が高いので、その生産上昇は中小企業の賃金上昇率を高め、格差縮小の一因となった。
しかしながら一層注目すべきことは前述のような労働需給の急激な引締りが、最も遅れていた中小企業労働者や臨時日雇労務者、若年層の賃金を引き上げ、これが規模別格差を縮小せしめたという点である。毎月勤労統計による臨時日雇労働者の賃金は33年度は停滞的であったが34年度には5.3%上昇し、公共職業安定所調べによる大都市のパートタイマーの賃金も10~15%の上昇を示した。常用労働者の定期給与上昇率も500人以上の大規模では6.5%であったが、30~99人の小規模では9.0%に及び、臨時給与は500人以上では15.3%増であったが、30~99人では23.2%と大幅に増加している。また、業種別にみてもほとんど全ての業種で小規模の大規模に対する格差が縮小していることも中小企業の賃金の改善を示している。
33年4月から34年4月までの1年間における規模別、年令別の賃金上昇率は 第13-11表 のようであるが、小規模の方が大規模よりも賃金上昇率の高い年齢層が多い。また34年3月の中学卒業者の初給賃金(製造業)をみると女子では規模間の対前年度上昇率の差は小さいが、男子では500人以上が2.3%、100~499人が3.5%であったが、30~99人では6.9%に達している。
以上のような小規模事業所における賃金上昇率が大規模のそれより高いこと、特に若年労働者にみられるこのような傾向は34年度にも引き継がれ、これが賃金の規模別格差縮小の大きな要因となったと考えられる。しかも「中小企業」の項で述べたように好況下において経営基盤が強化され、賃金の改善は必ずしも困難ではなかった。同時に最低賃金法が施行されたことを契機とし、労使双方の賃金改善の意欲を刺激したことも賃金格差の縮小に大きな影響を与えた。
35年5月までに法定された最低賃金は 第13-12表 のように107件、適用労働者数は195千人に達した。公示された最低賃金額は業種や地域などによってかなりの差があるが15歳(本採用時)には200円~260円が全体の2/3を占めている。これによって適用労働者の20~30%が直接最低額まで引き上げられ、その場合の上昇率はおおむね15~20%であった。現在までのところ最低賃金制はその賃金額や適用範囲からみてもまだ緒についたばかりで、賃金引上げの直接的な効果は必ずしも十分とはいえない。しかし労使双方に対して賃金改善の意欲を刺激した効果は大きいといえよう。
以上のような最低賃金法や業者間協定による最低賃金の実施とともに、労働組合が企業内あるいは特定産業内で初任給の引上げや最低保障賃金を要求し、一部ではその要求が実施されたことも若年層の賃金の改善に役立った。特に繊維工業労働者のかなりの部分によって組織されている労働組合では15歳(初任給)6,000円、18歳(勤続3年)8,000円の労働協約を締結したが、若年労働者の比重が高くしかも全国的に広く分布し、中小企業の多い繊維工業における初任給の引上げ、最低賃金の保証はその影響するところが大きかった。
また中小企業の労働組合の設立理由をみると 第13-13表 のように「外部団体の呼びかけ」や「人員整理に対する防衛」という理由のウエイトは低下し、「労働条件の向上」という理由が増大している。このことは賃金格差や労働条件を改善しようとする要求が中小企業労働者の間に高まりつつあるということを示しており、これが中小企業の賃金上昇の潜在的な背景の一つであったといえよう。
以上のように34年度の労働の諸分野では好況を背景として著しい改善がみられた。特に労働需給の引締りを契機として、従来最も遅れていた中小企業の賃金をはじめとする労働条件が改善の兆しをみせたことは大きな特色であった。この機運をとらえてさらに最低賃金制などを強化推進することが望まれる。
さらに好況の中にあっても石炭産業の離職者や中年層求職者、労働需給の地域的アンバランスなど全般的な改善の中に取り残された問題も少なくない。これらの問題に対しては第3部に述べているように職業再転換を円滑にするための職業訓練や職業安定機関の拡充、地域的な労働移動対策など、さらに積極的な諸施策を推進することが望ましいといえるであろう。