昭和35年

年次経済報告

日本経済の成長力と競争力

経済企画庁


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昭和34年度の日本経済

貿易

貿易自由化の推進

 34年度においては、大幅な経済規模の拡大にもかかわらず、輸出の急増によって国際収支の均衡を維持することができた。このような国際収支の堅調は、世界の大勢に順応しつつ、我が国経済の合理化をはかるための貿易自由化政策を積極的に推進しうる基盤をもたらした。その結果、貿易自由化への諸措置が次々と実施されるようになったが、その概略は次の通りである。

貿易面の自由化

 貿易自由化の第一は対ドル差別の撤廃であった。すなわち33年末、西欧諸国が通貨交換性の回復を行った当時、ドル地域に限り特別に自動承認制を適用しなかった商品は231品目もあった。しかし34年1月以降、前後4回に渡り、漸次その差別は撤廃され、35年6月現在、くず鉄、ラワン材など228品目が完全な自動承認制に移行した。また残された原皮、大豆、銑鉄の3品目も、35年中に自由化が予定されている。

 対ドル差別の撤廃とともに、外貨割当品目の自動承認制への移行も積極的に行われた。すなわち34年1月以降前後4回に渡り、塩化ビニール、ニッケル鉱など557品目が自動承認制品目となった。以上の措置により、自由化品目は33年末の510品目より1067品目となり、外貨予算からみた自由化率は、33年度下期の32%より35年度の上期予算では40%へと上昇した。

第1-7図 外貨予算(輸入)からみた自由化率

 以上のような自動承認制品目の拡大のほか、34年11月、新たに自動割当制が創設され、35年4月まで前後3回に渡り、機械類、消費財など334品目が同制度に繰入れられた。また事実上全く輸入が禁止されていた装飾用品などの消費財にも、外貨枠が設けられ、輸入の道が開かれた。さらに従来国際的に問題となっていた、特別外貨割当制も、34年度中適用品目の大幅整理などによって、漸次廃止の方向に向い、35年度上期中には全廃される予定である。

貿易外及び為替面の自由化

 輸入面における自由化とともに、貿易外支払に対する制限も、34年4月と35年2月と2回に渡り大幅に緩和された。すなわち代理店手数料、運賃、保険など貿易に付帯した貿易外支払の認可手続きが簡素化され、外国為替公認銀行の窓口限りで処理されることとなった。そのほか交互計算制度の対象が拡大され、海外渡航の制限、資本取引における元利払の手続も一部緩和された。このような貿易外支払の自由化によって、35年度上期における貿易外支払予算のうち、その52%が銀行の窓口限りで処理されることとなった。

 為替関係においても、34年9月対米ドル先物相場が自由化されるとともに、直物相場についても1ドル360円の上下0.5%の範囲内で自由に建値できることとなった。次いで35年2月には商社の持高集中制が認められ、相場の公定、為替の持高集中を中心とした為替管理も、自由化の方向に大幅な前進をみた。また輸入ユーザンスに対する制限も、34年4月、35年2月の2回に渡り、適用品目の拡大のほか、信用状なしの荷為替手形にも適用するなど、大幅に緩和され、34年度におけるユーザンス残高の著しい増加をもたらした。さらに35年7月交換性のある非居住者自由円勘定の設定とともに、円為替の復活が計られ、戦後初めて円が国際的な決済手段として正式に認められるようになった。このような為替の自由化により、我が国の金融がより密接に国際金融と接触する道が開かれたのである。

 34年度において自由化政策は、積極的に推進されたが、実際の貿易為替面には、年度中さほど大きな影響はみられなかった。また自由化により国内経済に大きな影響を与えると思われるものは、今後の課題として残されている。しかし、一方においては長期的な視野に立って、計画的に自由化を推進する政策の樹立をみた。すなわち35年1月貿易為替自由化促進閣僚会議によって、貿易為替の自由化を積極的に推進する基本方針が明らかにされた。さらに6月には、その基本方針に基づき、3年後に80%、( 第1-7図 備考参照)石油石炭を含めた場合は90%の自由化を達成することを目標に、主要商品の自由化の時期、及び自由化に対する対策など、具体的な計画の決定をみた。このように34年度においては、今後さらに一層、自由化を推進させる態勢が固められたのである。


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