昭和33年
年次経済報告
―景気循環の復活―
経済企画庁
各論
労働
昭和33年度労働経済の推移
31年度には大幅な発展をみせた労働経済は、32年度にはいっても年央頃までは従来の基調を持続した。しかし経済の基調がデフレに転換するとともに労働経済にもかなりの変化がみえだした。それはさほど深刻なものとなってはいないが、各指標とも年の後半にはおおむね下降傾向を示すに至った。
まず前半の動きをみると、雇用は引き続き経済規模の拡大によって好調な伸びを続け、3、4月の入職期における雇用増加は、従来にみない大幅なものであった。2月から4月までの間の常用雇用の増加は、産業総数で5.1%であり、前年の3.9%、28年の3.2%に比べてもかなり大幅であったことがわかる。その結果1~6月の半年間の増加は産業総数で5.2%、製造業で7.1%となった。このような増加傾向は労働市場にも改善をもたらし、就職率も大幅な上昇をみせ、労働条件の悪い一部中小企業における新規学卒者の求職難は一層強まった。失業も減少し、失業保険の諸指標もほとんど戦後の最低を示すに至った。
一方賃金は春季闘争における賃金増加額が好況持続を背景として、前年のそれをも上回るかなり高いものであったうえに、その範囲も公務員を含む広範囲にわたるものであったが、労働時間増加の頭打ち、繊維や金属における不況の影響が加わったために実質賃金の上昇率は鈍化した。
しかし、引締政策以後は景気後退の影響が労働経済面にも全面的に現れるようになってきた。すなわち、雇用面ではその程度は軽微であったが、7月を転換期として常用雇用、失業発生状況、企業整備状況、臨時日雇労務者の推移、労働市場動向などを示す全ての指標は後退に転じた。
まず常用雇用をみると工業生産の6月からの低下に1月おくれて工業雇用は7月より減少に転じ、産業総数は8月から減少し始めた。特に繊維は前年来の過剰生産傾向や設備投資の生産力効果の発現等を反映して入職期を過ぎた5月から早くも減少し始め、衣服身回品、化繊を中心とした化学、皮革等とともに各産業の中では最も速い減少速度を示した。これに対し、機械関係は8月から減少に転じたが受注残がなお相当に保有されていることなどを反映してその減収速度は鈍く、鉱業、運輸通信業等は、さらに遅く32年間中は微増を続け33年に入ってようやく微減に転じた程度である。
以上のように32年の常用雇用の減少は繊維などを中心とした一部の産業を除くと全般的に軽微であったため、産業総数の常用雇用の減少はピーク時より33年2月までに2.0%であり、29年の同時期3.3%の減少に比べるとかなり少ない。これは今回の不況が産業総数の中で大きな比重を持つ機械、金属、石炭、運輸通信その他の公益事業等への影響が軽微であったことと、2年続きの好況によって経営基盤が強化され、一部には良質労働力の採用困難の事情等もあるためできるだけ本工員の解雇を回避しようとする企業側の態度も影響していよう。
もっとも工業生産は年度末において1割以上の低下をみているので、景気回復が遅れれば人員整理に発展する可能性をもっている。
雇用減少傾向を反映して労働市場における労働力需給も前半の好調から逆転した。企業整備による整理人員も7月から急増し始め、下期には合計で前年同期の2.6倍に達し、年末から年初にかけては季節的な要因も加わって大幅な増加となった。失業保険の初回需給資格者は6月頃までは前年を下回っていたが、7~9月には20%余、10~12月には35%も前年同期を上回る増加となった。前半には、前年水準を下回っていた求職者数は9月以降再び前年同期を上回り、求人数は10月から前年同期を下回り出した。この結果、求職に対する求人の割合や、就職率は6、7月頃から低下傾向に転じ後半に入るとその速度はやや強まった。
さらに労働力調査による就業構造は32年中は賃金労働者の増加、家族従業者の減少という就業構造の近代化が続き不況の影響はそれほど現れなかった。しかし33年に入って、ようやく第二次産業雇用の停滞、第三次産業雇用の増加という構造変化が現れ始めてきた。
一方賃金も生産の停滞ないし減少を反映して上昇傾向を一層鈍化してきた。前半はいまだ給与改訂や定期昇給の影響でかなりの上昇率を保ってきたが、8、9月頃になると生産減少に伴う労働時間の減少や能率給の減少などの影響で上昇率は一段と鈍ってきた。しかし、夏季、年末の手当を主とする臨時給与は、不況にかかわらず前年を上回る支給がみられ、32年の給与総額に占める臨時給与の比率はさらに拡大して、数年来の傾向が持続された。
これに対し、C・P・Iが卸売物価指数の低下傾向にかかわらず、しばらく上昇を続けたため、実質賃金は名目賃金よりさらに鈍化し、9~11月頃には一時前年同月水準を下回るという事態を招いたが33年に入るとC・P・Iの低落によって微増に転じている。
32年春の賃金引上闘争ではいまだに好況の反映もあって、賃上げは大幅かつ広範なものであったが、その後の労働組合による賃金要求の動きは、景気動向に感応していわゆる低姿勢に終始し、32年秋期の鉄鋼を中心とする秋期闘争も多くの産業においてベース・アップは認められず、33年春季闘争によってもベース・アップの幅は、前年より小さなものに終った。