昭和33年
年次経済報告
―景気循環の復活―
経済企画庁
各論
物価
我が国の価格変動の特殊性
以上、前節で分析したように我が国の卸売物価の動きは、昨年来の景気後退期において各国の卸売物価が微落ないし微謄を示したのとは、著しく異なっているが、我が国の物価が、その時々の国際的な変動と比べて大幅に動いたのは何も今回ばかりではない。
遠く昭和初期の恐慌の折もそうであったし、戦後ではあの悪性インフレの時期は別問題としても、朝鮮動乱のブームとその反動期、及び29年の引締期とその後の変動期などみな然りである。
では、なぜ我が国の物価は諸外国のそれより大幅に変動したのであろうか。それには極めて複雑な要因が影響していると思われるが、価格を安定させる諸条件がまだ十分に成熟していないことも有力な要因の一つであろう。
以下物価変動の特殊性を、32年度の下落の過程において特にはっきり現れた諸条件を吟味しながら物価面に即しつつ検討してみよう。
大幅な在庫変動
在庫の重複部分が先進国より多い
我が国の在庫は、先進国に比べるとかなり多いといわれている。その理由はいろいろあろうが、産業構造が複雑で生産が集中していないために、かなりの量の在庫が重複していることが重要な要因の一つであろう。例えば、先進国では基礎財ないし生産財の部門の生産はごく少数の大企業によって行われているが、我が国では必ずしも少数の企業に生産が集中していない。鉄鋼業を例に取ると、我が国では七つの高炉メーカーを中心にして年間900万トンの普通鋼々材が生産されているが、その業界は各高炉メーカーを頂点とする系列にわかれている。しかるに我が国の鋼材生産量の10倍程度の生産を行っている米国の主要鉄鋼業者数は12~13社である。また造船業では我が国の大手は8社を数えるが、イギリスでは4社に過ぎず、石油精製業についてみても我が国の8社に対して、約30倍の生産が行われているアメリカでは23社に過ぎない。このように基礎部門を担当する企業は生産能力が小さく数も多く、従ってこれらの企業を中心とする系列ないし下請企業の数も相対的に多過ぎるのは周知の通りである。かかる企業集団がそれぞれ生産、販売に必要な在庫を抱えて競争しているのであるから、巨大な在庫が重複して存在していることは疑いない。
特に、綿や化繊ないし合繊の大紡績をそれぞれ頂点として、専属の商社と中小の機屋をもって形成されている多数の系列と、このほかに系列に属さない多数の機屋や膨大な小売商群とを擁している繊維業界と、産業機械、電気機械、輸送機械あるいは精密機械などの膨大な機械工業や土木建築業など広汎な需要先を抱えている鉄鋼業界との在庫が 第120表 にみるように他の業界に比べて格段に多いことは、この部分に特に重複が多いことを示唆するものであろう。
このように重複が多いことは、言葉をかえていえば、実需に対して仮需要が相対的に多いことを意味しよう。好況期には実需のほかに、こうした仮需要がふくらむから需要超過がひどくなり生産を増やしても製品は次々に引き取られて市場から姿を消し、価格はそれだけ急上昇をすることになろう。不況期には、この逆の現象が現れる。すなわちいったん価格が下がりだすと、この仮需要は消滅してしまうので、商品は多くのパイプをつたわってあとからあとから市場に滲み出して、下落に拍車をかける結果となる。
企業規模に比べて在庫が多い
在庫が多い第二の理由として、右に挙げた重複のほかに、個々の企業のもっている在庫が、その規模に比してかなり多い点を挙げることができよう。
もっとも、諸外国の企業の資産構成は、それぞれの国の産業構造により、また資本蓄積の程度などによって影響されることを考慮せねばならないが、一応現在入手し得る資料によって、アメリカ、西ドイツなどの諸国の企業の総資産対棚卸資産の比率を我が国の企業のそれと比べると、 第121表 のように我が国の比率の方が多少高い。
その理由はいろいろあろうが、戦後引き続いて急テンポの経済成長が行われ、商品に対する需要が強かったので生産者も需要者もともに在庫を増やさねばならなかったこと、また需要の強調によって価格は大体においてジリ高の傾向にあったから、在庫を増やすことによって、むしろ利益をあげ得る場合が多かったことは重要な要因の一つとして挙げねばなるまい。
そのほか国内の資源が貧弱なため、主要原材料を海外に仰いでいる事情も、在庫水準を高める原因の一つになっている。
例えば、綿紡績業についていえば、一定の操業を続けてゆくためには常に3ヵ月分くらいの綿花のストックが必要であるが、この3ヵ月分をいつも確保するためには、このほかに3ヵ月分くらいの先物の買約定を持っていなければならないという。だから原材料在庫の手当は、企業にとって重要な関心事となっている。このように輸入依存度が強いために、在庫水準が高くなるという事情は羊毛工業でも、鉄鋼業でも、石油精製業でも、あるいはソーダ工業やアルミニューム精練業でも、要するに輸入原材料に大きく依存する工業ではみな大同小異である。
借入金で抱えられた在庫
企業規模に比べて在庫が多いことは、自己資本の少ない我が国の企業においては、結局借金で抱えられている在庫が多いことを意味している。製造業における他人資本の比率と、流動比率とをアメリカ、西ドイツ、イギリスのそれと比べると 第122表 の通りで、我が国の比率がとびぬけて悪いのはこの点を示すものである。そのうえ諸外国の比率はここ1~2年ほとんど動いていないのに、我が国の企業の比率だけは30年以降年を逐ってかなりのテンポで悪化している。この点に鑑みると31年度に、我が国の物価だけが1割近い大幅な上昇を示したのは、従来以上に借金を増やしても在庫を多く抱えた企業の態度によるところが大きいことを示唆するものであろう。
また一方32年度において、やはり我が国の物価だけが諸外国よりも大幅に下落した主要な理由としても、この借金の影響を挙げる必要があろう。すなわち金融が引き締められ、商品の需給関係に変動が生じて売れ行きが落ちてきた際に、在庫が主として自己資金で抱えられているのであれば、企業は資金繰りがゆるす限り、必ずしも在庫を売り急ぐ必要はない。場合によっては、次の値上がりの機会を待つこともできるだろう。しかし、在庫が借金で抱えられている場合にはそうはいかない。増えてくる在庫を支えるだけの資金を借りることは次第に困難になり、借金の返済を迫られるケースもだんだん増えてくるので、そうなればどうしても在庫を処分して応じなければならない。だから借金で抱えられた在庫が多ければ多いほど、不況と同時に市場にどっと押し寄せる商品の量も多くなり、それだけ価格の下落も大幅になるのは当然であろう。
流通市場が十分に整備されていない
このほかに在庫変動の幅が大きい理由として見逃すことができないのは、流通市場を形成している商社が、商品取引の拡大に対して著しく弱体化したという事実である。この点は商社の資本構成ないし使用資金の源泉をみれば明らかである。すなわち、自己資本は使用総資本の1割に満たず、使用資金のうち外部資金は31年下期には98%、32年上期にも93%に達している。
そのために、商社の借入金の増加額は全産業の借入金の増加額に対して、31年の上期で40%、下期でもなお24%程度を占めていたが、32年の上期には引締めの影響を受けて9%に落ちた。その結果、商品を右から左へ動かす流通市場の規模は縮小するに至った。 第123表 は我が国における代表的な卸売業20社の企業間信用が31年下期から32年上期にかけて、いかに急速に収縮したかを示したものである。手持商品の処分を急いだ反面、買付を大幅に減少させて著しく低い姿勢をとったことがうかがわれる。
この20社以外の卸商も、外部資金への依存度が高い点はほぼ同様であったから引締めの影響を受けていずれも取引規模を急速に収縮しなければならなかったであろうことは推測に難くない。欧米諸国の商社のように内部資金が豊富であれば、好況時と不況時でこれほど取引規模を大幅に変動させないですむはずである。
流通市場の収縮によって、商品を市場で処分することが困難になってくれば、滞貨はメーカーの手許にたまらざるを得ない。このため特に綿、スフ、化繊、パルプ、紙、有機工業薬品、油脂、ゴム、鉄鋼、非鉄金属などの業界では製品在庫が目立って増え、これらの価格がみな大幅に下落したのは既にみた通りである。
在庫の変動と物価の変動との関係
以上において、我が国の在庫は企業の規模に比べて残高が大きく、しかも高水準のもとにおいて時おり大幅に変動することが明らかとなった。
このような在庫の変動は、過去においてときたま商品の需給関係が、大きく変化し、その都度、著しい需給超過ないし、供給超過の状態が現れたことを示すものであるが、かかる商品の需給関係の変動はまた、商品価格を大幅に変動させる結果となった。
この点を製品在庫と製品価格との関係についてみよう。製品在庫といっても、先に掲げた 第120表 から明らかなように、その過半は、鉄鋼と、繊維で占めているのであるから、在庫の変動と、価格の変動との関係は、この二者についてみればよいであろう。第136図 、 第137図 は、それを示したものである。すなわち、鉄鋼も繊維も、メーカーの製品在庫率の増減は極めて鋭敏に価格に影響している。前者についていえば、31年のはじめ以来、投資ブームを反映して売れ行きが活発になり、製品在庫率が、低下しだすにつれて、価格は急速に上昇し、在庫率が最も底をついた9月に、価格はピークに達した。それ以後、輸入品の到着によって、メーカーの在庫にゆとりが生ずるにつれて、価格も漸落したが、32年の引締めとともに、需給の基調に変化が生じたために在庫率は急上昇に転じ、それにつれて価格も大幅に下落し始めたことが、明瞭にうかがえる。繊維についていえば、生産過剰により、製品在庫率は31年6月を底に上昇に転じたが、価格もまた6月をピークに下落し始め、32年の引締政策がかかる情勢に拍車をかけ、価格が急落するに至ったことを示している。
過当競争が行われている
在庫の変動と並んで価格を大幅に変動させる要因の一つに、業界における独占ないし寡占の強弱の問題がある。
不況が進行して商品の売れ行きが落ち始めると、企業としても種々の対策を講じなければならないが、その不況対策は次の二つに大別できよう。その一つは、生産を調整して在庫を減らすか、少なくとも増えないようにして、販売価格をできるだけ維持しようとするものであり、その二は、これとは逆に、生産の縮小をあまり行わず、価格を下げることによって販路を広げようとするものである。
昨年5月に引締政策が開始されてから、物価がすぐに大幅に下がったにもかかわらず、生産の下降がかなり遅れたのは、一面において生産の調整に多くの時間を要することを示すものであるが、それとともに、第一の対策をとった企業が少なく、多くの企業は第二の方策を選んだ、もしくは選ばざるを得なかった事情も大いに影響していると思われる。
試みに、基礎産業たる鉄鋼業を例にとってみよう。数多い鋼材製品のうち、大メーカーも中小メーカーも生産を行っている棒鋼と型鋼との生産量が、32年の不況の中でメーカーの規模によってどんな推移をたどったかをみると、 第138図 の通りである。
本図によれば、大メーカーは上半期に両品種の価格が急落したのに応じて、下半期には2割から3割に及ぶ大幅減産を行っている。これに対して中小メーカーの方は型鋼で1割程度の操短をしただけで、棒鋼の方は逆に増産をしている。
かかる動きは、大メーカーが生産を落とすことによって、従来の建値をできるだけ維持しようとしたのに対して、中小メーカーはこの建値以下に販売価格を下げることによって販売数量の減少を防ぎ、もしくは積極的に販路を拡張しようとしたことを示すものであろう。
しかし不況が進行するにつれて、実需は縮小を続けていたから、中小企業のこうした方策によって在庫はたまる結果となり、それが一層その後の値下がりをはなはだしくした。しかも単に棒鋼、型鋼の価格ばかりでなく、厚板など他の品種の価格にも影響するに至った。言葉をかえていえば、社内留保も多く銀行信用も大きく、それゆえ操短によって生ずる困難を乗り切る力を持った大メーカーの価格を維持しようとする努力は、生産を大幅に縮小すれば直ちに企業の存立に影響するような弱小メーカーの行動のまえには、あまり効果を発揮しなかったといわねばならない。独占ないし寡占の程度が弱いといわれるゆえんである。このような事情は、繊維業界にもかなり明らかにみられる。すなわち引締以来、繊維の価格は人絹糸とスフ糸、それも主としてスフ糸で最も大幅に動いたのは、 第139図 の通りである。もっとも引締めの初期に人絹糸が20%近く下落したのは生産設備が急増したことと、32年上半期に輸出が1割近く前期より減ったためで、引締めないし独占とは直接関係はないようだ。むしろ独占と価格との関係でいえば、主に10月以降の動きを注視せねばならない。すなわちスフ糸の原料たるスフ綿と人絹糸との価格は強力な操短によって10月以降もち直し、それにつれてスフ糸の価格も反騰した。しかし業界の複雑な事情によって十分な操短が行われなかったスフ糸の価格は、原料価格を無視して再び低落を始めた。これはすぐに人絹糸の価格に影響し、綿糸の価格にも波及せざるを得なかった。人絹工業は、周知の通り、大手6社が生産を独占しており、その価格統制力はかなり強いはずである。現に5割の操短を足並みをそろえて実施している。これに反してスフ業界は原料たるスフ綿からスフ糸まで生産する大手のほかに、原料たるスフ綿を買入れて紡糸する中小メーカーが乱立しており、その規模もまちまちである。価格がじりじり下がっても、中小メーカーは資金繰りのため大幅操短に踏切れず、そのため供給過剰の状態は容易に解消しない。この過程は、繊維業界においても、大企業が市場価格を支配する力が必ずしも強くないことを示すものであろう。
広く商品の動きを検討してみると、このような事情は必ずしも鉄鋼と繊維とだけにあるのではない、化学や燃料にも、またその他の商品にもみられる。もっともそれぞれの生産構造がことなり、市場構造が違うにつれて、その現れ方には多少の相違があるのは当然であろう。
以上、32年度において、1割近く卸売物価が下落した内容と、その背後にあって物価を不安ならしめている諸要因を検討した。
もちろん、ここに挙げたものばかりでなく、その他にも重要な要因は種々あろう。
ことに生産性の上昇によって労賃コストが低下し、利益金のほかに各種積立金や引当金など、実質的な利潤部分が蓄積され、経営にかなりのゆとりができて値下げに応ずる余地が増えたことや、能力の増加によって競争が激化したことなどは、見逃すことのできない基本的要因であろう。
確かに、物価の急落は、前年度の行き過ぎた投資ブームの反動として生じたものであるが、価格を形成する市場のあり方なり、生産部門なり、物価の振幅を大ならしめるだけの特殊性があり、それらが相互に複雑に作用しあったことは疑う余地がない。
戦後の歴史を振り返るまでもなく、大幅な価格変動は旺盛な成長力の結果であるが、同時にその変動が経済の見通しを困難にし、投機的態度を助長したことは否定できない。近頃、経済の安定的成長に対する要請がますます強まっているが、そのことは物価に即していえば大幅な変動を生ずる諸要因を漸次是正ないし、除去する必要を意味するものであろう。このことは、我が国経済のあり方なり、性格なりの根本にふれるものが多いが、今後の経済の進歩のためには、着実に解決してゆかねばならない。