昭和33年

年次経済報告

―景気循環の復活―

経済企画庁


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各論

交通・通信

海運企業経営基盤の脆弱性

 景気の後退はあらゆる産業に大なり小なり影響を与えているが、基幹産業の一つであり、貿易物資の輸送及び国際収支改善の担い手である海運業が特に深刻な状態に置かれ、不況の深刻化とともに一人歩きの可能性すら疑われる状態となっていることについて、その原因が究明されなければならない。

 前述のごとき運賃市況の暴落を反映して、32年度の海運業の収支状況は著しく悪化した。すなわち主要外航会社53社についてみるならば、その収益2,211億円に対する費用(減価償却費を除く)は1,888億円で、償却前利益は、323億円となっており、これは前年度の493億円に比較して34.5%の減少であり、32年度下期には、53社中11社が償却前において欠損となり、金利の支払いにもことかく状態となった。また減価償却実施額も前年度の445億円から308億円と137億円の減少を示し、32年度末における償却不足累計額は、約418億円となっている。海運業の財務比率をその戦前の状況及び全産業平均と比較してみると、 第84表 の通りであるが、資本構成並びに資産構成における著しい不均衡は、戦前の健全な状態及び他産業との比較を絶しており、その経営がいかに劣弱なる基盤のうえに立っているかが明らかであるのみならず、不況下における総資本収益率の激落が目立っている。

第84表 財務比率からみた海運業と全産業平均の比較

 以上のごとく海運業の体質は極めて脆弱であるが、その原因としては、戦後の環境、船腹拡充政策の影響及び国際競争力の劣弱性の三者が挙げられよう。

我が国海運の置かれた戦後の特殊環境

 戦前600万総トンを超えた我が国商船隊は、戦時中に大量の船腹を喪失し、昭和21年初頭においては、140万総トンに達しない弱体に転落した。しかもこれらの大部分は、急製乱造された戦標船で、外航に適するものはほとんどなかった。このような状態において行われた戦時補償金の支払い打ち切り等の政策は海運業より過去の蓄積を完全に剥奪し、企業よりその回復力を取り去ることとなった。海運企業におけるこのような蓄積資本の喪失はその後の船腹拡充テンポと相まって企業の大きな負担となり、商船隊が一応の水準まで回復した今日、海運企業の自立性を疑わしめる大きな原因となったのである。戦後我が国海運の直面した諸問題の中でも中国大陸との交易の杜絶、すなわち海運市場としてこの極東水域の喪失は、海運活動あるいは国際競争力の分野に見落とすことのできない影響を与えている。

 極東市場(中共、台湾、韓国)のウエイトを輸入についてみるならば、昭和11年において48%を示し、我が国の輸入の約半分はこの諸国に依存していた。かかる貿易構造の下においては海運も当然その活動の舞台を極東水域においており、定期船々腹の約34%、不定期船々腹の約48%は近海(本邦沿岸を除く)に配船されていた。このように我が国海運の活動の中心は極東水域におかれていたのであるが、諸外国の海運に対してどのようなウエイトを占めていたであろうか。アジア州内の総配船々腹に対する日本国籍船の割合は約60%で外国海運に対して、圧倒的な優位に立っていたのである。また不定期船は夏季に近海に集中し、冬期に遠洋に進出する傾向が示され、不定期船々腹の約33%が遠洋近海の両水域を移動していた。このことは我が国の不定期船活動が近海に基盤をおいて、随時遠洋において外国海運と競争していたことを意味するものである。

 このような独占市場としての極東水域の喪失は単に船繰りの困難の増加、稼業率の低下ということのみでなく、あたかも繊維産業が国内市場を失った状態で輸出のみを行わなければならない場合と同様の負担を海運業に加えているのである。

船腹拡充政策の影響

 船腹の拡充は、主として計画造船という方式により、戦争により壊滅的な打撃を受けた商船隊の復興のため、国家がイニシアティブをとって、建造資金の斡旋を行いつつ実施された。計画造船によって、第13次まで既に財政融資1,623億円、一般市中融資及び自己資金1,625億円、合計3,348億円の設備資金を投じて、407隻、274万総トンの建造が行われた。この結果国としては、33年3月末現在4,656千総トンに及ぶ商船隊を保有し、国際収支の改善に資するとともに我が国貿易物資のほぼ50%を輸送し得るに至ったが、これが企業に与えた影響は一様でなく、また必ずしも経営基盤強化に資するものではなかった。

 海運業は船価の安い時に船腹の建造を発注し、好況の波に乗って収入をあげるのを理想としているが、戦後の建造状況をみると高船価時に大量の新造が行われている。すなわち、海運市況もよく、船価の高かった26年、27年及び32年度についてみると、この3ヵ年間に計画造船々腹の約42%が建造されており、また、近年盛んとなった自己資金船を加えるならば、24年度以降の新造外航船の約47%がこれらの時期に建造されている( 第85表 )。計画造船が、高船価時に大量の新造が行われるという趨勢の例外とはなり得ず、これを助長する結果となったのは、計画造船方式が予算を伴うため時々の財政事情に制約されるのみならず、一般の金融状勢にも左右されるため、不況時に大量の建造資金を獲保することができなかったこと、また企業の側からすれば、この計画に順応しない限り、財政資金はもちろん、市中資金の融資を受けることができず保有船腹を拡充する途が閉ざされていたことによるものであるが、これが企業にとって負担となり、結果的には国際競争力を減少せしめる原因となっていることは否めない。

第85表 外航船建造量及び船価指数

 次に計画造船は戦後我が国海運業にその中核体と傭船市場を復活せしめる方向には進められなかった。戦前においては、我が国定期船々腹の55%が2社によって占められていたのみならず、各航路における中核オペレーターの独占度が高く、また、不定期船々腹の約80%は、4社によって運航され、企業の集中度が高かった。このため対外的な競争力も大きく、邦船間の熾烈な競争は稀であったが計画造船の総花的割当はオペレーターの勢力を伯仲せしめる結果となり、後述するごとく、過当競争を助長せしめることとなった。

 また、オペレーター同様資本の欠乏していたオーナーの船舶建造が可能であったのは、計画造船の機会均等主義の結果であるが、反面オペレーター側からいうならば、その船腹の拡充にはオーナーの資力をも動員する必要があったため、オーナーの建造資金借入に対して債務保証、あるいは担保の提供を行い、両者の間に紐付き関係で計画造船に参加する傾向が助長され、自由な傭船市場の形成を阻害することとなった。このため不定期船オペレーターは、傭船市場を通じて弾力的な経営を行うことが困難となった。また、オーナーが定期航路の適船を建造保有するという異状な状態が続いたため、定期船オペレーターにおいては不定期船市況の上昇期には、傭船料の値上がりの負担にあえぎ、市況の下降期には自社船の不足と相まって一般傭船料におけるがごとき値下げを行い得ず、傭船料が常に経営を圧迫することとなったのである。例えば本邦を中心とする定期航路における外国会社の傭船々腹使用割合は、3%弱で、戦前の我が国主要定期船会社2社においても7%程度であったが、傭船々腹割合の著しく改善された昭和32年6月現在においても我が国の定期船運航船腹中に占める傭船々腹はなお30%となっており、特に主要定期船会社三社についてみれば、これが40%の高きに上っていることよりみて、傭船料の企業経費に占める比重の大きいことが理解できよう。

国際競争力の劣性

 海運における国際競争力の優劣は、その一端を経費の高低によってみることができる。一例として英国海運と我が国海運における不定期船の簿価を比較してみるならば、一総トン当たり比率は38対100で2倍以上の簿価となっている。他の条件が同一と仮定しても資本費部分の差だけ英国より競争力が劣ることとなるわけであるが、我が国海運業は他人資本依存度がはなはだしく、一総トン当たりの負債は、英国海運業の10倍にあたっているため、金利負担が著しく大きく、金利部分のコスト高がさらに加重されているわけである。コスト面におけるこのような差は、海運業にとって致命的といわなければならない。

 このようなコスト面における脆弱性に加えて海運市場における販売面においても種々の問題を内蔵している。まず定期船市場についてこれを検討してみよう。

 本邦を中心とする遠洋定期航路の配船状況をその就航船腹についてみると、昭和12年当時は邦船42%(中国配船を除く)外国船58%であったのに対して、昭和32年においては邦船30%、外国船70%と外国船の比重が大きくなっている。また戦前邦船の就航率が70%以上のものが7航路に及んでいたが、戦後は50%以上のものをとっても4航路に過ぎない。就航船腹量のみならず個々の船腹の性能についてみても外国船と邦船との間にはかなりの懸隔があり、例えば速力についてみても1節ないし2節劣っている( 第86表 )。これらの事実は、各航路における邦船の独占度の低下、競争力の低下を意味するものにほかならない。

第86表 定期航路における邦船外国船性能比較

 さらに我が国海運の力を弱めているものとして、1航路に多数の企業が参加し、邦船間においてしばしば激しい競争を行っていることが挙げられる。邦船オペレーター数の最も多いのは、北米東洋航路の9社であるが、その他1航路、4社ないし7社のものが7航路、3社のものが1航路となっているのに対して、外国船主では北米西岸航路の米国7社が最高で、英国4社のものが1航路、3社のものが3航路で他はいずれも2社以下となっている。

 また、戦前の状態をかえりみるならば 第87表 の通りで、主要航路における戦後の業者数の増加が顕著である。これは戦前定期航路の大部分を経営していた大手二社の勢力の後退と定期航路事業における大規模経営の利点の喪失を意味すると同時に1航路に多数のオペレーターが殺到して、競争を激化せしめているものといえる。すなわち、海運市況が軟化すると比較的運賃の安定している定期航路への割り込みが活発となり、好況時に十分の収益をあげ得なかった定期船企業の採算の悪化に拍車をかけるのが常であった。昭和27年、28年、29年頃のニューヨーク航路、インドパキスタン航路、欧州航路、タイ航路、最近では、西アフリカ航路等における紛争等が続発している。このような邦船の割り込みは、外国船に対して邦船のシェヤーを増加せしめるという好結果をうる以前に、企業基盤の劣弱な本邦オペレーターに多大の打撃を与え、共倒れ的傾向を助長して定期船企業の立ち直りを一層遅延せしめているのである。

第87表 主要定期航路別オペレーター数及び航海数

 不定期船企業については、前述のごとく極東水域を市場として喪失したことがその活動を制約する主因となっている。戦前本邦不定期船の主要貨物であった中国の石炭、鉄鉱石、塩、大豆、雑穀、米等は戦後遠隔の地に求められるようになり、特に工業原材料は、その積出地が主要定期航路筋にあるため、定期船の復航貨物として積み取られるようになった。例えばハンプトンローズの石炭、タンパの燐鉱石、豪州の大麦、あるいは印パ航路における塩、鉄鉱石、欧州航路のカリ塩等がこれである。輸入における不定期船適貨が定期船によって輸送されるようになったいま一つの原因は、極東水域から欧州あるいは米州向けに積出される大量貨物、例えば戦前における中国の大豆、雑穀、サイゴンの米、とうもろこし、あるいはビザガパタムの鉱石等がなくなり、往航空荷で遠隔地の大量貨物を積み取ることが採算上不可能であるためであり、これが三国間輸送をも困難ならしめ、我が国の不定期船活動を著しく制約することとなっている。

 世界的にみて、石油類、鉄鉱石の海上荷動き量は増加傾向にあるが、これらはタンカーあるいは鉱石専用船により、独自の市場においてその大部分が長期契約に基づいて輸送されている。これらの物資を除く工業原材料、穀類等の大量貨物の荷動きの伸びは、工業製品、半製品の伸びよりも小さく、定期船のウェイトが増大しつつあり、また大量貨物においても長期契約による輸送が一般化して、純然たる不定期船市場が狭まりつつあるが、特に我が国においては戦後における貿易構造の変化から不定期船の活動分野が著しく制約され、定期船の海上輸送に占める比重が高くなっている。

 以上によって我が国海運の脆弱性とその問題の所在を概観したが、世界的海運市況の長期低迷化が予想される今日、我が国海運の健全な発展を期するにはこれらの問題点を中心とした総合的かつ抜本的な対策が望まれよう。


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