昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
国民生活
国民生活の現段階
戦後の国民生活は急速な回復と発展をとげ、昭和30年も前年比4%の向上を示して国民所得統計による一人当たり実質個人消費支出は戦前(9~11年)基準で114%に達した。また家計調査でみても、都市、農村を合わせた国民消費水準は戦前基準で115%に到達した。特にデフレ以前の24年から28年にかけての5ヵ年間は年率10%というめざましい発展をとげた。これは低水準からの回復段階にあるとはいえ、戦前の消費水準が昭和初期の恐慌以後ほとんど停滞を続けたのに比べると全く対照的である。そこで現在の国民生活が戦後の発展の過程のなかでどのように変化し、それが戦前の構造に比べてどう変貌したかを消費構造、家計の収入構造と安定度について概観し、合わせて低所得世帯の動向をみることにしよう。
消費構造の変化
消費水準の回復とともに消費内容が漸次高級化している。それは30年において、より明確な形で現れていることは前述した通りである。24~25年までは消費水準の上昇は主として食料や被服の増加であって、家計は赤字を出してまで消費生活の向上を求めた。食料の一応の充足がすむと被服と住居への充足に向かった。全都市全世帯でみると、26年から28年にかけて総合消費水準は32%上昇したのに対して飲食費は24%の増加であったが、被服は72%、住居は42%増加した。28年から30年にかけての消費の需要は住居と雑費に向かった。この期間における全都市全世帯の総合消費水準の上昇は5%であるが、被服はほとんど停滞し、雑費が12%、住居が6%の増加をみている。このように消費水準の向上とともに家具什器などの住居費やサービス関係の雑費への支出意欲が強まってきている。特に電気器具などを含む家具什器類は、26年から30年にかけて83%も増加し、そのうちラジオ受信機は4倍、電気洗濯機は14倍、写真機も5倍以上の増加をみている。さらにサービス関係では新聞用紙が3倍に、バス利用は8割以上の増加となっている。
このような消費構造の変化は、消費水準の回復による戦前構造への復帰ではなく戦後の新しい生活環境に対応する新しい生活様式への変化である。例えば耐久消費財の家具什器類についても、戦前の木製家具中心から戦後の電気器具を中心とする金属製家具に、雑費関係では教育文化、医療、理容、旅行、娯楽などの比重が増加している。同様のことは飲食費や衣料、光熱費などのなかにおいてもみられる。すなわち、主食ではパン食の普及、非主食では肉、卵、牛乳などの動物性蛋白質の増加、衣料では綿関係の減少、光熱費ではガス、電気、石油使用の増加などである。
こうした消費構造の変化は、雇用構造や消費の輸入依存度にも影響を及ぼしてきている。「労働」の項にも述べているように、金属性耐久消費財や石油消費需要の増加を反映して、電気機械器具や精密機械器具、石油関係の製造と小売部門の雇用は戦前に比べると著しく増加している。またサービス関係の教育、医療、バス、興業娯楽などの雇用増加もその一つの現れに他ならない。さらに輸入依存度との関係では、サービス関係は物財の消費よりもその利用が中心であるから、雑費関係への支出増は相対的に輸入依存度を低める。また衣料における綿の減少、耐久消費財の国産品需要への移行なども輸入依存度を低める要因である。これに対し一方では、毛織物、石油、動物性蛋白質の増加などはかえって輸入依存度を高める要因をなしているが、総合すると輸入依存度を低めているといえるようである。
しかし、このような高級化の反面でまだ遅れている部面もある。なかでも都市生活者における住宅問題などはその好例である。建設省が30年の8月に行った住宅事情調査によると、住宅不足は270万戸に達し、全世帯の16%に当たっている。一人当たりの畳数でみても戦前(昭和16年)の都市(人口20万以上)では3.8畳であったが、30年には3.4畳に低下している。
この住宅事情を所有関係でみると、戦前(昭和16年)の市部では借家が全住宅の76%を占めていたが、戦後は著しく借家が減少し、30年では29%と大幅に縮小している。戦後の借家住宅建設の不振は借家建設資金の不足、借家経営の不採算などによるものであるが、その結果として自己の力では建築の困難な低所得層により集中的に住宅難が現れている。また、大都市地域においては不合理な土地利用、慢性的な人口集中などにより、一層厳しい住宅難にある。
このような住宅事情を反映して政府は30年度において42万戸建設を目標に住宅対策に積極的な第一歩を踏み出したが、この目標はほぼ達成されたと推測されている。しかし、いまだ住宅不足の緩和にはほど遠い状況にある。
収入構造と家計の安定度
消費生活の向上にはその源泉である家計収入の向上が必要である。まず都市勤労者世帯について家計収入の構造とその安定度をみることにしよう。勤労者世帯の実収入のなかで勤労収入の比率は戦後の推移でもやや縮小気味ではあるが、30年全都市四人世帯では89.3%で戦前の状態より幾分縮小している。また、勤労収入のなかで世帯主勤労収入の比率は四人世帯で92.7%であり、戦後の推移としては大きな変化はないが、戦前の昭和2年の94.2%、9~11年の96%に比べると相対的に縮小し、世帯員収入に対する依存度が高まっている。これは戦後における女子の家事労働からの解放による職場への進出や、家計補助的な世帯員の労働力などの反映とみられよう。30年の世帯内有業人員は五人世帯で1.48人であるが戦前(昭和2年)は1.3人前後であった。
家計の収支面では25年までは赤字の連続であったが、26年より黒字に転じ30年では前述したように8.2%の黒字率を示してほぼ戦前の状態に近くなった。しかし、預貯金及び無尽、保険掛金などの金融機関への純貯蓄では27年よりようやくプラスとなり、30年でも実収入の5%程度である。これは戦前の状態に比べるとまだまだ低い。このように最近の都市勤労者の生活は消費水準では既に戦前を突破しているが、家計収支や純貯蓄ではいまだ戦前の状態ほどには改善されていない。これは租税の負担率が非常に高くなっていることも一因であろう。戦前の租税負担率は実収入の1%に達していなかったが、戦後の負担率はここ数年来軽減気味ではあるものの、30年でも8.6%に達している。その他戦前にはほとんどみられなかった社会保障的醵出も実収入の3%ほど占めている。従って、実収入のうちで消費支出に向けられている部分は、戦前では88%であったが、30年では81%と低められている。
もっとも、戦後における社会保障の導入はそれだけ家計の安定度を強めていることは疑いない。
しかし、預貯金の保有高などでは戦前には遠く及ばないので、家計全体としてみた安定度はまだまだ戦前の状態まで改善されてはいないようである。
一方、農家の収入構造をみると、豊凶による変動もあるが、戦後の農業収入は農業収入の比重が縮小して兼業労賃収入の比重が拡大してきている。24年の農業所得は農家所得の72%を占めていたが、29年には62%に縮小し、30年には豊作の影響もあって68%とやや回復している。これに対し労賃収入は24年の16%から29年の20%、30年の19%に拡大して、兼業労賃収入への依存度を強めている。もっとも戦前においても小作農などは農業収入が6割前後で労賃収入が17~8%を占めていた。他方、家計の収支面では統計の明らかな24年以降についてみると、24年を除いて黒字が続いており、29年は12%、30年には16%の黒字を残している。これは戦前(昭和2年)の家計調査による自作農黒字3%、自小作収支過不足なし、小作農赤字に比べると家計収支面でも著しい改善ということができる。
低所得層の問題
戦後の国民生活は、前述したように消費、収入、家計収支とも大きな改善に向かいつつあるが、これらの改善は平均的な数字を示すものであって、その背後には最低の生活水準に停滞している低所得層が相当数存在していることを忘れることができない。
厚生省の調べによると、生活保護基準以下の低所得のために生活保護を受けている者の数は世帯数で66万(国民総世帯数の30分の1)、人員で193万人(総人口の50分の1)に達している。このうち世帯主が傷病や老衰により働くことの困難な者が48%を占めているが、労働力を持ちながら失業や収入の低さのために保護基準に達しない者が52%も占めていることは、大きな問題といわねばならない。これらの保護世帯は25年以降大体減少気味にあったが、30年に入ってからは再び増加に転じている。さらに被保護世帯以外にも、日雇世帯などを含めた低所得世帯の数が意外に多い。厚生省調べによると、生活被保護世帯の生活水準とほぼ同水準にある世帯が、日雇世帯、家内工業世帯、零細農業、露天商、行商などの世帯を中心に30年4月で192万世帯(総世帯数の11%)に達している。
これらの低所得層の家計の特徴は収入の低さを補う赤字補填が困難なため、収支過不足がほとんどなく飲食費の割合(エンゲル係数)が非常に高いことにあるが、一人当たりの生計費は26年で一般勤労者に対し被保護世帯で49%日雇世帯で56%にあったが、30年には前者が40%、後者は49%(29年)と一般世帯との格差が拡大傾向にあるとき、前述したように多数の低所得層が存在することは、社会保障や国家財政にとって重大な問題を提起することになろう。