昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
労働
日本経済における雇用並びに賃金構造
就業構造の長期変動
前章に述べたように昭和30年の労働経済では、卸売及び小売業、サービス業や中小規模の製造業部門に就業者の顕著な増加がみられた。ところでこのような就業構造の変化は、我が国の経済の長期発展のなかでどのように推移し、また変化してきたであろうか。
まず、我が国の就業構造が産業別にみて、長期的にどのような変化を示したかを「国勢調査」、「事業所統計調査」並びに労働力調査から検討してみよう。
「国勢調査」によると大正9年から昭和5年にかけての慢性不況から恐慌に突入した10年間においては、就業人口は2371千人増加したが、そのうち農林業ではわずかに13千人の増加、非農林業では2812千人の増加、産業不詳453千人の減少であった。非農林業のなかでは、鉱業は107千人減少し、製造業もわずか264千人しか増加せず、増加就業者総数の11%しか吸収していない。これに対し、卸売及び小売業において増加就業者の62%にあたる1472千人を吸収し、その増加率は55%に達している。これについで、サービス業では538千人、増加就業者の23%を吸収し、その結果、卸売及び小売業、サービス業の2部門で、増加就業者の大部分85%を吸収したのである。この他には建設業の248千人(増加率35%)の増加が目立っている。
輸出の強行と戦時経済への移行とともに鉱工業部門の生産は膨張し、その後10年を経過した昭和15年では就業人口は2842千人の増加をみた。このうち農林業はわずかながら273千人減少し、非農林業では2968千人の増加をみたのである。しかもその72%にあたる2143千人は製造業に吸収され、その増加率は45%に達し、また鉱業には増加就業者数の約1割にあたる281千人が吸収され、その増加率は90%にも達した。かくして、鉱工業における吸収は増加就業者の82%を占めた。これに対し、戦時統制などの影響もあって、卸売及び小売業へはわずか154千人(約5%)しか増加せず、サービス業への増加も235千人(約8%)にとどまった。
このように戦前の増加労働力は好況期の発展率の高い時には鉱工業に、不況期の発展が停滞する時期には卸売及び小売業とサービス業に吸収されてゆき、農林業の就業人口は不況期に若干膨張したが、それは極めてわずかであり、大体において横ばいないし減少気味であった。
しかし戦争による生産力の著しい低下と生活水準の極端な低下、そして引上げ、復員による労働力の急膨張などによって、戦後における増加労働力の吸収産業は変貌した。すなわち、22年の「国勢調査」による農林業就業者は15年に比し3443千人(25%)の増加をみている。この間、非農林業はかえって2526千人の減少であり、製造業、卸小売業、サービス業など全て就業者は減少したのである。
さて、22年から26年にかけての4ヵ年、及び26年から29年への3ヵ年は日本経済がようやく戦後のインフレ期をのりこえ、傾斜生産方式による生産力の回復及びドッジ・プランによる中間安定期、その後の動乱ブームとその調整期、そして投資、消費景気を経過した著しい回復の時期である。この期間に増加した就業者がどのような部門に吸収されたかをみると、農林業の就業者は24年まではなお増加を続けたが、その後は大体において横ばいないし減少気味であるので、増加就業者の大部分は非農林業に吸収されたことになる。そこでこの期間における非農林業就業者の変動を一定の就業の場所を持たないような零細な経営を除いた「事業所統計調査」による就業者についてみることにしよう。まず22年から26年にかけての増加就業者数2464千人のうち、卸小売業で1453千人(67%)、サービス業で1105千人(42%)の増加がみられ、逆に製造業では232千人(4%)減少した。また26年から29年にかけては製造業においては607千人(10%)の増加をみたが、それは増加就業者の42%で、残りの大部分は前期と同じように卸小売業、サービス業にそれぞれ724千人、182千人吸収されたのである。卸小売業のなかでは22年から26年にかけては卸売業の増加率が大きく、26年から29年にかけては小売業の増加率が大きくなっている。即ち小売業は22年から26年にかけて51%、26年から29年にかけて23%の増加であるのに対し、卸売業はそれぞれの期において100%、21%の増加を示している。またサービス業では22年から26年にかけて4割余の増加をみせたが、そのうち最も増加したのは接客業であり、ついで教育、理髪、理容業及び浴場業、娯楽興業などの増加が目立っている。これに対し26年から29年にかけては総計としてみるとほぼ横ばいであるが、娯楽興業部門では115千人(94%)、接客業、222千人(33%)、理髪、理容業及び浴場業、62千人(26%)並びに医療衛生、78千人(20%)とそれぞれの部門においては増加が顕著である。かくして22年から29年にかけて、「事業所統計調査」による増加就業者3、905千人のうち、製造業にはその9.6%にあたる375千人が吸収されたのみで、卸小売業に2177千人、サービス業に1287千人と実に増加就業人口の89%が吸収されたのである。こうした戦後の卸小売、サービス業における就業者増の結果、30年10月における「労働力調査臨時調査」の平常の就業人口(仕事が主なもの)で戦前(昭和15年)の就業構造と比較してみると、産業別構成比において農林業はほぼ同じ、非農林業のなかで製造業は減少し、卸小売並びにサービス業の比率が増加しているのである。
次に規模別の動向をみると、非農林業全体では22年から26年にかけ30人以下で実に増加就業者の8割を吸収し、そのうち4人以下が26%を占めている。200人から1000人の規模ではかえって減少している。26年から29年にかけてもほぼ同様な傾向で、増加就業者の半数以上が10人以下の規模において吸収され、小規模企業就業者の増加が目立っている。
このような就業人口の長期変動を就業形態別、すなわち従業上の地位別によってみるとどうであろうか。
昭和5年の「国勢調査」によれば、全産業において個人業主が9584千人(33%)、家族従業者が10247千人(35%)、雇用者が9508千人(32%)を占めていたが、戦後においては30年の「労働力調査臨時調査」でみると、個人業主は26%に縮小、家族従業者は35.5%とほぼ同じ、雇用者で38.5%に拡大と、雇用構造はいくらか近代化を示したようである。これをさらに農林、非農林別にみると、農林業では地位別構造はほとんど変わらないが、非農林業のなかではサービス産業で雇用者の比率が縮小し、個人業主と家族従業者が増加しているのを除くと、製造業、卸小売業でも雇用者の比率が拡大している。しかし、製造業雇用が膨張した昭和15年に比べると、非農林業全体でも製造業、サービス業でも雇用者の比率が縮小している。これに対し卸小売業はわずかではあるが雇用者の比率が拡大している。サービス業の雇用者の比率が特に縮小しているのは、零細な修理業が戦後はサービス業に編入されたことや、家事使用人が戦後急減していることも影響を与えているものと思われる。こうしてみると従業上の地位別にみた就業構造では昭和5年に比べると近代雇用の比率は増加しているものの、15年に比べるといまだそこまでは到達していないようである。
就業構造を規定する諸要因
労働力人口の増大
前述したような卸小売業並びにサービス業や中小工業の雇用増加の要因として、まず第一に考えられることは生産年齢人口の増大であろう。
戦後の生産年齢人口は外地よりの引揚げ、復員などの社会的増加と戦時中の高い出生率による増加人口の生産年齢人口への到達、戦後における死亡率の減少などの自然増加によって年々著しい増加を示し、戦前(大正9年~昭和5年期)の年平均56万人増に比して、戦後の22年から26年にかけては年率にして約80万人、26~29年間においては年101万人へと戦前に比べて約2倍の増加率を示している。このような戦後の生産年齢人口の増加は労働市場における労働力供給の大幅な増加要因をなしているが、さらに注目すべきは生産年齢人口の増加を上回る労働力人口の顕著な増加傾向である。終戦直後の労働力率(生産年齢人口に対する労働力人口の比率)は、学制改革に伴う就学率の向上による労働力の減少、生産の低下などによって一時急激に減少したが、所得水準の急激な低下を補う家計補助的な就業が増加したことや、戦後の民主化を背景として従来非労働力であった女子が職場に進出したことなどの原因によって再び上昇傾向に入った。特に女子労働力の進出はめざましく、26年から30年にかけて男子266万人の増加であるのに対し、女子は291万人と男子の12%増に対し女子は20%の増加である。そして、戦後の労働力率は30年10月の「労働力調査臨時調査」による平常の就業人口でみると、仕事が主なもので56%、仕事が従なるもの(家事、学業のかたわら仕事に従事しているもの)を加えると70%に達している。このようにして戦後の労働力人口は膨張してきたが、これを生産年齢人口の増加数と非農林業及び製造業就業者の比率で戦前と比較してみると、30年の生産年齢人口の増加数は非農林業就業総数に対して5.6%、製造業就業者の17.6%にあたる。これは戦前(昭和5~15年)における同比率非農林業3.6%、製造業9.7%よりもかなり高くなってきている。
生産構造と雇用構造
次に、就業構造を規定する他の一つの変動要因である労働力需要の面をみてみよう。
いま、鉱工業生産増加と雇用増加との関係を当庁調べの生産指数と「事業所統計調査報告」による雇用指数によってみると、22年から26年にかけては、鉱工業生産は約3倍の増加、これに対して鉱工業の雇用は315千人(9%)の減少である。しかし卸小売業では1453千人(67%)、サービス業では1105千人(42%)と雇用増が著しく、この他金融保険業でも529千人(187%)の増加である。26年から29年にかけても、生産の45.9増%に対し、鉱工業雇用増は1割にみたない。しかしながら、それによって導かれる第三次産業部門の雇用増加は、卸売業で34.3%、同じく小売業で27.1%を示し、卸小売業を平均して29%の増加となった。つまり、鉱工業の生産が1割増加すれば、鉱工業雇用が2%、卸小売業の雇用が6.4%増加するという関係にあったわけである。このような卸小売部門の雇用増加は生産の増加に伴う流通媒介部門の需要増加と統制撤廃による流通機構の整備や、貿易の拡大なども影響を与えていよう。さらに26年から29年にかけて卸小売部門で特に増加率の著しい産業を拾ってみると、卸売業では自動車機械関係、電気機械器具などであり、小売業では自転車、自動車、家庭用機械器具などの耐久消費財取扱部門、並びに百貨店、衣料関係、飲食店であり、これらをみても生産増加や消費需要の増加の大きかったところで雇用もまた多く増加をみていることがうかがわれよう。
またサービス部門の雇用増をもたらした要因としては、消費構造の変化が考えられよう。すなわち食、衣の段階の一応の充足によって生じた余裕が娯楽、サービス需要を旺盛にしているであろうことは次のような指標によってもその一端がうかがわれる。当庁調べ「生活物資サービスの供給数量指数」によれば26年を100として29年においては修養、娯楽費182、交通通信費127、保健衛生費124、教育費122という伸びを示している。また東京都における主要生活用品の購入数量調査によってみても、26年から29年にかけてパーマネントをかける回数は7割増え、床屋、風呂屋に行く回数もそれぞれ2割の増加をみている。映画をみに行く回数も13%増加した。このように保健、衛生、修養、娯楽といったサービス部門の需要の増大に対応して、そこにおける業務量が拡大し、またそこにおける労働力需要も拡大してきたことは事実であろう。
産業近代化と就業構造
労働力人口の増加に対応し、卸小売業やサービス業などでも労働力需要要因が拡大していることは前述した通りであるが、その増加率に大きな開きがでてきているのは、産業近代化による生産性の上昇ということが大きな影響を与えているからである。経済発展のための産業の近代化は、大企業の労働生産性を高め、近代産業部門への雇用吸収を相対的に低めている。そして前述したような需要の増大は、過剰労働力の圧力と相まって、生産性上昇の低い中小企業や流通サービス部門への雇用拡大をもたらしている。
工業は卸売小売業やサービス業などに比べて一般に近代化の度合が高く、その労働生産性上昇率にも開きがある。いま「工業統計表」による就業者一人当たり出荷額(実質)の伸びすなわちその生産性上昇率は27年を100として125.3%であるのに、「商業統計表」による卸売小売業の就業者一人当たり売上高(実質)の上昇率は115.6であることはその一つの現れである。また同様のことは製造工業内部の大企業と中小企業との生産性上昇率についてもいい得る。「工業統計表」によって製造業における生産と雇用の戦後における推移を、実質付加価値額と従業員数の伸びによって25年から29年で比較してみると、生産は比較的大規模の企業において増加しているのに対し、雇用はそのほとんどが100人以下で増加している。従って一人当たり生産性上昇率は大規模になるほど大きい。卸小売業についてもこうした規模別格差は明らかである。すなわち百貨店と個人商業の一人当たり売上高を比較してみると26年から29年にかけて前者は34%の上昇であるが、後者は12%の上昇に過ぎない。このように、製造業においても、卸小売業においても小規模ほど、付加価値生産性の上昇率が低いことは明らかである。一方付加価値率(総生産額と付加価値額との比)は製造業、卸小売業とも規模別にみて、大した変化をみせていない。従って付加価値生産性上昇率の開きは主として物的労働生産性の上昇率の差異によるものと考えられよう。こうした生産性上昇率の差異から、生産は大企業に集中化傾向がみられても、そこにおける雇用増加は相対的に低い。工業とサービス業との関係についても同様のことがいえる。その結果一方における労働力供給の増大と相まって工業よりも卸小売、サービス部門に、また大企業よりも中小企業により多くの就業者が吸収されていくことになる。このような傾向が日本経済にとってやむを得ざる方向であるとしても、果たして発展的な方向であるかどうかということは、そこにおける賃金や労働条件の動向にかかっているといえよう。次に我が国の賃金構造の特殊性との関連において、卸小売、サービス業並びに中小工業の賃金、労働条件を検討してみよう。
賃金構造の特殊性
我が国の賃金構造の第一の特徴は、諸外国にみられない規模別賃金格差の異常な幅である。賃金の規模別格差は戦後一時縮小したが、最近再び拡大傾向にある。こうした賃金格差の大きさとその拡大傾向は、小規模企業における低生産性とその上昇率の低さの反映に他ならない。我が国の規模別賃金格差の幅が国際的にも異常に大きいのは、日本経済の後進性とその発展の急進性が大きく影響を与えているからであろう。すなわち、我が国は世界市場に遅れて登場したため、輸出産業を中心とする急速な近代化が必要とされ、その結果、一方では手工業的な零細企業が多数残存しているなかにおいて、他方では巨大な近代産業が発展していった。さらに輸出競争の激化は近代産業のさらに一層の近代化を必要とする。こうして近代産業と零細企業とは必然的に生産性の格差を大きくし、賃金格差を拡大する要因を強めているのである。
製造業における戦前(大正3年)の賃金の規模別格差を「工業統計表」によってみると、規模1000人以上を100として規模5~9人で男72.7、女71.0であった。その後大企業と中小企業との生産性格差の拡大傾向などからみると、賃金格差も同様に拡大の方向にあったものと思われる。しかし戦時経済に入り完全雇用から労働力不足となるとともに格差は縮小し、また戦後も生産力の極端な低下による大企業と中小企業との生産性格差の縮小などにより、賃金格差も縮小したが、傾斜生産方式による大企業の立ちなおり、ドッジ・プランによる自由経済体制の確率、動乱ブームとその後の競争の激化などによって生産性格差は拡大された。そしてそれは必然的に賃金格差の拡大を招いている。もっとも、これは労働力需給の不均衡が戦後一層強められて、資本が雇用し得る労働力がより豊富に存在するということの反映でもある。また大企業における労働組合の組織化、中小企業の未組織化という影響も無視できない。
それでは、次に卸小売、サービス業、中小工業の賃金水準が現在どの程度にあるかをみてみよう。まず「個人別賃金調査」によって29年の製造業における男女、規模別の賃金格差をみると、1000人以上を100として、10~29人の規模において、男子53.3、女子は61.5である。次に卸小売業の賃金を「商業統計表」によって、「毎月勤労統計」の規模30人以上の卸小売業の平均賃金に比較してみると、27年において1~4人の規模でその33.9%、5人~9人の規模で39.4%である。そのなかで特に雇用増加の大きかった産業の賃金も同様な傾向にある。また29年5月における「事業所統計調査」によるサービス業の賃金は30人以上を100として、規模一人で31.3%、2~4人で38.8%、5~9人で52.2%に過ぎず、なかでも雇用吸収率の高かった旅館、貸間、下宿及びその他の宿泊所、映画、理髪、理容、浴場業などにおいても同じく低水準である。もっとも現物(食料など)給与の支給などを考慮すれば、その格差はかなり縮小するであろう。しかしこれらの企業の労使関係は前期的な関係のものがそのほとんどであり、いまなお徒弟的な性格をもつものもある。サービス業などでも住み込みが多く、また仕事の性質上、労働時間は不規則となり、長時間労働となる結果、時間当たりの賃金格差はより拡大していると思われる。さらに福利厚生施設の設置状況をみても、大規模企業に比べて著しく設置率が低いのである。なお、雇用者となれない零細な露店商、行商、家内工業などの低所得層が、こうした部門に多数存在することも見逃すことができない事実である。このような就業状態の改善には基本的には日本経済の持続的な安定的発展と、それによる完全雇用への接近及び社会保障の強化が必要であろうが、さしあたっては拡大する所得格差の緩和方策が必要となってこよう。