昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
物価
数量景気下における物価の性格
昭和30年度の物価の動きを本質的に明らかにするためには、少しさかのぼって、29年10月頃からの物価動向を連続したものとして眺めてみる必要がある。なぜならばここ1~2年の物価動向は29年のデフレの浸透によって3月から9月頃まで年率18%もの急速度で下落が起こったあと、金属を中心として世界的に景気が好転し、これが我が国の金属価格に波及して、反騰に転じ、この基調が30年度へそのまま持ち越されたとみることができるからである。
従って、30年3月頃から6月頃までの物価の反落は、野菜などの農産物価格が豊作で大幅に下落したこと、鮮魚価格が季節的に値下がりしたこと、及び鉄鋼や銅価格が一時的な輸出頭打ちや2月頃の思惑の反省から下落したことなどの原因に基づいているから、物価基調を問題にする場合には、さして重要視するには当たらないと思われる。
こうした考え方に基づいて29年9月頃から31年3月までの物価の変動率を調べてみると、この間に総合卸売物価は約9%、食料価格を除くと12%の上昇率を示していたが、その物価の上昇には、かなり様相の違う二つの時期があったことが特色である。
物価上昇の二つの段階
第一の段階は29年9月に物価が上向き傾向に転じた時から、30年の9月頃までの約1ヵ年にたる時期であり、また第二の段階は、それ以後31年3月頃までの時期である。
この二つの段階について物価変動の様相はどういう点で違っていたのかというと、一つには生産増加との関連においてであり、二つには価格上昇品目の範囲の点においてである。すなわち、第一段階の時期においては第72図にみるように、食料を除いた物価は年率で4.5%程度上がっていたが、鉱工業生産は15.3%の上昇率を示し、有効需要の増加はこの段階ではその7割から8割が生産の増加によって吸収され、残りの2割から3割が物価の上昇によって吸収されるという文字どおりの物価上昇を伴わない景気の上昇、すなわち数量景気が実現していた。しかるに第二段階になると、物価の上昇率と生産の増加率とはほぼ等しくなり第一段階とはかなり様相の違った現象を呈するに至った。
また、物価上昇品目も第一段階では金属価格が年率19%、雑品価格が生ゴムの急騰から14%のテンポで上昇した他は、食料、繊維、化学品、機械などいずれも横ばいないし下落を示していた。これに反して、第二段階になると、雑品価格がゴムの海外市況の反落から下落したのを除いて、全ての商品が上昇に転じ、特に繊維、機械、化学品などの上昇率が目立ち、また建築材料がほとんど2年ぶりで反騰に転じていることも注目される。
しかもこうした現象は、先にみたように消費者物価においてもほぼ同じ傾向で現れている。
海外要因の変化
それでは物価上昇の二つの段階を規定したものはなんであろうか。まず第一に、海外関連物価の上昇の様相が違っていたということが挙げられる。第一の段階で物価上昇率の大きかった商品は、前述のように金属価格とゴム価格であったが、この二つはいずれも海外市況を反映して上昇したものであった。例えば鉄鋼の価格はこの間に19.6%上昇し、また非鉄金属の輸出価格は20%も上昇している。ところが第二段階になると、ゴムの海外価格は反落に転じ、一方繊維は海外に対する輸出の激増によって反騰に転じている。
内需の動向とコスト上昇要因の発生
しかし、第一段階と第二段階を規定した、より大きくて、かつ重要な要因は、むしろ国内経済に関連した部分にある。
この点を明らかにするために前に掲げた物価上昇品目のグラフを 第73図 のように組み変えてみた。すなわち、第一段階の物価上昇は、前述のごとく主に輸出品としての比重の大きい鉄鋼、銅の値上がりに基づいていたために、ここでは輸出品価格の上昇が目立っている。そして第一段階での物価上昇は、この輸出品価格と半成品物価だけであって、機械、建築材料などの投資財物価は2%から8%下落し、また消費財物価も1.8%下落していた。ところが第2段階になると、輸出価格は同じように上昇しているが、機械は5.4%、建築材料も0.6%の上昇に転じ、投資財物価が上昇し始めたことを示している。このことは日銀調べの「投資財物価指数」でみても、第一段階では年率1.7%の上昇率であったものが、第二段階になると年率13%もの上昇率になっていて、この事実を裏書きしている。
また半成品物価は、景気の変動に対してもっとも敏感に動き、ある意味では在庫投資の変動などに左右され易い性格をもっているため、その上昇率は大きく現れているけれども、第一段階において半成品物価の上昇に著しく遅れていた完成品物価になってかなり追いついてきていることも注目される。これらの事実は、第一段階と第二段階で、物価を動かす国内的な経済基調が二つの点で違ってきているからだと考えられる。
第一の点は、需要面の様相が違っているということである。 第74図 に示したように、輸出価格の上昇は輸出需要の増加率の相対的な高さに比例しており、また第一段階における消費財、投資財物価の下落は、消費需要、設備投資、住宅投資の増加率の相対的低さと対応している。そして第二段階の投資財物価、消費財物価などの上昇は設備投資需要、住宅投資、及び消費需要の増加率が急速に大きくなった事実と対応している。
換言すれば、29年度下半期から発生した金属を中心とする造船及び輸出需要の増大は、約1ヵ年の間、国内経済にあまり波及せず、1ヵ年を過ぎた30年9月頃から消費需要の増大、設備投資の増大をもたらし、これが物価面にも反映して投資財、消費財物価を引き上げることになった。つまり物価上昇は輸出品目のみに限定されていた第一段階から、国内関連物価に全面的に波及した第二段階に移行していったわけである。
物価上昇に二つの段階を画したもう一つの要素は、コスト的値上がり要因の発生という点にある。
物価のコスト的値上がり要因が第一段階では少なく、第二段階になってかなり全面的にでてきたのは、ほぼ三つの側面を通じてであった。第一の側面は前述したように、海上運賃の2割にも及ぶ上昇を加味した輸入原材料価格の騰貴である。例えば輸入工業塩の値上がりは31年1月から専売公社の販売価格をトン当たり1,200円、約33%値上がりさせることになり、これは直ちに苛性ソーダ、ソーダ灰、塩酸などの無機化学品の値上がりをもたらした。その他鉄鉱石やくず鉄の値上がりが30年後半に入ってからの鉄鋼建値の引上げを招いたことなどもこの好例であろう。
第二の側面は、鉄鋼、非鉄金属などの騰貴が順次高次製品の値上がりに波及したことである。例えば銑鉄の値上がりが鉄板価格を引き上げ、これが農機具、家庭用電気器具など広範な機械価格の値上がりをもたらしたことや、銅、鉛、亜鉛など非鉄金属の値上がりが31年初めの硫酸銅、砒酸鉛、鉛丹、リサージなど無機薬品の価格上昇を引き起こしたことなどは、全てこの部類に属する。
こうした原材料値上がりの製品価格への波及が第二段階に入って主として起こったということは、第75図にみるように、第一段階では半成品物価のみが上昇して完成品物価の上昇テンポまで速くなったことによってもうかがい知ることができるであろう。
最後に第三の側面として、労働生産性と賃金との関係が考えられる。29年9月から30年9月までの第一段階では、鉱工業の労働生産性が約16%上昇したのに対して、賃金水準は6.5%しか上昇せず、従って消費需要の増加も極めて少なかった。しかし第二段階になると、賃金水準も漸次上昇してきて、消費需要も顕著に増加しはじめ、コスト、需要の両面から物価の底をかたくしてきたということができるであろう。
以上のようにみてくると、この1ヵ年の数量景気と呼ばれる安定的な物価動向にも大きくわけて二つの様相の違った時期があった。そして景気の上昇過程で物価変動の様相がこうした現れ方をしたということは後に述べるように、この間における内外の経済条件の性格から必然的に生じたものとみることができる。