昭和31年

年次経済報告

 

経済企画庁


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物価

物価変動にみる現局面の特色

 昭和29年から30年にかけての物価の上昇は、その原因が海外市況の好転と輸出需要の増大とにあり、これが漸次国内物価の上昇に波及していったという特色をもっている。ところが同じく海外市況の好転を契機として物価騰貴の起こった25年から28年頃までの物価は上昇期にはインフレ的な物価上昇となり、また下落期にはかなり大幅な反落があるなど極めて不安定な様相を呈した。それが今回は安定的な数量景気をもたらした原因はどこにあったのだろうが。もちろん25年以降の場合は、朝鮮戦争勃発という特殊な条件の下での物価騰貴であっただけに、種々の点で現在とは環境が違っていたことは否定できない。しかしその点を別にしても、次のような相違点に一つの原因を求めることができる。

海外価格との関係における相違

 朝鮮動乱後今日まで、我が国物価の大勢は 第76図 にみるように、その動きにおいて海外物価の動きに追随している。すなわち、朝鮮動乱を契機として世界各国の物価はその幅こそ異なっているけれども、いずれも急激な騰貴を示し、26年ないし27年の初めにピークに達し、その後28年にかけて一時反落期があり、あとは再び横ばいないしジリ高を続け、30年に入ってからはかなり上昇率を大きくしている。このことは、我が国の物価が世界市場という外部的な事情に多く依存していること、換言すれば貿易を通じて海外物価の動向がわが国物価のなかに大きくとり入れられていることを物語っている。

第76図 各国卸売物価の動き

 しかし、25年から28年にかけてと29年から30年にかけてとでは、海外物価と国内物価との関連においてかなり違った動きのあることも否定できない。

 第111表 に示したように、25年以降の物価には彼我の関係に相異なる二つの動きがあった。第一には工業製品の価格が変動の型において海外と国内と非常に似ていたということである。この表の海外価格は、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリアの価格を平均したものであるが、例えば25年から26年にかけては世界的に大幅な工業製品の価格上昇が起こったが、26年以降になると海外価格は1%、2.3%と漸次下落し、28年から29年にかけてはその下落率が鈍化している。そしてこうした動きを反映して、我が国の転じているように、変動の傾向は極めて深い関連を持っていたようだ。また、海外の原材料価格の動きと我が国の輸入原材料価格の動きがやはり非常に似ていた。以上の点は、金属、繊維など輸出品の占める比重の大きい我が国の工業製品価格や、輸入原材料価格が直接的に貿易を通じて変動しているという意味から考えると当然のことともいえる。ところが同じ工業原料でも国内原料の動きは、海外の原料価格の動きとは全く違って、25年から29年にかけてほとんど一貫した棒上げに推移している。また、我が国農産物の価格も、海外農産物価格の26年以降の低落傾向とは対照的に上昇を続けていることがわかる。これが第二の動きである。

第111表 昭和25年以降の内外物価騰落率

 ところで29年以降のこれら物価の動きはどうだろうか。 第112表 に示したように30年9月までの第一段階においても、それ以後の第二段階においても、工業製品、輸入原材料の価格はもちろんのこと国内原材料価格も農産物価格もいずれも海外価格の動きに非常に似た動きを示してきている。このうち農産物価格は、たまたま30年が未曾有の豊作であったということもあるが、やはり基本的には、米価を初めとする農産物価格全体が25年から28年頃にかけては、国際価格より低い水準に維持されて、国際価格の動きと遮断されていたのに反し29年から30年にかけては国際価格水準ともほぼ等しくなり、もはや色々の意味で海外価格の動きに無関心ではいられなくなってきているという性格の相異が、その底に横たわっていると考えるべきであろう。このことは、原材料価格についても同様で、石炭価格などは最近では、重油など代替原料の輸入が自由に行われるようになり、海外原料価格の動きと無関係な上昇を続けることができなくなっている。

第112表 国内要因との関係からみた物価変動

国内要因との関係からみた物価変動

 次に国内要因との関係において昭和25年以降の物価変動を三つの時期に分けて検討してみよう。

 まず第一の時期は朝鮮動乱が起こって物価が急速な騰貴を始めた25年7月頃から翌26年4月のピーク時までの時期であり、第二の時期は26年4月から27年半ばまでの物価反落の時期であり、第三の時期はそれ以後物価が横ばいになった時期である。

 この三つの時期について、まず総合卸売物価指数の動きを国民総需要の増加率と鉱工業生産の設備能力の増加率の面から対比してみると、 第77図 のようになる。すなわち、第一の時期の物価急騰は、先に述べた海外物価の急騰に追随したという原因の他に、有効需要の増加に比べて、生産能力の増加が追いつかなかったという面もあった。同様に第二の時期の物価反落が、基本的には後に述べるように在庫投資の減少ということに原因していたものの、また有効需要の増加に比べ、生産能力の増加が相対的に多くなったという事実にも一つの原因を求めることができる。

第77図 昭和25年以降の物価、需要、生産能力の変動率

 さて、物価全体の動きは以上のようにして説明できるが、次に物価の商品グループ間における相対的変動はどうだろうか。 第78図 にみるように、この三つの時期の物価の相対的変動にはいくつかの特色がみられる。まず第一の時期においては相対的に物価上昇率のもっとも大きかったのは、輸出品物価であり、また半成品物価も上昇率が大きい。しかし投資財及び消費財物価は相対的にはむしろ下落を示している。次に第二の時期になると、輸出品物価、半成品物価は相対的に下落し、逆に投資財物価は上昇に転じ、消費財物価もわずかながら上向いている。ところが第三の時期になると、投資財物価は依然として上昇しているが、前記に比べて特に消費財物価の上昇が著しくなっている。こうした物価変動の三つの時期の性格の相異を規定したものとして、同図に示したような需要の変動を挙げることができる。このグラフは国民総有効需要に対する相対的な需要の変動率の大小を現したものであるが、これをみると、先の物価の相対的変動の三つの時期の相異をほぼ説明することができる。例えば、消費財物価の三つの時期の動きは消費需要の三つの時期の変化に対応しているし、また投資財物価の三つの時期の変動も設備投資の動向によって説明することができる。

第78図 昭和25年以降の物価及び有効需要の相対変動

 そこで25年以降のこの三つの時期の物価変動の状態と、29年以降31年3月頃までの二つの時期の物価変動とを比較してみると、大きく分けて二つの相異点を挙げることができる。

 まず第一には、投資財物価の上昇時期に相異があったということである。投資財物価は動乱後第一の時期においては、消費財物価などに比べて相対的に高い上昇率を示し、その後第二の時期にもこれが引き続いている。これに対して29年以降の場合は第一段階では上昇が起こらず、第二の段階になってようやく上向いている。

 こうした相異はどこから生じてきたのかというと、25年当時には、増大する輸出需要に対して直ちに新たなる設備投資を行い、生産能力を拡大しなければならなかった。ところが29年以降においては、「生産」の項にも述べたように、我が国の鉱工業生産能力が動乱当時に比べて極めて大きくなっているために、輸出需要の増加に対して既存設備による生産増加で賄うことができた。また、在庫水準も25年当時はあまり高くなかったために、在庫による調節作用も少なかったのに反して、29年から30年にかけては、在庫水準が高まっていたので、最初のうちは既存在庫を減少させることによって輸出需要を賄うことができたという、いわば在庫の調節作用の復活という事実も大きな原因をなしているようだ。

 次に第二の相異点として25年以降の場合にはかなり大幅な物価反落期があったのに反し、29年以降の場合には少なくとも今日までのところ目立った反落期はみられないことである。これは26年頃の反落は海外物価の反落に追随したということの他に、国内の在庫投資の激減したことも一つの要因になっている。このことは企業の在庫投資に対する思惑的な態度の現れともみられる。従って、29年以降の場合に大きな物価反落期のなかったのは、こうした企業の態度が、企業全体の基盤の健全化に応じて、健実になったことの反映と考えることもできるであろう。

 以上のようにみてくると29年度から30年度にかけての安定的な物価変動は、生産能力の増大及び在庫の調節力の回復や、企業投資態度の健実化に基づくもので、決して農産物の豊作などのような偶然性によってのみもたらされたものではない。いわば日本経済が種々の意味で戦後の回復過程を終わった段階にあるところから必然的にもたらされたものであるといえるであろう。


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