昭和31年

年次経済報告

 

経済企画庁


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日本経済の現段階

経済環境の変化と戦後構造

正常化の再認識

 経済水準の回復過程が終了に近づき、いわゆる経済の正常化が日程にのぼるにつれて、現在の経済構造が戦前のそれと異なる点が問題にされてきた。なるほど現在の「歪み」のなかにはまだ戦前の型へもどることを正常化とみるべきものも存在しよう。しかし戦前構造と現在のそれとの乖離のなかには、戦後の環境条件への適応の当然の結果と見做すべきものも含まれている。

 敗戦は我が国の経済をとりまく環境条件に大きな地すべり的変化をもたらした。それは第一に財閥解体、労働民主化、農地改革など一連の経済民主化政策の実施であり、第二には、植民地勢力圏の喪失、世界市場からの隔絶など貿易市場及び原料取得条件における変化であった。戦後復興の過程は同時にまたこの環境の激変に適応する過程でもあった。速やかな経済復興はインフレーションを伴いインフレーションは日本経済に大きな爪跡を残した。現在我が国経済構造に残るいわゆる「歪み」はインフレーションによる傷痕と、戦前とは異なった戦後条件への適応との複合した結果である。もちろんインフレーションの歪みはできるだけ癒してゆかなければならない。しかし現在の経済構造にもまたそれ相当の理由があるのだ。従って正常化とは単に「戦前」へ復帰することではなく、右の事実の認識のうえに立って新しい発展の方向を求める動きでなければならない。その例として以下に資本調達方式の変化と貿易依存度の減少について述べてみよう。

資本蓄積方式の変貌

 経済構造の歪みの適例としてしばしば引用されるのは、 第19図 に示した企業の資本構成である。自己資本対他人資本の割合は戦争直後の激落から最近ではかなり回復しているが、まだ戦前には及ばない。このいわゆる自己資本の不足の一因は、企業資産の帳簿価格がインフレーションによって減価したこと、すなわち、資産の再評価がまだ十分に行われていないことにある。

第19図 企業の資本構成の変化

 しかし自己資本の低下は単に再評価の不足のみによるのではない。企業の年々の資金調達についてみても、戦後の構成は銀行借入れなどによる他人資本の割合が増大し、社内留保と増資による自己資本の比率が減少している。この構成変化の原因として、経済の拡大スピードが速く、年々巨額の追加資本が必要とされ、他人資本への依存度を高めざるを得なかった事情と企業の収益力の低下とを挙げることができる。

 戦後通貨改革によって資産再評価を完全に行い、インフレの歪みを除いた西ドイツ企業の資本構成においても、通貨改革後、年を逐って自己資本の比率が低下し、現在のそれが戦前に比してかなり下回っているのは、発展テンポの速さの故に、年々資本調達のうちの外部資金の比率が高まらざるを得なかった結果である。またそれとは逆に我が国の企業においては、29年及び30年上期に調達資金中外部資金の比率が著しく低下しているが、それは企業投資が停滞していたためとみられる。

 次に企業収益力の低下には戦後条件の変化と結びついたまた別の理由が存在する。その原因を列挙すれば、輸入原料の割高などによる原材料費比率の増高、社内経費の増大、労働民主化に伴う労働条件の改善による労務費比率の増加などである。その結果、 第21図 にみるように売上高に対する企業の金利を含む総利潤率は11年上期の14.6%から30年上期の10.8%へと低下している。そのうえ戦後は借入資本の増大の結果として金利支払の負担が増大し、税負担も重くなっているので、社内留保や配当の部分はますます圧縮されざるを得ない。なお増資による調達の減少には経済民主化により国民所得の配分が均等化し、貯蓄も細分化されたために有価証券への直接投資が減ったことなどが影響している。

第20図 西ドイツ企業における資本構成の変化

第21図 戦前戦後の原価及び利潤構成比較(製造工業)

 もちろん今後も生産性の向上によって収益力を高め、社内留保と増資の増大によって自己資本を充足し、インフレの傷痕を癒す努力を長期にわたって積み重ねなければならない。しかし自己資本の比率の低さは経済の拡大テンポの増大及び戦後条件の変化に基づく収益力の低下と絡み合っているのであるから、今後の資本構成のあるべき姿は、戦前の標準比率の示すところとは必ずしも一致しないであろう。

貿易依存度の減少

 戦後我が国の貿易は急速な回復を示したが、戦時中の封鎖経済や旧植民地勢力圏の喪失などの影響を残して、その水準はなお低位にある。

 昭和30年度の貿易数量は戦前に比べて輸入で94%、輸出で75%にとどまり、鉱工業生産の188%、実質国民所得の149%に比すれば著しく低い。国民所得に対する貿易額の比率も、戦前は輸出入ともほぼ23%であったのに、30年度は輸入で14%、輸出で11%にとどまっている。しかも貿易依存度は終戦直後の異常な低さからはある程度回復したものの、26年以降はほぼ横ばいの推移を示している。貿易依存度は、なぜにこのように低下し得たのであろうか。

 まず輸入についてみると、天然繊維から化学繊維への移行による綿花輸入の減少、重化学工業の発達による機械、硫安、銑鉄、ガラス、パルプなどの自給化に伴う製品、半製品輸入の節約が、直接的な原因となっている。もちろん金属、機械、化学工業などの生産が戦前に比して特に高くなっているという事実が、この輸入削減と見合っているのである。綿花を輸入して綿布を1ヤール製造する場合に比して、石炭やカーバイドから合成繊維を1ヤールつくる場合には、それに関連する生産工程ははるかに拡大し、そこから生まれる所得は増大する。これを生産の迂回化というが、この迂回度の上昇、換言すれば重化学工業化によって輸入依存度の低下が可能になった。

 右に述べた生産の迂回化を達成するためには多くの投資を必要とする。重化学工業化を基軸とする戦後経済再建のための巨額な投資需要は、輸出需要に対する国内需要の比重を相対的に増大せしめ、輸出依存度低下の主因となった。 第23図 にみるように、戦前の国内総資本形成は輸出など海外からの需要より少なかったが、現在では輸出の2倍ほどの資本形成を行っている。従って戦前に比べて激増した重化学工業部門の生産は投資の増大に伴う投資財需要の増加と、生産の迂回化による生産財需要の増加のうちに吸収されたのである。なお輸出の構成も重化学工業化し、綿製品輸出が減少したことは、綿花の輸入減少などを通じて輸入依存度の低下に反映している。

第22図 日本の貿易依存度

第23図 総需要構成の変化

 国内需要の拡大を金額的にみれば、消貿需要の増大が最も著しい。これは人口が戦前に対して3割増加し、勤労所得や農家所得などが相対的に増大したためである。つまり労働民主化や農地改革による大衆所得水準の上昇が、輸出依存度低下の一つの成立条件となっているわけである。もちろん消費の構造も戦前とは異なってきた。衣料についても純綿、純毛製品が停滞して化繊やその混紡製品が進出した。また前にも述べた通り、最近は支出の増える方向がサービス関係や、耐久消費財に向けられている。これらの傾向は輸入をあまり増やさずに国民消費を増大しうる原因になっているようだ。

 以上のように貿易依存度の低下は産業、貿易構造及び消費構造の変化の相互に絡み合った運動の総括的結果である。こうして日本は世界でも貿易依存度の最も低い国の一つとなった。戦後の世界諸国の貿易動向をみると、国民所得に対する貿易の比率が戦前より高まっている例が多く、特に工業国では、それらの国々相互間の製品貿易の増大によって、貿易依存度の向上は経済の発展と相伴っているようである。今後我が国は世界市場の需要の動向に応じた産業構造の高度化によって貿易水準の一層の上昇に努め、国際交換の増大による利益を享受しなければならない。その結果は当然貿易依存度も上昇の方向をたどるであろう。しかしながらその場合にも、貿易依存度上昇の目標は単なる戦前への復帰ではあるまい。

 戦後条件の変化を考慮するならば貿易の伸長はこれにつり合った国内市場の発展を不可欠とする。例えば我が国の輸出構成中、その比率を今後次第に増大してゆかねばならぬ機械のごときは、ある程度の安定した国内市場を確保することによって、初めて輸出への発展も可能になる性質のものだからである。

 輸出市場と国内市場の均衡的発展の鍵は生産性の上昇にある。高い能率は国際競争力を強化し、輸出水準の上昇に資するから、生産性の向上とつり合いのとれた賃金や生活水準の上昇は、国際収支の悪化を招かずに国内市場の拡大をもたらすことができる。


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