昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
日本経済の現段階
経済水準回復過程の終了
昭和30年度の経済水準
第15図 にみる通り、昭和30年度の経済は貿易を除けば戦前水準を大幅に上回った。一人当たり実質国民所得でみれば、昭和9~11年の113%であって、これは戦争中の最も高かった水準、14年のそれと偶然ながら全く一致している。鉱工業の生産も戦時中の最高は19年であったが、30年度の生産水準はこれを凌駕した。つまり戦前水準を超えたというだけではなくて、戦前、戦時のピーク水準にも到達したのである。それは単に所得とか生産とかいうように、経常的ないわゆるフロウとしての量についてあてはまるだけではなくて、資産の残高あるいはストックとしての量についても同様のことがいえるようである。
例えば生産設備の現在高についてもそうである。昭和10年の生産設備の現在高を仮に100とすると、その後の軍需のための生産力拡充計画によって年々大投資が続けられ、終戦を迎えた20年にはほぼ190の設備があった。しかし、このうち3割は戦災と疎開などによって消耗し、終戦直後の生産設備現在高は140だったであろうといわれている。戦後10年間毎年新しい設備が追加された。26年以後の投資額は実質的に戦前平和時代の投資額をはるかに上回っていた。そして現在の生産設備の残高は昭和10年に対してほぼ200であろうと推算される。この設備の現在高が戦前に対してほぼ2倍の工業生産に見合っているのである。また数年前までは、年々の消費水準が戦前の100%以上に回復しても、そのうちの相当部分は戦時中及び戦後に食いつぶした家財の充足にあてられるから、生活水準としてはまだ100%を大幅に下回る、つまり消費水準と生活水準とには大きな食い違いがあるといわれていた。しかし現在では先に述べたように、住宅を除けばほぼ充足の時期も終わった。
高かった成長率の秘密
戦後10年間、日本の実質国民所得は年平均11%、工業生産は22%、輸出額(ドル表示)は46%の割合で成長を続けた。 第16図 にみるように、このような高い経済の成長は日本と西ドイツとを除いてはその例をみることができない。
なぜにこのような高い成長を続けることができたか。まず挙げなければならないのは、復興のための緊急需要の存在である。戦争直後、国民の生活は極端な窮乏におち入り、生活の向上を望む気持ちは切実であった。それを裏付けるための生産設備の復興に対する需要も熾烈であった。世界経済から隔絶されていた日本経済がそれへ復帰するとともに、輸出も急テンポで伸びた。このような需要面の急増に供給面が追いつけてゆけたのには、また別の理由がある。戦災をうけて減耗したとはいえ、なお戦争直後にあれだけの生産設備をもっていたから、これに若干の復旧、補修をほどこすことによって実稼働能力を急速に高め、これに原材料を注ぎ込めば急テンポで生産を増やすことができた。そして、その原材料の供給は米国の対日援助によって助けられた。設備投資、在庫投資の資金は、復興金融金庫その他を通ずるインフレ的な信用供与によって賄われた。
戦後、欧米諸国においても、復興過程の特殊条件は同じように作用した。しかし、再建需要は次第に充足され、朝鮮動乱ブームの調整過程を経た1951年(昭和26年)以後の欧米諸国の成長率は、それ以前に比較してほとんど半減している。我が国についても、1年遅れて27年までに緊急の復興需要はある程度充足し、27年以後にはやはり成長率の鈍化がうかがわれる。本来ならば28年以降の成長率はもっと低まるべきはずであったと思われる。それなのに28、30年にあれだけの拡大テンポを維持し得たのは、経済循環の外側から新たな力(外生力)が注ぎ込まれたからにほかならない。28年についていえば、それは電源開発を中心とする財政投資であった。従って29年に経済の伸びのテンポが落ちたことは、デフレ政策の結果であることはいうまでもないが、日本経済の循環に外から新しい力を注ぎ込むことをやめたために、経済の浮揚力の弱化が露わになった結果とみることもできるであろう。続いて30年には世界景気の好調による輸出需要の増大という、これまた日本の経済循環の外側からの力が加わったために、経済の伸びるテンポが再び高くなったのである。
成長率の鈍化と投資誘因の減退
経済諸指標の大多数が戦前及び戦時中のピーク水準を回復したなかにあって、貿易だけは例外である。ことに輸出の回復水準は最も低く、総体としてまだ戦前の8割にも達していない。しかし戦前の我が国の輸出のうち大きな割合を占めていた市場で、現在は政治的その他の理由によって正常な通商が困難になっている近隣地域を除いてみれば、日本の輸出は既に戦前水準を約1割上回っている。その意味では今後の輸出増加を単なる回復力にまつことはできないであろう。我が国の輸出可能性を日本貿易の世界経済への復帰に伴って伸びる部分と、世界貿易の成長に伴って増大する部分との二つに分ければこれからは後者の比重が次第に強くなってくるに違いない。国内需要についてみても、前述の通り戦争直後の熾烈な消費欲望が次第に減少したばかりでなく、人口の自然増加率も一時の1000人につき21人から現在の11人へと減少を続けており、やはり潜在的消費需要の伸びの鈍化を暗示している。
需要の伸び方が落ちれば、生産力の伸び方もそれだけ低めねばならないから、投資誘因は減退する。もし、今まで年々1割ずつ需要が拡大してゆき、これを賄うために年に何千億円かの設備新設を必要としていたとすると仮にこの伸びる率が5%に落ちれば、その限りにおいては新規投資必要額も半分ですむことになる。投資は生産力であるとともに一方、有効需要でもあるという二面性をもっている。従って投資の減少は生産物に対する購買力を減少させ、需要の伸びる率の半減に伴う投資の半減は、国民所得の成長率をさらに悪循環的に低下せしめる。
こうして経済水準の回復過程をほぼ終了した現在としては、経済の浮揚力が弱くなり、その結果、景気循環の運動は今までより一層顕かになる惧れがあるとみてよいであろう。