昭和30年
年次経済報告
経済企画庁
物価
29年度物価下落の特色
今まで述べたように、昭和29年度の物価の動きには、ほぼ相異なった二つの時期があったが、しかし年度間を通じての物価基調は一貫してデフレ的に推移し、 第53図 のように物価全体ではかなりの低落となったのである。そこで29年度中における物価下落のうち、注目すべきいくつかの特色をひろって次に検討してみることとしよう。
物価と生産の関係
29年のデフレ現象において、まず第一に注目しなければならない特色は、特に上半期の物価急落期に生産水準のかなりの低下が伴ったという事実である。すなわち 第104表 に掲げたように、29年3月から9月に至る時期に物価は総合で、7.7%下落したが鉱工業生産も4.4%低下している。もちろんこれは業種によって若干趣きが異なり、繊維、化学品などでは、生産はかえって増加しているが、そのほかは、金属をはじめ、機械、製材、ゴム、皮革などいずれも物価下落率より以上の生産水準の低下をもたらしている。
ところで、戦前の我が国経済では、明治以来景気の上昇期、つまり有効需要の増加するときには、物価も上昇し、生産も増加するという傾向をもっていたが、逆に景気の下降期、つまり有効需要の減少する時には、物価は大幅に下落するが生産はほとんど低下しないという特色をもっていた。
例えば、大正10年の景気の下降期には、物価は1年間に2割5分もの下落を示したが、生産はわずか3%しか下らなかった。また昭和5、6年のいわゆる井上デフレの時も物価は1割8分も下落したが、生産はわずか1%しか低下していない。そして雇用量が1割程度減少している。しかるに、29年上半期の有効需要の現象が、物価に反映すると同時に、生産にもかなり影響を与えたということは、今回の緊縮政策の性格の相違をはじめ種々の条件の違いがあったことはもちろんであるが、金融引締めの影響を受けて、流通部門の在庫減少がおこり、これが一方で生産者在庫の異常な増大をもたらしたため、企業は資金繰りの面から在庫増大に耐ええないでやむを得ず生産の抑制を行わざるを得なかったという面も強く、また最近の企業が一般的には戦前よりも収益性がかなり弱まっていて、物価の下落、生産者在庫の増加などに対して企業の耐えうる力が少なくなっており、一層この面から生産抑制が促進されたという面もあったのではなかろうか。
原料品、半成品、完成品物価の関係
次に29年度中の物価下落を、原料品、半成品、完成品というようにわけて調べてみると 第54図 のようになる。すなわち、年度間を通じて原料、半成品、完成品の物価下落率はそれぞれ5.8%、4.2%、4.6%となっていてあまり大きな相異はないが、これを上半期と下半期にわけてみると、上半期には、原料、完成品がそれぞれ6.7%、5.9%の下落率であったにもかかわらず半成品は11.3%もの大幅な下落となっているし、また下半期にも原料、完成品がそれぞれ1%、1.5%の微騰であったのに対し、半成品は9%もの高騰となっていることがわかる。
このことは、半成品のような中間財部門には、前にみたような在庫の変動がもっとも大きく反映するために、景気の変動に対して極めて敏感に物価が変動する性質があることの現れだとみることができよう。また、年間を通じて原料、半成品、完成品の各部門に比較的一律に物価下落が起こり、特にある部門だけ強く物価下落をもたらさなかったということも29年度における物価下落の一つの特色とみることができる。
消費者物価と卸売物価との関係
次に、29年度中を通じて消費者物価の下落率が極めて少なく、ほとんど横ばいに推移し、卸売物価の下落と全く見合っていないことが目立つ。すなわち、全都市消費者物価指数は 第105表 にも示すように、29年3月の119.0(26年=100)から、同年9月119.7、30年3月の118.4とほとんど動いていないし、また農村における家計用品物価も年度間に逆に3.3%の上昇となっている。卸売物価は年度間4.5%も下落したのに、消費者物価はなぜこんなに動かなかったのだろうか。これは次にあげるようないくつかの原因が考えられる。
第一には、なんといっても、緊縮政策の影響が、消費需要に影響を及ぼすには時期的に大きなズレがある上に、29年の緊縮政策が金融の引締めのみを主軸として行われたために、より一層消費需要の減退を直接的にはもたらさなかったということである。例えば消費購買力の一つの指標である全国の百貨店の売上高をみても、29年度中には総売上高は1,878億円で、28年の売上高1,661億円より1割以上も増加している。このため、物価も消費財の方は、投資財や、中間財に比べ下落率が少なくなっている。 第105表 のように卸売物価についても、年度間を通じては消費財と生産財(これは投資財及び中間財を含んだものである)の下落率はほぼ同率であるが、これは消費財のうちの食料物価が28年の凶作の影響を受けて28年上期に高水準を保っていたため29年に作柄が回復するとともに急激に下落したためであって、食料を除いた消費財物価は上期には6.3%、年間では3.5%の下落に過ぎず、いずれも生産財物価の下落率8.5%、4.5%よりもかなり小さくなっている。
次には、同じ消費財といっても、その卸売価格と、小売価格では値下がりの幅がかなり違っているということがあげられる。これは小売価格よりも卸売価格の方が投機的な要素ェ強いし、また、金融の引締めに対し小売部門の方が、卸売部門よりも圧力を受ける度合いも少なく、消費者に直結しているだけに耐えうる力も強いためと考えられる。
なお、消費者物価には米価、電気料金、家賃など直接的には緊縮政策の影響を受けなかったものが含まれていることも大きな原因となっている。
国内物価と輸出物価との関係
最後に、29年度の物価下落において、もっとも注目しなければならない現象に、輸出物価の下落と、国際物価水準への接近という事実がある。
本来29年の緊縮政策は、国際収支の改善と、物価引下げによる輸出条件の好転をその目的としていたが、果たして国際物価に比し、我が国物価水準はどの程度の接近をしたのだろうか。29年3月から30年3月に至る1カ年の間に、国内の卸売物価は4.5%くらい下ったといったが、そのうち、輸出品に関連の深い商品だけをとってみると、1カ年の間の下落率はさらに大きく、ほぼ9.1%程度の下落となっている。そしてこの下落は 第55図 に示すように、上半期に9.3%の急落を示したあと、下半期には、0.3%反騰した形で達成されている。下半期の輸出関連物価の上昇率が意外に少ないのは、一般的な金属価格の上昇にもかかわらず、屑鉄のように、上昇率の特に大きかった商品が輸出には関連が少なく輸出に関連の深い商品ではいずれも、輸出価格よりはその国内価格の方が上昇率は小さかったし、また繊維品のように国内価格がむしろ下落したものもあったためである。ところが、輸出商品の輸出価格そのものは、上半期には8.2%の下落で、国内価格の下落率よりは小さく、さらに下半期になると、鉄鋼、銅などは国内価格以上に上昇したし、繊維品の中にも国内価格とは逆にむしろ上昇したものもあったために、総合では4%近くの上昇を示した。このため、結局1年間を通じてみると、4.9%しか下落しなかったことになる。つまりこの1年間に輸出物価は約5%の下落にとどまったが、国内物価は10%近く下落した勘定である。こうして、ここ2、3年来の問題であった輸出価格と、国内価格の間の二重価格現象は、ごく一部の商品を除いてほとんど解消し、30年に入るとともに、一部商品では逆に国内価格より輸出価格の方が高いという逆の二重価格さえ生ずるようになった。
このことを主な輸出商品若干について個々に調べてみると 第106表 の通りである。例えば、綿糸の29年3月の国内価格はポンド当たり64.2セントに対して、輸出価格は54.3セントと約10セントほど国内価格の方が高く二重価格現象を示していたが、30年3月までに輸出価格は5%上昇しているのに対して、国内価格は逆に14.8%もの大幅な下落を示した。この結果3月にはかえって輸出価格の方が2セントほど国内価格を上回り、従来の二重価格現象は全く解消することになった。
さてこの1年間に輸出価格に関する二重価格現象は解消し、輸出価格と国内価格の背離はなくなったが、その輸出価格そのものは海外の価格に比べてどうなっているだろうか。主要な輸出商品について、我が国の輸出価格と海外の価格とを30年3月現在で比べてみると、金属類は16%位我が国の水準が高く、化学品も3%方高くなっているが、繊維類、ガラスなどは逆に1割以上安くなっていることがわかる。そしてこれら全ての商品を平均した輸出商品全体の水準でいうと、アメリカの価格を100とすると我が国は101、また英国を100とすると102となり、かなり輸出価格は国際水準に接近してきている。しかるに、1年前の29年3月現在では、我が国の輸出価格水準はアメリカの価格を100とすると102、英国を100とすると109となっていて、平均的には4-5%方割高であった。
従って、この1年間に国際物価水準はほぼ横ばいであったが、我が国の輸出品の国内物価は約1割下落し、そのうち半分は、二重価格の解消に、また他の半分は輸出価格の国際的水準への接近にそれぞれ寄与したということができ、この限りでは、29年の緊縮政策はかなりの効果をあげたと評価して間違いはないように思われる。
しかし「鉱工業生産・企業」の項にみるようにこの物価の下落が必ずしもコストの低下を十分に伴っていないという点はなお注意しなければならない。